軍0@2019年09月ふたば保管庫 [戻る]

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9月21日頃消えます ワレニ追イツク グラマン ナシ!

というわけで古今東西偵察機スレ 削除された記事が1件あります.見る

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因みに自分は100式司偵なんかもお気に入り
日本軍で陸海両方で使った数少ない機体の一つでもありますねー

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Fw189 ウーフー(ワシミミズク)。
またの名を【空飛ぶ額縁】。偵察機にとって視界は一番大切だよね。 (´・ω・`)b

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でもFw189に競争試作で破れたコッチの方が個人的に好きなんだ。
変態機の神様、リヒャルト・フォークト博士が設計したBv141。

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九九軍偵/襲撃機
偵察から対地攻撃、最後には対潜哨戒にも使われ米潜水艦も沈めた隠れた万能機

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ワレニ追イツク グランマ


彩雲は最後まで左傾癖が治らなかったんだっけね。
終戦前に翼端に樹脂カバーを付けて電探装備試験をしたようだが、写真は見ないなぁ

>日本軍で陸海両方で使った数少ない機体の一つでもありますねー
先代の九七司偵を海軍が九八陸偵で採用してるし機数が少ないから独自開発は・・・ってことらしいね
もっとも測定法の差から鍾馗を落として雷電開発したりと
少数機でも要求に届かなきゃ独自開発だけど

>ワレニ追イツク グラマン ナシ!
海軍のこの電文をカッコイイと思っていた陸軍パイロットが極秘偵察中に同じような電文を発して帰還したら「極秘の意味ないやろ!」と上司にシバかれたとか

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飛行第81戦隊所属だった、森屋正博さんという方の手記にある話だそうなんですが、曰く
「(※対米英)開戦前の12月2日、英国最新鋭戦艦プリンスオブウェールズとレパルスの2艦が駆逐艦を伴ってシンガポールに入港した」「早速サイゴンに前進していた海軍航空隊の元山中攻隊の隊長は翌3日、プリンスオブウェールズを見させてくれと言って、わが陸軍第81戦隊(司偵機装備部隊)のプノンペンに現われた。私は加藤静男陸軍中尉が12月1日にシンガポールを偵察しているので、同中尉にその期待に答えるよう命じた」「天候の都合もあって結局3日目の12月5日、その目的を達した。開戦期日も迫っているので、中攻隊長は大急ぎでサイゴンに帰って行った」…なんてことがあったんだそうで

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「12月末の或日、元山の中攻隊長は、大きな風呂敷包に煙草を一杯包んで御礼に見えた」
「そして敵艦撃沈時の海軍航空隊の攻撃隊形の事や、超低空で接近し吃水線をねらって投下した各機の弾着状況のこと、敵艦が15度も傾いており乍ら仲々沈まなかった事など、細部に亘っての色々な話があった」…そうなんですが、やはり大事の前には入念な下調べが大事と言いますか、「マレー沖海戦」の勝利には陸サン&司偵の協力も一役買っていた、というお話しなんでしょかねえ…

開戦前の隠密偵察は結構しっかりやってたみたいね

国籍マーク消した司偵やら陸攻で飛んでったらしいが

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皆様色々なレス有難うございます
スレ主は軍事知識の細かいところはほぼウィキ頼りというレベルなので面白い話ばかり・・・画像は全木製の蚊

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敵ハソノ後方ニ 空母ラシキモノヲ トモナウ!
一通の電文が戦局を変えちゃうことだってあるとです・・・

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二式艦上偵察機


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>開戦前
水上機母艦「神川丸」所属の零式三座水偵の搭乗員で、緒方英一という海軍少尉さんがおられたんですが、この方が対米英戦開戦の直前、マレー半島へ向かう陸軍攻略部隊を乗せた輸送船団前方の警戒飛行中に、エゲレスの「カタリナ」飛行艇に遭遇したんですとかこのまま上陸船団を発見されては一大事!というわけで、英機の気を逸らすべく彼是試みても効果がなく、遂に決心して後席の7.7mm機銃を撃ちかけたものの、僅か一連射で機銃は故障、慌てて修理に取り掛かっている最中に、同じく船団護衛中だった陸軍の97式戦闘機の一隊が飛来して「カタリナ」を撃墜してしまったんだそうで「僕の機が大東亜戦争の第一撃を撃ったんだけど(略)陸さんに墜されちゃった。陸さん、大喜びで上がったり下がったりしていたよ」…なんて、後に内地に帰還した際、弟さんに語られているそうです

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その後も南方戦線で任務に従事していた緒方さんなんですが、1942年5月頃、対潜哨戒の
途中でまたも、今度は米軍の「カタリナ」飛行艇と遭遇したんだそうで、因縁の相手との再会(?)に奮起した緒方さん、今度こそは!というわけで再び果敢に攻撃に移ったんだそうで幸い今回は機銃も快調で、並行しながら2連射ほど浴びせると、左エンジンが停止した敵機は海面スレスレに降下して逃亡を図ったんですが、ここで緒方機は一端敵機の前方に出ると、旋回して反航の体勢で接近しつつ、敵機の前方海面に未だ抱いていた対潜爆弾を投下、コレが見事図に当たりまして、炸裂した爆弾の爆風&水柱に突っこんだ「カタリナ」は姿勢を崩し、そのまま海面へと突っ込んだんですとか零式水偵の航空機撃墜戦果自体が稀で、更に「対潜爆弾」による「撃墜」戦果とくれば、日本以外含めてもそうそうない話な気がしますけれど…どうなんですかしら

自分的にはその話の並走して後部銃座の7.7㎜を撃ったって話がどうにも信じられないんだよな
PBYは側面銃座にブローニングM2があるのでいい的になる

97戦が落としたって話は逆に信ぴょう性があるけどね
この機体後部は銃座の死角になるから火力悪くてもしっかりエンジン狙って落とせると思う

ひと通りの海軍偵察機に乗った方の手記。
2式艦偵の艦爆譲りの頑丈さと機動性を買ってるね。
電探装備の彩雲にも乗ってるが、彩雲は機体強度が弱くて水平直線飛行で逃げるしかないとあるな。
http://www.naniwa-navy.com/senki-1-rikuteisoujyuuinnomoide-nakagawa1.html

現実はグラマン相手でも未帰還だらけやな
優位からダイブされたらもう厳しいし常に全開速力で飛ぶわけにもいかんし
目標高度も出せるようなレーダーで邀撃機の管制・誘導されたりうじゃうじゃ数飛んでて警戒の網に穴がなかったり
どういうコースとって接近しようが見るべき基地や艦隊上空って点は通らなきゃならんし

高速戦闘機の武装撤去した偵察型やタフな重爆を長距離哨戒に使うのうらやまし

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>並走して後部銃座の7.7㎜を撃ったって話
緒方さんの2度の対「カタリナ」戦の様子を、碇義朗氏の「海軍航空予備学生」からもう少し詳しく引用させていただくと「心を決めた緒方は、大胆にも思い切って敵機に接近し、横に並んだ。『カタリナ』の前方と側方の機銃がいっせいにこちらに向けられ、操縦席の童顔と髭面の二人のパイロットがはっきりと認められた。さらに接近して手を振り、敵意のないことを示すと、『カタリナ』からも手を振って応じてきた。そこで敵機の針路を変えさせようと徐々に自機の向きを変えてみたが、敵はその手に乗らず、船団の方向への直進を止めようとしない」「攻撃を決意した緒方は、機を沈めて敵『カタリナ』の腹の下に入り、旋回機銃による一連射を浴びせたが、すぐに射撃が止まってしまった(※一回目)」「遭遇した『カタリナ』と、せっかく有利な体勢に持ち込んで射撃を開始しながら、機銃故障で撃墜に至らず(略)陸軍戦闘機隊に功名を奪われてしまった」

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「それを思うと今日は何が何でも墜としてやろうと決意した緒方は、前の時と同じように
敵機の腹の下にもぐり込んだ」「後席に旋回銃のある水偵はこういうときは便利だ。平行に飛びながら2連射を加えると、左エンジンが止まった敵機は海面すれすれに降りて逃げ始めた(2回目)」…というものだったんですとか因みに零式水偵VSカタリナの空戦例は他にも有りまして、ミッドウェイ海戦の際にも水上機母艦「千歳」の搭載機がミッドウェイ基地から飛来した「カタリナ」を空戦で撃破して、不時着水させる戦果を挙げていたりします案外、対「カタリナ」戦に限っては、相性の良い機体だったりしたのかも知れないですなw

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因みに、「大東亜戦争」開幕直前に緒方機と交戦した後、97戦に撃墜された「カタリナ」
では機長パトリック・エドウィン・ベデル中尉以下8名全員、ミッドウェイで「千歳」の零式水偵に撃破された「カタリナ」では機長ロバート・S・ホイットマン中尉他2名が帰らぬ人となっているんだそうなんですが、殊勲の緒方さんも珊瑚海海戦の最中、索敵飛行に出た後消息不明になっており、公式記録では「敵機と交戦の後自爆」「0800頃相当多数来襲せる敵戦闘機と空戦、自爆戦死」…と推定されているそうです「本職」の戦闘機と交戦したらひとたまりもない点では「零式水偵」も「カタリナ」も同じなんですが、かつての彼の最後は、後の我の運命…って話なんですかねえ…

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零式三座水偵、およそ思い付く使い方は大体されてますけど
前方に撃てる火器が無いのはさぞ不便だったでしょうね…

>前方に撃てる火器が無いのはさぞ不便だったでしょうね…
言われてみれば…確かに。(´・ω・`)
九七式艦攻も天山も前方機銃がついてなかったけど、
どうして付けなかったんだろうね?

流星とか瑞雲には付いたし(震え声)

まあ、艦攻や水偵が積極的に敵機を追う運用なんて想定してなかっただろうし…

天山は途中で廃止したから、意外に使い手がないんだろう。

複座止まりで機動性は良好な艦爆でも戦闘機の真似事した例は少ない
三座の大型機はなおさら厳しいな
米攻撃機は雷撃や水平爆撃以外の低空襲撃もわりとこなすせいか伝統的に固定機銃ついてるけども

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>高速戦闘機の武装撤去した偵察型
エゲレス軍なんかは「スピットファイア」の偵察機型を運用しているんですが、相手方のルフトワッフェの戦闘機パイロットだったハインツ・クノーケ=サンという方の手記に、WW2初期のノルウェー戦線で、この偵察機型スピットを追いかけた話が有りましたりクノーケ=サンに言わせれば、スピットファイアは「すごい飛行機」で、当初はなかなか「エミール」では捕らえられず、優速を利して飛び去る相手に振り切られて口惜しい思いをしたこともあったそうでして、独側の戦隊長さんは撃墜したものに賞品としてヘネシー・ブランディを提供する、としていたそうですそんな手ごわい相手ではあったものの、ある時クノーケ=サンは相手が地上の撮影に夢中になっている隙を捉えて奇襲攻撃に成功、続く僚機の攻撃も受けたスピットファイアは遂に炎上、真っ逆さまに地上へ落下していったんですとか

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「スピットファイアは松明のように燃えながら、雪原に激突しようと落ちていく。そいつ
はそこで粉々に壊れてしまうだろう。パイロット諸共」「ぼくはまるで、そいつに言い聞かせるかのように自分が叫んでいるのに気付いた。『おい、脱出しろ、脱出だ!』(略)「そのとき炎の中から体が躍り出ると、機体と別れて落ち始めた。白いパラシュートが開き、揺れながらゆっくりと山の中に落ちて行った」「ぼくは心からほっとした。これがぼくの最初の空中での戦果だった。ぼくはかれに勝ち、かれも生き延びた」「ぼくとディーターは1本のブランディを分け合った。ぼくらはわが戦闘機隊のために乾杯し、不運なトミーのためにも乾杯した」

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…そうなんですが、この空戦にはもう少し後日譚?がありまして
「ディーターはスキーを装着したフィゼラーシュトルヒ連絡機でトミーを雪原から拾い上げて来た。痩せて背の高い英国空軍の飛行将校だった」「アルコール分の強いブランディを飲んで、かれも少しは気分が良くなったようだ」「ぼくらが、このブランディは君が呉れたもんなんだと説明すると、かれもぼくらと一緒に笑い転げた」…そうです…w

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>九七式艦攻も天山も前方機銃がついてなかったけど、
>どうして付けなかったんだろうね?個人的にも不思議な気はしたんですが故 秋本実氏が寄稿した雑誌「丸」の記事によると「原則、急降下爆撃任務がある機体には対空砲火制圧や爆撃の軸線調整の為に射撃をしたため搭載した」「無論、艦爆辺りは要求仕様からも敵戦闘機との空戦もある程度考えられていたこともある」と書かれていました(・w・確かに光人社NF文庫の「空母瑞鶴の生涯」あたりにも敵戦闘機に突っかかっていく九九艦爆のお話もありましたし間違いでは無いとは思うんですけど、じゃあ何で「天山」の初期生産型は左翼に7.7mm機銃を搭載していたの?(・w・って話になりますが、これは明らかに「敵艦船対空砲火制圧用」だったそうなんです但し、これ敵艦艇の未来位置を目標とする雷撃機には不要じゃね?ってお話になったようで、すぐに廃止になったようですね(・w・

そうか瑞雲も流星も急降下爆撃機としても運用するから前方機銃があったのか
特に後者は艦攻のイメージが強くて艦爆兼用なのが頭からすっぽ抜けてた

んでも巡洋艦に積む水偵って爆弾も積めますわよね?

水偵ではゆる〜い緩降下で対潜爆撃するくらいが関の山だろう

急降下爆撃でも機体軸と降下軸と爆弾の落下軌道はそれぞれ微妙にズレてるだろうし
ガイドと制圧目的で撃ちまくりながら突撃するというのはあんまりイメージがないな

まあパイロットの心理としちゃ
対空火器撃ち上げてくる敵に何かぶつけてやりたい
って誰か書いてたわ
急降下だとなおさらだろうね

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まだ飛行機が爆弾や機銃を積めないうちからその軍事利用は始まっていた…
つまり偵察機こそが全ての始まりにしてもっとも由緒正しい軍用機なのです!(キリッ

書き込みをした人によって削除されました

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そんな偵察機にとって一番大事な装備と言えば…
…やっぱりカメラ、になるのでしょうか?

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RAFの公式記録では、偵察機型スピットを「わが国のもっとも重要な武器のひとつ」と称
しているそうなんですが、WW1開戦から1940年1月中旬までの統計によると「英国空軍は、総面積6千3百平方キロにわたる敵の領土を撮影した。航空機損失は計40機であった」「フランス空軍は、総面積1万5千4百80平方キロにわたる敵の領土を撮影した。航空機損失は計60機であった」「(※偵察機型スピット部隊は)1万2千9百平方キロを撮影したが、これは隊が持つただ1機のスピットファイアによってなされたものであり、したがって航空機の損失は皆無であった」…そうです従って出現当初は「メッサーシュミット機」よりはっきり優速だった偵察型スピットと、そのパイロットさん達にとって、一番の危険は燃料切れであったそうで、エゲレス写真偵察部隊の初期の指揮官だったジョフレイ・タトル=サンなんかは、「スピット」の自衛用武装強化を求める部下に対して

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「敵に出会って1戦を交えることになったら、油がかかる一方じゃないか。これ以上高速の飛
行機はほかにないんだから、銃を持つ必要はないさ」…なんて言い聞かせていたんですとか(実際には武装した偵察機型もあるみたいですが)偵察機型スピットはその後何回もモデルチェンジを繰り返し、特に長距離飛行が可能なタイプなんかはあまりに大量に燃料を積むので、部隊では”飲兵衛”という仇名で呼ばれたそうですwまた「スピット」に続き、より大型の「モスキート」双発偵察機が導入され、更に長距離への偵察が可能になるんですが、「モスキートにはそれぞれ強い酒の名前がつけられた」

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「ウィスキー、ベネディクティン、ウォッカなど。のちにもっとふえてドランビュイ、コワン
トロー、クレメ・ド・メンテが配備された。はじめのうち操縦士たちは、航法士の指図で操縦するのが変な気がしてならなかったが、間もなくそれにも馴れて、二人いっしょに搭乗する方がはるかに有利だということがわかった。」「モスキートにすっかりなじんだパイロットたちは、心からこの飛行機を愛するようになった」…んですとか「飲兵衛」の次はサケそのものが愛機の名前に、というコトみたいだったんですが、やっぱり強い蒸留酒は、木製の樽の中で熟成させるに限るからだったりするんでしょか…w

>IP:240f:50.*
なるほど、急降下爆撃だったらそんな感じで前方銃を使ったでしょうね。
確か、南太平洋海戦の時、アメリカ海軍の急降下爆撃機が爆撃の折り
翔鶴の飛行甲板を銃撃した話が有ったと思います。

イギリスなのに、紅茶の銘柄じゃないなんて・・・!

少なくとも日本海軍では、急降下爆撃は銃撃ちながらするもんだろ?
投弾後は準戦闘機扱いになるので、弾は残しとかないといけないけど。

操縦桿に機銃発射スイッチついてるならいいが日本海軍機はおおむねスロットルについてるから
その近くにある爆弾投下レバーに手やっておかなきゃならん以上両手がふさがってて難しいでしょ

99艦爆は操縦桿に爆弾投下レバースロットルに機銃引金ってレイアウトで
彗星は操縦桿の頭に射撃ボタンでスロットルを内側に倒すと爆弾を投下するという
スロットルそのものを投下レバーにするスタイルなので両方同時というのは特に問題ないかな

書き間違えてた
彗星の射撃ボタンは操縦桿でなくてスロットルの頭

台湾沖航空戦での97大艇の夜間電探哨戒は非常に有効で、
遠距離で敵機動部隊の動静をプロット出来てたようだから、
小型機用の電探が今少しまともなら、偵察哨戒の犠牲も減ったかな。

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1937年にエゲレス海軍が、「フリートシャドワー」なる艦上偵察機を計画しているそうなんで
すが、コレは夜間敵艦隊に触接して、朝になるまでそのままストーキングし続けるのが主任務とされていたんだそうで従って要求仕様は「航続時間は6時間、しかも敵艦隊にくっついて低速で飛ぶこと。偵察員の視界は広くする。空母に夜間着艦するから、失速速度は思い切り低くて、脚は頑丈なこと。勿論艦上機だから、機体寸法はできるだけ小さく、主翼も折りたためるように」…と結構うるさく指定されていたんですとか

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試作にはジェネラル・エアクラフトとエアスピードの2社が応じたそうなんですが、出来上がっ
た機体は両者とも高翼4発固定脚、機首にガラス張りの観測手席を置くよく似たスタイルにそれぞれに高揚力装置等に工夫を凝らし、ジェネラル・エアクラフト社製の方で巡航速度時速68.6km、最小飛行速度時速60.5kmと無事「遅い」機体が出来上がったものの、実際の所余りに低速すぎるゆえに舵の効きが悪く操縦性は最悪、各種要因による気流の乱れも影響しやすぎて飛行安定性に欠けるという結果になってしまったんだそうでそこへ艦上/機上レーダーの進歩やその他諸々の状況の変化もあって、結局空母の搭載機にこんな目視夜間偵察専門の「一芸芸人」の枠は要らないよね?という話になり、「フリートシャドワー」構想は一時の徒花として終わってしまったそうですもっとも、逆に今なら無人UAVかドローンの艦上搭載型を使っての、「フリートシャドワー」ばりの任務は、むしろ需要があったりするのかもしれませんですな…w

夜偵だっけ?
フリートシャドワーに似たような機体は日本も作ったよね
やっぱり海軍国同士、同じような考えに行き着くんじゃろか

夜の闇の下じゃ大艦のウェーキですらなかなか見えない上に気象や海象の不安定要素が加わってしまう
触接機放つにはまず索敵にはっきり成功してる必要があるし
触接専用機の遅さじゃ発見から派遣までのタイムラグが激しくなる

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>海軍国同士、同じような考えに行き着くんじゃろか
我がIJNの艦載夜間偵察機の系譜は、昭和6(1931)年の「6試六試小型夜間飛行艇」ぐらいまでさかのぼれるんだそうで、むしろ発想の時期としては「フリートシャドワー」より前から始まっていたみたいですなあ「6試六試小型夜間飛行艇」の要求性能として、やはりできるだけ低速で、長時間安定した飛行ができることが求められていたそうなんですが、昭和7年に初飛行した試作機は要求性能は満たしたものの、離着水時の舵の効きの悪さや乗員配置の不備を指摘されて不採用にそれでも「夜偵」はその後も昭和9(1934)年の「9試夜間偵察機」、昭和11(1936)年の「11試特殊水上偵察機」と試作が続けられ、「96式水上偵察機」と「98式水上偵察機」の2機種が制式採用されていますから、IJNの夜間低速の敵艦隊ストーカーに対するニーズ、というのはそれなりに根強いモノがあった、ということなんですかしらん

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因みに戦史家の雨倉孝之さん曰く、「96式水上偵察機」の場合は
「(※昭和)11年7月に制式採用されたのだが、複葉・飛行艇型の胴体で、前方視界をよくするためプロペラを後向きに装備する推進式にしてあった。暗緑色に塗粧し、通称を”夜偵”といったが、夜間低速(65〜80ノット)でゆっくり飛ぶので、またの名を”馬鹿烏”とも」「何時間も暗黒の洋上を飛んで訓練をつみ、他の搭乗員がまだ眠っている夜明け前に帰ってくる(略)昼間はそんな飛行にそなえて(※搭乗員は)濃い黒褐色のサングラスをかけており、自ら『夜烏商売』と称していた」…そうなんですが、後に「大東亜戦争」初期まで運用されていたこの「夜偵」「夜烏」「馬鹿烏」、仮に搭乗員さんたちのアイボール・センサ頼りだけでなく、手ごろな機上用電探の搭載でも間に合っていたなら、太平洋なら案外大戦の後半まで出番があったりしないですかね…?