軍裏3@2020年09月ふたば保管庫 [戻る]


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Name名無し20/08/04(火)14:25:01 IP:110.2.*(yournet.ne.jp)No.510488+
9月22日頃消えます 映画 駆逐艦 雪風

輝かしい日本連合艦隊の一翼を担って七つの海で活躍し、“奇跡の駆逐艦”、“幸運の軍艦”といわれた「雪風」。この船の生涯を、長門勇演じる、この船を愛し続けた素朴な一水兵の目を通して、鋭才・山田達雄監督が描く感動巨編。製作に当たっては防衛庁が全面的に協力し、戦闘シーンでは実戦さながらの迫力あるシーンを再現している。

スカパー衛星劇場
10日(月) 前 8:45 、 19日(水) 深 3:15 、 25日(火) 後 6:00
No.510489そうだねx1
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幻の蔵出し映画
初見なので面白そうだ
No.510490そうだねx1この頃の岩下志麻は
ガチで可愛い
No.510502そうだねx1
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戦争中実際に「雪風」に乗っていた大西喬さんという方の手記に、戦後制作のこの映画の話
も出てくるんですが、「私の手元に、松竹株式会社宣伝部からの手紙と、映画の脚本が残っている(略)読んでみて、あまりにも、初歩的な間違いの多いのに驚いた」「一例をあげれば、戦闘配食の場面がでてくるのだが、はげしい交戦中に、主計兵が握り飯を配ってきて、それを食べながら、機銃の射撃を行っているシーンなど、実際問題として考えられないことである」「戦闘配食というのは(略)配置についたまま食べる握り飯などの簡単な食事の事で、映画のように、戦いながら食事ができるわけがないのだ」
No.510503そうだねx1
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「主演の長門勇は一等主計兵という設定であったが、これを一水と呼んでいた。主計兵だか
ら一主というべきだ。また、この主計兵が機銃を射撃したり、砲塔の掃除をしたりしているが、考えられないことである」「また、海軍にない号令詞を多く使用していたし、艦長がみずから舵をにぎり操艦するなど、かぞえ上げればきりがない。いくら映画だといっても、事実に反したことが多いと、つい文句のひとつも言いたくなってくる」…なんて書かれておりましたり元乗組員にとっては違和感のある出来栄えだったようなんですが、昭和39年制作、戦後まだ20年は経っておらず、もとカイグンさんの生き残りもまだまだ多かったと思われるんですが、それでもキチンとした考証は、すでに難しかったんでしょかね…?
No.510507+「雪風」を演じたのは「ゆきかぜ」だっけか
No.510508+スレ画辛坊治郎?
No.510510+主演が長門さんか、いやなんでもないです

>それでもキチンとした考証は、すでに難しかったんでしょかね…?
あふれるユーモア、胸を打つ感動!
とかの煽り文句がほんわかと地雷臭(海軍なので機雷臭か)の香りが漂います
No.510512+職場に雪風さんがいたな
由来を聞いてみたかったけど転勤してしまった
No.510513+
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考証が大雑把なのは史実に基いた娯楽作品ゆえか
まだ当時の艦長も存命だったのに惜しい部分かも。そして開戦当時に艦長だった人の肉声発掘鹿児島海軍航空隊歌 飛田健二郎大佐戦後25年目の訓示入りhttps://www.youtube.com/watch?v=weY6XErmz3E
No.510514そうだねx6警察が現存してても西部警察はうまれるのだ・・・
No.510518+むかーし昔、ビデオで見たけど今二つだったな。。。
海軍出身だと松林宗惠さんの作品が「元本物(海軍陸戦隊)」のこだわりの演出を見られるけど、他に海軍出身の監督さんって居たんですかね?
役者さんは居ますが監督さんはあまり聞いたことないな・・
No.510525+でもこの映画が出来た頃ってまだ軍オタもそういないだろうし、軍好き者も雪風の物語なんてあまり知らなかったんじゃないのかな?
昭和39年といえば忍者部隊月光や0戦はやとが放映してた時だからね
設定の間違いを指摘するには酷ってもんかもよ
それらのテレビは子供時代に見てたけど当時は雪風なんて存在自体を知らなかったからね
No.510527+>役者さんは居ますが監督さんはあまり聞いたことないな・・
軍歴というと東宝でクレイジーキャッツ映画を撮ってた古澤憲吾監督が陸軍空挺部隊出身だったそうだけど海軍出身の監督は確かに聞いたことない
No.510528+雪風の歴戦物語は小説で読んだけど、歴代の艦長の中には、戦闘時に艦長が艦橋の天井から頭を出して、敵の投弾に合わせて操舵手の肩を右、左と足で蹴っ飛ばして爆弾を避けていたとか
そんなことを本当にやっていたのかどうかは定かではないが
No.510624+>>役者さんは居ますが監督さんはあまり聞いたことないな・・
>海軍出身の監督は確かに聞いたことない
連合艦隊の監督さんが予備学生だったような
No.510625+>古澤憲吾監督
海軍の青島要塞とか撮っていますが、「パレさん」的には陸軍ものの映画を撮りたかったでしょうね
結構面白い映画になっただろうに機会が訪れなくて残念

>連合艦隊の監督さんが予備学生だったような
だから・・その監督さんが海軍陸戦隊の松林さんなんですよ・・・・
No.510627+確か終戦まで軽微な被害で迎えて台湾に煎じ賠償で取られたんだったか
No.510637そうだねx2
12955 B
>艦長が艦橋の天井から頭を出して、敵の投弾に合わせて操舵手の肩を右、左と足で蹴っ飛
>ばして爆弾を避けていたとかスレ題の映画が公開されて間もなく発行された、雑誌「丸」の昭和41年1月号に、昭和20年4月7日の沖縄水上特攻時に、「雪風」艦長だった寺内正道さんの回想記が掲載されているんですが、「私は、艦橋天蓋の上に、ねじり鉢巻きの頭をつきだして、上空を乱舞する敵機を睨みつけていた。乗員の士気は大いに上がっているが、空をおおいつくすかのようなこの大編隊に、すこしでも気後れしたような様子を見せてはならない」「雪風の周辺にも、何十個の爆弾が落ちたか数え切れなかった」「火薬に染まった水柱が、雪風の上に滝のようにそそがれ、天蓋からぬっと首を突き出した私の顔は、このとき、真っ黒に濡れて、眼だけが、らんらんと輝いていたらしい」
No.510639そうだねx2
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「私は、真下にいる航海長の肩に両足をのせ、足をふんでは、操舵を命じていた。こうしな
いと、敵機の爆音と、爆弾の絶えまない落下音と、機銃の発射音の中に、操舵を命ずる声がかき消されて、寸秒を争う操舵を確実に処理できなかったからだ」…なんて状況だったそうです個人的には、艦長が直接舵をにぎるより、こちらの方が絵になると思うんですが…w因みにこの手記の最後は、当時台湾にあった「雪風」の返還が決まったニュース(当時)について触れて、「戦後20年(略)正しい日本の姿をわすれたような」日本にとっては是非必要な記念艦であるとして、その返還を心待ちにしている、と〆られておりましたりその後、結局「雪風」が日本に帰れなかった事を知っている今読むとちょっと切ないんですが、この時日本に戻れてていたなら、或いは「ホンモノ」の雪風の「主演映画」なんてのも、撮られていたかもしれないですなあ
No.510645+この映画が出た、1964年って調べてみると、雪風はまだ台湾で旗艦をやっていた!
すげーw
No.510660+そこまで深く考えて作ったわけじゃないだけでは
No.510661そうだねx1
38804 B
しれぇ!
http://military2013.blog.jp/archives/26211909.html
No.510662+あれ?雪風に山口多門が乗ってるぞ?
しかも水兵じゃないか
お忍びなのかな・・?
No.510663+
35400 B
本文無し