…No.523652そうだねx8あー、戦争って体験しないと理解できないんだなと思い、出しゃばって書きます。戦後の食糧難で苦しんだのは米軍機の都市焦土作戦によって灰燼と化した日本全国の大都市とその周辺部に住んでいた人々です。戦争が終わって、トタン板と焼け残りの柱で掘っ立て小屋を建てて暮らし、職探しに奔走していて悠長に魚取りなど出来るわけがありません。やったところで、シロウトはボラや小魚が数匹釣れる程度で電車賃にもなりません。一方、農漁村部の住民は食料に関する限り特に不自由はありませんでした。 |
…No.523653+俺のばっちゃは農家だったから食料に困ったことは一度もなかったといっとったわ 都会に送るための農作物がだぶついてたんだから かえって食い物が余る状況にもなったのかもな |
…No.523654+あ、最初のレスはコピペね 実際どうだったかは知らん |
…No.523655+飢えていたのは都市部だけだったというのはなるほど説得力あります。 >シロウトはボラや小魚が数匹釣れる程度で電車賃にもなりません 素人だろうが子供だろうがちょっとした釣りの基本だけ知ってれば家族の食事になるくらいの魚は釣れると思いますが 貝など採ることだってできますよね ボラは食べてもうまくないですが腹の足しや栄養にはなるでしょう |
…No.523656+うちの父は島の出身だったのでしょっちゅうやってたみたい たまにイルカ(スナメリか?)が寄って来るのがちょうどキモかったらしい |
…No.523657そうだねx6漁師の娘だった祖母「戦時中も魚食い放題」 満洲にいた大叔父「ビフテキ食ってた」 京都にいた大叔父「戦争末期は苦しかった」 フィリピンへ出征していた祖父「食い物がなかった」 |
…No.523658そうだねx3戦争で輸送機関(日本だと鉄道網と船舶運航)に 支障をきたしたので、満州・漁村・農村が食糧を 生産できても、都市部や遠征部隊に行き届かなかったの でしょうね。 むろん、生産量そのものも下がっていたとは思うけど。 ソビエトでも鉄道網の混乱が原因で、 供給量は充分でも食糧難になっていたとか。 |
…No.523659そうだねx4>子供に釣りをさせればいいのでは。 魚は穫っていたよ。 ただ田舎の小さい河川では学童疎開で大量に集中した学童や元からの住民を 支えきれないので数週間に1食の補助食料だし、海魚はすぐに腐るので 徒歩圏内の子供しか利用できない。(戦局悪化の燃料統制で製氷機が動かせないので、 例え本職の漁師と漁船とその燃料を確保しても、一部の干魚以外は腐るので自分の街でしか消費できない) そのおばあちゃんの体験のように、子供の体力·機動力で全国何処でも確実に手に入れられて 腐らない食べ物になるとカボチャやジャガイモと言った根菜類の栽培に自然となるのよ。 |
…No.523677+親父の話だと戦中・戦後と魚とかはとってたそうだが 案の定というか子供一人でとれる量なんかたかが知れてて 圧倒的に物量が足らなかったそうだ ただ潮の満ち引きを利用した罠は結構な量が確保できてたが あっち系の人が因縁つけてきて全部持ってかれたそうだ あと実家じゃ米も普通に余ってたそうだが都心部への輸送手段が貧弱 っちゅうか破壊されてて届かなかなかったのも食糧難の要因だったとか |
…No.523682+農地改革が始まる前は全農地のうち小作地が5割近くあったから、農村と言っても小作農だとコメに不自由してたところもあるんじゃないか? 1945年のコメの作況指数は史上最低だし(タイ米を輸入する羽目になった1993年より悪い数字) |
…No.523683+俺の曾祖父は農家と高利貸しを兼業してたらしい 食事は有り余っていたし、都会から食糧をねだりに来た人々に対して、色々エグい事をしてたらしい 戦争末期になればなるほど、それはもう美味しい思いをしたそうだ その後、GHQによる農地改革の影響で地権は削られたけど、高利貸しによって蓄えた資産を投じて東京の一等地を購入して不動産業を営み、戦後も悠々自適に暮らしたらしい その息子たち(俺の叔父にあたる)は今もなお定職に就かず、不労所得で暮らしてるそうだ なぜ俺に恩恵が無いのか… |
…No.523685そうだねx1爆撃と機雷で流通機構が壊れてしまった だから余ってる所は余って、足らんところは足らなかった |
…No.523688そうだねx4お米がなければお魚を食べればいいじゃない 的な? そんな適当な手段で生きていけたらみんなやってるって |
…No.523691+曽祖父は漁業の浜師(水産物の相場師)と農業の兼業、親類は置屋などで財を成し、戦争中・戦後は比較的裕福な一族だった ちなみに一力一家の若衆だった その後、台風で畜養していたものが流されて、一気に凋落した 私は本家筋の長男だが、普通の勤め人をしていて過去の一族の栄光はない 母親は戦後の苦しい時期に学校へ通っていたが、芋・麦飯が当たり前の中で銀シャリを弁当にして、おかずも多かったらしい 戦中戦後だろうが、あるところにはあったんだねぇ |
…No.523696+今日レポート書くために祖父母に話を聞いた私にタイムリーなスレ 祖父の家は新潟の農家だったので肉や魚はなかなか食えなかったが、飢えることはなかったそうだ 祖母も新潟だが小学校に弁当を持ってこれず同級生のものを盗んで食べたり栄養失調出なくなったりする子もいたと言う |
…No.523697+>腐らない食べ物になるとカボチャやジャガイモと言った根菜類の栽培に自然となるのよ。 サツマイモといい南米原産の野菜は良い仕事するなと… 逆にこれらがもしなかったら完全に積んでいたんだろな… あとどれも低温貯蔵だと痛んでダメになるリスクが乾燥保存できる穀物より高いし (澱粉とかにすれば良いけどそれはそれで手間かかるし) |
…No.523700+塩が手に入らなくて浜辺で鉄板焼いて作ったと おかん(実家は小作を抱えてた豪農)は言ってた。 あと魚は漁村に米と野菜を持ってけば喜んで 物々交換に応じてくれたそう。 (お互い現金取引より率が良かったかららしい) |
…No.523708そうだねx1あまり知られていないけど 戦前のコメ収穫量は約1000万トンだったけど 終戦の昭和20年は582万トンまで落ち込む ピーク時でも内地での生産分では足りず台湾や朝鮮からコメを輸送していた 終戦後輸送インフラの潰滅と外地からの引き上げもあって極端な食糧不足に陥る 当時政府ではこのままだと1000万人の餓死者が出ると真っ青になってGHQに泣きついた |
…No.523710+ 戦前も昭和に入ると穀物自給率は100%切って中国大陸に依存し始めるからな 直接の食べ物のみならず大豆カスみたいな肥料も同様で昭和21〜22年はこれの途絶に加え天候不順からくる凶作まで起こる始末 |
…No.523713+>なぜ俺に恩恵が無いのか… とうちゃんあるいはかーちゃん、一体なにやらかしたんだよw |
…No.523715+書き込みをした人によって削除されました |
…No.523716+ ガダルカナル島などではどうだったんでしょうか。 魚を釣ったり貝を採ったりできなかったんでしょうか。海は敵に発見されやすいので近づけなかったとも言えますが、ジャングルには鳥もたくさんいたそうですが罠など作って取ることはできなかったのでしょうか。銃を使ってよければさらに鳥は取りやすくなると思いますが。銃はやっぱりだめ? |
…No.523721そうだねx3養鶏もできない環境では、鳥猟で得られる肉の量など労力と釣り合わない 餓島じゃないけど、ウェーククイナみたいに食べない鳥は海軍陸戦隊が絶滅するまで食い尽くしているし 飢餓のメレヨンではヘビやトカゲまで姿を消したとか |
…No.523722そうだねx1>ジャングルには鳥もたくさんいたそうですが罠など作って取ることはできなかったのでしょうか。 ガ島での戦死者は約20,000人で、そのうち餓死者は10,000人以上と言われている この10,000人の食料を野鳥や海岸で取れる魚で賄えると? |
…No.523723+なんで全員を賄う話になってんのw |
…No.523727そうだねx8 流れ読まず貼っておく |
…No.523728そうだねx3>ジャングルには鳥もたくさんいたそうですが罠など作って取ることはできなかったのでしょうか。 インパール作戦を強行した牟田口将軍もそういってろくな補給も与えずガ島に並ぶ悲劇を作りましたな |
…No.523735そうだねx3ジャングルに食べ物が豊富と思うのが勘違いなのでは 主食がないからむしろ食べ物がほとんどないのでは? 一ヶ月現地調達のみで自活してみろと言われたら、ガリガリになっちゃうのは想像に難くない |
…No.523737+ アルヨー |
…No.523742そうだねx3栄養事情が悪くなると疾病が追い打ちをかけるから 加速度的に状況が悪化する。 食料調達も敵の状況で大きく制限されるだろうし 飛行場とか固定施設を維持できる程度には支配していないと 畑で作物とか育てられんよね。 |
…No.523743そうだねx1 >ジャングルに食べ物が豊富と思うのが勘違いなのでは エド見てると、くいものより水と火がなによりも貴重らしいぞー(当然 |
…No.523744+「古来、大和民族は草食民族である」 「ジャングルには植物がいくらでもあるので食べ物に困ることはないのである」 「大丈夫! わたしには神様がついている」 |
…No.523746+戦後うちのじいちゃんは田舎から送られる食材で労働者向けの中華屋始めて、復興需要で儲けてた 闇市で余剰食料の売買してたから、ばあちゃんが近所や孤児院にお裾分けできる程に困ってなかったらしい |
…No.523755+書き込みをした人によって削除されました |
…No.523756+書き込みをした人によって削除されました |
…No.523757そうだねx5ナワバリあるからヨソ者が勝手に釣りや山菜取りなんぞしたら 現地人からボコスカに殴られるかと・・・ |
…No.523759+上官「逆に現地民より食料の寄進をいただいた」 下士官「うっ……何ですこれ」 上官「【ピー】の【ピー】を【ピー】したものだそうだ…まあそんな顔せず食ってみよ」 下士官「はぁ…おお、見た目と臭いは酷いが結構イケますな!」 上官「保存も利いて滋養も満点、これほどの物は我々だけで頂きたいが……」 下士官「やはり人道上、捕虜にも公平に分け与えるべきでしょうなあ」 ということもあったかもしれない |
…No.523768そうだねx2 IJA第2師団第1野戦病院所属の軍医だった長谷川英夫さんという方の手記によると、 ガダルカナル島の密林は「いわゆるジャングルという日本人のつかうニュアンスとおよそかけはなれて存在している(略)強いていえば、『地球上において生物が棲息し得ない空間であり、悪気流の充満する地帯』とでもいうべきであろうが、それでもいい尽くしているいるとは思わない」…ものであったそうです具体的には、密林内はまず樹木や蔦草などが密生していて、そもそも人が通行する余隙が無いのが普通で、地形も平坦でなく急峻な坂や渓谷がいたる所にあり、降雨が多いため湿地帯も多数、人跡未踏の森林内には倒れた巨木が放置されるままになって障害物となっていたんですとか |
…No.523769そうだねx2 また、第230聯隊第1大隊の第4中隊長だった、川口五朗軍曹大尉によると 「まあジャングルってのは、地面といったって、普通の土じゃねえんですよ。日本内地の山みてえな生やさしいもんじゃない(略)何万年てえ以前からの落葉や枯木が横たわっているもんですからね。ジメジメしめっぽいんですよ。いや、しめっぽいどころか、沼みてえなところがあるんですよ(略)ズブズブとね、入ってっちゃうんですよね」…とのことで、まず狩猟にしろ採集にしろ、密林の中を獲物を探して徘徊する事自体が、非常に困難な環境だったみたいですねえそれでも補給を絶たれた日本側では、否応なく現地での食糧採集を余儀なくされたわけなんですが、第2師団経理部の主計中尉だった鈴木信道さんという方によると |
…No.523770そうだねx2 「ガ島の後半戦は(略)皆もう毎日、朝から血眼になって食糧探しをやった(略)終日、 食うもんおちとらんかと歩き回っている」「どんなもん食ったかといいますとね。まず椰子の樹の下にね、ちょろちょろ出没しておる蟹(略)それから、木の実(略)しかし、なんといっても、一番お世話になったのは椰子です(略)というてもね、あれはオーストラリアかなんかの民間会社が植林して、現地人を使って栽培しとったんでね、野生じゃない(略)もしガ島に椰子が生えていなかったとしたら、死者はもっとうんと増えていたでしょうな」…そうなんですが、もう一つ、第2師団司令部経理部の見習士官だった山内七郎さんの著書「ガダルカナル」から引用させて頂くと「椰子の実の採取に地区を決めて協定したのだが、一寸でも椰子の枝を動かすとすぐ飛行機がやってきた」 |
…No.523771そうだねx6 「(※海岸では)海水を汲み蟹をとるのだが、蟹はまたたく間にとりつくした。また 海岸には海岸のマイナスがあったのである。屍臭といたる所に垂れながす糞便のため、蠅が無数に殖え爆弾であけられた赤土穴には、スコールが溜りぼうふらの温床となった。マラリアは風土病と重なり飢餓に苛まれた身体をどしどし斃していった」…んですとか結局のところ、正規の糧秣の補給を絶たれるほど敵の優勢な状況下で、行動しやすい海岸や海上での漁労はまず無理、また移動自体困難な密林内では、狩猟したり獲物を運搬することが困難な上、食用となる動植物の量も十分でなくその栄養価も労力に対して満足できるものでない、更に湿地の多いジャングル内は、致命的な風土病を媒介する蚊やダニが待ち構える猖獗地帯…とくるわけですから、「ジャングル内で食糧採集生活!」は文字通り机上の空論といいますか、実際にガ島その他で無数の餓死含む戦病死者が生じたのも、当然だったというハナシになるんでしょうか… |
…No.523775そうだねx2そもそも何が食えて何がダメなのか知ってないとな… 貝なんて時期によっては毒持ってたりするし |
…No.523779+南方でもラバウルなんかは占領期間が長く農作ができる土地も広いから自給自足できてたとは聞くね |
…No.523787そうだねx3 いとこの嫁に頭下げてれば死なずに済んだ |
…No.523812そうだねx2>523657 >満洲にいた大叔父「ビフテキ食ってた」 ばあちゃんによるとじいちゃんが国策会社で働き、きれいな家に住んで。中国人のお手伝いさんを雇っていたそうだけど。 大連ではロシア人のメイドさんがいたそうだ。 |
…No.523813そうだねx3>「古来、大和民族は草食民族である」 米とか大豆は野草ではない >「ジャングルには植物がいくらでもあるので食べ物に困ることはないのである」 毒蛇やマラリア蚊もたくさん >「大丈夫! わたしには神様がついている」 八百万の神の内。死神しかいない |
…No.523815そうだねx1>南方でもラバウルなんかは占領期間が長く農作ができる土地も広いから自給自足できてたとは聞くね 人類の歴史を紐解けば採取狩猟時代から農業家畜の発明で食料が大量に安定供給できるようになって一気に人口が伸びたのよね 死んだ爺ちゃんも植物の根っこを食って何とか生きながらえたって言ってたなぁ |
…No.523819+>インパール作戦を強行した牟田口将軍もそういってろくな補給も与えずガ島に並ぶ悲劇を作りましたな 俗に行軍5日で米が無くなり、1週間で調味料が無くなり、10日で塩も無くなり 山岳地帯で運搬に不向きの水牛も食うために潰し |
…No.523822+ガダルはエスペラントやタサファロングまではそこそこ物資が来てたけど、 それをジャングルの中担いで前線まで運ぶのがしんどかったみたいだね。 かと言って陣地放棄して撤退したら、米軍に包囲殲滅される。 ガダルで捕虜になった人がアメリカの収容所で毎日米の飯が出るもんだから 「どこの米?」って訊いたら「ガダルの鹵獲品」って言われて「??」ってなった話も。 |
…No.523881+>魚を釣ったり貝を採ったりできなかったんでしょうか。 祖父はパラオへ出征したようなのですが、鯵を(どのような方法かは不明)大量に獲ってドラム缶で煮たものを連日食べていたらしく、「それで鯵が嫌いになって」以後食べなかったと言ってました。 |
…No.523882+爆雷の衝撃波で魚を失神させて浮かんできたところを一網打尽、なんて魚の獲り方もあったそうな 対潜哨戒と称して駆潜艇か何かで本業が漁業の人がうまくやっていたかもですね |
…No.523891+都市部の話なら学童は疎開できるが 成人は防空法のせいで消火活動しないといけないから疎開しにくい |
…No.523900+>俺の曾祖父は農家と高利貸しを兼業してたらしい、GHQによる農地改革の影響で地権は削られたけど、東京の一等地を購入して不動産業を営み、戦後も悠々自適に暮らしたらしい >その息子たち(俺の叔父にあたる)は今もなお定職に就かず、不労所得で暮らしてるそうだ >なぜ俺に恩恵が無いのか… 戦後に色々有ったからとしか。 うちも地元で手広く商売して。戦前戦後と一軒しかない映画館で儲けたんだが。テレビで映画館を閉めてからだんだんとね。 |
…No.523908そうだねx1 >芋やかぼちゃしか食べるのが無かった 本当になかったのかわからない。。ま、ララさんが助けてくれたんでしょ?自分で壊しておいて。。助けてるなんて・・ひどい |
…No.523909+ララ物資の脱脂粉乳というのは食べ物が無かったあの時代でも誰も飲めなくて 飲めと指導すべき教師自身も飲めなかったから捨てるのを黙認せざるを得ず 昼時の学校周囲のドブ川が真っ白になったと言うのは昭和8年生まれの老母の言 |
…No.523918そうだねx4 >ま、ララさんが助けてくれたんでしょ? 何だその謎のインド人ぽいのはララさんといえばこっちでは…? |
…No.523919そうだねx8 乙女ララさん |
…No.523999+>何だその謎のインド人ぽいのは そりゃ、四十代以上のアイドルのララア・スンさん >ララさんといえばこっちでは…? 三十代以下のアイドルです。 |
…No.524092そうだねx5 >ララさんといえばこっちでは…? |
…No.524094+Licensed Agencies for Relief in Asiaに参加した団体が 宗教団体だらけでどうみても布教活動にしかみえないんだけど |
…No.524095+https://www.youtube.com/watch?v=a9LpOIRQAfg |
…No.524170+ >大人は忙しかったでしょうが、子供に釣りをさせればいいのでは。 機雷が流れ着いて騒ぎになったってじっちゃが言ってた |
…No.524171+ほんとイロコイスは空中要塞ガンシップだぜー!フーハハハー! |
…No.524198そうだねx1>ほんとイロコイスは空中要塞ガンシップだぜー!フーハハハー! って喜んだら帰り道で兵員輸送型に追い抜かれたでござる AH−1コブラまだぁ? |