軍裏3@2020年09月ふたば保管庫 [戻る]


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Name名無し20/07/24(金)02:09:46 IP:240f:ca.*(ipv6)No.509918そうだねx2
11日07:03頃消えます グロスター グラディエーターすれ 削除された記事が2件あります.見る
No.509919+
295528 B
本文無し

No.509920+
191545 B
本文無し

No.509921+
348259 B
本文無し

No.509922+
537506 B
本文無し

No.510002+
831529 B
シグルドリーヴァですか!?
すみません‥良くわかりません
No.510003+https://www.youtube.com/watch?v=2p0F4ocPav8
No.510045+初飛行の年だとメッサーMe109と1年違いなんだなこいつ…まさかこれでやり合う事になるとは
No.510196+戦間期じゃ売れっ子なのに
ww2開幕じゃやられメカになっちゃう悲しみ
No.510215+キャノピー後部からのラインがハリケーンすなあ
No.510281そうだねx2
102419 B
IJNでは大正10年に、航空部隊育成のためにエゲレスからセンピル大佐率いる教育
団を招いて教えを請うているんですが、その教育団が帰国して十数年後の昭和13年、折からの支那事変の最中、第4航空戦隊の95式水偵12機が、中国大陸上空で中国空軍の英国製「グラディエイター」戦闘機12機と交戦、2機の損害で「グラディエイター」9機を撃墜したと報告しているんですとかたまたまその翌年、センピル=サンの教え子であった前原謙治海軍中将が渡英した際、この話を直接センピル=サンに伝えた所、一応仮にも英国製の戦闘機を日本機がボコボコにした話を聞かされて、気を悪くするかもと思いきや、「俺が育てた日本海軍航空隊がこんなに立派になって、俺も鼻が高いよ(意訳)」…とゴキゲンそうだった、なんて話が残っているんだそうでw
No.510282そうだねx3
88038 B
一方、中国側から見たこの空戦の結果は逆転していて、当日日本水偵隊を迎え撃
った「グラディエイター」戦闘機隊は2機を失ったものの、水偵5機を撃墜して中国側の勝利に終わった、としておりましたり実際の損失を較べると2機対2機の五分だったわけですが、お互い運動性能がウリの複葉機同士の空中戦、さぞかし激しいドッグファイトが繰り広げられたんではないですかしら因みに、この空戦でも戦果を記録している中国軍パイロットのウォン・サン・スイ=サンなどは、その後も「グラディエイター」を駆って戦果を重ね、中国空軍においてというか、まだWW2の始まる前の時期において、「グラディエイター」乗りの中で初めて生まれたエースとして、名を残しているそうです…
No.510284+
522757 B
複座型もあったんだぜ〜(嘘)

No.510325+>複座型もあったんだぜ〜(嘘)
伯爵はスウェーデンで大人しくしていて下さい
No.510326そうだねx1
185225 B
なんでも持ってるフィンランド

No.510416そうだねx2
79039 B
中山雅洋氏の「北欧空戦史」ですと、フィンランド軍での「グラディエイター」は、
運動性は良いけれど鈍足で高速のソ連機に追いつけず、その機銃はソ連機の装甲板を抜けないのに、逆にソ連機に撃たれると防弾の弱い「グラディエイター」は「よく燃えるたき木のよう」にすぐ燃え上がり、多くの損害を出した…なんて散々な書かれようでしたね(棒)もっとも、そんな撃たれ弱いと評された「グラディエイター」でも、戦史を捲ってみればしぶとく戦って戦果を挙げたパイロットさんは幾人もおられたようでして、例えばWW2初期、ノルウェーに侵攻したドイツ軍と戦う為同地に派遣された「グラディエイター」装備のエゲレス空軍第263スコードロンの場合、2ヵ月に満たない戦闘期間の間に249回の出撃を行い、敵機26機を撃墜したと記録されているそうです
No.510417そうだねx2
99540 B
その263スコードロンのパイロットの一人に、ニュージーランド生まれのルイス・
レジナルド・ジャコブセン=サンという方がいらっしゃるんですが、ノルウェーで初陣を迎えたジャコブセン=サンは、1940年5月30日に地上攻撃でトラック2両を破壊して初の戦果を挙げた後、6月2日には哨戒飛行に出た所で、ドイツ空軍爆撃の編隊と激しい空戦に入ったんだそうで自身も被弾し翼間張線を切断され滑油を吹き、全弾を射ち尽くす奮戦の後帰還したジャコブセン=サンは確実撃墜2機、撃破2機の戦果を申告しているんですが、その後地上調査等で敵機の残骸が確認されるなどして、4機の確実撃墜が認められたそうです(Do215×1、He111×3)戦後の調査では更にこの日失われたJu52輸送機1機が、ジャコブセン=サンの戦果であった可能性もあるんだそうでして、その場合、ジャコブセン=サンは1回の戦闘で「グラディエイター・エース」の資格を達成した、稀有な存在であったことになりますですな
No.510418そうだねx2
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もっとも、この空戦から程ない6月7日には、戦勢利あらずして第263スコードロン
にはノルウェーからの撤退が命じられ、同隊の生き残った「グラディエイター」10機とそのパイロットさん達は空母「グローリアス」に着艦・収容され、ノルウェーを後にしているそうですその中にはジャコブセン=サンも含まれていたそうなんですが、周知の通り「グローリアス」は英国への帰途の途中、独巡洋戦艦「シャルンホルスト」及び「グナイゼナウ」により撃沈されており、その際ジャコブセン=サンも同艦と運命を共にしたため、結局氏の公認撃墜記録数は「4機」のままで終っておりますただ1回の空戦で非力な「グラディエイター」により敵機4機を連続撃墜、もしかしたら「エース」の条件さえも達成していたかもしれないジャコブセン=サン、生き残って英国に帰りついていたなら、さぞかしドイツ空軍にとっては厄介な相手になっていたんではないですかしら…
No.510435+戦闘機パイロットが空で死ねないのは本人的にはやっぱり無念だろうね
運も実力の内、と言えるケースでもないし・・・
No.510447+日本海軍のエースパイロットだった南郷茂章少佐も、最後の相手はグラジエイターだったといいますね
1機を撃墜したのち、墜落する敵機に衝突して巻き込まれる不運により戦死しているんですが、腕利き
のパイロットが思いもかけないことでやられちゃうことは各国で結構あるんでしょうね…
No.510560+書き込みをした人によって削除されました
No.510561そうだねx2
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RAFの戦闘機パイロットに、マーマデューク・トーマス・セント・ジョン・パトル
=サンという方がいらっしゃいまして、南アフリカ出身の”パット”=サンは、戦前の英本国空軍の募集に応じて入隊すると、「グラディエイター」装備の第80スコードロンに配属となり、胴体が派遣されたエジプトでWW2の勃発を迎えておられるそうです既に射撃の腕は隊内1との評判の持ち主であったそうなんですが、1940年8月4日のイタリア空軍機相手の初陣では機銃が故障するなどして苦戦、2機を撃墜したものの自身も被弾して落下傘降下を余儀なくされているとのこと食料も水もコンパスもなく、砂漠の中をあてずっぽうで夜通し歩き続けたものの、どうやらまるで見当違いの方角に歩いていたしいと気付き、力尽きて眠り込んでしまったところを、偶々通りがかった友軍の装甲車に発見されて、生還しているんですとか
No.510562+書き込みをした人によって削除されました
No.510564そうだねx2
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それでもその初陣から4日後の空戦では再び2機の撃墜を記録、その後80SQNがエジ
プトからギリシャに転進した後も戦果を重ねて、「ハリケーン」に乗り換えるまでに「グラディエイター」で記録した戦果は確実撃墜だけで15機に上りますが、内訳を見ると最も多いのがCR42戦闘機(10機)、続いてRo.37偵察機(2機)、後はBa.65爆撃機とSM81及びSM.79・3発爆撃機が1機ずつであったそうで4機種中上位2機種が「グラディエイター」と同じ複葉機で、相性は良かったんでしょうけれども、「グラディエイター」を操ってエースとなった方々の中では最多の戦果になるんですとかその後新たな愛機「ハリケーン」を駆るパット=サンは途中第30QQNの隊長に転属、ギリシャ上空で独伊空軍相手に戦果を重ね、最終的なスコアは約50機、非公式ながらエゲレス空軍内でも最高の数字に達したと推定されているそうです言わばそんな英国最高の戦闘機エースが戦果の3分の1近くをそれで挙げて、空戦の極意を掴んだ機体が、「グラディエイター」であった…という話になるんですかねえ…?
No.510600そうだねx11940年のマルタ島攻防戦の初頭、圧倒的少数のイギリス空軍守備部隊で、
たった3機のグラジエイターが大活躍した話がありましたね

それぞれに「Faith(信頼)」「Hope(希望)」「Charity(慈善)」というニック
ネームが付けられて、その勇敢な戦いぶりは地上部隊の士気にも大きな影響
を与えたと言われているそうです…
No.510609+>たった3機のグラジエイター
実際は後から来たハリケーンの方がやっぱり活躍しているみたいだけど、
そこは男のロマンだよね
後は3機の名前が、努力・友情・勝利とかだったら完璧だった(何が
No.510725そうだねx2
103248 B
WW2での独エースパイロットの一人、ヘルムート・レント=サンという方は、撃墜
記録110機中、102機が夜間戦闘によるものという、「夜戦エース」だそうなんですが、その1割に満たない8機の昼間撃墜戦果の中に、3機の「グラディエイター」が含まれているんですとかいずれも1940年のノルウェー作戦の最中に記録されたもので、1機目の「グラディエイター」は地元ノルウェー空軍機で、この機を撃墜した後、地上攻撃に移ったレント=サンは対空砲火に被弾、ノルウェーのフォルネブ飛行場に不時着を余儀なくされ、ノルウェー側と旋回機銃を構えての「降伏交渉」の最中に、同飛行場が独軍側に占領された為、捕虜になる側はたちまち逆転してしまった…なんて逸話もあったそうです「北欧空戦史」によると、当時ノルウェー空軍が保有していた「グラディエイター」は全軍で僅か9機、内7機がフォルネブ飛行場に展開していたそうなんですが、同日の空戦では1機の損害で独He111爆撃機4機を撃墜、7機を撃破となかなか奮闘しているんだそうで
No.510726そうだねx2
62924 B
もっとも、最後まで上空哨戒し続けていた数機は、基地に戻ろうとしたところが、
先述の通り飛行場が既に独軍に占領されているという急展開で、やむなく逃れて凍った湖に着陸を試みるも多くが失敗して大破するなど、結局レント=サンに撃墜されたと思しき1機を含め、奮戦空しくたった1日の戦闘で、ノルウェー空軍の「グラディエイター」隊はほぼ壊滅してしまったそうです一方、レント=サンが落とした残り2機の「グラディエイター」は、ノルウェー救援の為に派遣された英空軍の263SQNの所属機で、内1機は6月2日に先述のジャコブセン=サンと共に出撃したJ・L・ウィルキー=サンの乗機らしく、この時辛くも生き残ったジャコブセン=サンがその直後に4機連続撃墜を果すという「接点」もあったんですとかそして残る1機に搭乗していたのが、南アフリカ出身のシーザー・ハル=サンというパイロットであったんだそうで
No.510727そうだねx2
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ハル=サンはノルウェー派遣前、既に「ハリケーン」装備の43SQNで実戦を経験
しており、低翼単葉の「ハリケーン」から複葉の「グラディエイター」に乗り換えてのノルウェー戦となったわけですが、5月26日の戦闘ではHe111を1機とJu52を3機単独撃墜したとされており、実はジャコブセン=サンと同じ、「4機連続撃墜」の達成者であったりするんだそうで更に翌27日にJu87急降下爆撃機1機を撃墜、この時点で263SQNとして、また英国空軍の「グラディエイター」パイロットの中でも初めてのエースの座に達しているそうなんですが、直後にJu87隊の護衛に付いていたレント=サンの操縦するBf110の攻撃により被弾、負傷したハル=サンは落下傘降下を余儀なくされているそうです言わばレント=サンは、期せずして共に「4機連続撃墜」を達成した2人の「グラディエイター」パイロット2名双方と矛を交えたことになるみたいですな
No.510728そうだねx2
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但し、負傷したハル=サンが「サンダーランド」飛行艇で本国に無事後送されたの
に対し、レント=サンとの空戦を無事切り抜けたジャコブセン=サンの方は、独巡洋戦艦の砲撃で空母諸共戦死と、その後の運命は明暗が分かれてしまった訳で、ある意味ではハル=サンはレント=サンに撃墜されたことによって、命を救われた事というになるんでしょうか尤も、その後負傷が言えたハル=サンは「ハリケーン」装備の43SQN隊長として英国本土防空戦に参加するも、1940年9月の空戦で帰らぬ人になっておられるそうですまた、夜間戦闘機隊に転向して戦果を重ねたレント=サンの方も、1944年10月7日、乗機の故障により事故死されているんですとかハル=サンは1914年生まれ、レント=サンは1918年生まれですので、かつてノルウェー上空でまみえた二人は、共に26歳で、祖国に捧げた生涯を終えられていることになるようですねえ…