軍裏4@2020年09月ふたば保管庫 [戻る]


77236 B
軍隊の補給とごはんスレNameチャイスキー=サンの解説動画群20/07/20(月)17:38:16 IP:182.250.*(au-net.ne.jp)No.509776+
07日22:33頃消えます https://www.nicovideo.jp/watch/sm33403286
【雑学研究クラブ】缶詰のおはなし

https://www.nicovideo.jp/watch/sm35588488
【雑学研究クラブ】軍隊とごはん

https://www.nicovideo.jp/watch/sm35960291
【雑学研究クラブ】携行食の歴史

https://www.nicovideo.jp/watch/sm36516007
【雑学研究クラブ】兵士の弁当の歴史

https://www.nicovideo.jp/watch/sm37029274
【雑学研究クラブ】米軍弁当の歴史このスレは古いので、もうすぐ消えます。
削除された記事が4件あります.見る
No.509778+
54421 B
つまりこういう事・・?

No.509787そうだねx1
1151463 B
ロバの飼い葉問題って現代でも車両・航空機・船が消費する燃料がそれにあたるわけで。
つまり目的地が遠いほど、運ぶ量が多いほど、それだけ多くの輸送手段たるトラック・輸送機・船だけでは無く、そいつらが消費する燃料とそれを運ぶタンクローリーやタンカーの確保が.....
No.509790そうだねx2
362229 B
つまり、例のブラックバック作戦を立案実行したイギリスは
やっぱりド変態っと…
No.509813+>ロバの飼い葉問題
ロバや馬の飼い葉は嵩張るのが難点と聞いたことがある
ところでタンカー船も積荷の油や天然ガス燃やして走るらしいな
No.509814+積荷は荷主の所有物
窃盗に当たるのでは?
No.509815そうだねx1油はともかく天然ガスは勝手に逃げる分を燃料にしてなかった?
No.509819+書き込みをした人によって削除されました
No.509820+
431557 B
積み荷と燃料の勘定は別としても船を動かす油も安くないしなぁ。
そう考えると将来の輸送船や車両の省エネ化も重要になるかもしれない。
No.509830+>油はともかく天然ガスは勝手に逃げる分を燃料にしてなかった?
LNG船は気化した分のガスで焚くボイラー+蒸気タービン線が主流でしたが、最近はガス焚きディーゼルも多いです。
少なくとも外航の油タンカーは積み荷の油を燃料とすることは有り得ません。
油タンカーのエンジンは通常の舶用ディーゼルですが、この燃料は軽めの重油や重めの重油を加熱してエンジンに適した粘度に調整して使用します。
原油を直接燃料に使用することはないです。
No.509831+原油は脱硫しないと環境汚染になりますからね
No.509834+
188689 B
"貴重なたんぱく"が涌いた、小麦粉で造る焼きレンガを酒で流し込まなきゃいけない昔の船乗りは大変やなって。

No.509836+
77808 B
ちなみに軍隊堅パンで調べるとあくまで"風"ではあるが近いレシピもあるもよう。
https://cookpad.com/recipe/2998305軍隊堅パンについてはいつもの詳しい方に期待するとして(期待の眼差し)一応家にある材料だし作れそう。
No.509872+
471104 B
缶詰ってなんで缶切りがだいぶ後なんやって疑問だったが、
缶詰発明当時の缶はそもそも密封技術的に缶切りでどうこうできる薄さの缶じゃ無かったんだな。というか缶切りが噛めるリブが無いし。
No.509873+
59857 B
本文無し

No.509877+たがねとハンマーでガンガンやってるあいだに
食欲失せそうなんですがそれは
No.509881+おそらく缶切りの要領で大きめのノミと金槌で縁を叩いていくとか、注ぎ口のように口を作って開けられるぐらいの厚さだと思う。
缶詰発明当時の缶詰は今すぐに、どうしてもそれを開けて食べなきゃ死ぬ。
もしくは何がなんでもそれを開けて食べたい程の極限状況で消費するものらしいし。
No.509885+>缶切りでどうこうできる薄さの缶じゃ無かったんだな。
(戦場なら)そこに爆薬があるじゃろ?
No.509886+>>缶切りでどうこうできる薄さの缶じゃ無かったんだな。
>(戦場なら)そこに爆薬があるじゃろ?

昔、テレビで缶詰は銃で撃って開けていたって聞いたことがある。
No.509890そうだねx4
80336 B
S・シェパード=サンの「保存食品開発物語」に、「19世紀を通じて使われ続けた」
一般的なブリキ缶詰の製造法が出てくるんですが、曰く「缶は熟練工によって一つ一つ手作りされていた。1日に、二人がかりでたった120個しか製造できなかった。1枚のブリキ板を丸めて円筒形にし、端をハンダ付けして側面を作った。円筒の両端にぴったり合う大きさの(略)ブリキの円板が2枚あり、まずその内の1枚をハンダ付けして底面を作った」「食品を充填(略)蓋の円板を丁寧にハンダ付けした。この蓋には、直径半インチほどの孔が開いていて(略)この孔から、缶が一杯になるまで肉汁や塩汁を注いだ。この孔に、蒸気を逃がすための小さな通気口が開いたキャップをハンダ付けしてから、缶を熱湯に漬けて加熱(略)終わったら水を含ませた冷たいスポンジを通気口に押し当てて蒸気の漏れを止め、通気口を速やかに封印して缶を冷ました」
No.509891そうだねx3
211929 B
「缶を開けるのは一仕事だった(略)1840年代まで、缶詰には『鑿とハンマーを使って
開けること』という表示が付いていた。最初の家庭用缶切りは1860年代に作られた。雄牛の頭と尻尾をかたどった鋼鉄製の取っ手がついたデザインで、牛肉缶詰と一緒に売られていた(略)開缶はきつい肉体労働だった」「1849年、缶の底面と蓋を作る為の機械が発明された。この機械のおかげで、非熟練工2人で1日に1500個もの缶を製造することができるようになった。1865年ころには、従来より薄いブリキ板を使った、蓋に縁のついた缶が作られるようになった。蓋に縁がついたことによって、鑿とハンマーに替わる缶切りが開発されることになった」…んだそうで因みにアメリカのバヤイ、エゲレスから缶詰(当初は瓶詰)技術が伝えられたのが1817年ごろだそうなんですが、缶詰の普及というか需要の拡大に大きく影響したのが、1861年からの南北戦争であったそうです
No.509892そうだねx3
29658 B
南北両軍がレーションとして大量の各種缶詰を発注したことでギョーカイが急成長したの
みならず、戦後復員した兵隊さん達を通じて民間でも以降需要が大幅に伸びているんですとか一方缶の上部を一周しながら切っていくレバータイプの缶切りなんかも、1855年にはエゲレスで発明され、1858年に米国で発明されたタイプなんかは、南北戦争において「軍御用達」に採用されているんだそうでまた1866年には、前述のような薄い製缶技術の発展を背景に、缶切りを使わず、缶に付属する巻き取り式のオープナーで開缶する形式の缶詰が生れているとのこと(コンビーフ缶のアレですな)高価・不便でも利点があるならまず軍用に採用されて、利点が広まれば民間にも需要が生れ、需要が拡大すれば便利に改良が進む…色んなモノに当てはまるパターンですね、コレw
No.509898そうだねx2>水を含ませた冷たいスポンジを通気口に押し当てて蒸気の漏れを止め、
なんか雑菌が入りそうな工程ですね。
開けてみたら腐ってたなんてことも多かったんだろうな。
No.509908そうだねx2再現動画?
https://www.bbc.com/news/av/magazine-22093655/how-the-first-tin-cans-were-made
No.509941+ハンダの欠片も入っていそう・・・
No.509945+温度を保てば大丈夫でしょ
冷やすと吸っちゃうけど
No.509961+初期はたまに鉛中毒はあったらしい。
まあ、その場で飢え死ぬよりはマシ、と。
No.509964+
644553 B
19世紀のフランクリン遠征隊では1年半も流氷に閉ざされ缶詰を食べ続けた結果
深刻な鉛中毒が乗組員に蔓延した事が遺骨の調査で明らかになってますね
No.509968+くろがね堅パンアマゾンで買って食ったらうまかった。
届いた時点でほとんど割れてしまってるのだけど、レビューを見る限りそう言うもんらしい。
ちょっと値が張るのが難点か。
軍隊堅パンも食べたいのだけど、お土産用のメガネ型しか見つからなかったので、今度、福井まで行って探してみたい。
No.509969そうだねx4
130025 B
>フランクリン遠征隊
またまた「保存食品開発物語」からの引用になりますが、同書では同隊の隊員の死因について、「缶詰」が原因という見方には否定的でして、「隊員の遺体から鉛が検出されたという事実は、19世紀のヨーロッパの環境が高濃度の鉛によって汚染されていたことによっても説明が付く。例えば水道管は鉛製だったし、ビールを貯蔵するタンクの釉薬は鉛釉だったし、林檎酒やワインには酢酸鉛が含まれていたし、鉛釉を用いた食品容器からも鉛が溶け出していた(特に、レモン果汁や酢漬けなど、強酸性の食品を入れたときには著しかった)。これらはすべて、船乗りが日常的に摂取していた食品や飲料である(1830年には、フランス海軍で船内の水による鉛中毒が起きた)。」
No.509970そうだねx4
54867 B
「解剖された隊員3人は、いずれも早い時期に死亡している。当時、長期の探検旅行
においては、最初は缶詰などの保存食ではなく新鮮な食品から食べるのが慣例だった(略)鉛が体内に蓄積されるまではかなりの時間がかかる。鉛に汚染された(とされる)缶詰肉を数か月食べたくらいで、突然高濃度の鉛が体内に蓄積されるはずはないのである」「1810年に缶詰が初めて製造されて以来、鉛は缶のはんだ付けに使用されてきたが、中味の肉や野菜に溶けだした鉛はほんのわずかな量だった。これは、鉛よりもイオン化傾向の大きい錫と鉄が鉛の溶出を防いでいるためである。3人の隊員が鉛中毒を起こしていたかどうかはとにかくとして(略)その鉛は缶詰に由来するものではないだろう」…と、「缶詰犯人説」は冤罪、としておりましたり確かに頷ける推論ではあるんですが、ソレはソレで、当時の船乗りさんの食生活が危険なモノであった事自体は、変りがない気がしますですねえ…
No.509982+>隊員の遺体から鉛が検出されたという事実は、19世紀のヨーロッパの環境が高濃度の鉛によって汚染されていたことによっても説明が付く。例えば水道管は鉛製だったし、ビールを貯蔵するタンクの釉薬は鉛釉だったし、林檎酒やワインには酢酸
鉛が含まれていたし、鉛釉を用いた食品容器からも鉛が溶け出していた

実は今摂取している物の中でも将来毒性が確認されるものもあるんだろうなって
No.510009+ローマ人「鉛のカップで飲むワインおいちい!」
No.510014+
1231571 B
>https://www.nicovideo.jp/watch/sm37029274
MREのよくある評価で「下手な料理店より普通に美味しいものもある。」「普通に思っていたより美味しく食べられる。」が多くの評価だと思うけど、高ストレス環境&重労働のしんどい環境で連食させられるものが「思っていたより美味しく食べられるものもある。」ではつらいよね.....。>ローマ人「鉛のカップで飲むワインおいちい!」良薬は口に苦し(良薬とは言ってない)
No.510017+
287976 B
>再現動画?
>https://www.bbc.com/news/av/magazine-22093655/how-the-first-tin-cans-were-made頑丈な短期間の保存食や調理済み携行食を自作したい時に参考になりそう。はんだを使わなければ。
No.510041+>…と、「缶詰犯人説」は冤罪、としておりましたり
これ読んだ限りだと船乗り関係なく時代的に鉛中毒者が出てたって事ですよね
詳しくないからアレだけどそういう統計があるなら缶詰冤罪立証は容易いような
ただ「鉛」が犯人って部分は変わらんですね
No.510053+白粉(おしろい)の鉛使用が禁止されたのは昭和だし
No.510054そうだねx3
459708 B
19世紀のエゲレス海軍軍人で、ウィリアム・エドワード・パリー=サンという方が
おりまして、北極航路の開拓に業績を挙げた人として記録されているんですとかそしてこの方が1824年、北極海探検に出かける際、エゲレスの缶詰会社数社から、探検中の糧食として、肉や野菜、スープなど総計26トンにも及ぶ缶詰を買い付けて出発しているんですが、コレが極地探検における「缶詰利用」の嚆矢であったりもするんだそうでもっとも、この航海の際、パリー=サンのフネは途中で浮氷群の中に閉じ込められ、大量の缶詰他の装備を何とか氷上に下ろしたパリー=サンの目前で、そのまま船体は浮氷に押しつぶされて大破、探検自体は途上で失敗してしまっているそうです
No.510055そうだねx3
76404 B
一方、やはり英海軍軍人で、対ナポレオン戦争では有名な帆走戦列艦「ヴィクトリ
ー」を含む数隻の艦に乗って戦った歴戦の勇士で、ジョン・ロス=サンという方がいらっしゃるんですが、この方もやはり北極探検に情熱を燃やした一人で、自ら数回の北極探検の隊長を務めていたりするんだそうで1829年には、かつての乗艦と同じ「ヴィクトリー」という名の、当時の新鋭の蒸気外輪船で北極海に出かけているんですが、こちらの「ヴィクトリー」はトンだ名前負けというか、肝心の蒸気機関があっという間に故障、更に浮氷により身動きがとれなくなる中、蒸気機関に場所を取られて、糧食の貯蔵量が充分でなかった事まで判明する有様そんな八方ふさがりとなったジョン・ロス=サン一行のピンチを救ったのが、たまたま近くの島に、5年前、パリー=サンが放棄していった缶詰の山であったんですとか
No.510056+書き込みをした人によって削除されました
No.510057そうだねx3
1364530 B
「水と岩ばかりのこんな荒涼とした場所で、何でも揃う市場が見つかったのだ。ど
れもこれも、すぐ船積みできるよう準備されている。しかも、どれもみんな”タダ”だった」…と、ロス=サンは日記に喜びを記しているそうなんですが(棒)結論から言うと、その後氷海の中に閉じ込められた「ヴィクトリー」号の乗組員さん達は実に約4年半もの間、この缶詰の山(と現地で獲った野生動物の肉)を頼りに生き延びたのち、捕鯨船に救助されて生還しているんだそうでコレがフランクリン隊の遭難より十数年前のことだそうなんですが、この場合は缶詰は確実に隊員さん達の死神ではなく、救世主であったみたいですなまたかつてナポレオン=サンの海軍相手に激闘を繰り広げていた英軍人さんが、そのボニーの公募が由縁で開発された缶詰に、命を救われたというオハナシにもなるんでしょうか…w
No.510067そうだねx1
116393 B
>頑丈な短期間の保存食や調理済み携行食を自作したい時に参考になりそう。
考証や実験が目的じゃなく、保存食が目的ならお手軽な自作セットが普通にあるんだ画像の値段は缶の値段で製缶機は2万円だった
No.510068+やっぱ缶のへりを曲げる道具がちゃんとあるんや
No.510071そうだねx13食毎日缶詰で数年間暮らすのは辛そう

まあ、イギリス人なら平気なのかな(暴言
No.510074+書き込みをした人によって削除されました
No.510075そうだねx2缶シーマーの原理
■ 缶の秘密(その1)缶はどうやって密封されているんだろう?
https://safety.kirin.co.jp/yomimono/000094.html

動画
https://www.youtube.com/watch?time_continue=25&v=kWmRwsmNuVM
No.510099そうだねx4
42819 B
>イギリス人
エゲレス初の食品缶詰工場がロンドンに建設されたのが1813年だそうなんですが、この新しい保存食に大いに興味を示したのが英海軍であったそうで、まずは早速西インドの駐屯地の司令官から、熱帯での病院食としてサンプルの注文があり、この試験結果が良好だったこともあって、その後ロイヤルネイビーからの発注量は次第に増加していき、歴史家のリジー・コリンガム=サンによると、「工場を建ててからわずか5年後(略)金額にして5000ポンド相当のローストビーフや(略)味付きの茹でた牛肉、羊肉、仔牛肉、それにビーフ・ブイヨンや野菜スープの缶詰を供給していた」「海軍が得意客だったため(略)1830年に海軍の牛肉供給拠点だったアイルランドのコークに工場を移す(略)樽で塩漬けされる代わりに、アイルランドの牛はブリキ缶に詰められ(略)るようになった」
No.510100そうだねx3 56060 B「1831年、海軍本部は戦線に出ているすべての船が傷病兵に食べさせる医療用備蓄食料として缶詰肉を常備することを義務化し、1847年には通常兵の配給食料にも加えられた。一日おきの牛肉の日には缶詰肉が4分の3缶、缶詰のジャガイモか米が4分の1缶支給された」「海軍の食堂には特殊なてこの形をしたナイフが置かれ、それで缶が開けられるようになっていた。海兵たちの話言葉ではフランス語の『ブッフ・ブイイ(茹でた牛肉)』は『ブリー・ビーフ』に転じ、それが20世紀に入っても軍で使われ続けた」…という普及ぶりであったそうです尤も、一方でその味の方はあまり評判がよろしくなかったようで、「(※缶詰肉は)『網と紐』と呼ばれるようになった。これは、煮過ぎた牛肉が食欲を削ぐ『紐状の塊』になることが多かったからだ」
No.510102そうだねx4
505062 B
「小さな注入穴から缶の中に入れるために、肉を小片に切り分けなければならなか
ったことで、海兵たちは缶詰肉に『ファニー・アダムス』という不愉快なあだ名をつけた。これは、当時起こった殺人事件でバラバラに切り刻まれた8歳の少女の名前だった」…とのことで、どうも初期の缶詰レーションは技術の未熟から、エゲレス人でさえ食欲をそそられるシロモノではなかったようなんですが、更に1852年、当時の海軍用缶詰の納品業者の一つがコストダウンのため9ポンド・14ポンドという大容量缶を採用して納品した所、殺菌が行き届かずその大半が腐敗して廃棄されるという事件が起きて、一大スキャンダルとして英国の世論を騒がせたそうですおかげでその業者さんが海軍出禁になったのみならず、英国民間の消費者の間に深刻な「缶詰不信」が生れる悪影響が出たそうなんですが、イギリス人にさえ拒否される食べ物、まさにM・R・E(Meals Rejected by the Englishman)だった、ということなのですかしら…
No.510107+書き込みをした人によって削除されました
No.510116+細菌検査キットとかもない時代だしな
食中毒の危険を可能な限り取り除くなら肉がボロボロに
なるまで煮る業者はむしろ良心的と言える
(なお味
No.510117+フハッパイナップルのかんづめ!
て指の力で缶こじ開けたのは戦時下での品質問題だったのだろうか
No.510121そうだねx2あれは水木先生の火事場の馬鹿力だろう・・・
No.510136+■ 警視庁発 “一切道具を使わずに缶詰を開ける方法”に感動する…
https://sirabee.com/2020/03/28/20162287081/
No.510152+>フハッパイナップルのかんづめ!

その後軍では改良されピン一本抜くだけで3秒後には派手に飛び散るようになったという
No.510153+>その後軍では改良されピン一本抜くだけで3秒後には派手に飛び散るようになったという
レモンやらアップルとか、きっと天にも昇る美味しさなんだろうなって。
No.510178そうだねx3
117648 B
明治20年代後半から、日本陸軍でも牛肉の味付罐詰、所謂「大和煮」をレーショ
ンに採用しはじめるんですが、当時の陸軍史料を見ると屡々「不良缶詰」の報告が見受けられるんだそうでして、「特に牛肉缶詰には往々腐敗品を発見する等により、各隊の信用、大いに乏しき傾きあり(明治33年、第一師団戦用品検査報告より)」…なんて記述されているそうです「不良缶詰」の原因は諸所合ったと思われるんですが、明治36年に行なわれた第3師団での調査によれば、牛缶を木箱に入れて梱包する際、木蓋に打ち込んだ釘が中味の缶詰まで貫通してしまった為である、なんて結果が報告されておりましたり業者さんの不手際には違いないんですが、何となく、未だ缶詰という新しい製品の扱いに、みんなが不慣れであったのかもしれないですな
No.510179そうだねx3
573676 B
一方時代は進んで昭和14年、南米ブラジルの現地日系人向けの日本語新聞「日伯新
聞」に、日本で開発された「紙製缶詰」の記事が掲載されているそうです発明者橋本常隆氏と共に、「罐詰業界に一大光明」とハ紹介されているこの缶詰、上下の蓋のみは従来のブリキで製作し、本体は経木の骨組にセロファンと和紙で外側を覆い、特殊塗料を塗布したものだそうなんですが、記事によれば単なる金属缶の代用品ではなく、従来の缶詰の殺菌法であるものの種々の欠陥のある「蒸気殺菌」に変り、画期的な新殺菌法である「電気殺菌」に適した容器を模索していた際、偶々絶縁体である「紙」を本体とする案を着想したもので、結果として一石二鳥となったのだあ!なんて紹介されておりましたりこの「紙製缶詰」、藤田昌雄氏の「写真で見る海軍糧食史」などでも紹介されておりまして、そちらでは単に金属物資不足の中、代用品として開発されたとされておりますまず「電気殺菌」ありきでの紙缶なのか、蒸気殺菌できない代用品故に電気殺菌なのか、どちらが実際の事情に近いんですかねえ…?
No.510181+>レモンやらアップル
重巡愛宕がシンガポールに入港した際、たまには新鮮なフルーツを、
と南方のフルーツを大量に買い込んでフルーツポンチを作ったのを思い出した4
No.510197そうだねx1
150564 B
>正月料理といつても戦場では何も出来ない。それで、やはり糧秣廠でつくりた
>小判形の大きい缶詰につめられて、小さいけれどもびんと尾頭を張つた鯛の焼ものや艶やかな黒豆や、>うこん色の金とん、それに数の子、昆布巻、田作が一通り揃つてゐる。>これが一箇づゝ渡つた時の兵隊達の喜びやうは、大へんなものである。>野戦のお正月料理 陸軍糧秣本廠(昭一六・一・一)季節外れではありますが
No.510198+>大和煮
「のらくろ」で食べるシーンが美味そうなんだよね
醤油味の牛肉煮付けとか、実に日本らしい缶詰に
「大和煮」とはぴったりのネーミングだよね
No.510199そうだねx1
37239 B
>明治20年代後半から、日本陸軍でも牛肉の味付罐詰、所謂「大和煮」をレーションに採用しはじめるんですが、当時の陸軍史料を見ると屡々「不良缶詰」の報告が見受けられるんだそうでして、
その缶詰と関連するかは自信が持てませぬが、そういえばコンバットマガジン2006年10月号の記事を思い出しまして、今スキャンしてみました。
No.510200+
1493217 B
本文無し

No.510201+
1358046 B
本文無し

No.510202+
1348977 B
本文無し

No.510203+
1361103 B
元々外出自粛中に部屋を掃除していた時、見つけた束から合衆国海兵隊の歴史コラムをまとめようと集積していたのだが。
ふと思い出して探し始めたら、すぐに見つかって良かった。
No.510205そうだねx1缶詰といえば、ウラジーミル・プーチンに関する缶詰のアネクドートがあって。
>大統領選挙前、チュコト半島のチュクチ人のもとへモスクワから無償で人道援助物資が届けられた。中身は、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌、肉の缶詰だった。
>チュクチ人はラジオをつけた。プーチンが話していた。テレビをつけた。プーチンが出演していた。
>新聞を開いた。ページごとにプーチンの顔写真があった。雑誌を開いても――同じだった。
>チュクチ人は震え上がった。缶詰を開けるのが恐ろしかったのだ。
No.510216そうだねx4
36700 B
>No.510203
日清戦争用に日本が発注した牛缶の在庫を、約5年後の米スペイン戦争の米軍兵士に支給した話は、原書房の「ミリメシ☆ハンドブック」という本でも出てくるんですが、そちらでは缶詰は元のラベルが赤いペンキで塗りつぶされて、何のというか何時の缶詰か分からないようにされて支給された、なんて有りましたですな(棒因みに昭和15年に発行された「主計団記事」で、陸軍主計少将の鶴田義昭さんという方が、IJAにおける「牛缶」使用の事始めを語られておられるんですが、曰く「(※明治26年)私は海軍における牛肉缶詰の貯蔵及び新陳交換の方法等を紹介するよう命ぜられ(略)担当者に紹介して貰った。その主任官から懇切な指導を受けて復命した。これが基礎となり、陸軍でも牛肉缶詰を使用する発端になった」
No.510217そうだねx4
99294 B
「経理局では(略)各隊出師準備用(略)20日分を(略)調達貯蔵することとし(略)アメ
リカより購入することとなった」「そのため、わざわざ日本から醤油を、アメリカに送って、醤油煮染式として、これを大和煮と命名した」「その後夏季になって、某師団から缶詰肉が腐敗した模様で、動かすとゴボンゴボンと音がするとの報告があった」「他師団全部に照会した所、腐敗の徴候ありとするもの、無しとするもの相半ばして、押問答しているうちに、日清戦争となり、この問題は忘れられてしまった」
No.510218そうだねx4
86935 B
「後日判明したのは、各隊に配布したとき、缶詰の脂は固まっていたのが、夏季に
なり気温が高くなり、脂汁が溶けて、ゴボンゴボン音を発したものだということで笑い話になったことである」…とのことこちらの「腐敗缶詰」は笑い話で済んだわけですが、実際、明治27年(1894年)から翌28年の日清戦争用に造られた「大和煮」が、1898年のスペイン戦争でもアメリカのヘイタイさん達に美味しく頂かれたというなら、一応5年近い保存に耐えたことにはなるわけで、梱包の際、釘で穴を開けられるような事故はともかく、製品としてはそれなりにちゃんとしたモノに仕上がっていた、と言う事なのですかしらん
No.510227+
352394 B
本文無し

No.510228+
598824 B
>No.510179
戦時中に開発された代用ドラム缶と同じ構造だ
No.510245そうだねx1>牛缶
缶詰の事情一つとっても、やはり各国のお国柄は出ますよね
その国の軍隊にしかない、という製品も色々有りそうです…
No.510287そうだねx4
72283 B
1941年に北アフリカの砂漠でエゲレス陸軍歩兵として戦っていたR・L・クリンプ=
サンという方の回想記に、当時の食生活の模様が克明に記載されているそうなんですが、砂漠に陽の落ちる夕暮れ時、当番の兵隊さんが隊本部に受け取りに行く配給の内容は、6人編成の班に対し「牛肉の缶詰4個、牛乳の缶詰1個、チーズの缶詰1個、オレンジ1人あたり1個」…が基本であったそうです「ブリー・ビーフ」と呼ばれる牛肉の缶詰は南米ウルグアイの缶詰工場から来たコンビーフ缶で、生肉が支給されることはほぼなかったものの、それでも毎回補給担当の軍曹サンには、「何だよ、新鮮な肉は無しか?」というのがアイサツになっていたほか、軍曹が出し惜しみする魚の缶詰についても、「少々失礼な発言が聞かれた」とのこと
No.510289そうだねx3
79394 B
通称「クラウツ・スペシャル」と呼ばれる乾パンは28ポンド入りの缶に詰められ
て、英本国のビスケット製造の老舗「カーズ・オブ・カーライル」社で製造されアフリカまで送られてきたもので、それにつけるマーガリンとジャムは7ポンドの缶入り(イチゴではなく、グズベリーが人気であったとか)それに各班マグカップ3分の1の紅茶の葉、砂糖、そして2ガロンの水が配られたそうなんですが、運が良ければ支給された「ジャガイモの缶詰」は何時も品薄で全班には行き渡らず、コイントスで勝った幸運な班に渡されたそうで、負けた班には現地エジプト産の黄色い生のサツマイモが支給されたものの、コレがエゲレス人兵士さん達にはとても不人気で、コイントスに敗れた組は「自分の不運を呪った」とのこと
No.510290そうだねx4
64566 B
その後エゲレス陸軍では不人気なサツマイモに代りジャガイモを十分支給すべく、
独自に野菜畑を造って、アフリカ人工兵さんに工作させた他、地元の農家さんに英国から種芋を運んできて提供し、収穫された芋の買い戻し価格を保証して栽培を奨励する、なんて事もやっているんだそうで種芋をカイロまで運んだ商船員のロイ・ベイリー=サンによると、腐敗防止の為換気に気を遣う厄介な積荷であったそうなんですが、おかげでエジプトの地でのジャガイモ栽培はそれなりに定着したようで、戦後には逆に本国イギリスの市場に、エジプト産のジャガイモが並ぶようにまでなったんですとかそして、そうしたエジプト産のジャガイモを英国のスーパーの店頭で見かける度に、ベイリー=サンは周囲の人に、必ずこう言っていたそうです「あれは、『俺の』ジャガイモの子孫だ!」
No.510300+缶詰も種類多くてサトイモまで缶詰になってたな
味は・・・だったらしいが
No.510322+以前のスレでお餅の缶詰とかもあったって紹介されてたね
もっとも、潜水艦なんかだと、何カ月か缶詰が続くと、そのうち何を食べても
同じ味にしか感じられなくなるそうだけど・・・
No.510335そうだねx1冷蔵技術がない時代だから、運んでる途中に腐る問題が割りとある
No.510361そうだねx1
68648 B
昔の塩鮭は常温保存食品

No.510368+いよぼや
No.510429そうだねx3
110269 B
IJNの主計将校さんだった瀬間喬さんが、潜水艦糧食について書かれておられる所
を引用させて頂くと「(潜水艦内生活では)缶詰でない自然の食品がむしょうに食べたくなる。新鮮な魚の刺身、シャリシャリした歯ごたえのある生野菜等が食べたくなる(略)缶詰を嫌う(後には缶臭が鼻につく)のは必ずしも兵員が農村、漁村の出身者が多かったからではないと思われる」「乗組員は潜水艦糧食としての御馳走の缶詰より、自然のままの生野菜、刺身、焼魚(略)が食べたかったのである。これらはもちろん望めぬことで、潜水艦乗組員に好まれたのはキリボシ大根を酢で調理したもの、オイルサーディンに酢をかけたもの」
No.510430そうだねx3
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「缶詰飯(赤飯)、稲荷寿司──缶詰稲荷寿司より、味付油揚の缶詰を使って、艦内
でで炊いた飯をつめた少しでも自然のものに近いものが好まれた」「肉類の缶詰よりむしろ魚の缶詰を調理することなく、各人が好む醤油とか酢醤油で食べる方を好んだ」「少しでも珍しい御馳走をと思って作られた鰻の蒲焼の缶詰もあまり好まれなかった。要するに缶詰は缶臭が鼻につき、肉でも魚でも天然のものと違って軟らかすぎて歯ごたえがなかったからである」「人工的に美しく色を付けた赤飯より、むしろ自然のままの小豆のゆで汁で色をつけた方がよかろうと(略)補給したら、電灯の光の下で見るとドス黒くて食欲をそそらなかったという例も聞いている」
No.510431そうだねx3
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「極端な言い方をすれば、いかなる御馳走も加熱殺菌という過程を経た缶詰である
限り、好まれなかったといった方がよいかもしれない」「缶詰の缶臭については遂に解決することができなかった(略)内面缶(缶詰の内側に塗料を塗ったもの)等も研究されたが解決できなかった」…そうですまあ考えてみれば、鋼鉄の艦内に閉じ込められっぱなしの潜水艦乗組員さん達の日常自体が缶詰にされているようなもの、「缶詰」同士の共食い生活は、やはり気が進まなかったのかも知れませn(
No.510444+ハワイ往復とか途中が四面海ばかりだと久し振りの島影の緑がものすごくまぶしく感じられたことがあるけど似たようなものだろうな
No.510451+容器は重くてかさばるし、丸い缶は梱包上デッドスペースが出来るし、貴重な金属資源も食うしで必ずしも効率的ではないんよね缶詰
それこそ最初は、ある程度コスト度外視の軍隊専用だったものが、今じゃごくありふれかえっているという
No.510460+>「缶詰の缶臭については遂に解決することができなかった(略)内面缶(缶詰の内側に
>塗料を塗ったもの)等も研究されたが解決できなかった」
逆に今の缶詰は缶の味がしない訳ですが何か解決方法があったんですかね
No.510461+コーティングもだけど、缶の素材自体改良が進んだんだろうね
(今じゃハンダなんて使わないし)
なにせ今どきはコンビーフも金属缶よりもプラのカップ容器がメジャーな時代やし
No.510462+>今じゃごくありふれかえっているという
そうかぁ?
レトルトとかパウチ系の方が増えて缶詰自体は軍民共に減ってるぞ
No.510465そうだねx3
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缶の臭い対策は缶内部のコーティングや
脱気(空気・酸素)や窒素封入などいろいろTHE MAKING (34)缶詰ができるまで(ツナ缶)https://www.youtube.com/watch?v=EDAPLFPy8U0THE MAKING (115)みかんの缶詰ができるまでhttps://www.youtube.com/watch?v=BslBHD8f5IgTHE MAKING (202)桃の缶詰ができるまでhttps://www.youtube.com/watch?v=pNWkgx20bik
No.510466そうだねx3
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民生ではレトルトのほか冷凍食品が台頭して
缶詰は押されている。(保存性の優位は変わらず)THE MAKING (301)イワシの缶詰ができるまでhttps://www.youtube.com/watch?v=WtlLYKb0byATHE MAKING (306)コンビーフの缶詰ができるまでhttps://www.youtube.com/watch?v=_2-JRrZGuNIおまけ「あの缶詰」ができるまでhttps://www.youtube.com/watch?v=GwVLaH-T4sk
No.510467そうだねx4
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日露戦争の際には、前線の兵隊さんに「缶詰」は大分お馴染みのレーションになっ
ていたそうなんですが、やがて両軍が塹壕に籠って対峙するようになると、牛缶や魚缶の空き缶に火薬を詰めた、急造手榴弾が両軍で使われるようにもなっていったんですとか廃品再利用リサイクルというわけですが、同様の例はその後欧州のWW1でも生まれて、「ジャム缶手榴弾」なる愛称で呼ばれたそうですwそしてこの手榴弾が効果的と分ると、花火の打上筒に着想を得て、金属製の擲弾を投射するための木製砲が現地製造され、「迫撃砲」と名付けられているんだそうでところが、この新兵器の為の金属砲弾の製作に取り掛かった時、現地の工兵隊にはあいにくハンダの手持ちがなく、急遽周辺の部隊に呼び掛けて糧食の空き缶を回収、そこから得たハンダにより、無事砲弾を生産した、なんて話が残っているそうです
No.510468そうだねx4
95685 B
一方、「大東亜戦争」も末期の頃の話だそうなんですが、段々物資も乏しくなって、
IJNでは糧食として愛用していたサイダーの生産すらままならなくなって来たため、福岡県の船小屋の天然炭酸水を採取して、沈殿物を除去する方法を研究して成功、砂糖を加えて「代用サイダー」の生産を始めたんだそうでところが折角の代用サイダーも、今度は王冠の原料にする金属が手に入らなくなり生産が滞ってしまったそうなんですが、憂慮した糧食関係者の方があちこち回って調べた所、乾パンの製造部門で、出荷の為ブリキ包装を行う際、小片が屑として出ることを突き止め、貰い受けてきて蓋の原料とすることが出来たそうですラベルもなく、ピカピカのブリキのままの手抜きの王冠は、栄光の帝国カイグンの糧食としてはやや寂寥の感を禁じえなかったようなんですが、今後ヘイタイさんのレーションから金属製品が消えて行くと、こうした逸話が生まれることも減って行くんでしょかねえ