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熊本地震からの復興、全国に届けたい NHKアナウンサー・武田真一さん(熊本市出身)Name名無し21/04/17(土)07:31:20No.143628+
30年12月頃消えます  「熊本県は私の古里です。私と同じように古里の人たちを思っている全国の皆さん、不安だと思いますけれども、力を合わせて、この夜を乗り切りましょう」−。熊本地震の「本震」が起きた2016年4月16日の夜、熊本市出身のNHKアナウンサー武田真一さん(53)は番組でそう語り掛けた。あの日から5年。復興に向けて歩む故郷への思いをオンラインで聞いた。(浪床敬子、園田琢磨)
 前震が起きたことを知ったのは、ニュース番組を終えて帰宅し、ソファに座ってビールでも飲もうかなと思っていた時でした。「熊本で震度7」というテレビニュースの文字が目に飛び込んできて、わが目を疑い、思わず「7!」と叫びました。
 一番心配だったのは高森町に一人で暮らす母のことです。弟たちと連絡を取り合い、安否を確認しながらタクシーに飛び乗り、職場に向かいました。間もなく母の安否は確認できましたが、熊本市東区に住む妻の両親とはなかなか連絡が取れず、身内の安否が分からないまま過ごした数時間は身の凍る思いでした。
https://news.yahoo.co.jp/articles/af65a617e9399f41a8a9aa1829181631fbfc9c33
No.143629+ 熊本城が大きな被害を受け、帰省のたびに通っていた阿蘇大橋が落ち、高校時代にテニス部で合宿していた東海大阿蘇キャンパスや、毎年初詣に行っていた阿蘇神社が被災した姿を見た時は、自分の心が傷つけられる感じでした。東日本大震災の被災地などでも胸が痛くなる思いを何度もしましたが、よく知っている地域が傷ついた姿に思い出が次々と浮かび、やり切れない思いでした。

■希望抱きながら
 地震後、初めて熊本に帰ったのは本震の数日後だったと思います。高森町の実家はそれほど大きな被害はありませんでしたが、妻の実家は座敷の砂壁が崩れ、家具が倒れ、大きな窓のサッシ2枚が外に飛んでおり、住める状態ではありませんでした。
No.143630+年老いた両親はここでどうやって暮らせばいいのか、熊本に戻って一緒に暮らさなければいけないのか、それまで歩んできた人生を大きく変えなくてはいけないのか、大きな不安と絶望のようなものを感じたことを覚えています。窓が二つ飛んだだけでこれほど大きな不安を感じるわけで、家が倒壊したり、大切な人を失ったりした人は、どうやって生きる希望や力を得ていくのだろうと思ったものです。
 阿蘇大橋のたもとにあったレストランの男性経営者と取材で知り合い、定期的に訪ねました。阿蘇大橋が落ちたことで人や車の流れが変わり、店の再建のめども立たない中、わずかな希望を抱きながら少しずつ前に進もうとされる姿に胸を打たれました。仮設暮らし、自宅の再建、店の再建、そしてコロナ。「本当に少しずつ、少しずつです」という男性の言葉に重みを感じ、一歩ずつ前に進む大変さを痛感しています。