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「韓国軍は無礼を通り越していた」前自衛隊トップが明かす“安倍総理にお仕えした4年半”激動の舞台裏Name名無し20/12/26(土)18:30:29No.1927495+
1月22日頃消えます 第二次安倍政権期間中に統合幕僚長だった河野氏へのインタビューを韓国絡みのみ書き抜き

■ 「日韓新時代の幕開け」を感じた瞬間

――統合幕僚長の在任中は、特に日韓問題が浮上することが多かったと思います。国際観艦式での旭日旗拒否問題や、韓国海軍によるレーダー照射問題などもありましたが、韓国との関係についてはどのように見ていらっしゃいましたか。

河野 そもそも私が自衛隊に入った70年代後半から80年代にかけて、韓国側が歴史問題を強調していた影響で、日韓の防衛交流のハードルはものすごく高かったんです。それが90年代ぐらいから、とくに韓国海軍と海上自衛隊の防衛交流が始まりだした。今から振り返ってみると、日本の海上自衛隊はP3Cとかイージス艦、潜水艦を持っているじゃないですか。当時の韓国海軍は、まさにそれらを導入しようとしていた時期なんですよ。だから、そういうノウハウを教えてもらおうというのが動機として、韓国側にはあったんだと思うんです。
No.1927496+ そして1996年に、日本の練習艦隊が初めて、自衛艦旗をひるがえして韓国に入りました。これがもう、大歓迎されて。そのときに、あぁ、これは日韓新時代の幕開けだと。時代は変わったなと思って、非常に明るい未来を見たんです。でも、それがまた最近、文在寅さんもそうですけど、竹島に上陸された李明博さんの頃から、逆戻りしてきましたね。

 そういう流れの中でまず起きたのが、自衛艦旗拒否問題なんです。これは済州島で国際観艦式をやると招待状が来て、日本も韓国との関係は大事だからということで、自衛艦を派遣しようとしたんです。それでまさに出発する直前に、端的に言えば「自衛艦旗を揚げるな」と、こう来たんですよ。

■ 「韓国軍に対してものすごく不信感を持ちました」

――軍旗に関して、河野さんは「私は仮に北朝鮮軍の旗であっても尊重する」と仰っていますね。
No.1927497+河野 北朝鮮軍の軍旗も尊重しますし、韓国軍の軍旗も尊重します。これがマナーです。常識なんです。これを降ろしてこいなんて言ってきたわけですから、こんなことは断じて受け入れられないんですよ。これはね、われわれの世界の感覚からいうと、もう無礼を通り越しているわけです。

 軍というのは国益を担って、ある場面ではお互いに戦う。ただ、そこいらの喧嘩とは違って、別に軍同士が憎しみ合って戦うわけじゃないんです。お互いに国益を担っている、大いなる使命を担っているという共有感がある。だから軍同士は互いに尊重し合うわけですよ。それを象徴しているのが旗であり、軍はお互い旗の下に戦うわけなんです。だから、相手の軍旗を尊重するというのは軍における常識であり、紳士協定であり、マナーです。おそらく、文在寅政権の青瓦台がこんな指示を出したんだと思いますけどね。

――さすがに海軍軍人が考えたことではないだろうと。

河野 そう思います。しかし結果として、軍もそれに従ったわけですよね。体を張って止めていないわけです。こんな非常識なことをね。だから私は正直申し上げて、韓国軍に対してものすごく不信感を持ちましたね。
No.1927500+■ 石破茂氏の対応に「全身の力が抜けた」理由

――そして河野さんのキャリアの中でぜひ伺いたいのが、「あたご」事件についてです。2008年2月にイージス艦「あたご」が漁船と衝突し、漁船は沈没。船長ら2名が亡くなりました。当時、海上幕僚監部の防衛部長だった河野さんはマスコミ対応も担当されていましたが、事件後に更迭されています(5年後、刑事裁判ではあたご側の無罪が確定)。

河野 そうですね。

――本の中では、そのときの防衛大臣の対応に「全身の力が抜けた」と書かれていますが、当時は石破茂さんですよね。石破さんというと、一般には軍事マニアで安全保障に理解がある方だと見られていますけれども、河野さんはちょっと違うご見解をお持ちなのかなと思いました。
No.1927502+河野 あの事故が起こった直後に、幹部が全員大臣室に呼び集められて、「とにかく説明責任を果たせ」と言われたんです。なので、たとえば上級司令部の護衛艦隊幕僚長を現場に行かせて、どんどん情報を上げさせたりしたんですよね。その一環として、時の上層部が現場の航海長をこちらに呼ぼうと判断した。そのことを事前に石破さんが知っていたかどうか、私はわかりません。知っていたと言う人はいますが……。ともかく、航海長を呼ぶということは、彼から大臣に直接説明させるということです。

 ただ、いきなり大臣というわけにもいかないから、まずはお前が聞けと言われて、私が航海長から話を聞いたんです。それから大臣室に行かせたんですよ。私は大臣室に行ってないので、中でどういう話になっていたのかはわからないですが。

――そのことが、のちに問題になりました。
No.1927504+河野 考えてみれば、それはそうですよね。航海長は事故の、ある意味被疑者になるわけです。それを現場から、捜査機関である海上保安庁の了解もなく呼んできて話を聞いているわけですから。ただ、当時現場にいた私としては、石破さんが強く「説明責任を果たせ」と仰っていたので、そのための判断なのかなと、特に違和感は覚えなかったんですが。

 ただ、このことは国会でも大問題になりまして。そこで「なぜ航海長に会ったのか」と聞かれた石破さんは、「海幕が航海長から事情を聴いていると聞き、隠蔽が疑われるといけないので、自分が航海長から直接話を聞いた」とお答えになったんです。私としては非常に寂しかったですよね。

■ 今も自衛官から人気がないのは事実

――石破さんが大臣だったときは、安全保障に詳しいから助かったというような経験もあまりなかったですか?
No.1927505+河野 総裁選挙のときも、石破さんは自衛官から人気がなくて、嫌われているというようなことが、よくマスコミに出ていましたよね。あれはやっぱり、事実としてあるんですよ。その一つはこのときの対応ですし、イラク派遣のときもいろいろあったみたいです。私はそのとき中央にいなかったのでわからないですけど。

「あたご」のときもはっきり言って、白旗をすぐに上げられたわけです。原因がまだわからないにもかかわらず、ともかく自分は遺族の方のところへ行って、艦長、海幕長も謝罪に行かせて、福田総理まで行ってるんです。でも、まだ原因がわかっていないわけですから。もちろん亡くなられたことに対して、お悔やみは絶対申し上げなきゃいけないと思いますが、まだ謝罪という段階ではないと思うんですよ。

 そうした状況だったにもかかわらず、謝罪をされたことによって、石破さんは遺族の方々にとってのスターになってしまった。ただ、われわれから見ると、大将と思っていた方が白旗を上げるどころか、向こうの大将になっちゃったという印象で。置き去りにされたという感じはありました。
No.1927506+文春 https://news.livedoor.com/article/detail/19443948/

長くなってしまった、申し訳ない。