野球6@2022年09月ふたば保管庫 [戻る]


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大島康徳さん死去、70歳 がんと闘うも力尽きる 通算2204安打Name名無し21/07/05(月)12:54:54 IP:126.165.*(access-internet.ne.jp)No.923784+
24年6月頃消えます 中日、日本ハムで2204安打を放つなど活躍した大島康徳氏が6月30日に死去していたことが分かった。70歳だった。同26日に自宅で転倒。歯が抜けてしまったことをブログにつづり、同28日には「生きる」という題でブログを書くことがつらくなってきたことを報告。以後、夫人に代筆してもらっていたが、同29日を最後に更新が止まっていた。懸命にがんと闘ったが、力尽きた。

異色の経歴でプロ野球の世界に飛び込んだ。大分・中津工に入学した時、キャッチボールも満足にできなかった。中学時代はバレーボール部の花形アタッカー。人数が足りないからと中津近郊相撲大会に誘われ、個人優勝をさらった経験もある。その足腰の強さに目をつけたのが当時の中津工野球部監督。実家や中学校に日参し、野球転向を口説かれた。
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高校入学後に才能を開花させた。在学中の甲子園出場はならなかったが、68年ドラフト3位で投手として中日に入団。野手に転向し、74、82年のリーグ優勝に貢献した。持ち前の長打力で76年に記録したシーズン代打本塁打7本は、今も日本記録。83年、山本浩二(広島)と並ぶ36本塁打で、本塁打王のタイトルを獲得した。
87年オフに田中富生、大宮竜男とのトレードで、曽田康二とともに日本ハムに移籍。プロ22年目の90年8月21日、当時の最年長39歳10カ月で通算2000安打を達成した。94年のシーズンを最後に現役を引退し、99年オフ、日本ハム監督に就任。3シーズン指揮した。06年には、第1回WBCの日本代表打撃コーチとして優勝に貢献した。監督退任後は野球解説者として活躍した。16年10月下旬に大腸がんであることが分かると、肝臓に転移があり、ステージ4であることをブログで告白。今年6月には、肺への転移も報告するなど闘病の様子をつづっていた。https://www.nikkansports.com/baseball/news/202107050000325.html
No.923787+一発長打の大島君
代打ホームラン
S49年戦士の一人
忘れません
合掌