ニュース表8@2021年01月ふたば保管庫 [戻る]

「私怨フェミニズム」の呪縛にかかった普通の女たちName名無し20/12/30(水)21:16:12 IP:111.108.*(enabler.ne.jp)No.3871613+ 10日16:52頃消えます ■私怨/昭和フェミニズム

共同親権運動を推し進めている人たちから時々聞くのだが、単独親権の思想的背景であるフェミニズムを「敵」に回すことは運動としては得策ではないらしい。

僕は自称フェミニストで、マイフェイバリット論文はスピヴァクの「サバルタンは語ることができるか」(みすず書房)なのだが、この1年ばかりは「私怨/昭和フェミニズム」を批判してきた。

それはこのエッセイ(「私怨フェミニズム」の罪)でも表現した。ここでのこんな一文は、従来の「私怨/昭和フェミニズム」がいかに真の当事者(サバルタン)である子どもの声を隠蔽し、その思想自体が新たなマイノリティ問題(子どもの連れ去りや虚偽DV)を産み出すかを訴えようとしている。
No.3871614+私怨/昭和フェミニズム(これに関してはこの記事も参照〈 母権優先-昭和フェミニズム-単独親権司法〉権力)は、令和の時代、さまざまな悪影響を多方面に及ぼしていると僕は感じる。

だが、ある意味こうした「正論」を展開することは、たとえば共同親権という具体的なムーブメントを継続していく時、まったく得策ではないらしい。

■普通の女たち

それは、どんな理由であれ(たとえば共同親権の法制化運動)、その運動の「敵」として(私怨/昭和)フェミニズムを対立させてしまうと、なんといえばいいのだろう、その私怨/昭和フェミニズムの呪縛にかかった多くの女たちからその運動が排斥されてしまうのだ。

排斥までいかなくても、「無言の警戒」のような壁を、その運動(たとえば共同親権の法制化運動)につくられてしまう。

そうした動きは僕もよくわかる。僕もここ1年以上共同親権運動に深く関わってきたが、この「無言の警戒」のような壁に何度か当たってきた。
No.3871616+僕としては、長らく勉強してきた「臨床哲学」あるいは哲学の方法論に従い、既存の価値を「カッコに入れた」だけなのだが、そこには私怨/昭和フェミニズムの大きく高い壁があった(具体的には単独親権派が持つ権力による反発)。

だがその古くてリジッドな私怨/昭和フェミニズムだけならまだマシだった。

そこには、その古くてリジッドな思想に囚われた普通の女たちの存在があった。

■「私は生きづらい」

社会保障費など含め大きく見積もって8兆円、小さく見ても数兆円は硬い女性関連の予算の思想的背景として、私怨/昭和フェミニズムは存在する。上の引用にもあるように、それは立派な「権力」だ。

だが、その「権力になった」という事実よりも、身の回りに散見される女性差別に、普通の女たちは苦しんでいる。

https://blogos.com/article/507216/