…No.1320411+ 「この間の遺恨、覚えたるか!」と1701年に松の廊下で吉良上野介に斬りかかり、1703年に吉良邸に討ち入った後、1748年に浄瑠璃『仮名手本忠臣蔵』で庶民のヒーローに祀り上げられた浅野内匠頭。 二匹目のドジョウを せしめようと浅野内匠頭の猿真似をし、1784年に江戸城・桔梗の間で「覚えがあろう」と老中・田沼意次の息子に斬りかかり、一時的に『世直し大明神』と祀り上げられたものの、何せ赤穂浪士の二番煎じだったため浄瑠璃や歌舞伎で大々的に取り上げられることなく歴史の波間に消えた、痛い栃木県佐野市の山猿、佐野善左衛門政言。 |