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Name名無し20/12/13(日)13:30:15 IP:1.72.*(spmode.ne.jp)No.12069そうだねx3
04日21:32頃消えます 米は・・・武力!

と言うわけで兵站スレ 削除された記事が1件あります.見る
No.12071+祖先は200石やったわ
No.12072そうだねx6
49208 B
よく〇〇万石の大大名!とか言うけど、領主の戦闘力(国力)を農作物の生産高で示すって
よく考えたらちょっと面白いよね他の国では例があるのかな?
No.12076+兵站は政治と密接に関係するから政治の話になるのは確実だが宜しいかな
政(まつりごと)だもんな
No.12077そうだねx10>兵站は政治と密接に関係するから政治の話になるのは確実だが宜しいかな
>政(まつりごと)だもんな

文章の前後が繋がっていないのは偶に見るが、
一つの文の中の単語の前後すら繋がってない文章は久々に診た。
書いた本人の頭の中では何らかの繋がりがあるかもしれんが、
それを他人に説明することの必要性すら気づかないと言うのは
かなり疲れが溜まっている可能性が高いから少し休んだほうがいいぞ。
ここは頭の中の言葉を書き出す日記帳じゃなくて、
他人に対して言葉を発して意思を伝える掲示板なのだから。
No.12078そうだねx1>(国力)を農作物の生産高で示す
当時は米=金だったしね
No.12082+日本以外で国力を農作物で表す事があったんでしょうか?
No.12086そうだねx4
687236 B
>米は・・・武力!
つまりやはりおコメの国である米国が世界最強というわk…(ry日本郵船の貨物船で、大正13年に建造された「飛鳥丸」というフネがあったそうなんですが、戦中同船の乗組員だった西岡光雄さんの回想記に依ると、「次航はラバウル向け米満載と決定した(略)1ヵ月余の南方航海には、品質低下防止のため、どうしても木製ベンチレーターによる通風が必要で、どのようにして作成(略)使用するか等(略)種々協議し、万全を期した」「船長からも『なんとかして、こんな美味しい米(インドネシア米は寿司にできる程の良質米であった)を前線の将兵に食べさせたいものだ、充分頑張って積みつけるように』との指示と激励があった」…ものの、このフネ側の提案に対しては碇泊場側から異論が出たんだそうでして、「命令通りに積めばよいのだ」
No.12087そうだねx4
1137987 B
「いや、命を的に運ぶのだし、食料不足で連日激戦を繰返している前線の将兵に美味し
い米を運ぶのが我々の務めだ(略)船員として、技術屋としての主張だ、通風は必要だ」「そんなものを作る費用もない、時間もない、材料もない(略)」「カビの生えた米を食べさせるつもりか(略)」…と大激論になってしまったそうです結局、なんとかフネ側の主張が通り、「板、釘等材料の計算、製作方法、使用方法等準備作業と共に、製作実施に当たって(略)全船一丸となって完遂」し、航海中も「船艙の温度測定、ベンチレーターの開閉、方向転換、ハッチ開閉等による船艙内の通風」を続けるなどして、積荷の品質保持に努めながら、何と無事にラバウルまでたどり着いたんですとかそして西岡氏によると、「揚荷も順調に進み、積荷の損傷はほとんど見当たらず、成績良好を喜び合っていたが、終了間近い日、船長より乗組員召集があった」
No.12088そうだねx5
95359 B
「『皆さん御苦労だった。実は碇泊場の司令官に呼ばれて行ってみると、『前線に赴
任してから、こんな美味しい米を食べたことはなかったが、どうして良い米を輸送できたのか』との下問があったので、荷役準備(略)特に木製ベンチレーター(略)のことを申上げた処、司令官は殊の外感銘をうけた様子で、涙を流さんばかりに喜ばれ』」「『早速前線に送って皆を喜ばせたい、きっと戦意高揚に役立つだろう。乗組員にくれぐれも宜しく伝えて貰いたい』」「『と格別のお褒めの言葉をいただき面目をほどこした。このことは全船一致した努力の賜である、御苦労だった』との船長の御話があった」…そうです
No.12089そうだねx8
119544 B
「乗組員一同重責を果たし、大いに士気が揚がり、感激もまた一入であった」
…そうなんですが、また出発時大いに揉めた木製ベンチレーターも、航海中のおコメの品質保持に役立っただけでなく、「板類はラバウルでは(※木材等の)調達不如意の折柄、陸上施設に使用するのだと大喜びで引き取られたのは皮肉なものだった」…とのことともあれ、単に輸送量のノルマを達成するだけならこんなメンドくさいことをやる必要もなかったわけですが、輸送中の腐変ロスや到着後の品質保持期間を考えたら確かに輸送中の品質管理というのは大事なんでしょうし、何より久々に美味しいゴハンにあり付た前線の将兵さん達への戦力倍増効果は、やはり絶大であったんではないでしょうか…w
No.12090+今でこそ東北や北海道南部でも普通に稲作しているけど、元はお米って亜熱帯地域の作物なんだよね
縄文時代にはすでに稲作農業していたっていうから凄い
ほかの穀物、麦やトウモロコシと比べてお米が優れているのは作付面積当たりの養える人口が多いところ
海の幸もあるとはいえこんな狭くて山が多い日本の人口が多いのもお米のおかげかも
ヨーロッパ各国って広いわりに人口少なかったりするよね
No.12094+>今でこそ東北や北海道南部でも普通に稲作しているけど、元はお米って亜熱帯地域の作物なんだよね
原産地の一部に雲南省のやや高地な所も有るはずだから低温への耐性も若干有った事や
導入の早かったサトイモと並んで高温多湿を好む性質も日本には有っていたんだなぁと…
穀物故に長期の乾燥保存にも向いてるし
No.12095そうだねx2スレ画みたいな俵って60㎏程だったけど
当時の人間はよく製造から運搬に保存までこんなの扱えたなぁなんて…自分じゃ30㎏紙袋でもう大変だわ
No.12100+栄養があって保存性も良い、粉にしなくてもそのまま調理出来る・・・ってのはたしかに軍隊向きかも
腹持ちもパンより良さそうだしなあ
No.12102そうだねx2
1081578 B
俵やカマスの時代だと怖いがなぁ…
有力な防カビ剤もまだないだろうし
No.12120+
72494 B
>栄養があって保存性も良い、粉にしなくてもそのまま調理出来る・・・ってのはたしかに軍隊向きかも
でも米は虫やカビ、酸化などといった欠点があるからなぁ一時期、旧海軍がパンを主食化しようと試みたのも一理ある話ではあるまぁ21世紀の今なら、「2001年宇宙の旅」の宇宙食のようなものが最適かもしれん映画のようにディストピア飯そのままでもいいし、どこかの日本企業みたいに完全栄養食のパスタでもいいいずれ世界の軍隊の標準食になるやも?
No.12133そうだねx1>栄養があって保存性も良い、粉にしなくてもそのまま調理出来る・・・ってのはたしかに軍隊向きかも

生米の保存性はそこそこいいけど、食べられる状態にするのに大量の水と熱源が必要になるのがなあ...。そして冷めるとぼそぼそになって消化効率が落ちるという。
No.12136+個人的に、食事はどんなに粗末でも構わないけど、紅茶だけはないと駄目だわ
紅茶を飲まないとイライラしてくるのよね…
No.12137+同じはっぱの緑茶じゃだめなんですか?
No.12138+>同じはっぱの緑茶じゃだめなんですか?

駄目です
お前はドイツ野郎かよ?
何となく風味が似てるからとか言って、コーヒーの代わりにそこら辺に生えてるタンポポ毟って、
煎じて飲んでたドイツ兵と同じレベルには堕ちたくない
No.12141そうだねx1従来の米と同じ栄養がありながらβ-カロテンが取れるゴールデンライスは軍隊との相性が良さそう
No.12143そうだねx1兵站スレは大抵荒れる
No.12150そうだねx3
301639 B
日露戦争の際、エゲレス陸軍武官のイアン・ハミルトン=サンという方が、日本側から
の観戦記を残されておりまして、戦地で日本の兵隊さん達から食事を提供された話なんかも出て来るんですが、「余等の勞を慰めんとて一杯の茶を饗応し呉れぬ」…ものの、出てきたのは「茶と云わんよりは寧ろ他の名称を付すべきものにして、単に熱湯の中に焦がしたる大麦の少量を入れたるに過ぎ」…ないもので(麦茶ですな)、エゲレス人たるハミルトン=サンには些か味気ないものであったそうなんですが、元来日本人が「茶に向かって多大の敬意を払う」民族である事を知っていた氏は、そこは内心をグッと抑えて礼儀正しく、さも美味しそうに頂いたそうですw
No.12152そうだねx3
700580 B
そして提供された食事は多量の冷や飯に細切れの豚肉のおかずというベン・トーだった
そうなんですが、「余は之を残りなく食せしが、暫くは(略)満腹を覚えにしも程なく(略)以前に倍して空腹を感じ来たれり」「ビンセント(※同行者)は世に告るに、一度膨張して直ちに消失するは米の特色なり」「戦時における糧食上の観察点より論せば、甚だ不適当の物なりと思わる」…と、やはり物足りないもので、ビスケットを持ってこなかったことを後悔した、なんて書かれておりましたり一般的には、穀物が粒のままのおコメは麦粉に引いて焼いたパンより、消化が遅い(=腹持ちがいい)とされていて、逆に明治にパンを支給された日本の兵隊さん達が「こんなオヤツじゃ力が出ないよう!」なんて不満を訴えたなんて話もあったりするんですが、やはり人間、普段食べつけているモノが一番腹に合う、というコトなんですかしら…
No.12166+米は現代でも南方に航海して倉庫の室温が上昇すると
コクゾウムシに悩まされるのよね
No.12174+1石が、1人が1年に食う分量だっけ
で、200石で騎馬武者1人と徒兵5人が維持できる
村を5つばかり支配する千石取りの領主で、騎馬武者5人と徒兵20人が動員できて
これが武将の最低単位となる
No.12197+米も澱粉で作った代用品がありますね
紅茶とコーヒーについては我が国では戦時に代用せずとも配給の統制で凌げたのでしょうか?
検索しても代用紅茶は見当たらなかったのでドイツに比べてアジアで入手し易かったり
軍優先で民間は緑茶と麦茶で我慢って感じだったのかな?
No.12218+そういやドイツでは戦中に麦茶を代用コーヒーにしてたとか聞いたな
それで高齢者には麦茶嫌いも多いらしい
No.12232+
48446 B
>米は・・・武力!
>と言うわけで兵站スレ仕方がないのかもしれんが、大体食事の話で終わってしまう
No.12238+
99064 B
食事はいまもむかしも大変ですね

No.12239+
85743 B
本文無し

No.12240+
32488 B
開発は戦時中に始まったアルファ米

No.12241+>1石が、1人が1年に食う分量だっけ
>で、200石で騎馬武者1人と徒兵5人が維持できる
>村を5つばかり支配する千石取りの領主で、騎馬武者5人と徒兵20人が動員できて
昔から軍隊(暴力装置)って大喰らいなんだなぁ…なんて
No.12246そうだねx2
132893 B
WW2中、伊29潜に便乗してドイツに赴任したIJN技術中佐の田丸直吉さんの手記に依ると、
当時のベルリンでは「コーヒーの価値は大変なもの」で、往路で寄港したシンガポールで何気なく買い入れた一人宛10キロばかりのコーヒーの生豆が絶大な威力を発揮して、半ポンド一袋で靴や背広と交換できたそうです因みに戦前の銀座の喫茶店ではコーヒー1杯が大体10銭、高級店で15銭ほどであったそうなんですが、作家の高見順氏の日記には、戦争末期の昭和20年初頭頃でもまだいくらかは喫茶店が営業していて、「ブラジル」というお店でコーヒーを飲んだ話が出て来ましたりその時の値段は1杯9銭、むしろ戦前の値段より1銭安かったそうなんですが、その代り砂糖が抜きになっていたとのこと
No.12247そうだねx3
142296 B
一方、漫談家・俳優の徳川夢声氏の「無声戦争日記」には、昭和16年12月8日、日米開
戦の日の記述として「阪急(神戸)の傍の喫茶店に行きリプトンの大罐を買う。16円也」…なんて出て来ましたりそして、こちらは喜劇役者の古川緑波さんの話になるんですが、氏と付き合いのあったコロムビアレコードの社員だった玉川一郎さんの回想記によると、昭和20年4月頃、同社の川崎工場と、そのお隣にあった味の素の工場の工員の慰問に、古川ロッパ氏の一座を招いたことがあったんだそうでなにせ当代屈指の人気芸能人の慰問とあって、味の素の工場では天然鰻の蒲焼で大宴会の歓迎ぶりであったそうです
No.12248そうだねx2
44443 B
ところが折悪しく、
「ウナギのアブラになめらかになったロッパ氏の声帯模写に、数百の『産業戦士』達が(略)聞きとれている時、警戒警報のサイレンが轟き、B29一機が(略)近づきつつあることが報ぜられた」…んだそうで幸い、工場頭上にさしかかった重爆は、爆弾ではなく、軍閥批判の宣伝ビラをまき散らしただけで去っていったそうなんですが、ヒヤヒヤながら取り敢えず味の素の慰問が終り、コロムビアの工場にロッパ氏が回ってきたそうなんですが「会場を整備する間、賄いのオジさんの部屋で休憩してもらった。『汚いとこで恐縮ですが、30分ほど、ここでご休息ください』と頭を下げ、闇の砂糖を入れた紅茶を出すと、ロッパ氏はそれを飲みながらいった」
No.12249そうだねx4
72366 B
『B29は味の素の上だけ、ビラを撒いたらしいですナ』
『あすこだけを目標としたワケでもないでしょうから、いくらか、こっちにも落ちたらしいですよ』「と、賄いのオジさんがいうと、ロッパ氏は厳然としていったネ。『いや、そんなことはないデス。ここはマカナイです。わかりましたか?』これには、爆笑したオボエがある」…とのこと紅茶もコーヒーも、アメちゃんの4発重爆が日本本土上空を飛び交う時期には民間では高嶺の花になりつつあったわけですが、それでも口にする機会があった方々もいないではなかったみたいですネエ…w
No.12251+押井が書いたパトレイバー2のノベライズは、軍隊が行動を起こすと
どれだけ大飯喰らいなのかを強調して表現してるよね
No.12259+
319078 B
おっやっぱりこの写真引用元のブツあったのか

No.12272+>開発は戦時中に始まったアルファ米
戦国時代じゃないの?
No.12275+>古川ロッパ
調べてみたら昭和20年に入った頃から喜劇が解禁になってるんだね
最初は「けしからん」言ってた軍部が、敗色強くなった頃に
「娯楽が無いと国民もやる気出ない」と容認する方向に切り替えたのは
何でも自粛自粛と言っていた旧軍のイメージとは違っていて興味深い
No.12303+
19116 B
今はレーションも随分変わったね

No.12304+
37041 B
本文無し

No.12305+
55853 B
本文無し

No.12306+
14623 B
本文無し

No.12307+
60149 B
本文無し

No.12318そうだねx5
186090 B
WW2中に、アメリカのある清涼飲料メーカーが政府向けに「戦争努力の最大化における
休憩時間の重要性」なる冊子を作成しているそうなんですが、その要旨は要は軍需工場の労働者に定期的な休憩を与えることで能率を上げることができる…というもっともなものだったものの、その結論は「そして、休憩中の飲み物はわが社の製品にするべきです!」というものであったそうですw軍御用達業者として、同業者の中では唯一砂糖の配給制から外れる待遇を受けていたこの会社、コカ・コーラ社と言ったそうなんですが(棒)このキャンペーンは一定の成功を収めたようで、当時ケンタッキー州の砲弾工場で働いていたペギー・テリー=サンという方の証言によると「どの建物にもコカ・コーラとドクターペッパーはあるのに、水は一滴もなかったの(略)食堂に行くしかなかったけど、2ブロック近く離れてた(略)もちろん、自分で買わなきゃならなかった」…んですとか
No.12320そうだねx5
34304 B
因みにアメリカでは1941年5月、食品栄養委員会が「既知の各栄養素について、人ひとり
が健康を維持するために必要なとする量」を明示した1日当たりの推奨食品摂取量の表を作成して発表しており、以降新聞や雑誌、ラジオ放送などで広く宣伝しているそうですこれにより、米国民の間の適切な栄養素に関する知識が高まり、政府を説得してパンや牛乳、マーガリンなどに鉄分やビタミンの強化を行わせるなど大きな成果が上がったそうなんですが、一方で食品栄養委員会の見積もりはやや過大に過ぎ(3割ほど)、実際には十分な食糧が提供されていても「不足」と見做される要因になったり、また各種食糧生産団体からの圧力によって、例えば「豆や鶏卵が肉の代用品になりえる」というような見解は避けざるをえなかった、なんて裏事情もあったりしたそうでまた、食品業界においては、「健康的な食生活に役立つ」食品を広める政府のプロパガンダに協力する見返りとして、逆に自社ブランドの便乗広告に大いに利用しており、戦場の兵隊さんも食べているYO!という理屈で子供用の菓子の消費を促す、なんて手法が横行したんですとか
No.12322そうだねx5
182656 B
ともあれ、こうした食品栄養委員会の余裕ある、各食品業界に最大限配慮した見積りの恩
恵を、最大限受けられたのはやはりアメリカの将兵さん達で、当時の米軍基地で提供される基本糧食は1日4300キロカロリー、前線の兵士さんで4758キロカロリーと定められ、年間の一人当たりの肉の支給量は106キロに上り(民間で63キロ)、半ば強制的に1日半パイント(235ミリリットル)の牛乳も支給されたんだそうで一例として、テキサス州ランドルフ空軍基地の訓練兵さん達の場合では、「たっぷりの朝食」のあとに、昼食として「セロリ、グリーンオリーブ、レタス、七面鳥のローストとクランベリージャム、マッシュポテト、レーズン入りドレッシング、臓物グレイビー、ジャンボアスパラガスの穂のバター炒め、カリフラワーのクリーム煮、レモンカスタードかアイスクリーム、ロールパンとバター、レイヤーケーキ、果物の砂糖煮、コーヒーまたはお茶」…というメニューが提供されたそうです
No.12323そうだねx4
205721 B
仮にコレで満腹にならなかったとしても、夕食には
「牛腿肉の蒸し焼き、焼きジャガイモ、糖衣豆、ストロベリーアイスクリーム、レイヤーケーキ、パンとバター、コーヒーか牛乳」…が支給されたんだそうで、はげしい訓練ではあったものの、同基地の若い兵隊さん達は、一月で4〜9キロほど体重が増加したとのこと更に世界各地の米軍基地には必ず駐屯地売店(PX)が設けられ、アメリカの砂糖菓子や煙草、飲み物などの「故郷の味」を異国で戦う将兵さんに提供するよう手配されていたんですが、ここでもコカ・コーラ社は陸軍補給局長サマヴェル将軍を説き伏せて契約を結び、世界各地64カ所の現地工場で生産される同社製品が、PXで販売される飲料の95%を独占するコトになったんだそうでおかげで米軍将兵さん達の間に故国の味=コカ・コーラという刷り込みが順調に広まって言った他、各国でコーラを飲む米兵さんソレ自体が格好の広告塔となったことで、戦後米国内のみならず、世界各地で「コカ・コーラ」が大躍進するきっかけになったとかなんとか…
No.12329そうだねx1戦時中のコカ・コーラというと、ファンタの事を思い出すな
開戦によりアメリカからコーラの原液が輸入できなくなったドイツが
代替コーラとして発明されたのがファンタ

けど、いま店頭に並んでいるのは当時とは別物の清涼飲料水で
現物はSpeziというコーラのオレンジジュース割みたいな飲み物としてドイツだけで販売されている

ドイツレストランでは、これが0.5リットルサイズで提供されていて
注文から料理の提供まで30分以上かかるのがザラな中、
酒が飲めない子供たちの喉を潤すドリンクとして愛飲されている
No.12345そうだねx1補給上最優先なのは食糧弾薬なんだろうけど、その他に兵士への慰問品まで用意して送れるかも兵站能力の一つではあるよね
まあ、それを世界中のどこでも出来るのはアメリカ軍くらいだろうけど・・・
No.12346+…上に出てきてるお米の輸送の国と、コーラの国が戦争したって本当ですか?w
No.12349+
678716 B
冒頭に「戦争末期に壊滅状態になるまでは日本軍の飯は美味かった」と書いて
まだ戦局が悪化していない頃の「美味い軍隊飯の思い出」に特化したこのマンガ、もう5年以上も連載が続いているんだよね読者としても、飢えた話はそんなに読みたくなかったのかな
No.12350そうだねx10グルメ漫画で無い無い話なんかしてもしょうがないしな
No.12367+>1石が、1人が1年に食う分量だっけ
>で、200石で騎馬武者1人と徒兵5人が維持できる
>村を5つばかり支配する千石取りの領主で、騎馬武者5人と徒兵20人が動員できて
>これが武将の最低単位となる

ちょっと違うけど千石どりの領主は人数的には小隊長くらい?
一万石から大名でしたっけ?
単純計算だと一万石なら村を50支配して騎馬武者50人に従兵200人動員できるくらいですかね?
No.12425そうだねx4
67654 B
戦艦「大和」の電測士だった吉田満氏の手記によると、1945年4月、「大和」最後の
出撃直前に、「恩賜の煙草(略)菓子、『ポケット・ウィスキー』『サイダー』等」が豊富に支給されたそうなんですが、沖縄への途上、米軍機の攻撃で遂に行き足を止めた艦上で、吉田氏は「傾斜35度(略)床に片肘をつけて寄りかかる(略)絶好の傾斜なり」「菓子を頬張る(略)思い出して『サイダー』を呑む。雨着の内『ポケット』に忍ばせたもの。炭酸、咽喉に弾けて快し。舌に残るその甘味」…と、戦闘の疲労をそれらの酒保品で癒したそうなんですが、いよいよ「大和」が沈み、その過流に巻き込まれて海中に引き吊り込まれたとき心をよぎったのは、なぜか「『サイダー』がまだ十センチ程残ってた…菓子も5袋…」…なんて、ごく「他愛なき想い」であったそうです
No.12426そうだねx5
95685 B
そんな吉田氏の回想に出てくる「サイダー」、ラムネと共に日本陸海軍の将兵さんに
大いに愛飲された清涼飲料水なんですが、「三ツ矢サイダー」を当時生産していた大日本麦酒のレシピによると、「一般用」と「軍用品」では、実は内容が違っていたそうですちょっと面白いのは、例えば1933年の川口工場のレシピでは(二合瓶360ミリリットル)・一般用:砂糖35.9グラム・クエン酸0.342グラム・香料0.26ミリリットル(シャンペンサイダー、シトロン、レモンスカッシュ)・軍用品:砂糖32.6グラム・クエン酸0.396グラム・香料0.139ミリリットル(シャンペンサイダー)…であるのが、1942年になると・一般用:砂糖30.2グラム・クエン酸0.27グラム・香料0.28ミリリットル(シトロン、オレンジ、レモン)・軍用品:砂糖31.8グラム・クエン酸0.27グラム・香料0.28ミリリットル(シトロン、オレンジ、レモン)…となっているんだそうで要は戦前は「軍用品」は「一般品」に比べて甘みが薄くてすっぱく、香りも廉価版であったのが、戦時下では砂糖の使用量自体が戦前より減ったものの「軍用品」の方が若干甘くなり、クエン酸と香料が等量になっているんですとか
No.12427そうだねx4
55131 B
「サイダー」の生産量は1942年で8万1500キロリットル、これは1926年の4.3倍に相当
するんだそうですが、この大部分は「軍用品」の需要増によるもので、陸海軍への年間納入量は最大で6万2500キロリットル、2合瓶にしておよそ1億7千本ほどになるんだそうでもっとも、例えば「三ツ矢サイダー」を生産していた西宮・川口・平野工場の内、西宮工場は1944年秋に住友金属工業へ貸し出され航空機用プロペラ工場に転換、川口工場では1942年4月頃から「火焔瓶」の製造が始まるなどして製造量は暫時減少しており、終戦時には殆ど「三ツ矢サイダー」の生産は停止していたそうです全国で見ても、1942年の最盛期に約500を数えた各社の「サイダー」工場は45年には200にまで減り、生産高も2138キロリットルにまで減少したとのことそれでも二合瓶で約600万本になる勘定ですが、或は吉田氏が「大和」艦上で飲んだサイダーも、そうした内の1本だったのかもしれないですなあ
No.12481そうだねx2サイダーというと坂井三郎氏の「大空のサムライ」を思い出すなあ
パイロットのレーションに炭酸飲料は向いていない気がするんだが・・・
No.12496そうだねx1欧米で供される水といったら炭酸水なように
殺菌力あって衛生的って点がわりと大きい
No.12499そうだねx3兵隊さんには安価なラムネの方が身近だったとか聞いたことがありますね
製品を運んでこなければならないサイダーと違って、現地で炭酸ガスとラ
ムネ製造機さえあれば、ビンを再利用して生産できるのも強みだったとか…
No.12576+書き込みをした人によって削除されました
No.12577+>サイダーというと坂井三郎氏の「大空のサムライ」を思い出すなあ
>パイロットのレーションに炭酸飲料は向いていない気がするんだが・・・

昔見た映画「冷戦燃ゆ」だったかな?でエースパイロットが敵機との空戦で急上昇急降下をしてその気圧差でサイダーが瓶から噴き出るシーンがあった覚えが・・・
No.12586+「加糖練乳」の発明で乳製品の長期保存が可能になったが、なにに使うのだろうか?「いちご」にかけるしか思いつかない。
No.12588そうだねx1大和の最期でも描写あったと思うが
各所にオスタップや水樽に入れて好きに飲めるよう備え付けた牛乳ってのは
コンデンスミルクや粉乳を水や湯で戻したものなんでないかな
生乳はとても保管できないし
No.12811+>一万石なら村を50支配して騎馬武者50人に従兵200人動員できるくらいですかね?
そう
幕末には、そんな一万石大名が300藩の半分くらいあった
戦国時代からの外様大名が潰される一方、7千石くらいの譜代大名の分家旗本が
加増を受けて1万石の大名になるケースがかなりあった

幕末に薩摩や長州が台頭したのは、これが原因
コメ以外にも密貿易や専売制で儲けていて、実際には百万石の経済力を持った両藩は
それに見合った強大な軍を組織できたわけで、これに抵抗できる藩は殆ど無かったわけだ
No.12820+まぁ、薩摩も長州も死ぬほど借金あったのを半ば踏み倒す形で
強引に清算してるんだけどな。
幕末の経済力はそれをやった藩とやってない藩の違いが大きい。
許さんぞ調所広郷@踏み倒された大阪商人の末裔。
No.13481+>「加糖練乳」の発明で乳製品の長期保存が可能になったが、なにに使うのだろうか?「いちご」にかけるしか思いつかない。
ダイレクトになめたり紅茶に入れたりするスイーツと甘味料を兼ねるイメージ。
明治31年に起こった実話をもとにした「無人島に生きる十六人」って本だと座礁沈没した船から
真っ先に練乳缶を引き上げてる描写がある。
また紅茶に入れるのはイギリス軍だとそれのスラングもあったはず、
タイトル失念してしまったけど亡命ポーランド人部隊が練乳のたっぷり入った「軍隊紅茶」に喜ぶ
話が載ってる本を読んだことある
No.13493そうだねx1登山の本読むと
非常食として練乳(チューブタイプ)が薦められてる