ニュース表0@2022年03月ふたば保管庫 [戻る]

安彦良和『原点』で思ったこと・3Name名無し22/03/02(水)20:46:12 IP:111.108.*(enabler.ne.jp)No.4050482+ 16日17:45頃消えます  「人はわかり合えない。しかしだからこそ、わかり合う努力が必要だ」。これが安彦さんの考え方で、「ガンダム」にもその思想が貫かれているという。

 わかり合う努力ということを一般化せず、安彦さんや私に即して論じるとすると、トロツキストと共産党はわかり合えるのかという問題が浮上する。そこを抜きにすると抽象的な問題になってしまう。

 私が大学に入学した1973年というのは、学生運動自体が退潮に向かっていたが、とりわけトロツキストは壊滅的な状態だった。浅間山荘事件その他、凄惨な内ゲバに明け暮れているわけだから、もう対話の相手というものではなかった。私がいた一橋大学でも数名の反帝学評(青トロと呼ばれていた)がデモをする程度で、私も私の友だちもそれに惹かれるようなこともなく、議論の相手として認識することはなかった。

 ただ、トロツキストが誕生した50年代末のことを考えると、しっかりとした総括が必要だと感じる。戦後すぐ、共産主義の思想が少なくない学生の心を捉えていたが、いわゆるスターリン批判が56年に行われ、ソ連の驚くような実態が明るみになった。
No.4050483+ 単純化することになるが、スターリニズムに犯された社会主義には未来がないとして、共産党員だった学生たちが58年に「共産主義者同盟(ブント)」をつくり、全学連指導部で多数を占めるようになる(なお、60年安保闘争において国会前で亡くなった樺美智子さんは、私と同じ神戸高校の先輩である)。それとは別に「日本トロツキスト連盟(57年)」から「革命的共産主義者同盟」に至る系譜がある。

 共産党はこれら全体を「トロツキスト集団」として批判することになる。しかし、現在の到達から見ると、当時のトロツキストには道理があったと思う。あれだけのスターリン批判が行われ、「こんな国は社会主義の名に値しない」と学生が感じたのは、当然のことだったろう。当時学生で共産党員としてがんばった私の大先輩も、学生がその方向に動くのはいかんともしがたかったと語っている。

 ところが共産党は、トロツキストの考え方に同調しなかった。それどころか、スターリン批判をきっかけに起こったハンガリー民衆の蜂起をソ連が軍事介入して鎮圧したとき(56年)、それを理解する態度をとった(後に訂正)。
No.4050485+ その学生たちを「トロツキスト」と名づけていたのも、スターリンによるトロツキー評価を前提にしたものであった。要するに、トロツキーはスターリンが言うように革命の裏切り者だが、スターリンは革命の枠内にあるというか、腐っても社会主義という評価だったわけだ。その後、自主独立の立場を確立し、ソ連とも激しい論争をくり広げ、国際会議の場で闘うわけだが、ソ連が社会主義の枠内にあるという評価は変えなかった。

 ところが91年にソ連が崩壊すると、こんどは共産党自体が、「ソ連は社会主義ではなかった」と断定することになる。そして大事なことは、その論拠としてあげられたものは、基本的にすべて56年のスターリン批判の際に明らかになったものだったことである。つまり、56年の時に学生たちが感じたことは、たいへん先駆的で鋭かったということでもある。それなのに、共産党の側はそれを評価できず、深刻な対立を生み出したということだ。
No.4050486+ もう60年も前のことで、存命の人もほとんどいないのだろうが、少なくとも当時、わかり合うための努力が必要ではなかったのだろうか。トロツキストというと、多くの人にとっては大学紛争前後のことを思い浮かべるのだが、その時代のことではない。その前のトロツキスト誕生の頃のことは、議論されてしかるべき問題だと感じる。(続)

http://www.kamogawa.co.jp/~hensyutyo_bouken/?p=2953
No.4050489+ 今回は安彦さんの本とはあまり関係がない。自分自身の反省、自己批判である。

 昨日の主題に取り上げた「トロツキスト暴力集団」。これって、私が大学に入学した当時、共産党やその系列の学生運動の常用熟語のようなものだった。その言葉を使うのを、周りの誰もおかしいと思っていなかった。

 共産党だけが使うのなら、まだ分かる。昨日書いたように、スターリンがトロツキーを批判していて、共産党もその延長線上で思考していたからだ。56年のスターリン批判の際に、当時のブントと同様「ソ連は社会主義ではない」という見地に達していたら、トロツキーに対して別の評価もあっただろうが、そうではなかったからだ。

 しかし、全学連が使っていたのは、かなり違和感のあることだった。説明するまでもなく、全学連というのは学生全員が加盟している自治会の連合体であって、特定の思想集団ではない。その全学連が、学生の一部を「トロツキスト」と共産党と同じ用語で呼び、批判するわけである。しかも、じゃあトロツキーの本を読んでいるかというと、誰も読んでいない(私が最初にトロツキーの本『ロシア革命史』を読んだのは30代になってから)。
No.4050491+ 言い訳はあった。57年にみずから「日本トロツキスト連盟」を名乗った潮流があったので、「自分でそう言っているから使っているだけだ」という言い訳だ。それにしても、その名前の連盟は1年も経たずに解散したわけで、一般の学生にとって通用するものではなかっただろう。

 問題はその後である。80年代末、共産党は「トロツキスト暴力集団」に変えて、「ニセ左翼暴力集団」という用語を使い始める。私は当時、全学連の指導部にいたのだが、全学連もまた「ニセ左翼暴力集団」という同じ用語を採用したのである。とくに議論することもなく。

 共産党にとっては、「トロツキスト」という言葉に意味があったように、「ニセ左翼」にも意味があったと思う。暴力集団が過激な行動をくり返していて、しかもメディアや社会から、左翼的な集団だと位置づけられていて、それが左翼ということでは共産党も同じだというイメージにつながっていたので、それを払拭する意味があったのだろうと思う。

 けれども、全学連は違うはずだ。
No.4050494+ 先ほど書いたように全員加盟制自治会の連合体である。その傘下にある学生を左翼と右翼に分けたり、左翼を本物が偽物かに分けたりすること自体が、正常な感覚からすればズレていたと感じる。しかし私自身、何か変だなという気分はあったが、特に異論を唱えるでもなく、決定に従うことになってしまう。

 当時、共産党で全学連を指導していた人は、たいへん立派な人で、私の人生の師のような人である。学生自治会の役員には創価学会員や無党派の人も入れて、共産党の独断専行にならないようにしろなどと、口を酸っぱくして言っていた。それでも、暴力集団をどう位置づけどう闘うかということになると、やはり命がけで闘った経験から来るのだろうか、誰もが同じ思考をして当然と考えるようなところはあった。

 ただそれも、共産党の側の問題であって、全学連は別の思考回路があって当然だったと思う。学生運動に責任を持っている人間として、責任を果たすことと共産党の考え方が矛盾すれば、それを指摘し、解決しなければならなかった。学生運動の現状を見るにつけ、自分の頭で考えないことが何をもたらすかを、後悔の念でいつも振り返ることになる。
No.4050495+ 違和感を感じたら、黙ってしまうのではなく、徹底的に考え抜き、納得するまで議論する。それは私のその後の人生にとっての大きな教訓である。(続)

http://www.kamogawa.co.jp/~hensyutyo_bouken/?p=2955