軍0@2019年11月ふたば保管庫 [戻る]

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14日13:45頃消えます 脚気に悩まされた日本陸軍…
壊血病に悩まされたイギリス海軍… 削除された記事が3件あります.見る

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そして勿論戦場での負傷から…
平時の疾病に至るまで…兵隊さんの健康管理は軍隊にとって一大事なのです!…ということで軍隊と医療・医学スレッド

>壊血病に悩まされたイギリス海軍…
対策としてレモンとか柑橘類を徹底的に普及させて一時撲滅したが
罹患者が無くなって暫く経つと今度は経費の無駄ではないかと削減され
また壊血病が発生とか人間変わらないなぁと

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芙蓉書房の「陸軍経理部」という本に、「柴田昌郎主計大尉の殊勲」と題する偕
行記事が紹介されているんですが、「北方占守島の第91師団において、戦闘もしないのに兵隊が歩いていて、バタッ、バタッと死ぬ怪事件が起きた」「(略)ビタミンCの欠乏症のため死ぬのが原因であった。それには番茶が一番よいことも分った」「当時、日本中の番茶は海軍が全部押さえていたのだが、それは海軍は昔からの海上生活のため、その心得があったのである。統制の名のもとで押えたものは、海軍の判のない限り、番茶一葉といえども出すことが出来ない状況にあった」

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「柴田主計は『よし』ということで、師団長の計らいの特別機で内地に帰り、番
茶を(略)積めるだけ積んで島に持ち帰った。それを早速、将兵に飲ませたら、ピタリと怪死の蔓延を止めることができた。師団長は柴田主計に涙を流し、手をついて礼をいわれたという」「柴田主計は海軍に押えられた番茶を、どうして手にいれたかというと、海軍で使用している切符をみせてもらい。それを偽造して番茶を手に入れたのである」「もちろん法を犯すのであるから(略)責任等は全部自分で負うつもりの行動であった(略)師団長はその論功に対し、進級の際特に強い要求を人事局に出したので、非情な抜擢で何百人かを抜いて少佐に進級したといわれる」…んですとか普段何気なく飲んでるお茶一つでも、時には命に係わる大事なモノになったりするんですねえ

脚気の特効薬?になるのか知らないけど日本海軍は医務室の金庫に玉葱を入れていた
日露戦争の時、海軍と仲の良かった陸軍将校が率いる部隊は海軍から大量の麦を送られて所属する陸軍兵の間では食に対する評判悪かったけど脚気患者が居なかったって話もある

海軍さんは比較的少人数だし、よほどの長期航海でもなければ
補給事情は陸軍より良い場合が多いよね

>また壊血病が発生とか人間変わらないなぁと

口伝で伝授される経験則の限界よね。
新たに発見された知見は学会で審査され、公認されたものは背景知識も
含めて公的文書として形にし、それを教育にフィードバックすることによって
こういった知識の衰退や車輪の再発明を防止する構造を作り上げることによって
人間の知能限界を拡張せしめた現代科学文化は偉大だわ。

津浪被災地で、これより下に家を建てるなと先人が碑文残しても、段々なし崩しになってまた流された感じか。

新鮮なフルーツ維持するのも大変だし
規則だから酸っぱい柑橘しゃぶれといわれるのも辛い

断崖の上や下に住んでる人の家が数代程度前からのもんだとして災害に遭うじゃん?
数代前からそんなところに住んでんのもどうかと思うけど

でも新規の分譲住宅地でそういうところもあんのよね
買う人がいる

言葉による伝達にも拘束力が薄くなっているけど
それ以前に何か軽いなんだろう、何かとしか言いようが無いけど
どうやら危機意識的なもんが大勢から失われているような希ガスんだよね

バブル時からなのかなその少し前からなのかな
ウオーターフロントなんてかつて避けられてきた土地を高く売るためのウソ800で
それまでは危険地帯なので一般人が住めるようなところじゃ無かったんだよね

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陸軍経理学校卒業生の方々が中心となって刊行された「陸軍経理部よもやま話」
に、先述の柴田昌郎さんご本人の談話が収録されているんですが、氏が北方部隊に勤務する前にいたのがガダルカナルで苦戦した第2師団で、自身も同島から撤退後半年ほどは入院生活だったそうでして、南方に引き続き北方でも「食い物」と兵隊さんの、生死に関わる問題に取り組むことになったということみたいですなあ因みに氏曰く、「青ものがない。従ってビタミンCがない(略)ビタミンCの足らない場合には脚気になるんだということを、栄養学の教官である川島四郎先生から教わったのを思い出しました」「脚気症状で、重い荷物を担いでおって、もし蹴つまづいたりすると、死んじゃう、という事態が(略)起こりました」「7人死んだんです。7人目で決心したんです」

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(※脚気はビタミン「B」の欠乏症なんですが、一方ビタミン「C」が欠乏すると、
「B」を患者に与えても吸収できなくなるので、「C」の補給が必要との由)「これはなんとかせにゃいかんというので、わざわざ宇治までお茶を買いに行って(略)お茶の粉を飯に混ぜて食わせることもやりました」「緑茶によるビタミンCの補給は、軍医部のビタミンCの注射よりも、はるかに有効であったということが、大きな記憶として残っております」「宇治に行って、当時国立お茶研究所というのがありまして、そこでビタミンCは何に一番含有されているかというたら、これは煎茶なんですね」「ところが体に入るには何がいいかといったら(略)抹茶ということなんですね」

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「なぜかというと、それはみんな食っちゃう。だから煎茶を食うのが一番いいん
じゃないですか」「そうしたら煎茶を粉にしてるのが、たまたま宇治で1軒あったわけです。それが(略)海軍の方で押さえてる」「しょうがないんで、虎の門まで帰りまして(略)電報打ったんです。『海軍省衣糧課長』といって。それで(略)『海軍省から電報来たか』といいましたら『ああ、来てます』『じゃ渡してくれ』(笑)ということなんです」…とのことで、赴任先の千島列島から東京、京都…と駆け巡っての苦労っぷりは、確かに殊勲甲モノだったんじゃあないでしょうかね、コレ

脚気対策で日本海軍がカレーを取り入れたんだけど初期のカレーはイギリス海軍式で兵達には「こんな物を食わすな」と不評だった
その後、海軍が全力で日本人にあう栄養価の高いカレーを作ったのが今の日本式カレーの元祖

東日本大震災での派遣においても
レーション連食で体調不良続出
ほどなく野菜ジュースが追加されてたな。

>その後、海軍が全力で日本人にあう栄養価の高いカレーを作ったのが今の日本式カレーの元祖
諸説あります

日本でもビタミンC欠乏が問題になってたのは知らなかったです

諸説の一つ一つは知らんがカレーに小麦粉入れて粘りを出し米と一緒に食うようにしたのは日本海軍だろ
日本にイギリスから伝わったカレーはパン食用のスープカレーだし

脚気を調べて思うのは常に森鴎外はクソということ

>諸説の一つ一つは知らんがカレーに小麦粉入れて粘りを出し米と一緒に食うようにしたのは日本海軍だろ
残念!英国では日本の幕末以前の本にカレーに小麦粉を使うと書かれた本がある
小麦粉を使うルーツはフランス料理の手法だとさ
そも英国式カレーは米で食うんだぞ?

残念なのは君だ
極少数が使っただけの枝葉に過ぎないから日本に伝わらなかった
日本は海軍が改良を重ねて大衆食となった

>そも英国式カレーは米で食うんだぞ?
日本から逆輸入して起源と言われてもな

書き込みをした人によって削除されました

>極少数が使っただけの枝葉に過ぎないから日本に伝わらなかった
>日本は海軍が改良を重ねて大衆食となった
明治期の西洋料理通と西洋料理指南どちらにもカレーで載っている小麦粉使用のことがごく少数が使っただけの枝葉とする根拠を明かしてください。
それと上記二つの本と海軍割烹術参考書におけるカレーの違いは小麦粉ではありません。

>日本から逆輸入して起源と言われてもな
ヘイスティングスが大々的に紹介して以来カレー+米が英国カレーですよ。
インドのベンガルはナンではなく米で食う地方です。
カレー+米を日本からの輸入とする根拠を明かしてください。

根拠も何も事実としてイギリスのカレーはパン食に合うようにサラサラなんだよ
イギリス式カレーのベースとなったシチューと同じでね

日本はカレー・シチュー共に小麦粉を混ぜてトロミを付け米に合うように作り変えた
日本式のカレー・シチューは100年前の日英同盟時代に米に合うスープとして逆輸入されてる
根付いたのかは知らん

赤信号は止まれの根拠を出せと言われたも同然なんだが
事実は事実として受け止めよう

IP:182.164.*(eonet.ne.jp)
https://ameblo.jp/maruyamashu/entry-12276706394.html
カレー研究科として著名なスパイシー丸山もはっきりと
イギリスが日本に伝えてくれたのは
インド式のカレーではなく、イギリスで独自に進化した、
シチューのような洋風カレーライス
って書いてあるぞ

あ No.1288496とNo.1288507は俺で他のは
別のIP:2001:268.*(ipv6)さんだからな

>根拠も何も事実としてイギリスのカレーはパン食に合うようにサラサラなんだよ
根拠がないんですね?
>イギリス式カレーのベースとなったシチューと同じでね
勘違いです。
英国カレーは個人的に追えただけでも19世紀半ばには小麦粉でとろみ出してるんですよ。
1860年代には家庭向けレシピ本でもそうなってます。
だから、西洋料理通と西洋料理指南もそれを流用して小麦粉使用を載せてるんです。
>日本はカレー・シチュー共に小麦粉を混ぜてトロミを付け米に合うように作り変えた
だから日本に入る前に小麦粉使ってます。
>日本式のカレー・シチューは100年前の日英同盟時代に米に合うスープとして逆輸入されてる
>根付いたのかは知らん
それこそ極少数が使っただけの枝葉に過ぎないから英国に伝わらなかったのでは?

>赤信号は止まれの根拠を出せと言われたも同然なんだが
>事実は事実として受け止めよう
この場合でいえば、あなたが赤青のまえに信号というものを理解してないだけです。

突っかかってきた君からソースだせば?
ソース無しで難癖つけようとした訳じゃないでしょ

No.1288507
それ俺がNo.1288505で言ってる事と同じやろ
書き込む前に冷静になれ

ここはカレーのスレじゃない

兵士のビタミンCを補うため、軍の総力を挙げて番茶を確保した日本軍は偉大だ

それに比べて自衛隊ときたら
東日本大震災では自衛隊員に、ビタミン不足に起因する口内炎や吹き出物が続出したのに、ビタミン剤すら配給出来なかったらしいではないか
ビタミンの存在が知られていなかった明治時代ならともかく、平成時代に何やってんだか

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>事実は事実として受け止めよう
本当に知っている人なのか適当な事を言った人の逃げ口上なのかが見分けられないのでソースを付けるのが宜しいかと・・・カレーだけに。ハウス食品によると・・・https://housefoods.jp/data/curryhouse/know/world/travel/uk.html>白いご飯で食べるのがスタンダードです。だそうで。英語で適当に画像検索しても米率高め。その中で目を引くのが見覚えの有る・・・ロンドン進出を果たしていたのね、ココイチw

>No.1288509
なんか必死な子が居るけど
イギリス海軍はシチューの味を変えたバージョン、カレー味シチューとして導入したんだよ
それがイギリス海軍から日本海軍に伝わったのに枝葉に過ぎない一般家庭の話を力説されても困る

そもそもでいえばカレーの日本への定着は海軍や陸軍ではなく「洋食屋」の功績が大です。
明治30年代に入るころには洋食屋で定番メニューになるほど。日本人にとってもうカレーが需要を持つものになっていたんです。
それとダメ押しで書きますが、小麦粉無しカレーの明確な日本への伝播はボースの店のインドカレーによるものです。

>No.1288516
日本から逆輸入した現状を書いてるだけだろ

>No.1288518
ここは軍板なのに君は何故民間の話に逃げるのだ
せめて軍事とカレーを結びつけた書き込みできないのか

書き込みをした人によって削除されました

>ここは軍板なのに君は何故民間の話に逃げるのだ
>せめて軍事とカレーを結びつけた書き込みできないのか
逃げてるのはそっちでしょう。
英国ではカレー+パンだった根拠、小麦粉を使っていない根拠、
どっちも明かしてませんよね?
あなた19世紀英国海軍でのカレーのレシピも知らなそうですし。
口先で無知をごまかしてるだけなんじゃないんですか?

無知かつソース無しで逃げているのは君
君の言葉をそのまま返すよ

>無知かつソース無しで逃げているのは君
>君の言葉をそのまま返すよ
そういうのはいいですから。
英国ではカレー+パンだった根拠、小麦粉を使っていない根拠、
出してください。

>あなた19世紀英国海軍でのカレーのレシピも知らなそうですし。
>そういうのはいいですから。
ふと思ったが19世紀英国海軍でのカレーのレシピを君は知ってるのか?
俺は質問される前にシチューをカレー味に変えただけと答えたが既に回答した人へ再度同じ質問するって変じゃね

急に伸びてるかと思ったら
何このスレ

>急に伸びてるかと思ったら
>何このスレ
なんか申し訳ない
明日早いから俺は落ちるので沈静化すると思う

>ふと思ったが19世紀英国海軍でのカレーのレシピを君は知ってるのか?
はい。
でも、あなたは明確に小麦粉使っていないと言い張れる根拠があるんですよね?
だから知りたいんですよ。
>俺は質問される前にシチューをカレー味に変えただけと答えたが既に回答した人へ再度同じ質問するって変じゃね
質問されてもいないことを答えて、こっちの詰問からは逃げ回ってるんですよ。
英国ではカレー+パンだった根拠、小麦粉を使っていない根拠、はやく下さい。

最近の軍板ってこんなんばっかだな

そもそも海軍でカレーが定着した理由は日本でも英国でもなく中国でアル。
中国5千年の歴史でカレーを開発して世界中に流行らせたのは当時世界中の海の覇権を握っていた当時の中国人でアル。
カレーの発祥は中国でインドではないし今現在の日本式カレーも帰化中国系日本人が日本に持ち帰って流行らしたものである。
その根拠は昔からやっている町中華の見せではカレーライスを扱う店が多いが
それが中国発祥の根拠である。

>言葉による伝達にも拘束力が薄くなっているけど
それ以前に何か軽いなんだろう、何かとしか言いようが無いけど
人命かな…拝金主義が勝れば所詮そんなモンだと思ってる
そのうち必ずどこかで過ちは繰り返されるだろう…
>ビタミンの存在が知られていなかった明治時代ならともかく、平成時代に何やってんだか
野菜や果物もちゃんと摂れなかったのかな…公務だってのに可哀想なモンだ

ここは軍板。
料理板行け。

ビタミンCが意外と多いのがキャベツと柿
ビタミンC発見前に前者がザワークラウトとして樽積みされて船員を救った
後者は干し柿として日本の冬の貴重な栄養源となった

つまり柿をリカーに漬けて炭酸水で割ってレモンを絞り
サラミとザワークラウトをツマミに
これだ!

ビタミンの補給は大事だからしかたない

>後者は干し柿として日本の冬の貴重な栄養源となった
干し柿にするとビタミンCは失われるそうだよ

横から見たらテキトーなこといって指摘されたら誤りを認めないほうが悪い

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エゲレスのカレーライス史については、ケンブリッジ大学研究員のリジー・コ
リンガム=サンの「インドカレー伝(河出書房)」という本が、インドにおける各種香辛料利用の料理のルーツ、それがインドの植民地支配に乗り出した英国人によって「カレー」として纏められるまでの経過、英国やその植民地で食べられていたカレー料理の実際と、それが日本含む海外に伝播していく過程までよくまとまっていてお勧めです小麦粉がエゲレス流カレーで使われるようになる経過、ライスと共に提供されるスタイルについても言及があるので参考になるかと因みにエゲレス本国でカレー料理が流行り始めた1850年ごろ、婦人雑誌の読者投稿欄では「ライスを別に出すか、それとも上にカレーをかけて出すべきか」「カレーに最も合う米の品種は何か」等が、盛んに論じられていたそうです…w

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大戦中潜水艦軍医長等を務められた本橋政男さんという方が、戦中のIJNの潜水
艦内医療について述べられている所に依りますと、「ビタミンB1とCの錠剤が脚気と壊血病から乗員を守るが、これも作戦終了の頃にはかびによるしみがしみこんでいる」「潜水艦では開戦後脚気患者が多発した。ビタミン剤、ビタミン含有食を投与したにも拘らず、軽重の差はあっても殆ど全員に、軍医長までが自らビタミン剤の注射をしても脚気に罹った言ってよかろう」「それは日光不足、生鮮食料品の欠乏、高温、高質、高二酸化炭素、酸素不足などによる新陳代謝障害に基く水血症による浮腫も含まれてあると思われるが、ビタミン剤だけでは解決できないことを示唆し、作戦遂行上重要な課題となった」

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「俗に潜水乗りは歯が悪いと言われていたが(略)ビタミンやカルシウム不足、そ
の上歯磨きする水がなく(略)潜在性壊血病のため歯肉出血や歯槽膿漏を起し、歯の馳緩動揺を訴える者は多かった様である」…との事サプリメントによる栄養補給は効果はあれどやはり限界があり、何より艦内生活環境そのものの改善がなされないと根本的な解決は出来ない、というコトのようなんですが、コレって結局今の私たちの日常生活にも言えることですよねえ

脚気対策といえば、日露戦争の頃から海軍は兵隊さんに玄米を食べさせてましたよね?
一方陸軍では「白米も食えんなんて兵士たちがかわいそうだ。」という理由で白米を
食べさせていたとか。

>諸説あります
退役した海軍の調理担当者だけでなく、帝国ホテルなどで西洋料理を学んだコックさんたちも
同時代に洋食屋を開業しているので、洋食屋のカレーライスにも複数の流れがあるんでしょう。
昭和に入ると新宿中村屋が正統派の「インド式カリー」の提供を始めていますけれど、
関東でポークカレーがビーフカレーに負けじと普及したのは、ここの影響が強いと言われてます。
ちなみにひと昔まで関西ではポークカレーが普及しておらず、「東京行って、初めてポークカレーを
食べたわー。」と、関西出身の友人が言ってるんですけど、ホントにひと昔の関西にはポーク
カレーがなかったの? (´・ω・`)?

ケンミンショーでデマ流されたけど関西は牛肉文化だから
カレーも鍋も野菜炒めも牛が当たり前

関西は「肉」=牛肉というくらい、牛肉の消費比率が高い

焼肉も朝鮮でなく日本発祥ですからね

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>そもそもでいえばカレーの日本への定着は海軍や陸軍ではなく「洋食屋」の功績が大です。
帝国ホテル料理長だった村上信夫氏の著書で。二二六事件の反乱部隊を包囲していた陸軍部隊に。帝国ホテル側はカレーライスを出したと有る。冬の雪の中での食事で温かくて。主食のご飯とおかずが有り、一つの器に収まるからとの事。寒い時に冷たい食事は辛いモノですな

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>陸軍では「白米も食えんなんて兵士たちがかわいそうだ。」という理由で白米を
>食べさせていたとかこのへん実際の事情は少し複雑で、例えば日本陸軍内での総脚気患者数は明治17年には年間9793人にも上ったそうなんですが、幾つかの実験を経てパンや麦飯が脚気に効果ありとの知見が得られると、国内のIJA各師団・聯隊は相次いで主食の麦飯・パン化を押し進めており、その結果脚気患者数は21年には1807人、22年には789人、24年には265人、26年には113人にまで減少しているそうですこれは日清戦争(明治27〜28年)や日露戦争(37〜38年)より前のハナシになるんですが、この期間に限って言えば、「IJAはコメの飯で自分の兵隊さんを脚気にさせた」というのは当てはまらないどころか、むしろ逆のことをやっていたことになるわけですねえ

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それが何故、後に日清・日露の二つの戦争で多数の脚気患者を出してしまったか、
というのにもイロイロ事情が有ったそうなんですが、ごく簡潔に言えば「戦地では主食を白米にしたから」…というのが主因になるようです従って、後方からの補給が安定しており、兵隊さん達が白いゴハンをお腹いっぱい食べられた部隊ほど多数の脚気患者を出し、逆に補給に苦労して、止むを得ず現地調達の雑穀等で腹を満たして戦った部隊には脚気患者が少ない…なんて、兵站上からは実に皮肉な事態が生じたりもしているんだそうで

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因みに余談ですが、「にっぽん洋食物語(新潮社)」によりますと
「豚肉が広く使われるようになったのは日清、日露戦争後のことである。それは牛肉が罐詰としてさかんに戦地へおくられて肉牛の相場が暴騰し(略)たからであった」「明治38年4月12日の(略)東京市内の標準小売相場は、牝牛ひれ肉百匁(375グラム)75銭、ロース肉65銭、上等肉50銭で、安い中等肉でも45銭したのにくらべて、豚肉は上等肉が30銭であった」「つまりこの牛肉の値上がりが豚肉の需要を招き(略)いわゆるポークカレーが登場してくるのはこれから後のことなのである」…そうですおクニのために、おニクの好みが変わったってわけですね!(ドヤァ

スターリン案件

牛肉の大和煮に炊き立ての白飯って、すごく美味しそうだけどそれだけ毎日とか
飽きるだろうしやっぱ栄養も片寄るよね

兵隊さんは大変だ・・・

缶詰しか食べたことないけど煮込まれてパサパサなんだよな
鯨も牛肉もパサっとしてて味付けのせいでそこまで変わらんし

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日露戦争でIJAの看護兵だった、多田海造さんという方の「陣中日誌」が本にな
っているんですが、例えば1904年12月27日の記述をみますと「近来脚気患者各隊兵に多数、3中隊の如き初発以来己に20余名の後送者を出すに至れり。その原因は如何なるや」「吾中隊に発生せしものを観察せし所によれば、原因否誘因とでも言うべきは大約次の如し。一、久しき以前に腸胃加答児(※カタル)に罹り(略)続発し脚気の発生せし(略)一、目下の状況たる土窟住もまた悪し(略)一、過度の労働、粗食、悪水の飲用(略)一、土地の関係もあらん(略)一、食物、此は内地ならば麦飯なるに、今は小豆を時々食うのみにて多く精米食なるを。

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而して小豆、高粱等にて混食せし時は脚気患者少なく、而して久しき以前より
精米食なるに、脚気患者の多発を来せしを見れば、或は混食も亦大関係を有するものならんか。一、(略)然れども第1連隊は九分通り家屋住なるに師団中最も多く脚気患者を発生せしは第ニ項に反する点なり(略)何が是か否か一向杳として不明なるを。扨ても脚気病は魔病なるかな」…と、今の私らからすれば正解!と叫びたくなるような推論も含めて、未だ脚気の発生原因を掴めずに苦慮している様が伝わってくるものでしたりもっとも、翌1905年1月11日には「去る8日高粱5勺宛各人に渡し試食せしめらる。又今日より1号宛割麦を渡し、混食となし以て脚気を予防せらる」

書き込みをした人によって削除されました

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…と、遅まきながら軍自体が「麦飯」支給を始めたことが分かるんですが、同
日には「石堂軍医脚気入院」と、軍医さんまでが脚気に倒れていたことも記されていたりもします因みに、遡って1904年2月6日、まだ内地に居た「動員初日」の記述をみますと、「例の御粗末なる臭気ある麦飯は廃せられて、雪をも欺く如き米飯とはなりぬ。(略)動員下令の賜なり」…なんてありまして、どうやら日露戦争以前の平時の兵営の主食は「麦飯」であったことと、それが戦争のお陰で銀シャリになったぞヤッターッ!という多田さんの喜びが窺える内容だったりするんですがwおよそ1年後、看護兵として対処に苦慮している脚気の原因が、どうやらその銀シャリらしい…と気付いてしまった心中は、どんなものだったんでしょうかねえ

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戦争中、日本海軍で長期航海で衰弱してしまう潜水艦乗組員の体調管理が問題となったとき、
参考の為ドイツ海軍潜水艦を見学させてもらった結果が、「脂質とビタミン」が重要である、ということになったそうです…

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そこでビタミンについてはビタミン剤などの開発が行われたほか、脂質については
主食の米に「バター」を混ぜて供給する実験が行われたそうです結果は、最初は物珍しい、美味しいと評判だったものの、そのうち毎日続くとさすがに飽きられて、もとの食事に戻してくれと苦情が相次いだとか…

結局病気になってから慌てるより、普段の予防こそ大事って話やね

まあ、それこそ戦争中なら分かっていてもやれない、みたいな部分も大きいんだろうけど

「滋養のつく食べ物」「病知らず」という概念はあって
食べれば病気を防げるもの、というのは知られていたんだよね

けど、特定の食べ物の、どの部分が効くのか「栄養素の抽出」
というところまで研究が進むのは第1次大戦の直前だった

輸送手段が制限され、何でもかんでも戦地に送るわけにはいかない状況が
脚気患者の増大を招いたんだろう

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>潜水艦
栄養不良の他にも潜水艦でコワイのが、作戦中の「虫垂炎」だったんだそうで、前述の橋本氏曰く「軍医長の一番頭痛の種」であったそうなんですが、「艦内の悪条件下で手術するのは危険を伴うので、当時塔載していたズルファミン剤と冷罨法で姑息的治療をしたのもあったと思われるが(略)開戦後6カ月間に24名発生している」…んですとか従って、中には止むを得ず艦内手術に踏み切った例も多々あったようでして、「第一例は誰であったかは、興味ある問題であるが、調査した範囲内では伊8に於て昭和17年2月下旬、北米西岸通商破壊作戦から呉への帰途、長村真医中尉(略)が谷口上水を手術したのが第一例と思われる」

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「第ニ例は重藤俊夫医中尉(略)で、伊165がラバウル方面で作戦行動中、三好機
関兵曹が虫垂炎に罹患、その艦内手術に成功して、昭和17年7月18日附、朝日新聞朝刊に載った」…などの例があったとのこともっとも、伊56潜水艦の軍医長だった斎藤寛さんによると、「第6艦隊軍医長より(略)虫垂炎は腹膜炎症状が明らかに出ない場合は手術を見合わせるようにと厳命されていた。というのは、不潔な艦内で手術を行なえば次後の海軍病院での治療が大変手間どったからであった」…そうですまあとにかくやはり潜水艦だけに、チュウスイのトラブルは命取りだったんでs(

よく潜水艦内部図みたいな画像あるけれど、さすがに手術室があるのは見た覚えがない

・・・医務室くらいはあるのかな?

>まあとにかくやはり潜水艦だけに、チュウスイのトラブルは命取りだったんでs(
まさかの山田君案件!

旧軍の潜水艦には一艦に一人軍医が乗り組むから、それ用の部屋くらいあったんじゃない?

当時は現代のように強力な消毒薬や抗菌剤がなかったので艦内での手術は相当なリスクだったのでしょうね

なんでそんなに虫垂炎が頻発したのか

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IJNの対手たるアメリカ海軍でも、作戦中の潜水艦内におけるAppendicitisは
大きな問題だったようでして、「アメリカ潜水艦隊の戦い(元就出版)」によりますと「潜水艦には医者が乗っていなかった。唯一の医療従事者は各船に一人いるファーマシスト・メイト(※看護兵)だった。ファーマシスト・メイトはアスピリンを与えたり、小さい切り傷に包帯を巻いたりは出来たが、もっと重大な病気や怪我を処理する教育を受けておらず、またそのための設備もなかった」「その例外的な事が1942年9月11日、”赤い潜水艦”シードラゴンの艦内で起こった。その時シードラゴンは南シナ海のインドシナ海岸の沖、味方の領土から何百キロも離れた海で(略)潜航していた」

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「ダレル・ディーン・レクター上等水兵は化膿した虫垂に苦しんでいた。22歳の
ファーマシスト・メイト、ヴァージニア州出身のホイーラー・ブリソン・”ジョニー”ライプスは医者ではなかった。しかしライプスと艦長(略)は、もし緊急に虫垂炎切除手術を行わなければ、レクターは死ぬことが分かっていた」「士官用食堂兼談話室を手術室にして、ライプスと二人の士官の助手は(略)間に合わせの道具を熱湯で殺菌消毒した。また着用する”手術着”のパジャマを(略)魚雷の燃料の(略)アルコール(略)に浸して殺菌消毒した」「スプーンを曲げて、切り口(略)を開けたままにしておくリトラクターとして使った(略)ダイニングテーブルの上にレクターを横たえて、手術に取りかかった」

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「麻酔用のマスクとなるようにした、紅茶濾し器の上のガーゼにエーテルを垂ら
した。一人の水兵が医学の教科書を読んで、ライプスに手術の手順を教えた」「驚いたことに全てはうまく行き、レクターは2週間もたたずに自分の持ち場に戻った(略)この手術はハリウッドの潜水艦映画に取り入れられた。1943年の「DestinationTokyo」で、主演はまたもケーリー・グラントだった」…んですとかもっとも、無事手術で回復されたレクター=サンは1944年、乗艦していた潜水艦タングが、自艦の発射した魚雷で沈むという椿事により残念ながら戦死されているそうなんですが、一方のライプス=サンの方は大戦を生き残り、2005年には海軍褒賞勲章の名誉を受け、同年膵臓がんで84歳の生涯を終えられているそうです…

「人命尊重」のイメージの強いアメリカ軍で、潜水艦に軍医が乗っていなかった、というのは
ちょっと意外ですね
何か合理的な理由があったのか、それとも単純にさすがにアメリカ海軍といえども、軍医の数
が足りなかったのでしょうか…

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米軍の衛生兵というと粉末のサルファ剤ですが
一般兵も持っているので映画「プライベートライアン」でも。実際には注射や内服のもあるので注意。

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IJNの戦友だったドイツ海軍でも、当初はUボートには軍医が乗らないのが普通だ
ったそうでして、「UボートⅦ型(大日本絵画)」から引用させて頂きますと「乗組員たちの健康管理は、せいぜい数週間医療訓練を受けた程度の通信士が行った。開戦から4年間は、Ⅶ型に医官が乗艦することはなかったが、ⅨD型やⅩⅣ型のような大型の補給艦には医官が乗艦することがあった」「万が一、病人や怪我人が出た場合には、一番近くにいる補給艦と落ち合うことになっていた(略)あまり医療に明るくない通信士のために、各艦には一般的な怪我や病気の診断と処置方法について書かれた医療教範が置かれていた」…とのこと

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ただし、大戦中盤からややこうした体制は改められて
「医療事情は、1943年半ばに変わった。デーニッツからUボートに対し海上で敵機とも交戦するよう命令が出され、負傷兵が急激に増えたのであった」「そのため、デーニッツは同年7月までに、出撃する艦の2隻に1隻の割合で資格を持った軍医官を乗艦させるよう命令を下した」「6月初めには、16人の軍医官が補給艦に乗り込み、さらに13人がその他のⅨD型やⅩⅣ型に乗艦することが命じられた。当時稼動中の約150隻のⅦ型に対しては、17人の軍医官が割り当てられた」ものの、「軍医官の数は(略)徐々に増えていったが、デーニッツの望んでいた50パーセントにまではいたらなかった」…そうですやはり、潜水艦に医官がいないのはイカンt…(

>なんでそんなに虫垂炎が頻発したのか
虫垂炎は虫垂の内側で固まった糞で虫垂内の細菌が虫垂粘膜から壁内に進入し炎症を起こすのが多いから
まずは便秘予防からなんだけど
不衛生な閉鎖環境によるストレス、不規則な生活、食物繊維が不足した食事と
便秘になる原因が役満してるのが船乗り特に潜水艦……

潜水艦だと伝染病とかも一層恐そう
航海の後半とか特に体力も落ちているだろうし・・・

>米軍の衛生兵というと粉末のサルファ剤ですが
こないだ某アニメでサルファ剤とか言ってるのを聞いて戦争映画のこれを思い出した
それで成分とか歴史を調べたら色々面白かった