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26659 B
Name名無し22/02/01(火)07:59:17 IP:1.75.*(spmode.ne.jp)No.534137+
3月30日頃消えます 撃墜マークについて

最後に書かれた撃墜マークはやはりベトナム戦のファントム×ミグ戦なのでしょうかねえ
やはり命懸けのパイロットとして戦果を記入するというのは自己に対する誉なのでしょうね 削除された記事が2件あります.見る
No.534138+
31123 B
本文無し

No.534139+
183534 B
本文無し

No.534146そうだねx2
20357 B
>最後に書かれた撃墜マーク
イスラエル空軍とか、ベトナム以降の空戦もありますし
No.534147+
118624 B
模擬戦だけどF-22を落としたやつ

No.534148+撃墜マークを書いていないエース級パイロットは日本が世界で一番多いんじゃないのかな
それなりのベテランパイロットならもっと撃墜数をアピールしても良かったのにね
No.534150そうだねx1>最後に書かれた撃墜マークはやはりベトナム戦のファントム×ミグ戦なのでしょうかねえ

航空機ヲタ界では嘉手納のF15ミグキラーは有名でしょ
No.534151+>撃墜マークを書いていないエース級パイロットは日本が世界で一番多いんじゃないのかな
>それなりのベテランパイロットならもっと撃墜数をアピールしても良かったのにね
機体が個人に割当てられてなかったからかね?
搭乗割+その時調子のいい機体という組合せだったからだと思う
No.534152+昔の戦競でMig21相当の機体(T-2)を撃墜判定出したF-4EJがMig21のシルエットを模した撃墜マーク付けたまましばらく飛んでたら
外国の航空ファンから空自に「日本空軍はいつミグキルをしたんだ?」と問い合わせがあった聞いたことがあるけど本当かな?
No.534153そうだねx6
152356 B
有名な飛行第64戦隊では、「隼」を使用していた時期には撃墜マークは記入せず、
また隊員は報道班員に個人の撃墜数をきかれても、戦隊全体の戦果を答えるよう加藤建夫戦隊長から命じられていたそうです加藤戦隊長はかつて支那事変で飛行第2大隊(95式戦)第1中隊長として出陣の際には、自ら発案して部隊では撃墜した敵機の数だけ日の丸の小旗を「撃墜旗」として飾り、機体にも華々しく撃墜マークを記入し、部下の士気の鼓舞を図っていたんですとかただこれが裏目に出て、取材に来た新聞記者が記事の格好の材料としてとり上げ空中勤務者を煽る形となり、次第に部隊内に功を焦るムードが生じるようになったそうで、これを苦い記憶として持っていた加藤氏、後の飛行第64戦隊では個人戦果の顕示を許さない方針に転じたということなんだそうで士気高揚としては効果的なんでしょうけれど、望ましくない「副作用」もあったということなんでしょかね
No.534154そうだねx162-8870にはF-15の撃墜マーク書かなかったんかね?
No.534155+
49170 B
うn?

No.534156そうだねx3スレ画のP51は友軍機も撃墜しているわけだね
No.534162+>うn?
その境界層制御用の穴からするとF-4?
No.534167そうだねx1
103595 B
まめに撃墜機種まで書いてる人もいる

No.534168+
96189 B
探せば日本機も何機かはある

No.534169+
51504 B
本文無し

No.534170+
87295 B
本文無し

No.534171+書き込みをした人によって削除されました
No.534172そうだねx1
123339 B
スレ画はバッドエンジェルというんだね

No.534173そうだねx4
51587 B
>スレ画のP51は友軍機も撃墜しているわけだね
米陸軍航空隊の「エース」の一人に、ルイス・エドワード・カーデス=サンという方がおられるんですが、1942年にP-38のパイロットとして欧州戦線に赴いたカーデス=サン、忽ち独軍のBf109を7機、イタリアのMC202を1機落として「エース」の資格を獲得しているんですが、太平洋地域でもP-51のパイロットとして100式司偵1機を撃墜、日独伊3国同盟の各国の機体を全て撃墜した、数少ない米空軍パイロットの一人になっているんですとかそんなカーデス=サンは1945年2月10日、撃墜された同僚の上空支援中、友軍の米軍のC-47輸送機1機が未だ日本の占領するバタン島へ着陸しようとするのを発見、、無線で止めようとしたものの通話が通じず、やむなく最終的にC-47の両翼のエンジンを「やさしく」撃ち抜いて、C-47を海上に不時着水させたことがあったそうです
No.534174そうだねx8
36092 B
翌日、撃墜された同僚と一緒に救助されたC-47の乗員および同乗者の話から、件のC-47はや
はり米軍機で、悪天候で機位を失い、燃料切れで不時着を試みていたものと判明、カーデス=サンの措置は適切と判断され、無事お咎めなしとなったとのこと以降、カーデス=サンの愛機のP-51「バッド・エンジェル」の機首には、日独伊三国のキルマークに並んで、4カ国目となる「星条旗」が一つ、追加されたそうなんですが、このときカーデス=サンに「撃墜」されたC-47輸送機の便乗者の中に、スヴェトラーナ・ヴァレリア・ショスタコーヴィチ・ブラウネル=サンという、妙齢の女性看護士さんがおられたそうなんですが、奇縁というかこの方は戦争終結後の1946年、カーデス=サンの故郷のインディアナ州で、カーデス=サンの奥サンになっていたりするんですとかカーデス=サンの愛機の最後の撃墜マーク、自身にとっては最大の獲物だったようで…w
No.534179そうだねx2>やむなく最終的にC-47の両翼のエンジンを「やさしく」撃ち抜いて、C-47を海上に不時着水させた

完全にネタとしての撃墜マークだよね
No.534181+撃墜マークはノーズアートと同じであくまで非公式のお遊びみたいなもんやからね
まあ、プロパガンダに使いまくったところもあったけど
No.534182そうだねx4
209120 B
IJNの撃墜王として有名な岩本徹三さんの手記にも「撃墜マーク」の話が出てくるんですが、
「ラバウル航空隊では各自の飛行機の胴体尾部寄りに、個人撃墜マークを記入し、小型機1機は桜のマーク一つ、大型機の場合は八重桜のマークを記入していた。いまのところ、私の愛機がもっとも多く、すでに60個以上が書きこまれ、遠くから見ると、なかなかはなやかで」…あったそうなんですが、ある日の空戦でこの愛機は手ひどく被弾、「修理不可能で、60数個の撃墜マークをつけた愛機とも、遂にお別れにとなった。司令部の話では、内地行きの船便で私の愛機を送り、一般国民に見せるということだった」…とのこと因みにその後の新たな愛機にも、撃墜マークの記入は続けられたそうで、「遠くから眺めると、胴体尾部は桃色に塗り替えたように見え」…たそうです
No.534183そうだねx6
33248 B
一方、二空の零戦搭乗員としてやはりソロモンで戦った角田和男さんの手記によりますと、
「私たちの二空では先輩の台南空を真似て、各自の飛行機の垂直尾翼に撃墜機数だけ星のマークが記されており、協同空戦を指導はされていたものの、マークの増えるのは優越感を覚えたものだった」…そうなんですが、そんなある日の空戦で、陸攻隊の直掩機として出撃した角田氏はそんな意識も有ってついつい敵機を深追いして陸攻から離れてしまったところ、攻撃の帰途に丸裸の陸攻が、救援に駆けつける前に落されるのを目の当たりにすることになってしまったそうで、「これ以来、私は撃墜競争には加わらないことに決心した。敵戦闘機を落とすよりも味方機を落とされないように戦うのが直掩戦闘機の任務である。自爆する味方攻撃機を見て身に沁みて感じたのであった」…んだそうで「撃墜マーク」の多さを誇る人、任務の本質を重視して拘らない人…当たり前ですが、各パイロットごとにその意味合いは別々であったみたいですねえ
No.534197+地域性もあるだろうな
ヨーロッパ戦線ならルーデル閣下は30回落ちても
帰ってくるが
太平洋じゃ鮫の餌、落ちた証拠は海中か密林の闇の中

別に競技でもないわけで
今のようにカメラは氾濫してない高級品
当てただけでも立派ではあるが
実際調べたら落ちてないのも多数あったでしょ
やられた側には未帰還機として記録に残るが
戦争中には照らし合わす事はできんのだし
No.534201+日本軍よりチームプレイに優れていたアメリカ軍が個人戦果重視で
個人プレイに走りがちだったとされる日本軍で個人戦果より全体戦果!
って逆になったのはちょっと面白い
No.534202+米独のガンカメラの動画は結構出てくるのに
日本軍視点のそれは全く見かけない
そんな所でもやっぱり差はついていたのかなんて
すこし悲しくなってしまう
No.534203+敗者の歴史や記録は勝者によって捏造、改竄、抹消される事も多いのでそういうのも関係しているのかも?
No.534206そうだねx5
70760 B
松本零士せンせいの「戦場まんがシリーズ」に、「レッドスカル」という佳作が有るんで
すが、かつて日本上空で死闘を繰り広げた日米の戦闘機乗り同士が、何故か戦後も日本国内で「赤い骸骨」を巡って未だお互い火花を散らす…という、緊迫した作品なんですが(一部誇張)ある意味スレ題にはピッタリの内容ですかも日本軍のガンカメラについては、先述の岩本さんの手記に、空戦中、翼に取り付けたムービーカメラで敵機撃墜の動画を撮ってくれないか?と頼まれたものの、搭載するのに20ミリ機関砲1門を下ろさないといけないし、何より命がけの空戦中にそんな事してられるか!…と断った話とかも出てきますですね実際、一応訓練などでは使用されていた日本版ガンカメラ、翼内に収まる欧米のソレより大部かさばるシロモノでしたので、岩本さんの気持はわかる気もしますが…w
No.534207そうだねx4
60297 B
因みに2式単戦「鍾馗」を装備して、主に満州及び日本本土の防空戦で奮闘したIJAの飛行
第70戦隊では、隊員の士気向上策として「撃墜マーク」を派手に描くことが許されていたそうなんですが、ベテランかつ腕利きの操縦者だった吉田好雄大尉機では、ウィングマークの中心に「B29」の文字があしらわれ、各マークの下には撃墜日時が書きこまれるというデザインであったとのこと吉田さんは満州時代、戦隊で初めてB-29を撃墜した人物と目されているそうなんですが(ただし非公認の模様)、最終的に氏の「鍾馗」の機体側面に描かれた「撃墜マーク」は6個、日時はそれぞれ3月10日・4月13日・4月15日(2機)・5月24日・5月25日であったそうで70戦隊は本土防空戦では主に柏飛行場を基地として、帝都上空の防衛に当っているんですが、吉田機に描かれた「撃墜日」は全て東京に大規模夜間空襲があった日であるそうで、裏返せば吉田機の公認6機という戦隊第2位の対B-29戦果は全て夜間撃墜によるもので、氏が「鍾馗」搭乗の「夜戦エース」であった証…ということにもなるようです
No.534208そうだねx4
20873 B
一方、終戦までにB-29だけで7機、他にもP-51を2機撃墜して、第70戦隊の「トップエース」
だった小川誠少尉の機も、「撃墜マーク」で胴体側面を飾っていたそうなんですが、デザインは吉田機と異なって、シンプルな鷲のマークのシルエットであったそうで小川氏は夜間だけでなく、昼間撃墜も果たしているんですが、内2機のB-29は1機が小川機の射撃で誘爆を起こした所に別の機が巻き込まれて墜落、一石二鳥ならぬ「一撃二機」の戦果を上げたという稀なエピソードの持ち主でもあるんですが、流石に「撃墜マーク」には特にその意匠を反映させてはいなかったようですwともあれ、飛行第70戦隊のツートップ2機には、それぞれド派手な「撃墜マーク」が描かれていたようなんですが、敵機来襲の際、毎回先陣を切って飛び上がっていくその姿は、部下の若手隊員さん達にはさぞかし頼もしく見えたんではないでしょうか…
No.534210+>米独のガンカメラの動画は結構出てくるのに
>日本軍視点のそれは全く見かけない
>そんな所でもやっぱり差はついていたのかなんて
>すこし悲しくなってしまう
日本軍でもガンカメラはあったのですが、武装を降ろして装備しなくてはいけなかったので、パイロットは拒否したのだとか
(後期の米軍機はほぼ標準装備)
ごく少ない日本軍のガンカメラ映像は戦時中に作成された「加藤隼戦闘隊」に使用されており、その撮影者は撃墜王の黒江大尉だそうで
No.534211+>(後期の米軍機はほぼ標準装備)

加えてアメリカのはカラーフィルムだからね
No.534213+>「加藤隼戦闘隊」に使用されており
何十回も見てる映画だけどガンカメラっぽい映像の記憶がないな・・
カメラマンの同乗撮影映像はふんだんにあったけど・・・
どのシークエンス?
No.534230そうだねx189式写真銃は翼の上に取り付けるから機銃外さなくても大丈夫なはず
なんだけどね
デッドウェイトが増えるからその分引いたのかも知れんが
No.534244そうだねx3
73148 B
「撃墜マーク」は操縦者だけでなく、地上で機体の面倒を見る整備員さん達にとっても
誇らしいものであったそうなんですが、3式戦「飛燕」で本土防空戦を戦った飛行第55戦隊では、空中勤務者だった安達武夫少尉と、機付長の神崎兵長が一緒に愛機「飛燕」に「撃墜マーク」を筆で書きこむ微笑ましい写真が残されておりましたり安達さんは特別操縦士官、所謂「学鷲」ながら技量優秀で、本土防空戦で名古屋上空に襲来したB-29を昭和19年12月18日に1機、同22日に2機撃墜していて、年明け早々の1月3日にも早速1機を撃墜、件の写真はこの時に撮られたもので、「撃墜マーク」の横にはそれぞれの日付も共に入れられているのが見てとれますもっとも、この写真が撮影されてから16日後の1月19日、明石の川崎航空機工場を狙ったB-29編隊の邀撃に出た安達機は敵機の防御砲火に被弾、右肩から貫通銃創を受けた氏は小牧飛行場近くまで辿り着いたところで遂に力尽き、愛機と運命を共にされたそうで…
No.534245そうだねx3
59103 B
因みに同じく「飛燕」を駆って本土防空戦を戦っていた部隊では、飛行第244戦隊なども
「撃墜マーク」を描く隊風で、小林照彦戦隊長機の胴体側面にも、B-29のシルエットを模した撃墜破マークが幾つも描かれていたそうですその中に一つだけ、B-29の機影に「飛燕」が突き刺ささるように交差するデザインのものが混じっているんですが、これは昭和20年1月27日、B-29一機を「体当り」撃墜したことを示すものであるんですとか本土防空戦では一部防空戦闘機による「体当り」戦法が公式に採用され、244戦隊を含む各隊内に体当たり専門編隊が編成された他、自主的な体当りも相次いでいたものの、戦隊長自ら体当り撃墜した例は他に皆無で、この体当り「撃墜マーク」、稀にみる小林戦隊長の敢闘精神と、その率先垂範ぶりを示す証でもあったみたいですな
No.534246そうだねx3
202985 B
小林戦隊長機の「撃墜(&撃破)マーク」は、装備機が3式戦から5式戦に改編した際にも引
き継がれ描かれていたそうなんですが、奮戦も遂に力及ばず終戦となった後のこと、部隊が駐屯していた飛行場で、小林さんは進駐軍への武器その他の引渡担当になったそうなんですが、氏の奥様千恵子さんによると、「米軍の(略)担当官をゴールキー大尉といった(略)いきなり、『君は米機を百機撃墜したか』と聞いたそうである。『百機落とすつもりだったが、目的を達しないうちに戦いに敗れた』と、悪びれず夫は答えた。そのことがあって以来、急速に二人の仲は深まって行った。昨日の敵は今日の友、まさしくこの言葉がぴったりあてはまった」…なんてことがあったそうですゴールキー=サンの態度が、小林さんの「撃墜マーク」を見た故だったのかどうかは定かではないんですが、きっと堂々と対応するその姿自体が、「勝者」の側から見ても好ましいものだったんでしょうねえ…
No.534252+エスコンならケツについてカモに出来る爆撃機だが

ものほんのB-29だと自動で見越し射撃するタレット持ちだから
そんな位置取りだと逆にカモになるんで
正面か直上から射撃するんだってね現実は厳しいわ
No.534258+日本機で米軍機の迎撃するのほんと大変、いやゲームの話なんだけど
ハリネズミの上硬いのにこっちは着火しやすくて脆い…
機銃の死角を一生懸命覚えないとすぐ火ダルマだよ
No.534265+B−29って対日本で500機ぐらい落ちてるんだっけ
もっと落ちてるのかと思ってた
No.534295そうだねx4
106918 B
WW2中B-29を運用した、第20&21爆撃兵団が1944年〜1945年に戦闘行動中に喪失した
B-29の総数が494機、内日本戦闘機に落されたとされているのが80機、対空砲火によるものが95機、両者の複合が19機、事故や機械トラブル、航法や操縦ミスその他の原因で失われたのが300機に上るそうです一方で終戦までに、B-29との邀撃戦闘で失われた日本側戦闘機は陸海計で356機ほどなんだそうで、仮に日本戦闘機の対B-29戦果を高射砲との協同戦果を含め100機ほどとみると、B-29を1機落とす為に3.5機の日本戦闘機が失われた計算になりますですな(実際は事故や米護衛戦闘機に墜とされた分なども含むはずですので、全部が防御銃火に墜とされたことにはなりませんが)また別の例を挙げてみますと、1944年11月1日から12月末までの2ヶ月間で、東京上空に来襲したB-29延べ約800機に対して、日本側の報じた戦果は邀撃回数は確実撃墜28機(内16機は体当たり撃墜)不確実24機、撃破60機に対して日本側損害が飛行機損失42機、戦死28名(内体当たり戦死10名)、戦傷10名であったんですとか
No.534296そうだねx4
163644 B
この期間中実際に失われたB-29は27機、搭乗員合計188名となるそうで(但し空戦以外で
の事故損失、対空砲火等によるものも含む数字)仮にB-29の戦闘機による損害を20機程度と見込むと、平均すれば空戦でB-29を1機を落とすのに、日本側は戦闘機2機の損失と2名弱の戦死傷者を出したことになりますですが、IJA防空戦闘機部隊(第10飛行師団)の長であった吉田喜八郎少将によると、42機というのは当時の防空戦闘機隊戦力の10%に当たる数字であったそうです因みに前述飛行第244戦隊の小林戦隊長が「体当り撃墜」を果した1945年1月27日の空戦は、東京の中島飛行機エンジン工場を狙って飛来した第73爆撃航空団のB-29・64機の内9機が失われているそうなんですが、内5機は敵地上空で撃墜され、2機は帰還中不時着水、1機は着陸時に大破し、残る1機は損害が損傷が激しく帰還後廃棄処分という内訳であったとのこと
No.534297そうだねx4
44592 B
一方実際に失われた日本機の実数は陸海合計で12機、内海軍302空の「月光」2機と零戦
1機(搭乗員5名戦死)を除く9機が陸軍機となるわけなんですが、調べるとどうもその3式戦6機、2式単戦2機、2式複戦1機の全てがが「体当り」を敢行していたようでしたり「飛燕」6機の内1機が小林戦隊長だったわけですが、9機の体当たりの内容を更に米側の記録と照合してみると、小林戦隊長の「飛燕」が体当たりしたB-29「アイリッシュ・ラッシー」は実はその直前にも別の機種不明機1機の体当たりで損傷していて、計2機の体当たりを受けたものの、辛うじてサイパン迄たどりついていて、着陸したところで機体が真っ二つに折れたそうです小林氏と共に体当たりを敢行した僚機安藤伍長(戦死)機が衝突した「ガストリー・グース」機も、すぐには墜落せず、その後別の「屠龍」に再び体当りされた後も飛びつづけ、海上に不時着水したそうなんですが(但し乗員は救助されず)、「体当り」ですら時に必殺となり得ないタフな機体、やはり撃墜するのは並大抵の苦労ではなかったみたいですなあ…
No.534299そうだねx1このアメリカって国、地球の裏側でも連日4発機の大軍を敵地に送り込んで出撃ごとの編隊の損失が1~2割って戦争してたんだぜ(白目
No.534300+前に日本の防空戦の経緯をNHKでやってたな
昭和19年の12月あたりから本土空襲が激化してくるんだけど
日本側の迎撃も激しく目立った戦果は出なかった

けど次第に日本の迎撃が困難になり始め、それが決壊したのが3月の東京/大阪大空襲
4月には硫黄島からの護衛機も飛来するようになり、5月には地方都市への空襲が激化
片っ端から都市が焼かれていく

本土決戦用に迎撃機を温存した事もあり、7月にはやられまくり
空母からの艦載機が動くもの全てを機銃掃射してまわる有様となり
それが8月の終戦まで続いたそうな
No.534304そうだねx3オレはB29の迎撃戦ではヤナ思い出があってな、中学校の先生がバリバリの左翼で無能な日本人が撃墜出来ないB29を北朝鮮は数多く撃墜した立派な国だって言うのよ。朝日新聞の影響だと思うんだけどオレが向こうはジェットじゃんって言うと後で職員室に来なさいになったという。
No.534312+
49280 B
撃墜マークよりある意味目立つしカッコいいかも

No.534313+
20813 B
やはり戦果は書きたくなるよねえ

No.534314+
62863 B
これは戦果というよりは意気込みだね

No.534316+>無能な日本人が撃墜出来ないB29

なんか俗っぽい通説だと、高高度を飛ぶ B29 に日本は
手も足も出なかったみたいなことにするよね

500機近く撃墜、墜落してることはなかったことに
したいのかな ?
No.534321そうだねx3
72222 B
>なんか俗っぽい通説だと、高高度を飛ぶB29に日本は手も足も出なかったみたいなことにするよね
先述の1944年11月〜12月の東京防衛戦の例ですと、(仮にB-29の全損害=撃墜として)20数機のB-29という戦果達成の為に出撃した防空戦闘機は武装司偵を含め延べ4千機を越えているんですが、逆に言えば述べ出撃200機でようやく1機を撃墜出来た計算で、出撃の度に大多数のパイロットさんは手ぶらで帰還せざるを得ない難目標だったわけですなそれだけに撃墜を達成した方々の奮闘が偲ばれるというか、「撃墜マーク」の重みが伝わってくる数字でもあるわけですが…余談ですが、もう20年前以上の作品になってしまいますが「メンフィス・ベル」というハリウッド映画が昔ありまして、題材はWW2中のヨーロッパ戦線で、初めて規定の出撃回数(25回)を達成した同名の実在のB-17爆撃機とそのクルー、冒頭の不時着大破シーンから大損害を出していた米爆撃機隊の悲哀、フラックの恐怖から敵戦闘機の死闘に至るまで「お約束」が漏れなく詰め込まれた、B-17映画のお手本みたいな作品でしたw
No.534322そうだねx3
185974 B
その主役機「メンフィス・ベル」、史実では規定出撃回数をこなす間に、8機のドイツ
機を撃墜したとされていて、機首には8個のハーケン・クロイツの「撃墜マーク」が描かれていたそうなんですが、内2個は同機テイルガンナーのジョン・P・クインラン=サンという方の戦果であったんだそうで仲間から”JP”の愛称で親しまれていたというクインラン=サン、アイルランド系の志願兵であったそうなんですが、訓練中に偶然一人だけ事故機に乗り合わせず生存する、戦闘中にはたまたま身を屈めたところで、今まで頭があった所をドイツ戦闘機の機銃弾が貫通する…と、愛機に劣らない幸運の持ち主であったみたいなんですが、持ち場の尾部銃座に2個のハーケンクロイツを描いた「メンフィス・ベル」と別れた後、今度はB-29爆撃機の尾部銃手として、太平洋側で再び戦線復帰されておられるんですとかそこで更に3機の日本機をスコアに追加して、非公認ながらガンナー「エース」となっってもいるそうなんですが、1944年12月7日、氏の乗機「マリエッタ・ミスフィット」は満州奉天上空で、対空砲火により撃墜されているそうです
No.534323そうだねx4
163844 B
この日、満州奉天の航空機工場を狙って出撃した108機からなるB-29編隊は、IJA及び
満州国空軍の体当たりを含む激しい抵抗(戦史叢書によれば5機が体当たり)を受けて4機が撃墜され、事故機と合わせ計7機の損害を出しており、「マリエッタ・ミスフィット」もその1機であったようなんですが、同機の11名のクルーはパラシュートで脱出するも、結局地上で全員が日本側の捕虜になってしまったとのこともっともクインラン=サンはその後首尾よく監視兵の目を盗んで脱走、中国軍に保護されての数か月間の逃避行の後、無事に米国に帰還していたりするそうですそんな2000年に81歳で天寿を全うされた氏の「幸運のお守り」は、古い馬の蹄鉄であったそうなんですが、よっぽど効き目のあるシロモノだったんでしょうねえ…w
No.534325そうだねx1>後で職員室に来なさい
で、職員室でソ連が「独自開発」した素晴らしい革命的ジェット戦闘機Mig-15の薀蓄を聞かされたわけだ?
No.534326そうだねx1まあ君は平和の事をどう思っていますかとかイロイロ嫌味をね。宇宙戦艦ヤマトの反戦歌を歌わされたりそう言う学校だったからな。口パクしてたら胸ぐらをつかまれたのもいい思いだ。
No.534327そうだねx1>まあ君は平和の事をどう思っていますかとかイロイロ嫌味をね。宇宙戦艦ヤマトの反戦歌を歌わされたりそう言う学校だったからな。口パクしてたら胸ぐらをつかまれたのもいい思いだ。
まあなんて好戦的な学校なんでしょう
No.534332そうだねx1「メンフィス・ベル」か
まあ楽しめた映画だったけど、雲に隠れた目標に爆弾を投下ぜず、再度爆撃コースを取り直して精密爆撃のくだりに偽善と嘘を感じちゃったよ
米空軍は確かに無差別爆撃を避けていた傾向はあった
英軍に比べればの話だけど
No.534334+>まあ君は平和の事をどう思っていますか
左翼が異常に強い地域なんでしょうか?
そういう所で育たなくて運が良かった・・・

>再度爆撃コースを取り直して精密爆撃
偽善だけではなく、爆撃後の評価確認で嚮導機の仕事が評価されて機長の実績や昇進にも影響するからね
「危険を顧みず目標が確認出来るまで現場に留まり効果ある爆撃を敢行した」と評価を書かれるだろうね
この辺りの指揮官への処遇はアングロサクソン軍はドライ
将官も作戦で失敗すれば作戦中でもすぐ更迭されてる
No.534336+>爆撃後の評価確認で嚮導機の仕事が評価

勿論それは認めるけど、件の映画の雰囲気では
「我々連合軍はファシストと違う。市街地への無差別攻撃は避けていたのだ」って正義を気取るところがあった
実際は連合国の空襲によるドイツをはじめとした欧州一般市民の死傷者数は、日本の比ではないのはご存じかと
実際イギリスは執拗に市街地を焦土爆撃を行い、アメリカから非難されてるし

故に偽善性はあると思うよ まあ英映画だし当然に
No.534337そうだねx3
11849 B
映画メンフィスベルの少し前に、B-17の降着装置が故障してボールターレットに閉じ込められた人が死にそうになって必死にタイヤを描いた映画があったね

No.534338そうだねx4
77238 B
メンフィス・ベルの(史実の)クルーではクインラン=サンの他に、機長のロバート
・K・モーガン=サンと爆撃手のヴィンセント・B・エヴァンズ=サンも、後にB-29の搭乗員として太平洋で爆撃ミッションに従事しておられるんですが、何れも無事に終戦まで生き延びておられまして、やはり「ベル」嬢の御加護は機を離れた後でもあらたかであったようですw因みにエヴァンズ=サンの爆撃手としてのワザマエは確かで、「メンフィスベル」がしばしばウィング・リーダーに選ばれた理由のひとつでもあったとのこと一方で氏の妹ペギー=サン曰く、エヴァンズ=サンは根っからの「スカート・チェイサー」で、入隊前にすでに結婚と離婚を経験済であったそうなんですが、いよいよイギリスの基地に向かう直前にも結婚していて、気の毒な花嫁さんはわずか2日間の新婚生活を送っただけで離れ離れになってしまわれたんですとか
No.534339そうだねx4
84659 B
ところがイギリスでのエヴァンズ=サンは連日の対独爆撃行の合間を縫いながらも、
英国内のターゲット巡りにも熱心だったそうで、クルーの面々の証言によれば複数のガールフレンドの中には、結婚を約束したらしい相手までいたとのこと機長モーガン=サンによれば、「彼女」らと会うため基地を抜け出す際には、一応出撃予定に差し支えないかスケジュールを確認してから出ていったそうなんですが、それでも夜間作戦に熱心に過ぎたある朝、出撃の為列線に並ぶ「メンフィスベル」に間一髪ギリギリで走り込んできた…なんてこともあったんだそうでしかも規定回数出撃をこなし帰国した氏は、宣伝映画の収録のため留まっていたハリウッドで美しい女優の卵さんと電撃的に恋に落ち、イギリスに待たせている恋人とアメリカ国内に待たせている妻を差し置いて結婚映画と異なり多くの罪なき「民間人」を傷付けた、ヒドイ爆撃手さんであったようです(棒)
No.534340そうだねx4
72093 B
もっとも、その後結局この女優さんとの結婚も破綻してしまったそうなんですが、
対日戦ではかつて「メンフィスベル」でもコンビを組んだモーガン=サンの機で再び爆撃手として数々の作戦をこなし生還、戦後は脚本家や実業家として多彩な才能を発揮して成功、お金持ちの相続人だった(何番目でしたっけ)奥様との間に一男一女をもうけ、まずは順風満帆な後半生を送っておられるんですとかもっとも、その最期のみは1980年、奥様と娘さんと共に乗っていたプライベート機が事故で墜落するという不幸なものであったそうなんですが、やはりペギー=サンによると、その10日前、病床の母親を見舞いに行ったエヴァンズ=サンは早く元気になって欲しい、メンフィスに保存されている「メンフィスベル」機を一緒に見に行きたいんだ…と語っていたとのこと数々の浮名を流した名爆撃手さんが、結局生涯最も心惹かれた相手は、やはり文字通り生死を共にした「ベル」嬢であったんでしょかねえ
No.534344そうだねx3>数々の浮名を流した名爆撃手さんが、結局生涯最も心惹かれた相手は、やはり文
>字通り生死を共にした「ベル」嬢であったんでしょかねえ
イイハナシカナー
No.534345+B-17はドイツへの戦略爆撃で4600機ぐらい失われているので、それに比べればB-29の損害は随分少ない
ただ落とした爆弾の量も日本に対してが18万トン、ドイツに対してが270万トン(イギリスが落とした分も含まれる)と大きく差がついている
No.534350+ドイツ軍の戦闘機乗りだったクノーケさんが推定千機越えのB-17の密集編隊を視認したときの絶望感
「不吉なブドウの房」だったかそんな表現
コレ、この編隊の上空まで行って爆弾落とせばイイんじゃねとの戦友の感想を実行したらうまくいったという

のちに時限信管の爆弾からロケット推進弾に 
戦争が長引いたらミサイルも登場したんでしょうね
No.534361そうだねx2
63820 B
>映画メンフィスベルの少し前に、B-17の降着装置が故障してボールターレットに
>閉じ込められた人が死にそうになって必死にタイヤを描いた映画があったねアメージング・ストーリーズでしたっけ?●曜ロードショーとかで見た遠い記憶がありますw因みに「メンフィスベル」のボールターレット銃手だったセシル・H・スコット=サンは少年期が米国大恐慌の真っ最中、実家では雪にメープル・シロップを掛けたものが「アイスクリーム」であったそうなんですが、そんな成長期のせいで体格は小さく、入隊基準に届くだけの身長と体重を得るのに必死に努力したとのこともっとも、USAAFがB-17爆撃機を導入すると、一転して氏の小柄な体格はボールターレットにうってつけ…!として配属されたわけですがそんな氏の「メンフィスベル」での公式戦果は1機のみ、「撃墜マーク」のハーケンクロイツも胴体側面にささやかに一つだけなんですが、数時間窮屈な銃塔内で機体下部から近づくドイツ機を排除する為に目を光らせ続ける「スコッティ」、クルーの面々にとってはやはり頼れる仲間の一人であったそうで
No.534362そうだねx2
99367 B
余談ですが「メンフィスベル」の次に、太平洋で機長モーガン=サンと爆撃手エヴァ
ンズ=サンが搭乗したB-29の愛称「ドントレス・ドッティ」は、モーガン=サンが13歳の時に駆け落ち&最初の「結婚」をした相手に因んだものであったそうですwこの新たな愛機で太平洋戦線で25回、欧州と合わせて50回の規定出撃回数をモーガン=サンは達成するわけですが、「ドントレス・ドッティ」での出撃内容を調べてみますと、初出撃が1944年10月28日のトラック島爆撃、最後の25回目が1945年4月3日の立川偵察飛行で、その間、偵察・哨戒任務が4回(トラック島、硫黄島、東京など)、爆撃任務が21回(トラック島、硫黄島、東京、大阪、神戸、名古屋、九州など)44年11月24日の初めての本格的な東京への大規模空襲、45年3月10日夜のいわゆる東京大空襲などの主要作戦にも参加しておられるんですが、この21回の爆撃行に参加したB-29の延べ参加機をアメちゃんの作戦任務報告書とつき合わせて勘定して見ると、合計2759機、その内67機が作戦中に日本側の邀撃や事故などで失われているようです
No.534363そうだねx3
58760 B
述べ出撃数に対する損失割合2.4%、大ざっぱに計算してこれが不運な67機の仲間入
りすることなく生還したモーガン=サンと、「ドントレス・ドッティ」が当時直面していた、対日戦線での危険度ということにもなるんでしょかね因みにモーガン=サンが帰国した後も「ドントレス・ドッティ」は別のクルーと共に飛びつづけ、機首側面爆弾柄の出撃マークと旭日旗の「撃墜マーク」を重ねていき、最終的に達成ミッション数は53、戦闘飛行時間880時間、飛行距離は176000マイルに達したそうなんですが、1945年6月、母国へのフェリー飛行中の事故で、乗員13名中10名と共に海没してしまったそうです多くの激しい戦闘から無事帰還し続けた、武運に恵まれた同機も遂にツキに見離されてしまったようなんですが、仮に戦争終了まで生き延びていたなら、或は今頃は「メンフィス・ベル」機の隣に、共に並んで展示されていたかもしれないですなあ
No.534383+素朴な疑問なんだがガンカメラって必ず撃墜した相手って映る?

ドイツの有名な見越し射撃が得意なエースは、
自分の機体の影になっているのに感で当てるって話だけど
これはガンカメラに映るのかなぁ

一撃離脱ならともかく巴戦してる場合
零戦でションベン弾って揶揄されてるのをみるに
そうそう相手を直線で綺麗に捉える事はなく
自分もかなりの機動中で機銃弾は下方向へそれていくのが常で
多かれ少なかれレティクルで捉えて当てるんじゃなく経験で
当ててるとみてるんだが
ドイツのエースが特殊な例なだけ?
No.534384+書き込みをした人によって削除されました
No.534385+>素朴な疑問なんだがガンカメラって必ず撃墜した相手って映る?
元々は訓練で模擬空中戦をする際、実弾は使えないので
戦果の確認や戦法の改良のために使われだしたというから正確に映っていただろうね。
調べたら、第一次世界大戦の頃にガンカメラはもう存在していたそうな・・
No.534389そうだねx2YouTubeに「B29の搭乗員は3000名戦死!特攻隊と同じ!日本は弱くない!」とかいう動画があるんだが(サムネしか見てない)、数百機を落とされ何十万の民間人を殺されといて3000人殺したのが何だという気持ちになる
No.534401+>映画メンフィスベルの少し前に、B-17の降着装置が故障してボールターレットに閉じ込められた人が死にそうになって必死にタイヤを描いた映画があったね
映画版「トワイライトゾーン」でスピルバーグ担当のフィルムだね。
銃手が落とした機体がBf109のE型だった(水平尾翼につっかえ棒があった)
No.534406+
84428 B
ボールマウント、窮屈そうですね

No.534421そうだねx3>映画版「トワイライトゾーン」でスピルバーグ担当のフィルムだね。

トワイライトゾーンではなくて世にも不思議なアメージングストーリーのようだね
ケビンコスナーが機長だったんだな
タイヤがにゅるっと出て来る
https://youtu.be/ItnJbsljcE4
No.534425+
46075 B
本文無し

No.534442+>タイヤがにゅるっと出て来る
延々とお別れの愁嘆場をやって、最後の最後にコレだったので大笑いしたわ
No.534476+>トワイライトゾーンではなくて世にも不思議なアメージングストーリーのようだね
おお!ありがとう
冒頭で部分でトワイライトゾーンのイントロクイズみたいなのやってた記憶があったのよ。
久しぶりにまた見たくなった
No.534479+
155569 B
いざとなればパージできる。中の人?さあ

No.534498+スターウオーズのタイファイターの胴体だけ
みたいだよね