料理@ふたば保管庫 [戻る]

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8月23日頃消えます 世間では焼きそばブームらしいようで
専門店がたくさん出来ているんだってな

だからと言って、焼きそばは店によって味は異なれど、ハズレの店なんてあるのか?
どこでも最低限は旨いだろ

>世間では焼きそばブームらしいようで

と言われて4〜5年たったような

好きな人には申し訳ないがパスタ麺の焼きそばはハズレだと思う…
調達大変な海外の日本食堂ならしょうがないと思うが
国内だと遠慮したいところ

パスタ麺って平麺のこと?

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自家製麺で平打ちとかならそれはいいと思うです…
自分が言ってるのは画像の乾燥パスタのやつです…好きな人はすみません、こうでなきゃならないとかの好みの部分ですラーメン頼んで乗ってるチャーシューが生タイプ位がっかりなだけです

乾麺
https://item.rakuten.co.jp/irohadohonten/irh-yaki/

イタリヤんとかもダメ?

>パスタ麺の焼きそばはハズレだと思う…
麺の茹で方はおいておいて
そのほかの工程ってば味付け以外はパスタも焼きそばも大差ない気がする
まあ焼きそばを注文して麺がパスタだったらとりあえず店員に確認するけど

>パスタ麺の焼きそばはハズレだと思う…
四半世紀前の海外駐在時の貴重な日本食もどきアイテムだったぞ
1,2mmφのパスタ探し出して「硬水」(現地の水道水って大概これ)
で茹でると、中華麺もどき細うどんみたいなのが茹で上がってな
どっちかと言うと麺より「日本製のソース」が貴重品だった

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パスタを使うなら、一旦茹で上げておいてオリーブオイルを振り放置
麺が適度に伸びてふにゃふにゃになったところで焼きそば的炒めを加えてソースをジューッ太麺焼きそばっぽくなる以前、ナポリタンを作ろうと上記茹で工程をした後で、トマトケチャップが切れているのに気付き、あり合わせのウスターソースぶっかけてみたら、焼きそばだったと麺は数時間放置しないと「らしさ」が出せないから、お急ぎの方には向きません今ググってみたのだが、焼きそば麺をトマトケチャップで炒めて、なんちゃってナポリタンというのが結構ヒットした冷食でこんなのもあるのだから、パスタで焼きそばはアリなんだろうな

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焼そば専門店で美味しい焼そばを食べてみたい


テキヤの焼きそば美味いよね
雰囲気のせいかもしれんが

海の家の焼きそばが旨いのと同じよ

焼きそばに野菜は不要
麺と少量の豚バラと削り節でいい

キャベツは欲しいな
ソースが染みこんでウマー
モヤシとかにんじんは無くてもいい
玉ねぎ入れるぐらいなら長ネギの薄切りを最後に添えて

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想夫恋は本店以外は食べる価値なし


諫山ってこんなに絵上手かったっけ

>諫山ってこんなに絵上手かったっけ
たまに偽物が出没するよね…

キャベツにしろモヤシにしろ豚バラにしろソース焼きそばに入ってる具で美味いと思った試しがない

ソース味の野菜炒めがそもそも旨くない
そこに麺を入れたところで旨くなるわけがない

> ソース味の野菜炒めがそもそも旨くない
おまいトーホグ人やろ
関西には行かんほうがええ。なんでもソースかけるぞ
焼売にもソースやしトマトもソースや(一番多いのは砂糖やけどな)

1番衝撃的な文化は肉まんにウスターソースだなあれは味の想像がつかない

>トマトもソースや
トマトはソースに入ってるし相性はいいのでは

面倒くさいからサラダもソースで済ませるな
ドレッシングの方が美味しいけどソースでもいける

沖縄そばの麺で焼きそばを作るとうまいんだが
沖縄でも出してくれる店が少ないんだよなー

>1番衝撃的な文化は肉まんにウスターソースだなあれは味の想像がつかない
別に悪くは無いぞ、ガキの頃はよくやってたw
ご飯にソースも普通だったな

沖縄そばの麺で焼きそばってのは米軍基地周辺の喫茶店に多いイメージ。
一説では沖縄そばをケチャップで炒めて出したのが米兵にウケて、
それが少しづつ食堂にも拡がって行く過程で塩味とかソース味が増えたという話。

沖縄で食堂といえば、一部の24時間営業店を除いて殆どが昼と夜だけで、遅くとも21時には閉める。
対して喫茶店の一日の営業時間は、一般的な食堂のほぼ倍に及ぶ。
メニュー数も食堂が30〜50種類に対して、喫茶店は100種類を超えることも珍しくない。

喫茶店は朝早い時間から働く人々や、夜遅くまで活動している人間の胃袋を支えている。
その中で喫茶店独自のメニューというものが発展して行った。焼きそばもその内のひとつだ。

かつて、飲んだシメに焼きそばという習慣を持つ中高年が多かったのだが、
これは内地で働いて島に帰って来た人間が広めた風習ではないのか?というのがもうひとつの説。
そいや、カラオケスナックで焼きソバや焼きうどんを出す店って昔は多かった。

沖縄そばの麺と一口に言っても、実は地域によって大きく異なる。
本島中南部の中太麺に対して、コザより北のヤンバルは平打ちの幅広麺である。
そして最も大きく異なるのが八重山(石垣群島)の中細丸麺であるが、
これは地理的に近い台湾の麺からの影響が強いと言わざるを得ない。

本島中南部の中太麺は一部の「ラーメン二郎」の麺によく似ている。
※(ワシワシ・ゴワゴワ系じゃない、もちもちつるプリ系の二郎)
本島北部の平打ち麺は「きしめん」にそっくりだ。
八重山の細丸麺は黄色くない手打ちの中華麺という表現が適切。

それではどの沖縄そばの麺が焼きソバに適しているのか?というと、
当たり前の話だが、どれを使っても美味いのだ。なぜなら・・・

なぜなら、沖縄そばの麺というものは
麺を一度茹でて、風を当てて乾かしながら油を絡めるものだからだ。

この工程によって、冷蔵設備が貧弱な(無い)時代でも麺が長持ちしたし、
さっと湯を通して出汁に入れればすぐ出せるという点も商売には利点だった。

何よりも、一度茹でた麺を保存する過程で余分な水分が抜け、適度な歯応えも生まれたし、
あとから加える調味料やスープを吸い込み易くなるので、料理としての一体感も上がった。

近年ではそういう沖縄そばへのアンチテーゼとして、茹で立ての沖縄そばを出す店も増えたが、
そういう店は大概スープも工夫していて、ますますラーメンとの境界線があやふやになるのであった。
沖縄そばの沖縄そばたる「所以」(ゆえん)を喪失しかねない事態である。

いんだよ細けえことは

沖縄そばって食ったこと無いけどスパゲティで肉うどん作ったような感じ?

スパゲティほどシコシコしてない
独特の食感だね

>沖縄そばって食ったこと無いけどスパゲティで肉うどん作ったような感じ?
豚が美味かったとしか記憶に無いな

スパゲティだと、よくある乾麺じゃなくて
手打ちのタリアリーニとかタリアテッレなら
沖縄そばの代用麺として使えそうな気がする。
タリアリーニを八重山そば似とするなら
タリアテッレがヤンバルそば似という見立て。

たぶんだけど鹹水は使ってないよね?

沖縄そばの古式製法はガジュマルの木を焼いた灰を水に溶かし、
しばらく置いた後に上澄みを掬って小麦粉に混ぜるやり方。
まあ単純にアルカリ水ってことだからカンスイと変わらない。
現在は多くの店がフツーにカンスイを使ってる。
うどんなんかだと塩水だけで練って作るけどね。

>沖縄そばって食ったこと無いけどスパゲティで肉うどん作ったような感じ?
上の長文馬鹿が解りにくく書いてるけど島によっていろいろある。
地域の細かい違いを無視すれば、大体は稲庭うどんのコシをなくした麺を、カツオ出汁の強い甘さかなり控えめのめんつゆにぶち込んでとろとろの豚角煮乗せた感じ。
麺は硬さはあるけどコシ無くサクッと噛み切れる。

交通の便が飛躍的に発達し、物資のみならず文化までもがボーダーレスに伝わる時代では、
沖縄そばもまた、その境界線があやふやになって、確実に変容して行くのも無理からぬこと。

沖縄そばは琉球王朝時代、今の那覇の場所にあった唐人居留区に伝えられたのが最初である。
長くなるのでその歴史過程は端折るが、沖縄そばにカツオ節が広く使われるようになったのは
実は戦後であったという事実がある。特に本島南部の70歳以上の人間にとって
沖縄そばの出汁というものは、豚骨のみで、白濁させないようにゆっくり炊くものなのだ。

そこにカツオ節が加わったのは、本島は北部、本部町の渡口港がカツオ漁の
一大基地であったことに由来する。他にカツオ漁で有名だったのは宮古の伊良部島で、
上記2箇所は比較的、早い時期から沖縄そばにカツオ節を使うようになっていたという。

本部も伊良部も、カツオの獲れる時期は集落にカツオを燻す煙がたなびき、真っ白だったそう。
そうやって漁から製造までを担っていた猟師町にとって、カツオ節というものは
現金収入を得る手段であって、普段はおいそれと口に出来るものではなかったという話。

沖縄そば ↑うんちく
良い話を聞けたのでそうだね連発しといた
最近は料理表板200文字程度も読み切れない
二次裏としあきたちが蔓延ってて悩ましいよね

そんなカツオ節をどっさりと使った沖縄そばが現在のように広まったきっかけは、
チャレンジ精神が旺盛でビジネスに長けた本部人(むとぅぶんちゅー)の気質によるものだ。
戦後、那覇の公設市場で手広く商売をしている人間は殆どが本部人であったという事実がある。
それは今でも変わらず、那覇の多くのビル所有者の出自が本部であることは珍しくない。

歴史を遡れば、琉球王朝が中国の明朝、朝鮮の李朝、ジャワ、マラッカと縦横無尽に
アジアの海に船を走らせた勇敢なる民は、本部半島に住むウミアッチャー(海を歩く人)であった。

そんな彼らが那覇にこぞって進出して来た切っ掛けは「沖縄海洋博覧会」である。
1972年の沖縄復帰の3年後に開催された海洋博の会場となったのが本部町であった。
それまで陸路では気の遠くなるような場所であった那覇までの道が整備されたのだ。

「なぐやすばどぅくる」という言葉がある。
分かり易く書けば「名護はそば処」ということになる。
今でこそ沖縄のアチコチで食べることの出来る「ソーキそば」を始めとして、
現在の沖縄そばの骨格を形成する基本構造や、そのイノベートは多くが名護を発祥としている。

いわずもがな、名護は本島北部で最大の街である。本部人は那覇に出る以前、名護で商いをしていたのだ。
豚骨のみをゆっくりと炊いた出汁を注いで作る本島南部の沖縄そばの具材は
「ししターチ、かんぶくターチ、ビラ小」(三枚肉x2・蒲鉾x2・小ネギ)が基本である。
そこにカツオ出汁を加え、昆布、揚げ豆腐、煮ソーキ(スペアリブ)を足したのが名護である。
名護の入り口、ひんぷんガジュマルから路地を入った新山食堂や、その先の我部祖河食堂が礎。

必死で調べてそう

>長くなるのでその歴史過程は端折るが、沖縄そばにカツオ節が広く使われるようになったのは
>実は戦後であったという事実がある。特に本島南部の70歳以上の人間にとって
>沖縄そばの出汁というものは、豚骨のみで、白濁させないようにゆっくり炊くものなのだ。
てことは気軽にそばに使うくらい戦前から豚を日常的に食ってたの?沖縄
なんとなくアメリカ占領時代に普及したものかと

沖縄で大昔から豚肉が食べられて来たことを示す遺構が
古い民家跡や城跡などに残っていますよ。
豚便所(ワーフールー)と呼ばれる食の循環施設(システム)が
個人の邸宅に当たり前にあったことを示すものです。

かつて島では豚正月(ワーソーグヮチ)と言って、豚肉は年を越すには欠かせない御馳走でありました。
ゆえに、豚肉を商売にでも使っていない限り、そうそう日常的に食べる事が出来なかったのも確かであります。
そもそも島の在来種であるアグー豚は個体が小さく、仔を産む数も少なかったのです。

そんな状況が一変したのが、アメリカが持ち込んだランドレース種の普及でありました。
多産で個体が大きく肉の収量も多いランドレースは肥育期間も短く済み、食肉事情を大きく変えたのです。

江戸時代には北海道の昆布が沖縄に来てたとかいう話を聞いたような気がするけどどうなんだっけ?