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…No.18153+讃岐生駒氏(矢島生駒氏) 生駒豊政の妹が嫁いだ土田氏より子親重を養子に迎え生駒姓を与え養子分家としたのが始まりであり、元は六角氏傍系の土田氏、土田甚助である。 土田氏には信長の祖母いぬゐ、母土田御前、信長・秀吉に仕え重用された親正が出る。讃岐国6万石余りを与えられ丸亀城に移り大名となる。 初代親正が豊臣政権の三中老として遇されるなど重用されていたが、1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いでは家門の存続を図るため親正が西軍に属する一方で、 親正の子の生駒一正が東軍の徳川家康に属して戦う。戦後丸亀城から高松城に移る。 1640年(寛永17年)親正のひ孫高俊の時お家騒動(生駒騒動)が起こり、騒動の責を受け出羽国由利郡矢島***へ配流となり堪忍料として1万石が与えられた(矢島生駒家)。 高俊の次男俊明に2000石が分知され、嫡男高清が8000石の旗本となり、以後幕末まで続いた。 生駒豊政--生駒親重--生駒親正--生駒一正--生駒正俊--生駒高俊--生駒高清---(子孫)---生駒里奈 ***現在の秋田県由利本荘市 |