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ベン・黒木さん 第二次世界大戦では志願してアメリカ陸軍航空隊に入隊、ルーマニアのプロエシティ油田爆撃など数々のミッションに爆撃機のクルーとして参加、規定の出撃回数に達するも更に志願して今度は太平洋戦線で従軍されています日系人ゆえの苦労も色々あったみたいですが、自分の父母の国への爆撃行ってのはいったいどういう気持ちだったんでしょうね… |
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>自分の父母の国への爆撃行ってのはいったいどういう気持ちだったん >でしょうね… 戦国期だったか、ポルトガルだかの植民地での戦闘でどっちの勢力も日本人傭兵で、用兵側は「 今回は手抜き戦闘をされるから戦果は望めんな」って諦めてたらガチ戦闘をして用兵側ドン引きなんてエピソードがあるから、出自はともかく属する勢力の一員としてベストを尽くすのが 大和魂なんでしょう。 中朝韓あたりの、移民先でも出自の国への忠誠を持つ行動が目立つ民族と同じ漢字圏なのに不思議不思議。 ※共産圏だったら親族を人質にってパターンも多かろうが。 |
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この部隊で欧州戦線戦って右腕だったか左腕失ったハワイ州選出のダニエルイノウエ議員もここ。最後は議会のナンバー3あたりまで上り詰め盛大な葬儀も執り行われた。現在ハワイの空港はこの人の名前に変わっている。将来就航予定のイージス艦にこの人の名前が付く予定 |
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日本側にも「二世兵士」っていたのね なんとなく、アメリカ側だけかと思っていた・・・ |
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逆に日本側で敵国側の血を引いた人でも いい言い方では差別なく悪い言い方だと問答無用に引っ張っていきますね |
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遡って 第一次世界大戦の日系カナダ兵 |
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>中朝韓あたりの、移民先でも出自の国への忠誠を持つ行動が目立つ民族と >同じ漢字圏なのに不思議不思議。 確かにもしも自分が日系二世で、米軍兵士として日本軍と戦う羽目になっても、 あまり後ろめたい気持ちは持たないような気がする。 両親に対しては申し訳ないような気がするとは思うが、自分が生まれ育った アメリカのために戦うのは、アメリカ人として当然だと思うのではなかろうか。 もしやそんな風に考えるのはアジア系では珍しい部類に入るのだろうか? 言われてみれば他のアジア系民族は民族的母国に強い執着心があるように思う。 在日コリアンなんて本国人からは完全に外国人扱いされているのに、 一方的に本国人に同朋意識を持っているのを見ると「何でかな?」と思う。 また中国人(漢民族)は現在の国籍がどこであれ、出身地が同じだと同朋意識を 抱いたりするから、これはまたこれで日本人と違うように感じる。 |
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>両親に対しては申し訳ないような気がするとは思うが、自分が生まれ育った >アメリカのために戦うのは、アメリカ人として当然だと思うのではなかろうか。 本人たちはそう思ってても米政府がそう思わず欧州戦線行きだったよね まあ同族同士で殺し合いにならずに済んだけど |
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戦国時代の武将は親子兄弟で敵味方に分かれたんだし 一度その国の旗の下で戦うと決めたら 思う存分戦うしかないと、実際戦ったこともないし この先そんな状況になることもないだろう私は 思うのでありました |
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>戦国時代の武将は親子兄弟で敵味方に分かれたんだし 今は個人主義の時代だが昔は家の存続が第一 血筋の者がその家を存続させれば良いという考え 上杉家の様に家の存続の為には血筋すら軽視した 家もある 家柄とはそれ位大切なものだった |
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>家柄とはそれ位大切なものだった 江戸期を通して直系で残ってる大名の方が少ないのでは? また戦前までは割と普通の事だったみたいよ 旧制中学だった祖父が「優秀な生徒は途中で名前が変わることが多かった(養子に入る)」と語っていた 山本五十六の山本も長岡藩家老の山本家を継いだものだし 個人的に身近なところだと知り合いで近藤勇の近藤家を紆余曲折あって継いだ人がいる その人も直接の血縁ではないよ |
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二世の神風特攻隊員とかもいたよね |
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医療技術も衛生環境も食料事情も現代より遥かに貧弱だった時代では子供は簡単に死ぬし、運良く成人出来たとして"家"を継がせる器を持つとは限らない "家"を継ぐという事は一族郎党をも背負う頭にもなる訳で "家"が滅ばぬ為には血筋に拘ってる余裕は無いんやな |
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>近藤勇の近藤家を紆余曲折あって継いだ人 近藤勇も近藤家に養子で入ったんじゃなかったっけ |
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>家"を継ぐという事は一族郎党をも背負う頭にもなる訳で >"家"が滅ばぬ為には血筋に拘ってる余裕は無いんやな まさに一所懸命だな。大陸が血縁一筋の価値観なら、 日本は血縁と共同体のミックスって感じかねぇ。 |
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…とのことで、 「かれらこそ真の英雄です」…とまで言い切られておられるんですが、やはり欧州で従軍されたフランク・シズト・オクサコ=サンが、自隊の有能な給食係陸曹について回想されておられるところによると”Our tour of duty on the front lines could be 2 or 3 weeks, but sometimes longer. Eating was one of our priorities. ””Sgt. Nii, our mess Sgt would trade powdered potatoes and other items for fresh vegetable and rice, so we ate good.”…とのことで、やはりおコメの手配に手腕を発揮して、部隊の士気意地に大いに貢献したことを紹介されておられましたりhttp://www.discovernikkei.org/en/resources/military/10197/やはり「米兵」さんだけに、「米」こそがパワーの源だったんでs・・・( |
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>powdered potatoes 一瞬火薬まみれのジャガイモかと思ってしまった |
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乾燥ジャガイモやね しかし、フランスのお米っておにぎり作れるような短粒米あったのかね? |
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白人部隊の犠牲にされたとか、休暇で帰ったらジャップ扱いされてタクシーも 乗れなかったとかひどい扱いされた話が多いから、こういう話はほっとするね まあ、多くはなかったんだろうけど・・・ |
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>「白めしに漬物」 自分は壁があった頃の西ドイツで暮らしていた事あるんだけど ひたすら「日本」に飢えていたのを覚えている 一週間遅れで届く日本の新聞にかじりつき、 テレビが日本のニュースを流して日本語が聞こえると狂喜していた 日本食も、値段が高い日本人向け店は早々に見切って 韓国人や中国人向けのアジア系ショップで安いコメや調味料を調達するようになった 理屈じゃないんだよね 異国の土地でメンタル削られる日常を送っていると 言葉が普通に通じる故郷の有難さを和食を通じて再確認して癒されるんですわ 戦地の兵隊さんなら尚更、食で癒されたい衝動は強いだろね |
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いい話だなー、と思って調べてみたらフィンチ=サンは 戦後に442ボーイズの故郷であるハワイに移住しているんだね で、復員した日系人たちに歓迎されながら余生を送ったそうだ フィンチ=サンを語る映像見つけた https://www.youtube.com/watch?time_continue=87&v=gR8cZbspOuc http://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/287/ 当時の日系人への風当たりの強さを考えたら、ここまでしてくれる フィンチ=サンの献身は驚嘆に値するわ |
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>日本側にも「二世兵士」っていたのね 二世ではなく、アメリカ生まれの日米ハーフの日本兵もいた 父親が日本の外交官で、シカゴで生まれた来栖良技術大尉は 俳優にスカウトされるほどのハンサムで、なおかつ航空工学を専修したインテリという チートみたいな御方 徴兵された後、テストパイロット兼任の技術者として技術少尉に着任 大戦末期には疾風で迎撃戦にも参加していたそうだ 基地帰投直後に、発進する同僚機に撥ねられて殉職 こんな最期はあんまりだ、という事で、公的には「戦闘中に負傷、帰投後に死亡」と いう扱いにされて大々的に葬儀が執り行われたそうだから 相当に慕われていたぽいね |
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日系人部隊の第442連隊は最初はどの師団も編入したがらなかったが 実戦での戦闘能力の高さが分ってから奪い合いになったんだっけ? 最前線で戦った第442連隊が所属する師団が休息期間に入った時に 代わりに最前線に立つ師団に引き抜かれて休み無く戦う羽目になったとか |
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>日系人部隊の第442連隊は最初はどの師団も編入したがらなかったが >実戦での戦闘能力の高さが分ってから奪い合いになったんだっけ? >最前線で戦った第442連隊が所属する師団が休息期間に入った時に >代わりに最前線に立つ師団に引き抜かれて休み無く戦う羽目になったとか 最初はそうでした。出征前に演習や査察で最高評価だったのに。編入したがらなかったそう。 実戦で他が撤退する中、戦い続けたり。塹壕で持ち場を離れないでいた2世部隊が認められるまでですが。 |
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話は違いますが当時日系人に救いの手をさしのべた人がいます。コロラド州知事のラルフカーという人です。弁護士でもあり強制収容などに強い嫌悪感を抱いていたそうです。日系人を受け入れることに地元も含めて大反発が起きて暴徒が押しかけたり脅迫が殺到したが信念を曲げなかった。これが原因かは分からないが落選してしまう。戦後の50年代に病気が原因で死去している https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%BC |
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>No.1287680 第442連隊より先行して出陣した第100歩兵大隊は、どの師団も配下に加える事を嫌がったため仕方なく独立戦隊として行動するハメになった そして初陣の相手がドイツ地上部隊で最強と言われたドイツ空軍第1降下猟兵師団だったりする それを撃ち破って以降、日系人部隊を編入したいって師団が続出した |
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>第442連隊より先行して出陣した第100歩兵大隊 自己レスだが 米軍は大隊に若いナンバーを与える 第1・第2・第3…って感じで 3桁ナンバーの時点で差別されている状態なんだけど逆に言うと凄く目立つ 「また第100大隊が最も早く敵前線を突破した!」っと これが第1大隊だったら「ドコの第1大隊だよ?」ってなるから差別で付けられた3桁ナンバーが結果論では良い方向に作用した |
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>幸い、沖縄戦が概ね集結した6月22日ごろ、名護市付近に進駐していた部隊に同行していた東=サンは山中に避難していた父親ら家族と無事再会を果たし、 連続ドラマにしよう。さて、日本国内で制作できそうな会社は.... |
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>第100歩兵大隊 ハワイ準州警備隊(今のハワイ州兵)なんですが。元からあった訳でなく。それまでいた日系人を、まとめて編成。IJNの空襲の後で反乱に備えたとも。 |
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第442連隊と第100歩兵大隊は今も存続している 名誉ある連隊と大隊を潰すなって事で いまの第442連隊なんて配下部隊が第100歩兵大隊のみなので 無理やり存続させているのが分る |
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本文無し |
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高千穂隊の後続、挺進第四連隊500名はレイテ西岸のバレンシアに降下したからね。 第三連隊でブラウエン二次降下隊として追及した機体も2、3機あったが、雲がかかっていて降下できる状態でないのに、レイテ上空と知って機付が止めるのも聞かず雲中に降下していった一隊もあったとか。 中には航法ミスで未知の山中に落された隊(大村隊だったか)もあり、その時も不開傘が出た記録があるね。 精鋭の挺進連隊らしく、残存員はジャングルでゲリラを蹴散らして後日、本隊となんとか合流したみたいだけど。 第三連隊の不開傘は新原隊長機だといわれていて、挺進輸送隊が帰還後にすぐ調査が行われて、輸送機の自動開傘用ワイヤーの取付強化が全機に施されたけど、それを担当したのは三菱航空機の東条さん。 首相の子息。 |
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文字どおりゴー・フォー・ブローク(当たって砕けろ)!って話だけど・・・ 悲しいね |
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習志野の空挺館に空挺部隊の歴史が展示されているけど 華々しい成功例はパレンバンくらいなんだよね その後は空挺降下の機会が無く延々と待機を強いられていたので 末期に無茶な特攻空挺が立案されても「これで戦える」とばかりに 喜んで出撃していったそうな |
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高千穂部隊はブラウエン南北飛行場も一昼夜は確保したんだけど、補給もなく包囲された状況ではね。 あとの半年間は飢餓に苦しめられた撤退戦。 士気旺盛で持ち前の練度と機関短銃などを活用して局所的な強みは発揮しているが、多勢に無勢。 アメリカ101空挺師団の第3旅団は、戦後に愛称をラッカサンズとしているけど、前身部隊はレイテのブラウエン飛行場周辺で日本挺進連隊と戦闘して、その精強さに感銘を受けたというエピソードがあったな。 レイテのパープルハート丘陵での戦いぶりが凄かったとあったが、おそらくはブラウエン飛行場から撤退して16師団や26師団と山中で合同し、殿を務めていたあたりかな。 |
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挺進第三連隊と第四連隊は連隊長まで戦死して壊滅 実戦の機会を逸した第一連隊は特攻へ回され パレンバン後の第二連隊は新田原で身動き出来ず 米軍側も実情は把握していたんだろうな |
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ちょっと前に渡辺謙が出演で映像化って話聞いたんだけど流れたの?それともデマ? |
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挺進連隊絡みでいま映画化か〜 硫黄島のような万人受けする作りにするのが難しいのではないかと。 戦中の空の神兵はともかく、戦後も鶴田浩二が出ていたパレンバン降下作戦の劇映画があるにはあったけどなぁ… C46から降下してますが… |
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一ノ瀬俊也氏の「卑怯な日本軍」(題名は刺激的ですけれど、内容は第2次大戦中のアメリカの 対日戦闘マニュアルの紹介がメイン)には、日本軍の方が戦場で英語の「ニセ命令」を使っってきた事例も紹介されていましたねこっちももしかしたら、日本軍側の二世兵士によるものだったのかも…? |
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夜戦の混乱の中、興奮した状態で違和感のない言葉で言われたらわかんない罠 引っかかっちゃった人はお気の毒だけど・・・ |
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志摩艦隊乗組の二世がスリガオ海峡夜戦の時に 米雷撃機隊に偽電を出して引き返させた話もあったね |
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本土防空戦でも無線で日本側が「もっと低く飛べ(英語)」とか偽の指示出したりしてたとか 逆に米軍側も「もっと高く飛べ(日本語)」とかやり返したり |
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太平洋戦線だと語学兵として通訳も兼ねてライフル・マンではないけれど前線に配属されて 日本軍から狙われてかなり死傷したとか 日本軍側から存在がバレてたと書かれてたね |
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捕まったら多分酷い目にあったろうし・・・ まあ、当然覚悟の上ではあったんだろうけれど |
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同じ民族同士の戦いって言うといかにも悲劇的なイメージがあるけれど、そもそも アメリカが最大の戦死者を出した戦争は内戦である南北戦争だったし、第2次世界大戦の後もそれこそ朝鮮戦争、ベトナム戦争と世界のあちこちで同じ民族同士の戦争なんて嫌になるくらい続くんだよね |
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さらに言えばアメリカは国の成り立ちからして移民が集まって出来上がった国なわけだし、 どこか外国に行けば必ずそこをルーツにする兵隊がいて、下手すれば親戚家族友人と戦場で鉢合わせするなんてのは、むしろ当然だったのかもなあ |
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日本でも戦国時代などそんな話ばかりだね。 同族間の裏切りとか日常茶飯事 |
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ウィリアム・パトリック・ヒトラー… |
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>夜戦の混乱の中、興奮した状態で違和感のない言葉で言われたらわかんない罠 >引っかかっちゃった人はお気の毒だけど・・・ 硫黄島では日本側がやり返している 米兵は負傷すると「衛生兵」と叫んで後方待機の衛生兵が同じく「衛生兵」と叫んでから負傷兵の元へ向かう 叫び返さなかった他の衛生兵はその場で待機して次の負傷兵の叫びを待つ これに気付いた日本軍が負傷兵の「衛生兵」の叫びに対して「衛生兵」と叫び返す事により本物の米軍衛生兵は動かず負傷兵がとり残される事になった 他には米軍の軍服を着た日本兵が「衛生兵」と叫び負傷兵のもとへ向かい負傷兵をナイフで殺す事も多発したので米軍が恐慌状態になった |
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朝鮮戦争にも日系兵士が参加しているのね・・・ 初めて知ったわ |
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>キム中尉 無責任艦長タイラーの部下だった人か。なつかしいなぁ。 |
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朝鮮戦争中の韓国軍が戦えた理由の一つが「日本軍の経験者が多く加わっていた」というのが有り。 クネクネさんの父上も帝国陸軍士官学校出てます。 |
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本物の韓国の英雄。白 善燁大将も満洲で間島特設隊にいたという。なのでベテランの士官とか下士官には。日本語の教育を受けていたので。英語より日本語のうまい軍人は多かったんです。 米軍は通訳として朝鮮語か日本語の出来る人が必要だった。 |
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第442連隊戦闘団第100歩兵大隊にいた只一人の朝鮮人士官だったヨンオク・キム大佐。 第100歩兵大隊への配属は手違いだったとも言われますが「ここには日本人も朝鮮人もいません。我々は皆アメリカ人であり、同じ目標の為に戦っているのです」と小隊長になり。最前線で活躍。 |
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>第442連隊戦闘団第100歩兵大隊にいた只一人の朝鮮人士官だったヨンオク・キム大佐。 朝鮮戦争で第7歩兵師団傘下の第31歩兵連隊に配属されましたが。韓国系兵士や僅かでも朝鮮語を解すると通訳にされると聞いて「ロサンゼルス出身で朝鮮語は全くわかりません」と言っていた。(本当は1世の両親と話していた)活躍して同連隊の第1大隊長に |
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>林英一氏の「残留日本兵(中公新書)」という本 著者が入門書みたいなものとか後書きで書かれてますけど、 残留理由が判明した人の動機の分類とか巻末の参考文献一覧とか 軍板の人にも興味深そうな中身ですよね 敗戦で打ち捨てられた人々がどういった経緯で残ったのかを色々挙げて 国ごとの簡単な現地情勢と史実推移に合わせて日本政府の対応や 個々人がそれぞれどのような人生を辿ったか書いてて、新書サイズでこれはなかなか… 山西の日本兵問題みたいな組織の論理で高級軍人の保身のために 人身御供へ出されたような悲惨な人々や戦後の独立闘争に関わって 住民支持の無いバリ島で文字通り全滅した日本人義勇部隊の話に混じって 飛行第5師団の自動車隊伍長が敗戦で収容所をおん出てラオスへ逃れて 陸軍参謀学校第1期生の第33歩兵連隊長で伯爵陸軍大佐にまで栄達したとか かなり珍しい例も挙げられてたり |
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台湾の李登輝元総統も日本軍人でした。お兄さんは残念なことに戦死されて靖国神社に祭られています。 最も多かった鮮人だったか。靖国にも祭られているモノも多い |
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本文無し |