…No.539215+戦争末期の1945年7月22日、同市宇和町岩木の桑畑に落ちた ものだという。ジュラルミン合金製でアーモンド形をして おり、落ちた際にできたとみられるへこみがある。 実際に燃料タンクが落ちてきた時の目撃談も伝わっている。 地元の国民学校6年生(当時)だった男性によると、タンクは ゆらゆら揺れながら落ちてきたという。「爆弾かと思って防空 壕に逃げ込んだが、なかなか爆発しない。おそるおそる近づい た」との証言も残る。 燃料タンクの中には、5〜6升(約9〜10・8リットル)のガソ リンが残っていた。発電機の燃料として希望者に配られたと いい、物不足だったこの時代を反映している。 |
…No.539216+ 県内の戦争被害をまとめた記録によると、45年7月ごろは宇和島 市内で米戦闘機による空襲が相次いでいた。米軍機が宇和島に近い西予市上空を飛行した可能性がある。宇和民具館(西予市宇和町卯之町3丁目)企画展は来年1月15日までの午前9時〜午後5時。入館料は大人500円、小中学生300円。月曜休館(祝日の場合は翌火曜休館)(msnニュース)宇和島民具館HPhttps://www.city.seiyo.ehime.jp/miryoku/uwachonomachinami/uwa_mingu/index.html |
…No.539223+欧州戦線では切り離した増槽がドイツに金属資源化されるのを避けるために、燃料を入れて一定時間経過したら使えなくなる強化紙製にしていたと聞くが 海上を長時間飛ぶ海軍機では塩害でそれは無理ということなのだろうか |
…No.539226+ 本文無し |