モアイ1@2020年07月ふたば保管庫 [戻る]

Name名無し20/02/11(火)09:01:03No.62402+ 21年12月頃消えます 「共産主義」という目くらましの言葉

ロシア革命の真実

ソビエト赤軍はどういう連中だたのか
1Name名無し 20/02/19(水)21:19:48No.62425+ナチスドイツを滅ぼせたのは何よりソ連軍の功績がでかいというか
毒を以て毒を制す世界大戦だったという事だw
2Name名無し 20/02/19(水)23:22:06No.62426+>何よりソ連軍の功績
レンドリースやら頑張ったアメリカだと思うけど
3Name名無し 20/02/22(土)10:25:54No.62427+人を人とも思わない人海戦術の力技押し返したわけでして
本土と戦場が直接つながってる方が強いよ
4Name名無し 20/02/22(土)10:36:38No.62429+実のところアメリカを参戦させた日本の功績が最も大きい(チャーチル)
5Name名無し 20/02/22(土)11:06:37No.62433+フランス革命もそうだけど、いざ革命が起こり、どの程度の変化を望むかとなったとき、中間勢力は結局のところ一掃されてしまうことになるのかな?
ボルシェビキも革命当初は決して多数派ではなかった

ただそこからあと、組織自体が急進派をじゃんじゃん粛清して保守へと体質を変えて行けるかは、指導者の手腕に依りそう
ロベスピエールもそうだけど急進派が延びちゃうと内ゲバで終了する
6Name名無し 20/03/01(日)23:54:08No.62456+それではここで一曲
https://youtu.be/EDx6rsapKqE
7Name名無し 20/03/18(水)03:01:36No.63070そうだねx1ロシア革命は寄生虫の乗っ取り
そんなのを革命と呼ばされている

ソビエト赤軍はウクライナの寄生虫ユダ公だ
そのユダ公のロシア乗っ取りを
既にユダ公に乗っ取られた各国が支援した
その中の最大勢力が日本軍
日本軍は7年間もロシア人を殺しまくった

それを「シベリア派兵」などと呼んで
あたかもシベリアだけの攻撃だと国民に思わせている
最低だ日本て国は
8Name名無し 20/03/20(金)20:12:51No.63209+それではここで一曲。古きよき昭和の風景とともに・・・
https://youtu.be/84jIC0fUQOs
9Name名無し 20/03/27(金)09:17:27No.63377+それではここで一曲。どこもかしこも大ヘンなご時世ですが。
https://youtu.be/rs2_Ac4sJXQ
10Name名無し 20/04/04(土)21:16:00No.63511+人心掌握するために壮大なハッタリが必要だったんだろうね
11Name名無し 20/04/05(日)12:49:58No.63516+それではここで一曲。
https://youtu.be/8x4XnMP4l3w
12Name名無し 20/04/05(日)14:31:34No.63517+それではここで一曲。
https://youtu.be/EeD0twMtfCI
13Name名無し 20/04/09(木)10:15:27No.63553+「約束の土地へ」(1989)と「夢を眠らせないで」(1993)。この二曲に共通するのは、機動警察パトレイバーの映画版用に作られたものであること、イメージソング扱いで本編には使用されていないこと(劇場で上映された予告編では流れるものの知らなかった人も多いのではないか)である。続けて聞いてみると「降りかかる災厄」と「その終わり」を意味しているようにもとれる。第一作目で重要な鍵となるのはコンピューターウィルスだし、それの拡散によって首都圏が大混乱に陥るのはご承知の通り。それにバビロンプロジェクトとオリンピックを符合させてもいいかもしれない。第二作目では厳戒態勢下の東京が描かれることになるがこれも現実の出来事になっているようである。これが偶然なのかどうなのか筆者には見当がつかない。もちろんこれを途方もない驚きであると言うことはできる。しかしそれと同時に途方もなく無意味な妄想(深読み)だとも言えるのである。例によってこんなことを考えなくても世の中は渡っていけるから深く考える必要はないが。それではここで一曲。https://youtu.be/QZOQUiroYGU
14Name名無し 20/04/11(土)22:19:33No.63586+>「愛を眠らせないで」(1993)
15Name名無し 20/04/13(月)20:06:31No.63623+それではここで一曲。時代に閉塞感が漂いはじめると、こんな気分にもなりますよね。
https://youtu.be/1hA6J9ON-ZQ
16Name名無し 20/04/22(水)22:00:13No.63687+肩を寄せ合っただけでもいろいろ言われかねないこのご時世、仕方がないと言うべきか世知辛いと言うべきか・・・それではここで一曲。
https://youtu.be/-kT03F9grKI
17Name名無し 20/05/02(土)12:17:31No.63749+ソ連時代の軍人にミハイル・カトゥコフという人物がいる。生まれは1900年というからロシア革命の時期に青年期を迎えていたようである。貧乏な農民の出身で、子沢山な一家だったという。彼が労農赤軍に入隊したのは1919年のことである。このころロシア革命はまだ完全に成っていない。国内の反ボリシェビキ勢力の活動はもちろん、外国からの干渉も激しさを増していた。ロシア内戦における一兵卒として始まったカトゥコフの軍隊人生であるが、入隊当初から優秀な若者として目をつけられていたようにも思える。1920年に歩兵指揮官としての訓練を受けることになり1922年に修了。以後、堅実に実務経験を積み上げていきながら、各種の高等軍事アカデミーでの教育を受け、当時最先端の軍事技術である機械化部隊の指揮官として専門教育を受けたのは1935年のことである。ほぼ同時期に進行していた「大粛正」にも生き残っているから、まずは現場一筋の職人気質の軍人だったのであろう。ちなみにソ連共産党へは1932年に入党している。そして第二次大戦が始まる直前、彼は第20戦車師団の指揮官としてソ連ポーランド国境に赴くことになるのである・・・という話である
18Name名無し 20/05/02(土)19:11:13No.63751+>そして第二次大戦が始まる直前、彼は第38戦車旅団の指揮官としてソ連ポーランド国境に赴くことになるのである・・・という話である
19Name名無し 20/05/03(日)08:26:47No.63759+>>そして第二次大戦が始まる直前、彼は第5軽戦車旅団の指揮官としてソ連ポーランド国境に赴くことになるのである・・・という話である
20Name名無し 20/05/04(月)11:21:29No.63765+1939年9月1日、ナチスドイツがポーランドに侵攻する。第二次大戦の始まりである。同月17日ポーランド東部国境にソ連の大軍が押し寄せる。独ソ不可侵条約に付属する秘密議定書に基づく軍事行動である。カトゥコフの率いる第5軽戦車旅団もウクライナ軍管区からこれに加わっている。旅団の装備していた戦車はBT戦車若干とあとはT-37/T-38軽戦車ということなので、高い機動力を持った快速部隊であったらしい。率直に言えばあまり強力な戦力ではないが、「大粛正」という大混乱を経たばかりの労農赤軍の機械化はまだまだ発展途上であったとも言える。しかしまあこの時期の状況は大国同士のチェスゲームみたいなもので、特に大きな戦闘には巻き込まれなかったようである。同年10月にポーランドでの作戦が終了したあと、BT戦車の数が増えてそれなりの戦力を整えることになるのであるが。1940年6月、第5軽戦車旅団は南部に移動して当時ルーマニア領だったベッサラビア地方に進駐。カトゥコフは1940年7月までこの職務を遂行し、その後ごく短期間の第38軽戦車旅団長職を経て、キエフ軍管区で編成された第20戦車師団長に転じるのである・・・という話である
21Name名無し 20/05/05(火)11:22:52No.63772+キエフ特別軍管区で第9機械化軍団が編成されたのは1940年11月のことである。書類上では戦車二個師団(第19、第20)と歩兵一個師団を基幹とする一大機械化部隊である。しかしカトゥコフの赴任した第20戦車師団にあったのは僅かなBT戦車と装甲車若干に過ぎなかったのである。もちろんこの部隊はまだ編成途上で、これから装備や人員は増えていくことになるのであるが、ソ連はすでにナチスドイツと国境を接しているのである。労農赤軍の機械化が「大粛正」によって停滞してしまったのは否定できないように思える。これによって労農赤軍の機械化、近代化を推し進めた先見性のある将官のほとんどが処刑され、その手足となって働いた将校たちも断罪されて第一線から一掃されてしまったのである。残された者たちは手探りで、今後起こりうる戦争の準備をしなくてはならなかったのである。今のところナチスドイツの関心は西欧に向けられていたが(フランス侵攻1940.5 - 6、英国本土航空戦1940.7 - 10)風向きはいつ変わるかわからない。果たせるかな、西欧での戦局が手詰まりになったナチスドイツは、その矛先をソ連に向けてくるのである・・・という話である
22Name名無し 20/05/07(木)18:45:51No.63811+ナチスドイツの装甲部隊は1941年春の時点で数多くの実戦経験を積んでいる。ポーランド、フランス、バルカン諸国といった様々な戦場を走り抜け輝かしい勝利を収めていた。一方ソ連戦車部隊はと言うと多少心許ない部分がなくもない。森林地帯を歩兵主体で力押ししなければならなかったフィンランドとの戦争(冬戦争1939.11 - 1940.3)はともかく、ほとんど唯一といっていい戦車主体の戦闘は極東における満蒙国境地帯での日本陸軍との紛争、いわゆるノモンハン事件(ハルハ河の戦い1939.5 - 9)があるのみだったのではないか。日本陸軍第一戦車団(戦車第3、第4連隊基幹)との死闘やノモンハン事件の決着をつけたともいえるソ連側による二重包囲戦は遠く極東の地で成されたものである。当時のソ連で最も実戦経験豊かな労農赤軍の戦車兵たちはモンゴル人民共和国(ソ連の衛星国)からソ連にかけての国境地帯で満州国(日本の傀儡国)の日本陸軍と睨み合っていたのである。1941年春の時点でソ連と欧州との国境地帯に、実戦を経験した戦車兵はほとんどいなかったように思える。そして世界は1941年6月22日を迎えるのである・・・という話である
23Name名無し 20/05/08(金)15:48:56No.63831+
39890 B
「共産主義」はロスチャがマルクスに書かせた机上の空論
そんなものは存在しないロシアが寄生虫ユダヤ人に乗っ取られた状態を共産国家と呼び中国が寄生虫満州族に乗っ取られた状態を共産国家と呼ぶつまり寄生虫民族を隠すのが「共産主義」という魔法の言葉
24Name名無し 20/05/08(金)21:50:56No.63837+> 「共産主義」はロスチャがマルクスに書かせた机上の空論
この世界線だとフーリエとかの空想的社会主義や老子の原始共産主義なんかはどういう扱いなの?
25Name名無し 20/05/20(水)20:05:06No.64002+もうちょっと妄想を続ける。軍人としてのカトゥコフという人物はどうも地味な感じである。冷遇されていたわけではないのであるが、ぱっとしないのである。熱烈な共産主義者ということではないようであるし、恐らく政治的野心のようなものが希薄だったので、平時においては目立たない存在だったのではないかとも思える。そういう意味では、軍人としてはほぼ同期といっていいパーヴェル・ロトミストロフ(1901 - 1982)の経歴のほうが、如何にも労農赤軍らしい感じである。1919年に労農赤軍入隊するが、それとソ連共産党入党が同時期であり、1921年にクロンシュタットで起こった反ボリシェビキ峰起を鎮圧するために兵士として従軍しているというから相当なものである。実務経験を積みながら各種の高等教育を受けたのは彼も同じだが、ある時期から軍事理論家としての側面を持ちはじめるようである。しかし1930年代後半の「大粛正」で逮捕された将官たちとの関係が問題視され危うく連座しかかっている。汚名挽回というわけなのか冬戦争(1939.11 - 1940.3)では志願して最前線を希望し、勲章を授与されるほどの奮闘を見せるのである・・・という話である。
26Name名無し 20/05/21(木)00:25:43No.64005+なんかソ連英雄伝説みたいになってきたが、気にしないで続ける。ロトミストロフが「大粛正」を生き残ったのは、恐らく軍事理論家としての価値を党中央が惜しんだからであるようにも思える。十代でソ連共産党に入党することを許されているのであるから、大変な切れ者だったのであろう。二十代で労農赤軍内部の目付役とも言える政治将校をやったりもしている。しかしロトミストロフが頭角を現してくるのは、機械化部隊の運用に関する見識を認められてからである。1933年、彼は特別赤旗極東軍司令部へ転出することになる。当時の極東地域は、日本の大陸進出(満州国建国1932)によって緊張が高まりつつあったようである。ここではすでに労農赤軍が長大な国境線を守るためには、火力と機動力を備えた戦車と自動車化された歩兵を効率的に運用するしかないというコンセンサスが形成されていたのではないか。数年に及ぶ極東軍勤務によってロトミストロフが得た洞察は、のちに「スターリン労農赤軍自動車化・機械化士官学校」における講義として労農赤軍内にフィードバックされたのではないか・・・というのが筆者の妄想なのであるが特に根拠はない・・・という話である
27Name名無し 20/05/21(木)09:16:24No.64008+そんな無意味なこと考えなくていいんだよ
主要各国は寄生虫民族に支配されている
欧米を支配しているのは、アシュケナージ・ユダヤ人だ

でもロシアはロシア人による国だったから、欧米がよってたかって攻撃していたわけ
28Name名無し 20/05/24(日)08:24:10No.64019+>反ボリシェビキ蜂起
29Name名無し 20/05/27(水)12:37:59No.64067そうだねx1あれだけ失敗レが多いのに未だに続けてるって
もう引っ込みがつかなくなっちゃったんだろうな
持論を引っ込める事は恥じゃない
アップデートしないで迷惑をかけ続ける事こそ恥だよ
30Name名無し 20/05/29(金)23:15:49No.64075+まあ筆者としてはメモか覚え書きぐらいの感覚でこのスレッドを使わしてもらってるわけであるが、読み返してみると、我ながら多少変なところが目に付いたりする。実際は独ソ戦の話をやりたかっただけなので、ソ連(労農赤軍)軍と日本陸軍の関わりについてはまったくの余談である。日露戦争以降、この二つの軍隊は極東地域での宿敵同士だったといっていいのかもしれない。西欧列強の老獪さとは対照的に、勃興間もない大日本帝国の行動は、いかにも自国第一主義的な直情的なものだったのであろう。日露戦争から三十年足らずの間に朝鮮半島を完全に押さえ、中国東北部に傀儡国家まで造ってしまったのであるから。日露戦争の結果が帝政ロシアの崩壊にどの程度影響したのか筆者はよく知らないが、この期間の帝政ロシア・ソ連の極東政策は不安定な国内事情のために防戦一方だったのである。しかし日本の方も広がりすぎた版図を維持するために四苦八苦することになり、のちにこの膨張政策が米国との関係悪化を招くことになる。ソ連は人跡疎らな極東地域より欧州正面を重視していたし、日本にはまったく余裕がない。かくして極東地域は・・・(以下略)・・・という話である。
31Name名無し 20/06/02(火)13:02:39No.64105+>日露戦争(1904.2 - 1905.9)
32Name名無し 20/06/05(金)18:32:21No.64117+1941年6月22日にナチスドイツがソ連領に侵攻するのであるが、極東地域でも緊張が高まっていた。日本陸軍による、満州国における動員演習「関特演」(関東軍特種演習)が始まったのは、1941年7月7日のことである。演習とは言うものの、誰の目からみてもソ連に対する戦争準備であるのは明白であった。十四個師団から成る関東軍の人員を戦時定員にまで充足し、更に日本本土から二個師団を移送して在満戦力を増強するのである。独ソ戦の戦況によっては日本が漁夫の利を得ようということである。もちろんソ連側もこういう事態を想定していたようである。いわゆる「シベリア軍団」として、極東地域からモスクワ防衛のために移送された部隊もあったのであるが、日本側が思っていたほどソ連極東軍の戦力は低下しなかった。どうやら引き抜かれた部隊の穴埋めに、新規に編成した部隊を極東地域に配備したため数的な弱体化は起こらなかったらしい。従来以上に隙を見せないソ連極東軍に関東軍も手を出しかねたようである。結局この時点で日ソの軍事的衝突は起こらず、この状態は1945年8月のソ連の対日参戦まで続くのである・・・という話である。
33Name名無し 20/06/11(木)00:06:32No.64183+ソ連のスパイでリヒャルト・ゾルゲ(1895 - 1944)という人物がいる。太平洋戦争前夜の日本を揺るがせた、有名なゾルゲ事件は彼の名前からきている。ドイツ人新聞記者として各界の要人に取り入り、国際的な共産主義者のネットワークを背景に、日本だけではなく東アジア全域の情報を収集していたようである。スパイはスパイであって労農赤軍とは関係ない・・・と思うかもしれないが、実は彼も労農赤軍の一員なのである。ゾルゲの所属していたのは労農赤軍参謀本部第四局、いわゆる軍情報部(GRU)である。一般的にソ連の対外情報の収集と分析は内務人民委員部(NKVD)が担当していて党中央に直接報告されていたらしい。国防関連の情報収集となると軍情報部の出番となるのであるが、極東地域の軍事上の脅威となっていた日本の情報は参謀本部が直接管理していたのかもしれない。ゾルゲたちのチームは様々な情報を収集して分析しモスクワに報告しているが、その中でも決定的だったのは今後の日本の矛先が南方の資源地帯に向かうのを察知したことであろう。1941年10月、ゾルゲたちは逮捕されその後処刑されるのであるが、のちに彼はソ連邦英雄に叙せられるのである・・・という話である。