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8月11日頃消えます bow wow 削除された記事が2件あります.見る

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本人達はこんなカンジなんかな


bow wowといえばXボンバー

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>本人達はこんなカンジなんかな
「俺のご主人は鳥の一種かもしれない」

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偉大なる先人たちに
…じゃなかった、先犬たちに

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戦前、ワンコ達が軍隊を作る「のらくろ」という漫画がありました。
1931年から講談社の「少年倶楽部」に長期連載されていました。作者は長谷川町子さんの師匠に当たる田川水泡先生です。昭和の末頃までは復刻版単行本が書店に置かれてたそうですが、現在は絶版となり、古書はプレミアの付いたお値段となってます。電子書籍で出してくれたら嬉しいんですけどネ。(´・ω・`)b

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本文無し


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>ワンコ達が軍隊
赤紙ワンコ

>戦前、ワンコ達が軍隊を作る「のらくろ」という漫画がありました。
中学の図書室の一番奥の書架の最下段の本を全部出して羽目板を外すと戦前の布装本が数冊隠してあったな
日教組の強い学校だったから見つかってたら只じゃ済まなかっただっろうが
全ての休み時間を図書室で過ごす図書室のヌシみたいな子が各学年一人は居て
そういう生徒の間で口伝されてた
旧かな旧漢字だったからそういう子でないと読みこなせないだろうし

戦後ののらくろを置いていたけどはだしのゲンは置いてない学校だった
後から聞くとはだしのゲンが置いてあるのが普通と聞いて驚いた

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>赤紙ワンコ
犬の戦時供出として、中心となったのは軍犬の購買ですね。日本軍犬の調達は購買会の厳しい審査を経た「購買軍犬」と、篤志家の無料寄附による「寄贈軍犬」に区分されていました。民間ペットの購買窓口となったのが、帝国軍用犬協会(KV)と日本シェパード犬協会(JSV)。大陸では満洲軍用犬協会(MK)と青島シェパードドッグ倶楽部(TSC)です。青島攻略戦以降に青島系シェパード(青犬)が大量流入したことも手伝い、戦前の段階で一万数千頭の民間飼育シェパードが資源母体として利用できました。

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悪名高いのがペットの毛皮献納で、商工省は日中開戦直後から野犬毛皮の統制に動いていました。
画像の八王子警察署が「野犬のついでにペットも毛皮にしろ」と言い出したのは昭和14年で、ことのときは愛犬家の猛反撃を受けて一旦撤回しています。戦況が悪化した昭和19年末には軍需省と厚生省が全国の地方長官へペット献納を通達し、今度は八王子署も堂々と回覧板を発行できました。

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「犬の特攻隊」自体は実在していて、それが本土決戦へ備えて編成された民間義勇部隊の「国防犬隊」です。
国防犬隊の記録では各地のKVおよびJSVメンバーが愛犬と共に参加していた様ですが、敗戦間際の混乱で全容は不明。

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陸軍はKVやMKから犬を調達していたのですが、海軍はJSVが主たる調達窓口でした。
戦後はこれが逆転し、保安隊や陸上自衛隊がJSV、海上自衛隊がKVの後継である日本警察犬協会から犬を調達しています(昭和20〜30年代のお話)。

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ノラクロ=サンは縛られて逆さ吊りの状態から敵の武器を奪って反撃に転ずるワザマエの持ち主!
哀れな敵兵=サンは、ノラクロ=サンの容赦ないグントー・ジツの前にマップタツ!コワイ!前にIJNの航空機用カタパルト開発について書かれたものを読んだとき、主に射出時の加速度の限界値を探るため犬、猿などを実験動物として使用したそうなんですが、お猿さんの購入費用を計上した時には「カイグンさんで猿を何に使うと?」なんて訝しがられた、なんて話があった記憶が逆に言えば、犬の方は海軍でももうある程度軍用犬等で「購入実績」があったんでしょかね…w

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陸(うちも犬飼いたいなぁ…)


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>海軍でももうある程度軍用犬等で「購入実績」があったんでしょかね
陸軍では各種小銃弾の銃創比較実験、化学兵器の研究などでも犬(その他の家畜も)を用いていましたが、海軍はどうだったんですかね?そういった個々の慰霊碑に加え、戦地や研究室で犠牲となった軍用動物を合同慰霊する施設の建設計画もありました。

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>陸(うちも犬飼いたいなぁ…)
昔はいたんですけどねまた復活させるとかいう話があるとかないとか

大和の主砲公試で甲板に置かれた豚は骨も内臓も潰れて死んでいて
主計兵の手でトンカツにされたという与太話もありましたな

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空技廠の航空医学部で勤務されていた大島正光さんという方の手記に、戦中行われていた落下
傘の自動開傘装置の話が有るんですが、「空中で意識を失っても落下傘がある高度に降りると紐が切れて自動的に開傘する方式であって(略)実験を鹿島灘で実施することとなった」「動物に落下傘とこの装置をつけて中攻から落とし、落下傘が開いて無事地上に着いた動物を回収班が回収する。動物は山羊、犬、豚等人間の体重に近いものが使用された」

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「回収班はトラックで予め鹿島灘に向かい、神田等焼き払われた下町の光景を見ながら行った。
うまく開傘して動物は回収されたが、実験動物はこんな筈ではなかったとおびえているものもいた」…そうで空技廠では他にも高空飛行時の生理学的影響を調べる低圧室、動物実験用の遠心力発生装置等が置かれて、色々な実験動物を用いて各種の研究が行われていたそうなんですが、その過程で結果的に尊い犠牲となった動物さん達もいっぱいいたんでしょかね、やっぱし

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>尊い犠牲となった動物さん達
軍部が実験台にした犬は、行政の野犬駆除で捕獲されていたようです。当初はアヤシゲな売人から買っていた野犬も、廣井辰太郎やバーネット大佐夫人の働きかけで殺処分猶予期間が設けられた頃から公的な調達窓口が確立されました。この期間に飼主が見つかった個体は救われますが、残りは研究機関などへ譲渡・実験台となったあと化成所へ持ち込まれ、皮革や肥料などへ加工されていました(何故か実験ネコの遺骸だけは研究機関での焼却処分が認められています)。画像は陸軍歩兵学校が雑犬軍用化研究で調達した犬たち。いずれも東京府が捕獲した野犬です。

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いっぽうの海軍軍犬は全くの別ルートで調達されていました。
第一次上海事変で陸軍犬の活躍を見た海軍が「陸戦隊に犬を配備してはどうか」と提案。同年に陸軍歩兵学校およびTSCから犬とハンドラーの提供を受け、呉軍需部の火薬庫警備犬としてスタートしています。陸軍やKVと対立していたJSVも、皇族出身の筑波藤麿会長や海軍という後ろ盾を得て戦時体制下での生き残りをはかりました。

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>全くの別ルート
1945年1月に、IJNの館山海軍砲術学校で作成された「挺進奇襲の参考」なる陸戦隊用の対米陸戦マニュアルがあるそうなんですが、底本となったのは44年7月にIJA教育総監部が刊行した「挺進奇襲の参考(※同名)」であったものの、元ネタの陸軍版が本文104ページに対して、海軍版は424ページと大幅にボリュームアップされており、その加筆?分は主に海軍独自に研究し、追加した対米戦法・戦術で有るんだそうで、その中には、陸軍版では「薬物(犬用嗜好剤)を使用、あるいは跳躍して足跡の断絶を図る」とのみ指示されている、敵側の「軍犬」対策法も含まれているんですとか「軍犬処理法」と題された諸対策は・持来性の利用(飼い主に拾ったものを持ってくる性質を逆用して追跡を遅延)・嗜好物による誘惑・足跡の中絶、皿粉・魚粉等撒布による攪乱・興奮剤の利用

書き込みをした人によって削除されました

書き込みをした人によって削除されました

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・天象地象の利用
・臭跡の欺騙・毒物(毒餌・毒針)の利用…等、多岐に亘っているんですが、甚だしいのには「炭疽菌」を利用した敵軍犬の処理法、なんていうのまで取り上げられているんだそうで陸軍版より後発の海軍版故に、恐らく南方戦線での対連合軍軍用犬戦の戦訓も取り入れた上で、軍犬対策部分もボリュームアップしたという事なんでしょうけれど、実際これらの薬物・細菌等の使用法の効果については、やっぱり国内で実地に検証してたんでしょかねえ…

馬も犬も食料になる

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>やっぱり国内で実地に検証してたんでしょかねえ
もともと、日本の軍用犬対策は対ソ戦を見据えたものです。満ソ国境地帯ではソ連軍用犬に偵察を妨害され続け、「犬には負けた」という悲鳴が上っていました。そこで関東軍は「対犬材」として臭気攪乱剤を開発しました(軍犬は拒食訓練を受けているので、毒餌などの「嗜好品」は無効だと知っていましたし)。「樹液で体臭を消した亡命ロシア人がソ連国境警備犬の追跡を逃れた」との証言からピーフタ精油で試作したものの、特段の効果は見られなかったとか。いっぽう海軍側の研究成果は活用されず、沖縄戦が始まってから新宿中村屋の相馬社長(JSV理事)に「米軍犬を餌か何かで攪乱できないか」などと相談する体たらくで、「敵の軍犬は日本兵より美味いもの食ってますよ」と呆れられています。

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化学兵器に関しては第一次大戦で得られたデータが豊富にあり、専ら日本軍の軍用動物防護に応用されました。犬で細菌戦をやったとしても、対戦車自爆犬みたいな結果しか生まなかったでしょうねえ。
画像は「敵地に狂犬病感染犬をパラシュートでバラまいたらどうっすか」とかいう珍戦法を提案していた陸軍空挺隊員(詩人の竹内浩三)。

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詩人黄瀛が率いる中国軍用犬部隊「特種通信隊」は緒戦で壊滅したため、そちら方面の対策は必要なかったワケです。
後に米軍が反攻を始めた頃は既に遅しで、戦地へ辿り着く前に輸送船ごと撃沈される軍犬が続出していました。

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>新宿中村屋
創業者の中村愛蔵=サンの自伝の一つに、自社開発の犬用ビスケットの話が有るんですがhttps://www.aozora.gr.jp/cards/001147/files/43527_17334.html「薯蔓いもづる式経営といって、一つの事業から生ずる廃物を他に有効に利用して、それからそれと利益を挙げます。例えば昔はコールタールは、ブリキ屋根を塗る以外に用途の無かったものでありますが、今日では九州の三池炭山やその他等においてはコールタールから染料を製出して、従来独逸から輸入されていた数千万円の染料を防ぎ止めるだろうと云われて居ります、私の店でもこの点に留意しまして従来捨てて置いたパン屑を利用して犬ビスケットを製造する事に致しました。」

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「犬に食わせる犬ビスケットにしても、従来は英国やドイツから輸入していた。一斤六十五
銭もしていたものを、ヒョットした機会から自分のところで作って見ようという気になり、いろいろ分析研究して結局今では二十五銭で売れるところまで漕ぎついた。しかも犬は六十五銭の外国品より喜んで食うのだから愉快だ。」…なんてありましたりインド独立の志士、ビハーリー・ボース=サンを匿うついでに本格印度カリーのレシピを日本に導入したり、「クリームパン」の元祖であったりと日本の食文化への貢献で名高い中村屋さんですけれど、犬用飼料についても、軍用犬関係者の間で「犬の好きな食べ物のことなら、中村屋に聞けばいいかな…?」…みたいに認識されるレベルだったんでしょかね…w

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>従来捨てて置いたパン屑を利用して犬ビスケットを製造する事に致しました
中村屋取扱いの犬用ビスケット(「大型のビスケット」と読み間違えた人もいたとか)、原料は店の廃棄品だったんですね。初めて知りました。戦時下で飼料不足に窮する愛犬家のため、中村屋は外部研究機関と協力してドッグフード開発にも取り組んでいます。ちなみに、JSV会報の題字は義兄の安雄社長がボースに書いてもらったもの。

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なお、「日本最初のドッグフードは戦後に進駐軍が持ち込んだ」とかいう説は真っ赤なウソです。
日本が開国したのは幕末ですし、それから戦時中に至る迄の期間に欧米のペット用具や飼料も輸入しまくっていました。画像は、昭和12年に販売されていたドッグフード。

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舶来品と国産品のペットフードで溢れかえっていた内地犬界も、戦時下では状況が悪化していきます。
日満犬界が戦時飼料問題について話し合った際、日本側が「カイコの蛹やネズミ肉は利用できないか」と窮状を訴えたのに対し、満洲側の悩み事は「余った肉の保存法について」などであり、話が全く噛み合いませんでした。

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JSVの中村屋が取り扱っていた「軍犬口糧」や「インネンドルフ・犬ビスケット」の向こうを張って、KVでも日本水産製ドッグフードを開発していました。
これらがどこまで愛犬家の支えとなったかは不明です。生産工場が空襲で被災したり、最後は原料すら入手困難になってしまいました。

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>画像は、昭和12年に販売されていたドッグフード。
1911〜13年に、南極点に到達しながら帰途死亡したロバート・ファルコン・スコット海軍大佐引きいる英国の南極探検隊の伝記に、同隊で使用された犬ぞり用の犬のエピソードも有るんですが、主な飼料として使用されていたのが同じSPRATT’S社製の犬用ビスケットだったんですとか(画像はスコット隊拠点の建物内に残る犬用ビスケットの木箱だそうで)「スプラット製の犬のビスケットは1個が227グラムあり、ソリ旅行時の食料は1日680グラムで、それは夜のテントに着いてから給与せられた。われわれはアザラシ肉のペミカンをつくってソリ旅行に時々ビスケットの代わりに試用してみたが、彼らはこの食物ではふとらなかった」…そうなんですが、一方スコット隊のライバルだったアムンゼン隊については「アムンゼンもまた犬にペミカンを与えたが(略)またかれは犬肉を(※犬に)食べさせた」

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「われわれの場合、犬肉を犬に与えることができたかどうかはわからない。というのはわれ
われの犬はシベリア種で、それは同族相食まないときいていたから」…なんて書かれているんですが、アムンゼン隊の方は犬の飼料として仲間の肉を共食いさせる以外にも、道中人間の隊員の食料にも犬を屠殺して用いており、「待遇」としてはエゲレス隊よりノルウェー隊の方が犬さんの側からすればある意味過酷であった、という話のようですなあもっとも、最終的にはスコット隊より大規模な犬ぞり隊を用意して主要な移動手段としたアムンゼン隊の方が南極点一番乗りを果たし、無事帰還も果たしているわけですから、当時の極限環境における手法としては正しいやり方だったのかも知れませんですが

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因みにこれは余談ですが、「南極点一番乗り」の栄誉を後から来た形のアムンゼン=サンに
浚われたエゲレス国民にはやはり面白くない感情が残ったようで、後に英国王立地理学協会が帰還したアムンゼン=サンを顕彰するために招いた席でも、氏の講演の後、「司会のカーゾン会長がソリ犬の様子をいろいろと皮肉な調子で質問したのち『では、アムンゼン氏を南極点初到達の栄誉に導いた最功労者ソリ犬に万歳を三唱したいと思います』と挨拶をしめくくった」…なんてことがあったそうです恐らく顕彰は名目で、この皮肉を言いたかっただけなんじゃないかとと思うんですが(棒実際、英国人の負け惜しみは抜きにしても、時に同族の肉を食らいながらも過酷な極地のソリ旅行に耐えて、文字通り自らの血肉も捧げた働き振りを思うなら、案外正当な提案ではあるような気がしなくもないですねえ…w

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陸軍は犬、海軍は猫ってイメージがある


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>同族相食まないときいていた
犬のカニバリズム実験は当時から行われており、当然ながら「通常は忌避するが空腹なら食う」という結果だったそうです。「陸軍獣医学校が上海で入手した肉骨粉を軍犬に与えたところ、食べようとしない。調べたら犬肉が混入していた」といった話もありました。何でも食えるというのは強みなんでしょうね。補給難に苦しむ前線では兵士も軍犬も痩せ細るいっぽう、戦死体を漁る野犬は丸々と太っていたとか。画像は日露戦争において、日本軍負傷兵を襲撃する満州犬。

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この満蒙犬(満州犬や蒙古犬の総称)に着目した関東軍軍犬育成所では軍用化研究に取り組みますが、いずれも凶暴すぎたり訓練が入りにくかったりで匙を投げてしまいます。
「やはり親和性と勤務意欲を備えたシェパードが一番」ということで、関東軍や満鉄では満州軍用犬協会への期待を高めたことでしょう。

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しかしMKの運営も順風満帆とはいかず、内地から移住した著名なハンドラーに会員を奪われて閑古鳥が鳴く支部もでてきました。
窮余の策としてドッグレース事業に打って出たところ、コレが大当たり。「なんでギャンブルやってんだよ」と関東軍から睨まれつつ、「犬主が増えるなら文句ないだろ、経営改善にもなるし」と他の支部も参入していきます。内地ではKVとJSVが抗争を繰り広げ、KV朝鮮支部は派閥争いで内部崩壊し(軍部の依頼で後にJSVソウル支部が介入)、満州国ではMKがドッグレースに血道をあげ、軍犬報国運動が一本化することはありませんでした。

馬匹改良のために競馬は早くから奨励されて天皇賞の原型も明治時代からあったりするので
賭博だからいかんと頭ごなしに否定もしづらかったのか

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所期の競馬は騎兵士官さん達が出場してたりするんでしたっけ…w
>「やはり親和性と勤務意欲を備えたシェパードが一番」戦中、南京の憲兵隊で軍犬班に配属される事になったあるケンペーさんの話だそうなんですが、「男子志を立てた教習隊で(略)勉学にはげんだのも、重慶系工作員と(略)渡り合う、華の憲兵になるためでもあった。それがあろうことかあるまいことか、犬の教育要員である」…と、当初はガックリきてしまったんだそうでともあれ、気を取り直して新たな勤務に就くわけなんですが「軍犬は、華中一番の名犬といわれた富士号を筆頭に、穂高、春日、三河など6頭がいて、ほとんどシェパード犬だが、なかにエアデール犬もいた」

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「だいたいの日課は朝6時前に起床、犬の食事は朝夕の2回、肉を主体にしたものを洗面器一
杯分あたえる(略)担当したのは穂高号というオスのシェパードで、1日2回、ブラッシングするのも日課の一つであった。『おい穂高、おまえらは憲兵にめし揚げさせて、ブラシもかけさせるんだからなア。偉いお犬様だ』ブツブツいいながらブラシをかける」「軍犬たちは、すでに各種の訓練を修了したベテランばかりだから、物品監視、追跡、爆薬探査、襲撃、障害物越えなど、朝めし前である。要するに(略)犬の相手をしてやればいいのであって、ボールや棒きれを投げて取ってこさせたり(略)気楽な面がないわけでもない。『お犬様係も、案外、悪くはなさそうだ』なれたら、そう思うようにもなった」…んだそうで、しまいには

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「とくに野外訓練は(略)お気に入りの行事になった。これは週に2回ほど、南京市郊外の紫金
山山麓へ、軍犬を訓練につれて行くことである。訓練とはいうものの(略)素晴らしい環境の中で、休養半分、訓練半分の時間を過ごすと、このときばかりは『お犬様万歳!』の気分である」「この紫金山のふもとが(略)野ウサギの宝庫で(略)ひょっこり顔を出して、犬の注意力をそらしてしまう。その気になって犬をケシかけると、もともと臭覚の鋭い優秀犬ばかりだから、またたく間に十羽ほど野ウサギをくわえてくる。『よくぞやったり!』と褒めてやると、犬も得意そうに鼻をうごめかす。帰り道、その獲物を交換すれば、老酒1本に落花生の2、3升ぐらいは軽いものである。当然その夜は、犬への感謝パーティー開催の運びとなる」…と、すっかり犬との共同生活をエンジョイするようになったんですとか…w

ワンワンも戦火に巻き込まれ大変な思いをしていたのですねぇ
そういえば農耕馬も軍隊に持っていかれて帰ってくる事は無かったとか

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>なかにエアデール犬もいた
第一次世界大戦で「万能犬」と称えられたエアデールですが、日本軍ではシェパードとドーベルマンの間に挟まれパッとしません。その容姿からか愛犬家の指揮官がいる部隊ではマスコット扱いされ、激戦地への投入を避けられていた記録まであります(実際は多数の日本軍エアデールが戦死しているのですが)。

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>帰ってくる事は無かったとか
満洲事変以降、出征した軍犬や軍馬は結構な数が帰国しているのですが、戦況激化と共にその数は減っていきます(凱旋帰国を目前にして検疫所で殺処分された病犬も)。敗戦時に国内残留していた軍犬でも、戦後に飼主宅へ戻れた個体はごく僅かでした。

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>賭博だからいかんと頭ごなしに否定もしづらかったのか
賽犬事業に奔走したMKの出口氏は、満洲賽馬界(日本で言う競馬)とは住み分けで手打ちとし「軍犬を愚弄するも甚だしい企畫である」と憤る関東軍には「軍馬に於ける鍛錬の夫れと共に、軍犬にも鍛錬競技の必要欠くべからざるものである(グレイハウンドの代わりにシェパード走らせりゃいいだろ的な)」とか何とかで説き伏せています。

そうなんですか!
僅かでしょうが飼い主の元に戻れたのが居たとは良かったです
(キスカ島撤退の時は犬は残されたなんて話も有ったのに・・)

そういえば越南戦争の時も撤退時に軍用犬は置き去りにされたなんて
聞いた事が有るけど日本の方が随分と温情処置だったんですかね

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>日本の方が随分と温情処置だったんですかね
温情というより有耶無耶にされていたのが実情のようです。日本軍犬の大部分は購買犬だったため、帰国しようと軍の所有物でした。本来の「帰宅」には飼主が軍から買い戻す手続きが必要だった筈です。第二次大戦でD4D(ドッグフォーディフェンス・日本の帝国軍用犬協会と同種の組織)が募集した米軍犬も戦後は民間へ戻されたのに、購買犬制度となった後は戦地への置去りなどが問題化することとなります。

そうだったんですか
敗戦直後から1〜2年は人間の戸籍も把握出来ないほど
混乱した時代だったと聞きますし
購買犬の管理までキッチリするのは難しかったのですかねぇ

(映)硫黄島からの手紙で憲兵が貧しそうな家の飼い犬が
五月蠅いからと射殺するシーンが有りましたが
あれも売り払って存在しない方がリアルだったのかなぁ

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戦中の昭和20年1月3日の「鹿児島日報」に、「畜犬も御奉公」と題した記事が載っているそ
うなんですけれど、曰く「2月から3月まで全国一斉に畜犬整理と野犬掃蕩が実施せられ、同時に畜犬の供出が開始される」「その目的は軍需毛皮革の増産確保、狂犬病の根絶、空襲時における人畜咬傷の危害除去、食糧事情の緩和、畜犬の廃餌による軍用犬の飼育増産等であって、鹿児島県では各市町村の日割を定め、県技術官、警察官、市町村吏員、軍用犬協会々員立会の下に全畜犬の集合検査を実施し、不参の犬は強制供出される」「献納供出された犬の毛皮革は航空帽、航空靴、手袋その他軍需品として決戦場に送られるのであるから、この際愛犬家は県下一頭も洩れなく献納供出するよう切望されている」…との事

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一方、実際に供出が実施され始めた3月9日の同紙に、今度は読者からの「供出犬撲殺」と題
した投書が掲載されているんですが、それによりますと実施の様相は「目下犬の供出が行われているが、連れてきた犬をその供出場で撲殺するのはどんなものか。戦局はうけみであっても、まだ日本の道義はそこまですたれてはおらぬ。その場で撲殺するなら、せめて少国民(少年少女)や飼主の目につかない少し離れた場所を選び、公衆などに見えないように設備する程の温かい心づかいこそ戦う日本のヨサではなかろうか」「『三年飼えば恩を忘れぬ』という言葉も主に賢い犬の表現だけでなく、日本人の良き半面を示した言葉であることを当局者はご存知か。米英を叩かねばならぬ理由も、この深いところに発しているのである」

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「犬といえば事は小さいが、『どうせ皮革になる』という形にとらわれず、もっと日本的心
の深さを知って欲しい」「それから市当局では、愛犬家が尋ねて来たとき『全部殺すのだ』と冷淡に言わず、優良種だけは検査の上残すことを親切に説明して貰いたいものだ」…というものであったんですとか要は幾ら戦時下の非常時とはいえ、「慈悲はない、ワンコ殺すべし!」「「グワーッ!!」」な当局のやり方はいくら何でもひど過ぎる…という批判の投書みたいなんですが、その投稿主のペンネームが「赤毛のワン」…ケンペー=サン!コッチです!!(血走った眼で

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>硫黄島からの手紙で憲兵が
硫黄島へ清水上等兵(加瀬亮)が送られた頃すでに、軍需省から全国の知事へ畜犬献納が通達されていました。ただし、実施したのは憲兵隊ではなく警察です。当時の飼育登録や野犬駆除は警察の業務で、それらをペット供出に流用すれば済んだのです。軍部が欲したのは愛玩犬の飼育登録簿ではなく、軍犬調達に必要なシェパード犬籍簿の完全掌握です(ゆえに反抗的なJSVにはKVとの合併を強要し続けました)。帝國軍用犬籍簿が整備されたことで、軍部は「何県何市何町何番地の何某がどういう訓練を受けたシェパードやドーベルマンを牡牝何頭飼っている」というデータを常時把握していました。画像のボドー・孔雀荘(エノケンの映画に出演した俳優犬)で説明しますとKZはシェパード種帝國軍用犬籍簿(本来の表記はSKZ。DKZはドーベルマン、AKZはエアデール犬籍簿)数字は登録番号★は軍用候補試験に合格した「即戦力個体」へ付与された識別マークで、購買時の価格交渉などで有利になりました。SchHは防衛試験、PHは警察犬試験、MHは伝令犬試験合格を意味します。

133563 B
>実際に供出が実施され始めた3月9日
昭和20年に多数の犬猫が毛皮にされたということは、戦争末期になってもペットが飼育されていた証拠でもあります。とある犬猫病院では昭和19年春に診療記録が途絶えるまで、受診リストには愛玩犬が載っているんですよね。「戦時中にはシェパードしか飼えなかった」という説は、実のところ戦争末期に限った話です。もしも開戦早々に民間ペット界が崩壊していたら、有形無形の支援で成り立っていた日本軍犬班も共倒れになったことでしょう。強いて畜犬献納運動の功績をあげれば、戦時下で痲痺状態に陥った狂犬病対策に貢献したこと位でしょうか。

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敗戦と共に戦前・戦中の記憶は薄れ、昭和20年代から犬界関係者の戦時回顧録にも事実誤認が目立ち始めます。
暗い過去は忘れたかったんだろうなと同情はするのですが、この辺が整理されないまま次世代へ移行したため、陸軍省の軍犬報国運動と商工省の畜犬献納運動が混同されたり、警戒犬や伝令犬の運用を無視して「血に飢えた戦闘犬」みたいなイメージが独り歩きする現状へ至りました。だから日本の軍用犬史は全体を通して結構アヤフヤなんですよねー。軍用犬研究の揺籃期に重要な役割を果たした「日本シェパード倶楽部(昭和3年設立)」も、昭和26年設立の「日本シェパード犬クラブ」と名称が混同されたままだったりしますし。

229160 B
戦中IJAの陸軍士官サンで、戦後は昭和48年まで陸上自衛隊におられた方の手記に、自衛隊時
代の犬についての思い出ばなしがあるんですが、曰く「自衛隊に、軍用犬はいますか、と聞かれることがある。自衛隊は軍隊ではないことになっているから、軍用犬はいないが、警備犬はいる。正規の名称はなんというかは知らないが、警備用の犬である」「陸上自衛隊かと思ったら、航空自衛隊である。陸の上を動く自衛隊ではなく、空を飛ぶ自衛隊にいるとは不思議な話だが、なにしろ航空自衛隊は人員が少ないうえに広い飛行場を警備し、管理しなければならないから、猫の手ならぬ犬の手を借りたわけである

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「飛行場の外柵フェンスの内側には、一定間隔をおいて犬小屋がおいてあり、犬はここにつ
なぎっぱなしで、朝夕に餌を配りさえすれば、24時間勤務を文句もいわず、しかもマジメにやってくれるのだから、とても人間では考えられない勤務である」「陸上自衛隊に、何の加減か、犬の訓練士の資格をもった幹部がいた。もちろん犬が大好きな人である。警備犬を養成するには最適の人材だったが、陸さん、この進歩した世の中に軍犬でもあるまい、とまったく熱が入らなかった」「「たまたま、航空自衛隊では、人員不足と広大な飛行場の警備に困っていた。それと、ちょうど航空自衛隊の幕僚長(略)が、犬好きの源田実空将(略)だったので、その訓練士の幹部が航空自衛隊に引っこ抜かれ、犬の訓練隊長になったという話を聞いた」

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「きいてみると、警備犬の取り扱いは物品なみなのだそうだ。ところが、この物品、長い間
には消耗するが、雄と雌が仲良くなると子供ができる。使っているうちに、だんだん員数が増えてくる物品というのはほかにはない。帳面をあずかる物品管理官も、員数を合わすのに苦労したのではあるまいか」…との事真珠湾攻撃や「紫電改」の343空関連で名高い源田サンが、「自衛隊用犬」の事始めにも関わっていたとか、個人的にはちょっと興味を惹かれる所なんですけれど、こういうのも今となっては詳細な事情を調べるのは、やっぱり色々困難なんですかしらん…

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>源田サン
自衛隊犬の歴史は、警察予備隊から保安隊へ続く陸自犬の系譜と、海軍犬と絡めるべき海自犬や米軍の流れを汲む空自犬は整理すべきかと。源田さんは戦後にジャパン・ケンネルクラブの理事を務めてますけど、その辺の影響はあったんですかね?No.495448は昭和12年に帝国軍用犬協会赤羽訓練所で訓練中の警視廳警察犬ですが、警視庁中心で語られてきた警察犬史も47都道府県と外地を含めた視野で見直す必要があります。画像のアヤックスのように、在郷軍用犬が犯罪捜査に用いられた時代もありましたし。

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NPDに助力を請うた海自犬の事始めはTSCに支援された海軍犬と正反対でイロイロ面白いんですけど、南極観測隊犬橇チームに便乗して盛り上がっていた節もあるような無いような。
発足当初は階級を授与されたり命名式があったりテレビに出演したり、結構メジャーな存在だったんですね。

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旧軍と断絶した空自の犬は、「極東米軍の軍犬調達を踏襲したのね」程度の感想しかなくて、民間畜犬団体との関係構築に腐心した陸自や海自とくらべて特段の興味を惹きません。
画像は陸自犬(昭和30年代撮影)。

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同じ回想記に、陸自側の「自衛隊用犬」の話も紹介されているんですけれど
「その当時、陸上自衛隊でも、まったく犬がいなかったというと、ヤミの警備犬が、勝田の駐とん地にはいた。べつに飼っていたのではない。居ついてしまったのである。野良犬が広い駐とん地の中をうろつき残飯をあさる。警衛勤務の隊員さんが、退屈まぎれに残飯をやるから、警衛所のまわりから離れなくなる。新版のらくろ物語である」「歩哨の立っている横にチョコンと座ったり、寝そべったり。べつに入籍しているわけでもなく、訓練をしたわけでもないから、あまり行儀はよくない。これを夜間、動哨に出たり、巡察にまわるときに連れて行くのである」

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「なにしろ、真っ暗な広大な外柵を一人で歩くというのは気持のいいものではない(略)新兵さ
んなど足がすくんで動けなくなる。そこで、ヤミ軍用犬が何よりの頼りとなる」「これが別に訓練もしないのに、自衛隊の制服を着ていれば吠えないが、私服だと吠えつくから不思議だ。一宿一飯の恩義を感じてのことか。偉い人の方も、べつに経費がかかるわけでもなく、それだけ警備力が強化されるのだから文句をつける筋はない」「べつに綱でつないでおくわけでもない。向こうの自由意思でボランティアをやってくれているのだから共存共栄ということで、インスペクションのときも横目でチラッと見るだけで、いいとも、いけないともいわれなかった」

246168 B
「後になって、陸上自衛隊も犬を正規に採用したらしい。こんな便利なものを利用しないテ
はない、山の中の人手の少ない弾薬庫の警備である。強情も張っていられなくなったのだろう」「犬にやる肉の上前をはねて、馘になった隊員が出てきたという噂が流れた。『そうだなあー、犬は肉が足りないとは、いわねえからなあー』」…なんて事もあったそうですwキチンと購入の手続きを踏んで、訓練された「本職」の警備犬が採用されつつある時期の、まだ色々とユルい時代ならではの挿話だったみたいなんですが、この自衛官さん達のある意味良き友だった「のらくろ」達の中に、それこそ本家張りに後に陸自に正式雇用されて正規の警備犬に昇格した出世物語の持ち主がいたら面白そうなんですが…流石にそれはなかったですかねえ

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>陸自に正式雇用されて正規の警備犬に昇格した出世物語
保安隊までは警備犬の配備に力を注いでいたものの、軍用動物に頼る時代も終わったので、出てくる陸自の犬は断片的な情報ばっかりなんですよね。画像のように地元シェパード団体の支援を受けて警備犬を配備した松本駐屯地みたいな例もあれば、警備をペットで済ませていた部隊もあって、統一の採用基準すら存在しなかったのかも。よって、戦後の警備犬史は安保闘争の最前線に立ち続けた警察犬が主役となりました。……デモ隊の前面で威圧するのではなく、過激派の侵入ルートで待ち伏せするなど日陰の活動でしたが。失われたノウハウも多く、満洲国税関監視犬部隊の阿片探知犬訓練士や華北交通の地雷探知犬訓練士なども帰国していたのですが、警察や保安隊への技術継承はなされなかった様です。

121157 B
空自に関しては(ご教示くださった源田さんのエピソードのように)関係者の努力や苦心談があった筈なのですが、畜犬団体との調整などといった話はなかなか表に出てきません。
「昭和36年3月2日、航空幕僚監部が上野で第一回警備犬購買を実施し、NPDやJSAの審査を突破した5頭がデビュー」というニュースが唐突に現れた形となり、採用に至る裏話はこのスレで初めて知りました。勉強になるなあ。だれか詳しい人が警察予備隊〜自衛隊の警備犬史を編纂してくれないものでしょうか。

234273 B
海自の警備犬配備はKVの後継団体である日本警察犬協会に支援を仰いでいますが、こちらも結構なドタバタが演じられています。
警備犬の復活は、戦後のシェパード犬界が復興を遂げたからこそ可能となりました。軍用犬史は民間犬界や畜犬行政や獣医学の発展とセットで捉えるべきなんですよね。画像は一般公募で命名された海自犬アドルフ、アリア夫妻の子供たち。富士を含めた7頭が「将来の海自犬」としてお披露目されました。

>ノラクロ=サンは縛られて逆さ吊りの状態から敵の武器を奪って
あぁ、このシーンは印象的なので今でも覚えています。
のらくろの世界では、登場する動物のモチーフは大体こんな感じでしょうか?
犬  = 日本人
山猿 = ?
ゴリラ = ?
カエル = ?
熊  = ロシア人
豚  = 漢民族
羊  = 満州人

亡父が古い戦争小説や戦争漫画のコレクターで、のらくろの単行本(復刻版)も
「のらくろ上等兵」から「のらくろ探検隊」まで全10巻を所有していまして、
私も子供の頃に読んでいました。
父が亡くなってから暫くして遺品整理をしようと実家に帰ったら、本だらけだった
父の書斎がスッカラカンに…。あれ?
父が遺した大量の蔵書はすべて、古雑誌の回収日に母に捨てられていました。
いくら興味がないからってプレミア書籍を全部捨てるとかありえない!
せめて専門古書店に売るとか考えようよ!
父のお宝が全てトイレットペーパーに再生されたのかと思うと父が不憫で…。

83246 B
これだけ見たら「犬2匹相手に何があったっ!?」ってなる


>父が遺した大量の蔵書はすべて、古雑誌の回収日に母に捨てられていました。
これはよく聞く話で逆の話は聞いたことがないので女性には理解できないレベルの話なのだろう

>これはよく聞く話で逆の話は聞いたことがないので女性には理解できないレベルの話なのだろう
女性の有難がるモノは男性でも「あっコレ高い物だ」
と、判り易い物が殆どだもんな
ブランドバッグとか宝飾品とか

旦那が亡くなったときならまだしも仕事から家に帰ったらとか出張で2-3日家を開けたら処分されてた
なんて話もザラ(笑)
IP:2404:7a80.*(ipv6) さんも注意したほうがいいですよ

242710 B
けっこうおやくにたつぞ


1927303 B
>けっこうおやくにたつぞ


続拝啓天皇陛下様
ボクちゃんのないた日

訓練犬じゃないけど沖縄の水中処分隊で野良犬を可愛がってたらいつの間にか居ついてマスコットキャラになってた話があったな
隊員が海に飛び込むと釣られて海に飛び込こむわんぱく犬
10年くらい前だったと思うけどまだ元気にしてるだろうか

179245 B
>10年くらい前だったと思うけどまだ元気にしてるだろうか
その当時の犬かはわからんが2017/12/13時点では三匹に増えてるぞw

49313 B
>ボクちゃんのないた日
元KV会員に取材しただけあって、「庶民から愛犬を奪った悪辣な軍人と帝国軍用犬協会」というアリガチな構図ではなく吉田夫妻の愛犬供出回避に奮闘する帝国軍用犬協会員が主人公、軍人の清水中将も温情派という異色作でしたね。他の作品もお手本にすればよいのに、どうして善悪の構図にしたがるのか。

犬の話題でこれほど多くの話が聞けるとは
稀に見る良スレ

>>他の作品もお手本にすればよいのに、どうして善悪の構図にしたがるのか。
ろくでもない素人以下の腕だが知名度とコネと権力と無駄な自尊心だけはあるクリエイターも珍しくは無い。
つい数か月前も痛い目見たしな....。

>>他の作品もお手本にすればよいのに、どうして善悪の構図にしたがるのか。
旧日本軍は絶対悪にしないと気が済まない人たちが居るから
有名な動物園の象を死なせる話も、実際は軍部は殺処分命令は出していなかったみたいな説もあるし

硫黄島からの手紙でも憲兵が犬を撃ち殺すシーンがあったな。
日が昇ってないのに日の丸揚げてる方がおかしかろうに。

108964 B
>実際は軍部は殺処分命令は出していなかったみたいな説
『さよなら、アルマ』『犬の消えた日』といった「軍部に犬を奪われた人々」を描く作品に欺瞞を感じるのは「軍部へ犬を売却した飼主が、その代金を受け取った」という購買調達の部分を見せないからです。そういった大人の事情を知らない児童の目を通した作品にすれば、「戦時体制に協力した市民」も「カワイソウな被害者」へと変身できますし。犬界関係者の発言を追っていると、軍犬報国運動の余禄に与っていたKV幹部が戦後になったとたん「私は反対だったが、横暴な軍人に強要されたのだ」と言辞を弄していく過程が興味深いですねー(いっぽう、KVの横暴に対してJSV関係者も戦後に怒りを炸裂させていますけど)。

19523 B
たとえば『さよなら、アルマ』の主人公・朝比奈太一。
小説のとおりに受取れば「軍部に奪われたアルマを追って、満洲へ渡った責任感の強い大学生」になるんですけど軍犬購買の流れに沿った場合「他人様から預かったアルマを勝手にKVへ登録し、しかも無断で軍へ売却したことを飼主から咎められ、犬を奪い返すとか何とか言い訳しつつ満洲へ逃亡したクズ野郎」にしか見えなくなるという。歴史と歴史小説を区別できれば問題ないのですが、中には「小説の内容は史実そのもの」と勘違いする人もいるでしょうし。

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