ニュース表9@2021年01月ふたば保管庫 [戻る]

ISを倒したスナイパーが説く驚愕の男女平等Name名無し20/12/30(水)20:10:38 IP:111.108.*(enabler.ne.jp)No.3871540+ 10日15:46頃消えます 勢古浩爾 評論家、エッセイスト

 現在、「男らしさ」を主張する風潮は廃れている。中年が「男は」「女は」といいだすと、「そういう言い方はもうしないほうがいいですよ」と若者から諭されてしまう(そういうかれらに人気なのは、もっと胡乱な「自分らしさ」である)。

 たしかに「男にする」だの「男になる」だの「それでも男か」と、なにかにつけやたら「男」を連発する者は、ろくでもないやつが多い。そのような「男らしさ」は自分を律するものではなく、他人を思い通りの型にはめようとするものだからである。「男らしさ」が他人への要求・命令・禁止として使われるとき、そのほとんどはすべて「有害な男らしさ」となる。

 だからといって、男と女が画一的になれるわけでもない。やはり違いはあるのだ。一番の違いは、身体的な大きさと強さである。だから単純にいってしまえば、「男らしさ」とは「剛(つよ)さ」であり、「女らしさ」は「柔らかさ」であるといっていい。ただし「剛さ」は粗暴な強さではないし、「柔らかさ」とは従順な弱さではない。そこには歴史と文明による精神的なものが入っている。
No.3871541+ そして男女は相対的なものだから、この「剛」と「柔」は陰陽マークのようにお互いを包摂しあっている。この「剛さ」がなければ父親への憧れはないし、この「柔らかさ」がなければ母親への思慕はない。

◎「有害な男らしさ」はなかなかなくならない

 はじめて知ったのだが、11月19日は「国際男性デー」ということになっているらしい。3月8日が国連主導の「国際女性デー」ということは知られている。しかしこちらの「国際男性デー」はトリニダード・トバゴが発祥らしく、素性が怪しいのだが、世界では米国・英国・日本・中国など36か国が参加している。また意味のないつまらないことをはじめやがって、と思うのだが、これに関連するネット記事を目にした。(男らしさが苦しくて 19日「国際男性デー」 「大黒柱」「仕事第一」…刷り込み重荷、中國新聞デジタル、2020/11/18)

 この記事には職場や学校や家庭で「男らしさ」を押し付けられて生きることの息苦しさが、例を引いて取りあげられている。
No.3871542+「『男らしさ・女らしさ』という考えは社会が作り出す性差だ。無意識な『刷り込み』や『押し付け』」はあちこちで存在する」。男ならいい大学を出とけ、男は泣くな、男はデートのときは女性におごるのが当然、そのくせ「いつもは男女平等を訴えている女性たちに、都合のいいときだけ「男らしさ」を求められることに納得がいかない」などである。

 最近よく聞くことばかりである。わたしも刷り込まれていて「男は泣くんじゃない」とは思う。だからといって、男だって泣いていいんだよとか、苦しいときは苦しいといっていいんだよ、という人間がいると、うるせえ、と思う。なんの資格があって許可しているのか。そういわれて、楽になりました、という男はいるのか。もし嫌な「男らしさ」があるのなら、自分で考え、自分で解体すればいいだけの話だ。

「有害な男らしさ」は、同性に向かうときは「パワハラ」となり、女性に向かうときは「セクハラ」となり、自分に向かうときは自己嫌悪となる。戦後70年、その弊害がいわれてきたが、しかしこの「有害な男らしさ」がなくなることはない。
No.3871544+バカな親や少年スポーツのバカなコーチから、その「有害さ」はむしろ「いいこと」として伝承されるからである。もう「男の中の男」などいない。だからわたしは自分の語彙のなかから「男らしさ」を駆逐する。

◎1800人のIS兵士を5人で仕留めた

 わたしは中国に弾圧されているウイグル族やチベットに関心があるが、イラクやトルコに弾圧されてきたクルド人にも関心がある。かつてはあれほどの勢力を誇り、残虐行為をほしいままにしてきたIS(「イスラム国」)は、ほぼ崩壊した。かれらを撃退した勢力にクルド人部隊がある。なかでも自動小銃をもって男と同じように闘う女性兵士たちに、わたしは瞠目した。カメラに映る彼女たちは明るかったのだ。

https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/63469