平成0@2022年09月ふたば保管庫 [戻る]

兵庫県加古川市7人殺害事件の動機Name名無し22/09/03(土)19:58:25No.12907+ 27年6月頃消えます 2005年に起きた兵庫県加古川市7人殺害事件の動機について。
1964年、藤城康孝元死刑囚の母親が嫁いできて以降、出自の違い等から露骨な嫌味を言っていた。また、近隣住民に対し母親の悪口を言いふらしたすることも日常茶飯事だった。被害者の一人、とし子さんの夫は藤城元死刑囚の父親と兄弟だったが、嘘を言って兄弟仲を悪くさせたり、嫌がらせともいえる仕打ちを重ねていた。
分家するとき、「土地や家は、母屋から無償で譲渡される」のがこの地区の慣習だったが、とし子さんはこれに反対した。そのため、藤城元死刑囚の家はいつまでも本家の所有だった。
No.12908+また、とし子さんの2人の息子との間にも、諍いが多かった。事件の犠牲になった勝則さんと義久さんである。
彼らから幼少時から暴力を振るわれたり、見下されていると感じていた。実際に、とし子と息子たちは、藤城の一家を軽んじ、見下すような言動をすることがあった。
利彦さんの妻・澄子さんらは、井戸端会議で日常的に藤城の母親の悪口を言っていたようだ。母親が通りかかるとちらちらと視線を送り、母親が会釈してもそそくさとその場から去るような行動を取っていた。
伸一さんの停めた車が邪魔で、藤城元死刑囚の車が出せなくなった時、伸一さんと揉めて罵り合いになったことがある。母親が藤城元死刑囚をなだめようと出てくると、伸一さんが藤城の母親に「くそ婆、黙っとれ」と罵ってきた。
その後も藤城元死刑囚に対して、謝るどころか挑発的な態度だったという。
殺されて当然でしょう。