数学0@2021年11月ふたば保管庫 [戻る]


114123 B
Name名無し21/07/20(火)14:49:43No.115545+
2月04日頃消えます 一階述語論理の上でたとえばZFC公理系を構築して集合を定義できる
でも一階述語論理の記号も公理も推論規則も集合を使って定義できる
循環定義に見えてスッキリと納得がいかないんだけど
これって別に循環定義にならない定義の仕方ってあったりするの?
教えて! ガチの人! 削除された記事が3件あります.見る
No.115549+そもそも述語論理って定義に(ZFC公理系が定めるところの)集合を必要としてなくない?
論理記号の集まりはあるけど明確に集合が用いられてるわけではないし
循環定義にはなってないと思うけど
No.115550+>そもそも述語論理って定義に(ZFC公理系が定めるところの)集合を必要としてなくない?
>論理記号の集まりはあるけど明確に集合が用いられてるわけではないし
>循環定義にはなってないと思うけど
厳密な集合ではなく緩い集まりを使うやり方の方が循環を避けやすいのは分かる
ただ引っかかるところのうち例えば2項関係の話なんだけど
論理の記号には連言等の2項関係が求められるし
2項関係作るためには例えばZFのうち対の公理や和集合の公理等がやはり要るし
これらの公理の中には連言等があるので
連言等の2項関係を定義するのに連言等の2項関係を使わざるを得ない
ここは集合でも集まりでも回避出来ないように見える
これも「この前提は要らないから安全に取り除ける」とか
「こうすれば問題ない」ってのが実はあったりする?
No.115551+もうちょっと言うと
「連言等→2項関係を作るのに必要な公理一式
→2項関係を作るのに必要な公理一式を備えた集まり(つまり集合より緩くてもよい)
→2項関係→連言等(循環定義発生)」となるように見える
2項関係そのものはどうしても公理を備えた集まりを使って作らざるを得ないので
公理を備えた集まりをこの循環定義からは無関係として取り除くことも出来ない
集合と論理の循環定義が公理を備えた集まりと論理の循環定義になっただけだ
だから集合より緩い集まりでもこの循環定義はやっぱり解決しないんじゃないかな
No.115552+>論理の記号には連言等の2項関係が求められるし
そもそもこの辺に誤解があるのでは
たとえばa=bというのは記号aと=とbが並んでるだけで=というのが対角集合を表してるわけではないし
そもそも記号を定義した時点でそこまで意味を持ってたらせっかく形式的な定義をしようとしてるのにお気持ちの部分が入りすぎちゃってて形式とは?ってなっちゃうと思う
No.115553+つまり二項関係は論理には出てこない
No.115554+>そもそもこの辺に誤解があるのでは
>たとえばa=bというのは記号aと=とbが並んでるだけで=というのが対角集合を表してるわけではないし
>そもそも記号を定義した時点でそこまで意味を持ってたらせっかく形式的な定義をしようとしてるのにお気持ちの部分が入りすぎちゃってて形式とは?ってなっちゃうと思う
つまりまずは連言記号等があるのであって
それらはその時点では2項関係の性質は備えておらず
後で2項関係を構築してから連言記号等が連言等としての機能を持つようになる
まずある連言記号等とその後の連言等を混同してはならないということ?
No.115555+(性質とか機能とか雑な言い回しでごめんなさい)
No.115556+
28808 B
>つまりまずは連言記号等があるのであって
>それらはその時点では2項関係の性質は備えておらずこれはそうで∧や∨など使い方を決めてるのが推論規則ここでも集合的な意味合いはなくてただ単に文字列の書き換え法則だと思えば良い
No.115557+>これはそう
>で∧や∨など使い方を決めてるのが推論規則
>ここでも集合的な意味合いはなくてただ単に文字列の書き換え法則だと思えば良い
ありがとう
記号と2項関係の混同については分かったし
これに関する循環定義はクリア出来そう
あと引っかかってるのは今のところは2つで
「「列」は自然数ひいてはZFC公理が全部要るんじゃないのか?」
「「文字」とは何物か?
形式言語の代数系(クリーネ閉包)とやらのことを考えたら
代数系を作れる公理等はやはり必要だったりするのか?」
この辺は後でちょっと質問の体裁を整えてからにします
No.115565+>「文字」とは何物か?
究極的には a, a', a'', a''', a'''', ... を文字というか変数記号だと思えば
>「列」
こっちは必要ないかな
No.115571+>>「文字」とは何物か?
>究極的には a, a', a'', a''', a'''', ... を文字というか変数記号だと思えば
代数系のことまでわざわざ別に考えず
底集合(集合ではなく集まりだが)まで話を単純化して
「文字」を「なんかの集まりの元」とみなせばいいってこと?
>>「列」
>こっちは必要ないかな
(有限)列は自然数の集まりからある集まりへの写像だってんで
自然数が要るとうっかり思い込んでいたんだけど
これももっと単純化できるやつだったりします?
(確かにこれも単純化できたら本当に循環定義なくせそう)
No.115572+「文字」は特に定義したことで集合的性質が要求されないということ
「列」はそもそも今までの定義で出てきてないということ
No.115573+>「文字」は特に定義したことで集合的性質が要求されないということ
>「列」はそもそも今までの定義で出てきてないということ
論理式は文字列だけど
別に文字列を列とみなさなくてもよい?
そうなると文字列は単に文字の集まりだと考えればよい?
それとも他にもっといい扱い方がある?
No.115574+>>「文字」とは何物か?
>究極的には a, a', a'', a''', a'''', ... を文字というか変数記号だと思えば
>「文字」は特に定義したことで集合的性質が要求されないということ
こっちは分かった
確かにこれでいけそう
No.115575+>別に文字列を列とみなさなくてもよい?
そもそも記号は書き並べた時点で存在しているからあとは何が項で何が論理式かを再帰的に定義していけば良い
No.115576+>>別に文字列を列とみなさなくてもよい?
>そもそも記号は書き並べた時点で存在しているからあとは何が項で何が論理式かを再帰的に定義していけば良い
分かった
そこも勘違いしていた
たぶんこれで本当に循環定義はなくなってるはずだが
また粗々にフローチャート作って確認してみる
ものすごく辛抱強く教えてくれて本当に有難う
No.115577+どう定義していくかはこの辺の本を読んでみるのが確実で手っ取り早いかもしれない
https://www.amazon.co.jp/dp/4254117655/
No.115578+>どう定義していくかはこの辺の本を読んでみるのが確実で手っ取り早いかもしれない
>https://www.amazon.co.jp/dp/4254117655/
あっ有名な鹿島本! これか!
今読んでるのが終わったらやってみる
何から何まで本当に有難う
No.115732+Xさんが記号の使い方や推論規則を用意して
それをYさんに何処までも厳密に完全に伝えるのは無理…
みたいな哲学問題を提起してるのかと思ったら違うみたいだな
No.115733+述語論理導入の時点でメタ理論使わざるを得ないからそういう話題も当然含まれるだろうね
言語獲得してない赤ん坊や動物に論理や集合のこと理解できるわけないけどそれなりに経験を積んだ学生にはこういう事理解できるのは何故なのかという話にも関わってくる
No.115734+書き込みをした人によって削除されました
No.115735+そりゃー自然数の公理を含む数学のどの部分をとっても
Xさん自身が完全に理解していることを証明できないのだから仕方が無い
ただXさんがYさんに概念が伝わったと確信できるまでYさんの理解をテストすることによって
なんとなく伝わったのではないかという気がするという安心を得ることはできる
No.115749+>一階述語論理の上でたとえばZFC公理系を構築して集合を定義できる
>でも一階述語論理の記号も公理も推論規則も集合を使って定義できる
>循環定義に見えてスッキリと納得がいかないんだけど
>これって別に循環定義にならない定義の仕方ってあったりするの?
一階述語論理とZFC公理系はそれぞれ定義があって
公理系というのはそれを所与のものとして受け入れるしかない
ある形式論理の体系を別の公理系を使って説明しようとすると循環定義もしくは堂々巡りにならざるを
えない
No.115750+いや順序的には
メタ理論(有限)→論理(有限)→集合論(無限)→論理(無限)→数学一般
って感じの構造になってるので循環ではない
粗野な理論から始めて徐々に精練して数学の土台として仕上げていくという過程がある
この辺はキューネンの数学基礎論の本にちょろっと解説がある
No.115751+>いや順序的には
>メタ理論(有限)→論理(有限)→集合論(無限)→論理(無限)→数学一般
>って感じの構造になってるので循環ではない
>粗野な理論から始めて徐々に精練して数学の土台として仕上げていくという過程がある
現代的な形式的論理の根源として公理主義がある
最も基本的なメタ理論(有限)にも
その理論の形式的な定義(公理)があると思われるが
その公理をさらに形式的な論理で定義付けようとしても
メタメタ理論の堂々巡り、もしくはメタ理論(有限)自体による循環的な定義によるほかはない
No.115752+>いや順序的には
>メタ理論(有限)→論理(有限)→集合論(無限)→論理(無限)→数学一般
>って感じの構造になってるので循環ではない
>粗野な理論から始めて徐々に精練して数学の土台として仕上げていくという過程がある
>この辺はキューネンの数学基礎論の本にちょろっと解説がある
言い出しっぺの者です
久々に見たらなんか再開してた
こういう話も助かります
有名なキューネン本もいつかは読まなきゃ…
No.115753+また付け加えると
言葉の定義の仕方にもよるけど
メタメタ理論による定義の堂々巡りによって
それ以上他の論理では説明できないような
より粗野で根源的な定義となる理論に至ることはないと思う
No.115754+>その理論の形式的な定義(公理)があると思われるが
これが難しいところで形式的な定義とは何かをことばで説明すると人間は理解できる(と一般的に思えるNo.115732やNo.115733参照)わけだけど、このことばによる説明が有限のメタ理論で、これが何なのかは完全に哲学の分野になってしまうと思う
ただ事実として定義づけなどが出来るかは不明でも人間は何故かこのメタ理論を使いこなしてしまうからその上に形式的論理を成立させることが出来て、形式はある意味ここからがスタートになるという認識
No.115755そうだねx1>現代的な形式的論理の根源として公理主義がある
>最も基本的なメタ理論(有限)にも
>その理論の形式的な定義(公理)があると思われるが
>その公理をさらに形式的な論理で定義付けようとしても
>メタメタ理論の堂々巡り、もしくはメタ理論(有限)自体による循環的な定義によるほかはない
哲学シンパの方ですか? 私も似たようなもんですが
記号論理の本だと公理(証明の起点となる整論理式)と
定義(もっと前段階の記号とかも可)はまず分けてますね
記号の定義は「区別できるなんらかのものをここではx0だのx1だのxnだのcだの(だの)だのと呼び
あとはこれら原子的な記号をこのように並べたら適用的な記号と呼ぶことにする
これらだけを記号として扱う」というやり方(数学における帰納的定義)で決めてて
後はここから整論理式(等式とか)作って公理はその後ってなってますね
記号の定義は上記の通り形式的にやれるところだから
もうメタメタ理論やらないでここで起点としていいくらいですね
(記号の個数とか記号のタイプとかまだ遡れるかもしれませんが)
No.115756そうだねx1あと「区別できるなんらかのもの」って
哲学の領域だと言ってる人たちはもちろんいますし
それについて私はノーコメントですが
それは論理学やるときには別に所与のものとして有難く使うし
そこから先は出てこない話だから考えなくていいからです
出てくるとしたら等号と等号否定くらいだし
数学の領域でそれらを扱う時に哲学の知見はもう必要なくなってる
No.116113+書き込みをした人によって削除されました
No.116114+書き込みをした人によって削除されました
No.116115+公理的集合論は一階述語論理の言語に"∈"を加えた言語で公理系を扱うもの.
じゃ,一階述語論理の変数の議論領域は集合じゃないのか?といえば,集合でもいい.
でもそれはZFCのフルセットでなくて良くて,「他の集合のようなもの」でもいい.順序対や写像・部分写像あたりが有限的に扱えればいい.だから例えば有限の型(タイプ)でもいいわけよ.
メタ解釈の構造を有限的(確証的)として,形式言語や公理はその解釈装置であつかうデータ構造のようなものと考える.だから循環定義にはならない.
この発想は,ヒルベルト形式主義の現代的な変種だね.
よくある圏論(圏論論理)で集合論を作るってやつもこれ.一階述語論理に圏論言語と圏のメタ公理を与えれば圏論は一階述語論理の上に展開される.
その時の議論領域や圏の「射のあつまり」みたいなものを型にしてもいい.
もっとラディカルなものは,圏論論理で直観主義論理や古典論理に相当する構造を作ってそれで集合論を構成して述語論理を構成する,そしてそれからZFCを作ってみせるみたいなこともできる.
メタな階層構造だから循環定義にはならない. (労多くして益なしだけどね)
No.116116+循環定義にならないってことを,現代ではわかりやすく納得できる例があるじゃない?
「数学を行う人間や紙とペン」をPCやスマホなどの「ハードウエア」とすると,「一階述語論理+集合論」というのはよく普及している「基本OS」だよ.
そのOS上で数学の各分野にあたる解析やら幾何学やら代数やらという「アプリケーション」を動かしている行為が数学なわけ.
で,基本OSである「一階述語論理+集合論」の上で,その構造を模倣した「ZFC集合論」というアプリを作って動かすこともできるし,あるいは「一階述語論理」というアプリを作って動かすこともできる.なんなら,パワーのあるコンピュータ上なら,ファミコンやらPSやらのハードをエミュレートしてみせることもできる.
コンピュータ上で別のコンピュータをエミュレートしたからと言って,「循環定義だ〜」とか「実在に影響が〜」とはならんでしょ?
数学や科学を解釈していたメタ言語としての古典論理の機能そのものを,代数的・組合せ論的な形式表現に完全に置き換えることができたということが地味に画期的だったのよ.
No.116118+>よくある圏論(圏論論理)で集合論を作るってやつもこれ.一階述語論理に圏論言語と圏のメタ公理を与えれば圏論は一階述語論理の上に展開される.
>その時の議論領域や圏の「射のあつまり」みたいなものを型にしてもいい.
>もっとラディカルなものは,圏論論理で直観主義論理や古典論理に相当する構造を作ってそれで集合論を構成して述語論理を構成する,そしてそれからZFCを作ってみせるみたいなこともできる.
>メタな階層構造だから循環定義にはならない. (労多くして益なしだけどね)
高度な圏(トポス)で直観主義論理が作れるってやつ?
むかーし竹内外史や清水義夫の本でこの辺の話あった記憶がありますよ
「おい? 圏だけでも一階述語論理使うやろ? 循環定義では? 違うの?」
となってたけど上の話を加味するとちゃんとイケるのか…
(全然読んでる余裕がないMacLaneの『圏論の基礎』だと
集まりも扱えるZFCじゃないNBG公理系による集合論や
圏より抽象度のさらに高いメタグラフやメタ圏をまず使うよって流儀だったし
それなら本当にちゃんとイケるのかも)