軍裏4@2019年09月ふたば保管庫 [戻る]

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19日18:28頃消えます そろそろ梅雨もあけるし、お盆スレ
実家やら本家に帰ると戦中戦後のエピソードを聞く機会もあると思う。
細かいことは抜きにしてゆるーく話せたら良いなって。

たまには季節感のあるスレもいいでしょ 削除された記事が6件あります.見る

後ろのおじさんが持ってる盆灯籠って広島辺りしかやってないんだよね
最初お墓にあれが何本も刺さってるのを見て驚いた

シベリア抑留者だった祖父が90歳で亡くなったのももう何年も前だ
もう実際に戦地に行った方のお話は聞けないんじゃないかな

ばーちゃんはいつも飯食ってるか?って聞いてきたよ。
一番大切だよな

亡き祖父は肺に影が見つかって兵隊に取られること無く
樺太の飛行場でビーコンを出す仕事をしていたと聞いた
戦後も通信関係の仕事でそれなりの地位まで出世したらしい

孫の自分が物心付いたころには既に退職していて、
こちらがそういう話に関心を持つ頃にはもう晩年だったから
本人から詳しい話を伺う機会はとうとう作れなかったが、
後になって伴侶だった祖母から上述のような話を少し聞けた

祖父の兄に当たる人は徴兵されたようで、形見の軍隊手帳を一度だけ目にした
姫路の生まれだったらしいから恐らく第10師団、所属は砲兵…だったかな?
詳しい軍歴までは聞いていないので分からない

憎っくきグラマンに機銃掃射を受けたと
昔話をする年配者のなんと多かった事よ・・

父方の祖父はそういう話を聞く前に亡くなってるので戦時中の話は聞いたことがない
せいぜい父方の祖父の兄、つまり大伯父が大陸で戦死しているくらいか
でまぁその戦死のおかげといっては言葉は悪いが後妻ならぬ後夫となったのが祖父なわけで
それがなければ俺は生まれてなかったかもしれない

母方の祖父は子供のころ農機具で人差し指の先を切断しているため
徴兵はされなかったと聞いた
思うところがあったのか一式陸攻やらゼロ戦の写真なんかは集めてた
ちなみに母方の親戚は松根油用の松脂を集めているときに玉音放送を聞いたそうだ

スレ画、住所から経歴まで祖母と似ており他人事とは思えない作品だった。
呉空襲の際に頂いた12.7mm弾頭も実家にある。
 
二次元の作品が現実とリンクしているのは、何とも言えない不思議な感じがあるね。

スレが始めてみたのが広島市内の映画館で、偶々会社が休みの日がレディスデーだったから御婆様ばかりだった
で、ラストあたりですすり泣く声があちらこちらから聞こえてくるのよ
主人公本人世代でないにしても、ラストの娘世代はあの中にもいたのかもしれないなぁ……

ところでとしあきさんや、スレ画の完全版公開はまだですかいのう?

8/3にテレビでやるね

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>ところでとしあきさんや、スレ画の完全版公開はまだですかいのう?
リンさんの出番の増える「この世界の さらにいくつもの 片隅に」なら12月20日公開予定だちなみにエンドロールに名前の載る応援チームの募集は7月31日までだぞ

知り合いのおばあちゃん曰く
事前に撒かれた空襲予告ビラを拾うな触るな言ってた連中が
東京大空襲当日のビラに書かれてた避難指定地区への誤爆でお亡くなりになったとか
焼死体や廃材を処理するのに処理穴掘らずに井戸に投げ入れて埋めるヤツがいて半殺しにされてたとか言ってるね

うちの婆さんの弟さんが農大入ってシベリア抑留だったね
ロシアは学生にも容赦無しだな

 母方の祖父が終戦後内地勤務だったのに
頭を包帯ぐるぐる巻で帰ってきて何があったと家族に聞かれ
”軍馬の世話をしとったら馬に蹴っ飛ばされた”

昭和50年代後半〜平成生まれには厳しいスレですな
物心つく頃には故人か知ってても当人の葬儀に出たくらいだろうし

>昭和50年代後半〜平成生まれには厳しいスレですな
>物心つく頃には故人か知ってても当人の葬儀に出たくらいだろうし
まぁこんな感じで「歴史」になっていくんだなぁと
ここの人たちだって例えば戦国時代の足軽や戊辰戦争での幕軍官軍兵士に
いちいち感情移入しないのと一緒で

そうね、そろそろ先の大戦も「歴史」にしても良い頃合いなのかも知れない
言いだしっぺは絶対叩かれるだろうが

>東京大空襲当日のビラに書かれてた避難指定地区への誤爆でお亡くなりになったとか
広島/長崎に退避勧告ビラ撒いてたなんていう米国の言いわけが余計に虚しく聞こえるお話ですね

空襲がある時は、年寄りは木の下に隠れて爆弾の落ちた場所を確認してたみたいな話を聞いた。

ゆるーくなんてスレ立てたけど、やっぱり戦中戦後の話は厳しいものが多いですよね。
ここまで復興して、食べるのに困るような事もなくなって。有り難い事です。
先人たちに胸を張れるよう頑張りたいですね。

大丈夫、そのうち今の若い世代も身を持って体験することになりますよ。

98585 B
>東京大空襲当日のビラに書かれてた避難指定地区への誤爆でお亡くなりになったとか
当のアメリカのビラには「爆弾には眼がありませんからどこにおちるかはわかりません」「裏に書いてある都市から避難してください」とあるが、避難指定地区、ましてや2月までの空襲のようなピンポイント狙いのとは違い明確な地域爆撃を主眼とした東京大空襲でそんなビラが撒かれていたのか?

読みにくいな
当時は縦読み主体だからこれでも良かったのか?
とも思えないが?

父方の家はそれなりにいい家柄だったそうだったが空襲で燃えた
母方の祖父は海軍にいたらしいが年齢的に前線には行ってないらしい

終戦時陸軍の高射砲部隊所属だったという方から
数年前に聞いた話
撃墜された米軍機から女性の死体が発見された事があったそうな
部下が辱めようとしたのでたとえ敵でも死者は丁重に扱えと戒めたそうだが
「たぶん従軍記者だったんでしょうね」と
当時少尉だったというその方は仰ってました
ロイス・レインみたいな人が本当にいたんだろうか

>撃墜された米軍機から女性の死体が発見された事があったそうな
似たような話は他地域の郷土史にも残っていまして、私が読んだのは「長髪の米兵を見て女性兵士と勘違いした」というケースでした。確認のため、遺体のズボンを脱がせた人までいたとか。

ド田舎にも米軍機の空襲はあって、駅近くの工場が良く機銃掃射を受けていたそうだ
で、空襲の後に工場に行って、機銃弾を拾って集めるのが子供たちの娯楽だったと爺ちゃんに聞いた

このスレの趣旨とはあまり関係ないかもしれんが番宣を見たのでメモ

NHKスペシャル 
#あちこちのすずさん
〜戦争中の暮らしの記憶〜 (仮)

初回放送日 2019年8月10日(土)午後9時00分〜9時49分
https://www6.nhk.or.jp/special/sp/detail/index.html?aid=20190810

>姫路の生まれだったらしいから恐らく第10師団、所属は砲兵…だったかな?

おぉ
俺の伯父も姫路、といっても飾磨だからちょっと違うのかな、南方で戦死してるよ。
親父が10人きょうだいの末っこで、伯父は上から三番目の兄で人格者かつ眉目秀麗運動万能頭脳明晰甲種合格で町で知らない者は居ない人で戦死の報に皆非常に残念がったとか。
逆に上から二番目のどうしようもない悪たれで有名だった伯父は元気に帰ってきて、このことでますます残念がられたとか。

一昨年物故した伯母は高校生の時に女子挺身隊で名古屋の工場に勤労奉仕
何回もB29の空襲にあったそうだ
防空壕の中で座りながら、至近に着弾する大型爆弾の破裂音と振動に耐えたことをニコニコしながら語ってくれたなぁ

特定の人からのものではないけれど、
実家のある村は、丁度爆撃を終えて離脱していくコース上にあり
余った焼夷弾をバラバラと水田地帯に捨てていくことがままあり、
燃えがらの八角形の鉄の筒を集めて、花壇の仕切りなどに使っていて、今も庭先で現役の家もあるそう。
曰く、米軍の鉄は質が良かったから錆びて朽ちないと。

父親が樺太生まれだけど引揚げの時
四歳だったから戦中戦後の話は爺さん婆さん
からしか聞いて無いが爺さんは樺太庁のそこそこ
偉いさんだったらしく昭和18年に出張で上京し
神楽坂で芸者を揚げて遊んだりしていたらしい
三十年前に聞いた話

書き込みをした人によって削除されました

教師だったので勤労奉仕で名古屋の三菱に女学生たちを連れていったところ空襲に会い、
学生たちが避難した防空壕に爆弾が直撃してしまい生徒が物理的にバラバラになってしまったので
手足を拾って体に縫い合わせて遺族に返した
という話をずいぶん前に亡くなった親戚のおばあさんから聞いたことがある。
まあすごい時代だわな。

一番上の伯父は珍しく? 海軍と無関係な船乗り(琵琶湖汽船勤務)だったとかで
当時陸軍に船舶兵はまだ無かったから輜重兵として上海の上陸作戦に従事
上陸用舟艇か何かの運用に任じていて初日で戦死
遺族には狙撃されたと聞かされたらしいが信憑性はどうなのやら

母方の爺様は職業軍人の海軍下士官でやたら軍歴は派手だったが殊更自分から
口にする事はなかったな。一年に一度のレベルで酔った時にポツリ程度で
そのころ婆様は動員で住友の工場で飛行機の部品作ってたとかいうのも聞いて
住友>飛行機>ペラ?的な連想して「婆ちゃんが部品を作ってたのか稼働率が
下がる筈だよ」と妙な納得を感じた
でもそんなの聞くと知れば知るほど旧軍の駄目さ加減も承知で爺さん婆さん達
世代の血肉そのものだったのだなという愛おしさも感じるようになった
自分としては「歴史」と突き放すのはできなくなったよ

>学生たちが避難した防空壕に爆弾が直撃してしまい
片隅に、の映画でもやってたな
女学生の避難壕に爆弾が落ちて潰れてしまったので、掘り出す人手を集めようと
声をあげているシーンがあった

その前に歌を歌いながら行進している女学生たちがいたんだけど
どうやら彼女たちが「それ」だったらしい

女子供ばかり狙う悪辣な米軍

国内に女子供しか残ってなかったからでは…

>その前に歌を歌いながら行進している女学生たちがいたんだけど
>どうやら彼女たちが「それ」だったらしい

片隅の上映会で監督のお話聞いたけど、歌を歌いながら行進していた
女学生はそれとは別物。監督の話によると、映画製作の際に協力してもらった
軍艦オタの監修者に「なにか映画で入れて欲しい当時のネタある?」って
聞いたら、神妙な顔しながら「呉空襲の際に港の堤防に爆弾が直撃して決壊、
流れ込んだ海水によって防空壕が水没して全滅してしまった女学生達について
ぜひ触れて欲しい」と言われて(監督的には如何にも軍オタ的な、どんな
マニアックな軍艦ネタが飛び出てくるかな?程度の気持ちで聞いてたので、
まさかのマジレスにドキッと来たとか)真剣に検討したが、ストーリーとの
バランス上そのエピソードを丸々取り入れるのは困難だったので、
せめて当時彼女たちのような女学生が居たことことだけでも映画として
触れようと、工場まで歌いながら行進していたと言うエピソードを元に
映画に反映したって言ってた。

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女子供を選んで狙う命中精度があればベトナムであんなに苦労する事も無かったろうに...。
俺の伯叔父さまは明石で溶接工をされていたらしくトラックでえらいドでかい大和に乗った話等をしてくれた。例えば"内地で子供が産まれた同僚がいて大喜びで写真を見せびらかしていたのがトラック空襲前夜。その同僚は空襲当日甲板に居たところを艦載機の機銃掃射で亡くなってしまった。"とか。4年前に100歳越えだからまだご存命かどうか....。

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本文無し


>女子供を選んで狙う命中精度があればベトナムであんなに苦労する事も無かったろうに...。
苦労したのは韓国と手を組んだから

>ロシアは学生にも容赦無しだな
じいさんは、満洲でサラリーマンしていたのに。敗戦の少し前に徴兵され。ソ連兵に連行されて、シベリアで凍死した。

半世紀後、旧ユーゴで各国の平和維持軍が行くと。「NATO、イエス!ロシアン、ノー!」と言うデモが。
あいつら、変わってないんかい

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母方の祖母がやっぱり戦中教員で、教え子の女学生さん達が
随分勤労動員中に亡くなったと母に聞いたんですが、どうも空襲ではなく地震による被害であったようで多分1944年の東南海地震のことだと思うんですが、詳しい事情を聞く前というか、戦中にそういう震災があったんだ…と知った頃にはもう祖母は他界していまして、本人から直接話を聞くことはなかったですなあ今でもそうした関連の史料とか読んでると、つい祖母に繋がるような情報なりと含まれていないか、気にしちゃう所はありますですねえ

>絵?写真?カラーで?

>本文なし
絵?写真?カラーで?

丁度調べてる俺にはタイムリーなスレ
祖父は10年前に他界して、事前情報は関東軍で馬の世話をしてシベリアに抑留されたってことだけ。生前はその手の話をしたがらなくて戦友会の案内も見たがらなかったらしい。

役所に兵籍簿を請求したらもう残ってないとの回答。代わりに祖父直筆の申告書と履歴書、曽祖父が届け出た昭和21年軍人軍属未帰還届出書が残ってるとのこと。申告書は昭和38年の聞き取り調査に回答した時の物らしいけど何の調査か不明。

送られてきた祖父の申告書は手書きのページ1枚分。一応日付や転属部隊まで通称号で細かく書いてあった。それによると当初は見習い獣医少尉として第62師団独立歩兵第13大隊に居たらしい。大陸打通作戦に参加後、沖縄転進の直前に過剰人員として大陸に残留。その後は第117師団独歩204大隊に転属、警備地で(共産匪賊?と)戦闘。師団ごと関東軍に編入→ソ連が侵攻→抑留→マルシャンスク市で森林伐採に従事→昭和23年舞鶴に上陸。

沖縄転進のくだりでこのクソ暑いのに背筋が凍ったよ。下手したら自分含め一緒暮らしてる家族全員いなかったかもしれないんだから。シベリアでリアルに木を数えるのも幸運な方だったのかもしれない。

じいさんが生きてれば98歳だけど、それでさえ実際戦地に居たのは末期の1年半くらいでしかない。俺が平成生まれの27だから戦中の話を当事者から聞くのはもう限界なんだろうね。

女子供爆撃される状況で降伏するどころか
女性に爆弾持たせて自爆攻撃させる計画までもあった

そんな酷いことしないとだめだったのね
どうにか出来るだけの国力は必要だなと切に思うよ

民間人に対する攻撃は条約違反なのになぜか当たり前になってる不思議
左翼こそそこを突くべきなのだがなぜか日本悪いどまりで頭が悪い

(日本がやった攻撃には)突いてるからセーフ

言うても軍需工場の労働者って国際法上保護の対象になるか微妙じゃないかねえ

米軍はそこらを歩いてる市民に機銃掃射してたんだけど
ご存じないんですかね・・・

スレの流れ的に勤労動員の女学生さんたちの話かと思ったんだが
違うの?

スレ画って原爆の話がメインだと思ったけど広島全部が軍需工場だったなんて日本はすごい国だったんだなー(棒)

話を都市全体に広げていいなら広島は陸軍船舶輸送の重要な拠点だったし
呉なんかもろに軍港都市だよねえ

そして少なからぬ陸海軍部隊が駐屯してたわけだけど、そういう中に軍事施設があって軍隊が滞在
している都市ても国際法上保護の対象になりえるの?
そこがはっきりしてないと、そもそもアメリカを非難するのに国際法を持ち出す論法自体が
的外れってことになってまうやん

つまりガチの軍港だった真珠湾の攻撃も全く問題なかったわけですね。
でもまあ非常に洗練された攻撃で某国の下手くそパイロットと違って民間人の死者はほとんど出てませんけどね。

今度NHKで例の作品放送されるな地上波初

つまりアメリカの攻撃がガチの軍事施設である軍需工場みたいなのにピンポイントで
命中して、その結果中で働いている勤労女学生さんが一緒に吹っ飛ばされたような
ケースなら文句はないってスタンスなわけですね?

うん、大体言いたいことは分かりました(笑)

国家総動員法と国民徴用令は?

>軍事施設である軍需工場
で、普通の工場とどう見分けるのかね?

真珠湾攻撃の時に日本側が軍事施設とそれ以外を見分けたやり方と同じだと思いますよ(笑)

で、広島は全部軍事施設だったわけですなー(棒)
素晴らしい調査能力ですね

当時は無差別爆撃は人道的で無いながらも世界大戦という大きく狂った時代で相手を折れさせるには有効な唯一の手段だった。
相手に無差別爆撃をする事で自陣営の軍・国民の生命と財産を守るのが当時の技術力と戦術の限界だったという事では無いかな。
"当時の観点ではやむを得ない戦術ではあったが今日の観点では非人道的だしやってはいけない戦術"って事で。

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>スレ画って原爆の話がメインだと思ったけど広島全部が軍需工場だったなんて日本はすごい国だったんだなー
おどれはこっちと混同しとりゃせんかね

>"当時の観点ではやむを得ない戦術ではあったが今日の観点では非人道的だしやってはいけない戦術"って事で。
けどまぁいざとなったらまたやるんだろうなぁ…今度は核で
とは思ってる(こじつけは後が有ればどうとでも付けられる)

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潜水艦による攻撃は受け付けなかった
優秀な軍港ここを選定した人は褒めて遣わすすずさん小さい頃水が引いた海を渡るシーンがあったけどどっからどこへ渡れたの?

すずが子供時代を過ごしたのは呉市じゃなくて広島市の江波。
そこから対岸の草津へ歩いて行っただけ。

じいさんも墓場で艦載機に追い回されたって言ってたな
「パイロットの顔が見えるくらい降りてきて、憎ったらしいったらありゃしない」ってよく聞かせてくれたわ
まあ、明確に民間人やら病院やら諸々を攻撃したらアウトだが、軍需工場を攻撃するときに逸れたり、民家に偽装した弾薬工場だとか便依兵だと言う情報を元に攻撃したって言われたら、全体戦争なら勝たない限り追求は無理だろ
東京空襲だかみたいに、四方を火の壁で囲んで真ん中の住宅地を絨毯爆撃みたいな外道の所業だって撃墜した爆撃機の乗員を日本軍の軍事裁判にかけるのが精々だったみたいだし

そういえば
ガンカメラの映像で
学校の校舎を撃っているシーンがあるんだが

そこでは本土決戦に備えてゲリラ戦の教育をしてたとか?
と情報が筒抜けのような話を聞いたような

>どっからどこへ渡れたの?
広島南端の江波ってところから、西の草津まで
戦前から埋め立てが行われて、すずさんが白い兎を見た海は三菱重工の工場に
すずさん達が歩いた干潟は広島西飛行場になった

すずさん家の海苔稼業もそれに伴い廃業し、父ちゃんも工場勤務に仕事を変えていた

>>じいさんも墓場で艦載機に追い回されたって言ってたな
>>「パイロットの顔が見えるくらい降りてきて、憎ったらしいったらありゃしない」ってよく聞かせてくれたわ
それ見て思い出した。
そういえば今も相模原在住なんだが中学校の通学路の途中の塗装屋のおじさんが同じ事を言ってた。
高射砲がたくさんあって東京に行く爆撃機を撃ってたとか。
いつもガレージに自衛隊のカレンダーを飾っててたまに貰ってた。

>そこでは本土決戦に備えてゲリラ戦の教育をしてたとか?
>と情報が筒抜けのような話を聞いたような

軍事教練がそうならそうかもしれないと思う。
ただ同時にその頃は総力戦の時代だし今とはそういう考え方も全く違う。
国民全員が今で言う"予備自衛官補"か"工廠職員"みたいなものだし。
だから無差別攻撃をやっても良いとは絶対に言わないけど当時はそういう時代。

>じいさんも墓場で艦載機に追い回されたって言ってたな
あいつら雉うちみたいな感覚で人間狩りしてたみたいだからね
鬼畜米英とはよく言ったもんだわ

書き込みをした人によって削除されました

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>戦前から埋め立てが行われて、すずさんが白い兎を見た海は三菱重工の工場に
>すずさん達が歩いた干潟は広島西飛行場になったグーグルマップ見ても川を二本股がなきゃ行けないし???だったけど、河口がもっと北側であいまいな感じだったのねやっと理解できた、ありがとう>軍事教練がそうならそうかもしれないと思うこれは日本全国の話でしょう?そうじゃなく具体的に九州南端から上陸されるのを想定した阻止作戦として動いてた話だったような

そもそも「広島」という地名が、河口にできた三角州に城下町を作るにあたって
「いちばん広い島」を選んだ事が由来だからね

>今度NHK
なんのこっちゃい?と思ったら
明日NHKで片隅が放映されるんですね

最後の韓国旗がはためくところがなあ
あそこにスパイがいて軍港を監視していたという意味かな?

親戚のがきんちょが今年は大学受験だと聞いて、改めて年月経ってるのに気付かされました。
自分はずっと歴史を聞く側でいたのだけど、語る側になる日も近付いてるみたいです。
早いもんですね。

>最後の韓国旗
ペプシ旗憎しのあまり
戦後の戦災孤児パートは記憶から抹消されたの?

そんなんあったっけ?
あったとしたらそこで見るのやめたかもしれないな

書き込みをした人によって削除されました

だいたい内容を覚えていないような作品はどうでもいいと思ってるからだけどね

書き込みをした人によって削除されました

まあ、誘導装置のない爆弾に誘導装置があると言い張ってた人には言われたくないがな(笑)

>あそこにスパイがいて軍港を監視していたという意味かな?
なんかすごい解釈をしてる人がいるぞ
すずさんが玉音放送を聞いた後畑で泣いたのは韓国旗が上がったのを見たからだそうだ
http://golconda.hatenablog.com/entry/2016/11/18/094609

書き込みをした人によって削除されました

誤った知識で真っ当なこと言ってる人にバカ呼ばわりより億万倍マシだな

書き込みをした人によって削除されました

つまり前の間違いは認めるのだね?まず謝罪は?まずは誠意を見せたまえよ
あとキミと違ってバカ呼ばわりはしてないんだが?

あとスパイじゃなきゃどういう解釈すればいいのかわからないなあ。
終戦後すぐに旗用意してわざわざ掲げる意味がわからないんだよね、あそこ。
スパイが「してやったり」という解釈が一番しっくりくる。

軍板でお盆について語るのは無理なのかな

まあ語ってるのはお盆についてではなく出所不明な戦争談ですし

ただ単にスレの管理の問題でしょう。

>おどれはこっちと混同しとりゃせんかね
同じ日に同じチャンネルで再放送してるの少しも話題にならないのは単にドラマの出来のせいか

>ただ単にスレの管理の問題でしょう。
裏だと消せる権限は無いんですよ。

表で同じネタでスレ立てしてるけどそんなに番宣したいかね?

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表は映画スレ
裏は戦争体験スレで良いじゃんと言いつつワイも聞いた戦争体験話は尽きたゾ。"ブログ・オブ・ウォー"や"自衛隊イラク派遣の体験記の話か、あるいは光人社NFの"艦長達の太平洋戦争"とかそういう系なら幾つか書けるが....。

表はアニメ厳禁なんだけどね。画像貼っただけで削除されるのが普通。

>ただ単にスレの管理の問題でしょう。
>裏だと消せる権限は無いんですよ。

えっ、前裏に建てたスレで罵り合っていた連中のレスを削除したことが
あるんだが・・・(´・ω・`)オレノカンチガイ?

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本文無し


>すずさんが玉音放送を聞いた後畑で泣いたのは韓国旗が上がったのを見たからだそうだ
>http://golconda.hatenablog.com/entry/2016/11/18/094609
そのブログには「原著者自身が「なぜすずが泣いたのかわからない」と言っている。」と書いてあるけど

そのうえでブログ主は
掲揚された太極旗を見て、自分達が食べていた外地米がこれから無くなる恐怖、そしてそれらを作っている植民地の労務者への自分たちの仕打ちと、その報いが自分たちにも返ることを想像し、今後の屈辱の予想に悲しみを感じたのではないだろうか。
と述べている

ブロガーの個人的な感想てことね

>裏だと消せる権限は無いんですよ。
今は裏でも削除権はあるぞ
早速試してみることをお勧めする

>終戦後すぐに旗用意してわざわざ掲げる意味がわからないんだよね、あそこ。
>スパイが「してやったり」という解釈が一番しっくりくる。

スパイは言いすぎかもしれんが、「してやったり」感はその通りなんじゃないかな。
俺の親父から「終戦直後に朝鮮人が勝った!勝った!と祭りのように練り歩いてたが、子供のワシは何が勝ったのか意味がわからんかった」という話を聞いたことがあるよ。

>スパイが「してやったり」という解釈が一番しっくりくる。
そもそもどこのスパイ?アメリカ?中国?

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細かいことは特に考えずブチ込んだであろうとしか言えない演出について考察するの好きだな
創作物や事象を深読みする癖って変な陰謀論にドはまりしやすいからそこそこに切り上げようね?

お盆休みに突入ですね。
改めてスレの軌道修正したいところです。
今年は墓の草取りは日の出前にやる事にします。
暑すぎです。

母方の祖父が満州引き揚げ組
3年前にスレ画観たあとに帰省した時聞いてみたら
敗戦後にソ連兵にみんな捕まって遊郭だった建物が仮設捕虜収容所になった
なんやかんやで解放されたあとは満州人の店を訪ね歩いて働き口を探した
二言目には女はいないのか?と聞かれて断られたが親切な店で皿洗いした
そうやって食いつないで引き揚げ船で帰ったとのこと
父方の祖父は村唯一の海軍兵で江田島で榛名や日向見ながら訓練後に和歌山だかに移って訓練中に終戦

親類縁者にはそれなりに多い。
フィリピンでマッカーサーが上陸してくるのに戦っていたり。
海軍の機関兵で乗っていた船をやられて、負傷しても。修理しながら動かし続けて勲章貰ったり。

北陸で福井県と富山県が米軍の爆撃目標で、石川県は余りされていないらしいが。米軍機が日本の戦闘機に追われたり、機体の調子が悪いと爆弾を捨てるので27人だか死んでる