… |
それほどこの本は保守・進歩を問わず大多数の韓国国民の普遍的常識とはかけ離れている。 それにもかかわらず、植民地近代化論者などは臆するところがない。それは“不都合な真実”かもしれないが“客観的事実”であるためだということだ。そのため学者的良心からそのように言うほかはないということだ。ハン・スンジョ教授は、韓国の代表的政治学者のひとりであったし、『反日種族主義』の著者も高い学問的水準を持っている学者だ。彼らは自分の主張を裏付ける論拠を持って主張しているのであって、感傷的に主張しているのではない。 植民地近代化論という用語は、国史学界がかぶせたフレームのようなものだと言って植民地近代化論者本人たちは特に満足していないようだ。そのためこの用語を使うのは慎重になるが、本人たちが自分たちの学問思潮に対して特に何か規定しているわけでもないので、便宜上この用語をそのまま使うことにする。 植民地近代化論というのは、だれか一人の見解ではなく、さまざまな研究者による集合された考えだ。 |
… |
研究者の専攻も経済学だけでなく、歴史学、政治学、社会学などとても多様で、研究対象の時期も朝鮮末期から現在に至るまで多様だ。そのため共通分母を探すことは容易でなく、ややもすれば一般化の誤りを犯しかねないが、時期別に植民地近代化論の主要な主張を要約してみると、次のとおりになる。 (1)朝鮮末期社会が生産力の崩壊とともに自滅するしかない危機に置かれていた。 (2)日帝強制占領期間、日本から近代的なさまざまな制度が導入され、先進的な資本が大挙投入されることによって朝鮮が急速に開発され、その結果朝鮮人の生活水準も向上した。 (3)このような植民地的開発の経験と遺産が、解放後の韓国経済の高度成長の歴史的背景になった。 日帝強制占領期間の資料を読めば、その当時植民地朝鮮で注目すべき開発が行われたことを簡単に識別できる。近代的な日本の法が朝鮮に適用された。市場制度が発展した。鉄道・道路・通信・港湾などの社会基盤施設が拡充された。先進的技術を持っている日本の資本が大挙投入されて、工場と鉱山が建設された。河川が改修された。 |
… |
農地改良と農業改良によって耕地面積が拡大し、農業生産性も上がった。都市計画と上下水道施設が普及した。こうした証拠はこの他にも逐一数え上げられないほど溢れている。 不都合な真実はここから生じる。「こうした近代的なさまざまな変化が植民地朝鮮を開発させただろうし、その開発のおかげで朝鮮人も少しは豊かに暮らせたのではないだろうか」という気がしてもおかしくない。「日本人たちが開発の利益の多くの部分を持っていったと言っても、朝鮮人にも少しはおこぼれがあっただろうし、それで朝鮮人も多少は豊かに暮らせたのではないか」と考えることもできるということだ。 ところが、朝鮮が開発されたということと、それが朝鮮人にとっても利益になったという論理展開の中には、論理の飛躍という落とし穴がある。朝鮮という地域の開発と、朝鮮人の開発を区別できない飛躍だ。日本人たちは猛烈な速度で朝鮮の土地を掌握して行き、鉱工業資産は90%以上が日本人たちの所有であった。少数の日本人が土地や資本のような生産手段を集中的に所有したので、所得分配が民族別に不公平にならざるをえなかった。 |
… |
こうした不公平な所得分配構造は、日本人たちにより多くの生産手段を所有できるようにし、それが所得不平等を拡大させた。こうした民族別不平等の拡大再生産過程が、植民地時代に朝鮮で広がっていた開発の本来の姿だった。 不公平な開発は民族差別を拡大させた。朝鮮の開発は日本の、日本人による、日本人のための開発であったため、本来この地の主人だった朝鮮人はそうした開発の局外者に過ぎなかった。歳月が流れますます民族別生産手段の不平等が拡大して、経済的不平等が拡大するいわゆる「植民地的経済構造」に閉じ込められることになった。したがって、植民地体制が清算されない限り、朝鮮人は植民地的経済構造から抜け出すことができず、未来に対する希望も持てなくなった。解放がまさにこの植民地的経済構造から脱皮できる唯一の道だった。まさにそうした点で、民族独立運動が何よりも重要で大切だった。筆者が以前に書いた本に、『開発なき開発』という一見形容矛盾したタイトルを付けた理由もそこにあった。 http://japan.hani.co.kr/arti/culture/34241.html |
… |
チョンが何言っても意味がないのでは |
… |
朝鮮人の頭と精神性は近代化できませんでした |
… |
共産党に都合の悪いネタは立てないucomは職場で立てて、帰宅したらaccess-internetで上げ荒らし 上げ荒らしには健忘症6booをはじめ多数の回線使ってるぞ 今日はスレ26、レス60、アゲ1 |