…No.3843551+個人的に『本当かどうかが確認できない状態、朝鮮人が虐殺されたというのはかなりセンセーショナルな話だったはずなのに、関連報道そのものが禁じられていなかった』のが印象的でした。ちなみに、海外の団体というのは、ハワイの「国民会」で、朝鮮人虐殺を米国に調べてほしいと要請しているとか。彼らが主張する死亡者数は500人でした(1923年11月29日東亜日報)。 そんな中、東亜日報の特派員イ・サンヒョプ氏が、1923年9月30日、千葉県にある朝鮮人収容施設を訪れ取材した記事がありましたので、紹介します。施設には朝鮮人だけでなく中国人も1691人が収容されており、当時の日本は戒厳状態だったようで、訪問には戒厳司令部の許可が必要だった、となっています。 <東京付近で朝鮮人をもっとも多く収容しているとことは、千葉県下習志野である。私(特派員)は東京に到着した次の日からここを訪問するためにいろんな関係官庁に交渉してみたがうまくいかず困っていたところ、19日になってからやっと、戒厳司令部の将校と同行することで、心配も多く嬉しさも多い道を自動車で二時間半走り、目的地に到着できた。 |
…No.3843552+習志野は東京から80里(※朝鮮の里は日本とは長さが違います)離れたところであり、騎兵旅団の所在地であり、兵隊の練習場がある。朝鮮の人たちを収容しているのは、九州大戦のときに青島で捕虜にしたドイツの砲兵たちがいた居所と、東京から軍隊が練習にきて使っていたが古くて今は使っていない居所の二ヶ所であり、収容されている朝鮮の人は3024人で学生が約170人、それ以外はほとんどが労働者で女子も60人はいて、子供も少なくないし、側には中国人労働者も1691人がいるという。 所長である内富少佐からおおまかに説明を聞いた。最初は、一気に大勢の人々が押し寄せてきて、食糧ほかいろいろ実に困難であったが、様々な形で周旋し、食糧も一日に1人米2ホプ(※ホプ、홉は日本で言う『合』で、約180mlです)、麦2ホプずつ与え、やっとの思いでご飯を入れる茶碗も用意でき、今日からは初めてお湯を与え、汁にして食べるようにしたといい、ご飯を炊いて分配したり清潔・掃除などは収容されている人たちでやるようにしてあり、18日からは外で運動することも許可したという。 https://sincereleeblog.com/2020/11/01/19230930/ |