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7月19日頃消えます コホモロジーも知らないのに理系名乗ってる奴らが許せない 削除された記事が11件あります.見る

コホモロジー程度を知ってるだけで理系名乗ってる奴でも許す

理系名乗ってる奴にコホモロジーを知ってるか訊く奴は恥ずかしい

コホモロジーなんて知らんが
理系を名乗ってもいないので許される

周りに「ボク理系」って名乗る奴がいる環境にいる奴が許せない

コホモロジーってのは、コチェイン、コサイクル、そしてコバウンダリの抽象的な研究として定義される
ってことを今知ったので、理系を名乗ろうか検討している

数学以外にも理系分野はあるから、コホモロジーを習得していなくても、理系を名乗っていていい。

それ以前に、理系のボトルネックは数学で、数学の各分野習得のボトルネックは論理だ。

>それ以前に、理系のボトルネックは数学で、数学の各分野習得のボトルネックは論理だ。
そんな調子の奴って基礎論だけやれば数学網羅できると勘違いした言動する文系に多そうだよなあ

もはや論理学は数学の一分野と聞いた!

もはやも何も、昔から数理論理学は数学の一分野だよ。
論理学が文系だと思いこんでるようなやつはそもそも数学すら怪しい。

岩波の数学辞典でも第4版からは、80年代辺りまでとはいえ、数理論理学の重要な結果を扱うようになった。

ただし、数学の他の分野を学ぶのに必要な論理学の知識は、数理論理学のほんの入口程度で充分。
その先の完全性定理まで習得していれば述語論理をより正確に理解できるという程度。

しかしさらにその先の数理論理学は、モデル理論やら計算理論やら、逆数学やら、集合論やら、他にもいろいろあるが、そういうものの全てが数学的方法で記述されている。

定期的に基礎論をディスるやつがいるが、数理論理学や数学基礎論が、数学の一分野ではないなんて言っているのなら、大学以上の数学をちゃんと学んでいないと自白しているようなもんだ。

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>そんな調子の奴って基礎論だけやれば数学網羅できると勘違いした
基礎論では主に基礎論の事実しか語らないが、解析にも代数分野にも繋がりがある。
同じように、解析学は解析のことだけを主に語り、代数学は主に代数のことだけを語る。幾何学も同様。

だから同じように解析学だけ、代数学だけを学んでも数学の全分野の理解という意味で網羅はできない。

しかし、数学基礎論は他の分野とは違い、論理学や集合論などの基礎的ツールを扱うから、数学自体の構成と検証という点においては、数学全体を展開可能な空間を複数提供している。
このことは、時に「集合論は全数学を網羅する」とか、「述語論理で全数学をほぼ記述可能」だとか表現されることもあるが、それは基礎論や論理学だけを学んでいれば、全数学が理解できると言っているわけではない。

このことが理解できないやつが、基礎論をディスるわけだよ。

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>もはやも何も、昔から数理論理学は数学の一分野だよ。
>論理学が文系だと思いこんでるようなやつはそもそも数学すら怪しい。
そうではなくて、普通 論理学の基盤の上に数学が成り立っていると思うじゃん?
ところが…!

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>ところが…!
ところがの続きは?

>普通 論理学の基盤の上に数学が成り立っていると思うじゃん?
数学は論理学の基盤の上に成り立っているのは事実。
その論理が一階述語論理であったり、集合論論理であったり、算術であったり、コンビネータ論理などの計算理論由来のものであったりといろいろあるというだけ。

https://mathsoc.jp/section/
日本数学会には10の分科会がある。
1.数学基礎論および歴史
2.代数学
3.幾何学
4.函数論
5.函数方程式論
6.実函数論
7.函数解析学
8.統計数学
9.応用数学
10.トポロジー
確かに解析学は4〜10まで幅広く共通しているが、数学基礎論も昔から日本の数学会の一分科。
これは昔からほぼ変わっていない。

論理学が数学の一分野であるということは、
論理学に関する言明Aの全部が
数学に関する何らかの言明Bに依存しているということであって、
ことここに至って数学に関する言明が論理学に関する言明に依存しようものなら
循環論法になるのでは…
つまり論理学はもはや数学の基盤とは言えない

>循環論法になるのでは…
ならないね。
それは、論理の基本である、意味論と解釈、つまりモデルが理解できていない証拠。
例えば数理論理学における集合論では、集合論の構造そのものを外部の数理論理的な体系から解析するというメタな考察をおこなう。

その装置が既存の数学を展開可能な表現力を持っているのかどうかを検証するのが数理的な部分で、対象となる集合論構造と解釈を与える論理構造は別物。
そこに循環論法はない。

実数を定義する方法であっても、集合論によって構成するもよし、圏論でやってもいいし、述語論理と算術によっても構成できる。

数理論理および数学の「理論(公理系)」というのは論理式のような形式的対象の集まりのことで、更にそこに推論のための規則を受け加えて数学が成立する。
その事実は基礎論以外の数学どころか数学基礎論のいくつかの分野にも基礎ツールを提供している。
算術や述語論理、圏論などの基礎公理や規則の設定には、他の分野の数学ツール(例えば解析など)を必要としなければならないことはなく、基礎論を組み立てるのには他の分野の数学の事実を基礎論のさらに基礎に持ってくる必要がない。
つまり、循環論法にはならない。

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>集合論の構造そのものを外部の数理論理的な体系から解析するというメタな考察をおこなう。
しかしそのメタな考察が一階述語論理か何かの論理学ベースで書かれるのであればやっぱ循環論法なのでは…
(数学の一分野だと宣言したはずの論理学の言明への依存が生じる

あるいはメタな考察のためにさらにメタな構造を導入するなら
(メタ^i)数学を説明する(メタ^(i+1))数学が必要になるという無限後退になるのでは…

述語論理が数学の一分野であったとしても、全く循環論法には当たらない。
一分野であるということは、数学そのものであると言っているわけではない。
さらに、「述語論理の規則と構造」と「述語論理で記述される対象」さえも別概念。

そんないい加減な論証で循環論法だと語っているのなら、コホモロジーなんて一生かけても理解できない。

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>(メタ^i)数学を説明する(メタ^(i+1))数学が必要になるという無限後退になるのでは…
無限後退にする必要はない。
基礎を一つ決めて、その上で数学を論じればいいだけで、事実として、現状のあらゆる数学といっていいほぼ全数学は一階の述語論理と集合論言語の上で展開される。
これは、言い換えれば、数学を記述するには述語論理で足りていると言っているわけだから、数学基礎論が「数学の基礎を提供している」という事実は、循環論法にはならない。

さらに、その論理学の各ツールを別の基本的ツールによって解析することも確かに無限に可能だが、一度、「一階述語論理と集合論言語」というツールセットを導入すれば、基礎論以外の全数学をその上で展開可能であるから、実際にも数学者はZFCを導入している。
売れ筋はZFCだが、最近はグロタンディーク宇宙と一階述語論理(これは主に圏論)も売れ行きがいい。

さらに、その集合論のツールそのものの構造もその集合論をメタに使うことによって解析可能だ。
解析されている構造と、解析の解釈に用いている述語論理は同じ構造をしているだけの別物だからだ。
その部分にも循環論法は一切ない。

さらには、一方向に無限に拡大したり、縮小するからと言っても循環論法になるわけではない。
集合論や論理学、圏論由来のツールが解析や代数などの様々な分野で利用されているという事実が理解できないから、「基礎論が数学なら循環論法」なんていういい加減な屁理屈をこねくり回す。

基礎ツールを提供している基盤となる分科が、全体としてその分科を含む全体に含まれていることは何も矛盾しない。
どこにも循環する要素がない。

文系だとか理系だとか言う前のスタートラインにすら立っていない段階の理解レベル。

矛盾も循環論法の意味すら理解できていない。
そんなやつが、数理論理の分野を理解できるわけもないし、その他の数学分野も皮相だけしか追えまい。

>(数学の一分野だと宣言したはずの論理学の言明への依存が生じる
屁理屈をこねくり回しているが、数学の一分野であることと、「数学という対象」全般を記述するツールを規定している分科であることは全く矛盾しない。

分科とは分野を便宜上分けたもののことで数学対象そのものではないし、数学的活動のことでもない。

https://mathsoc.jp/section/
日本数学会には10の分科会がある。

この事実を循環論法などという屁理屈で否定しようというやつは、根本的に論理が理解できていない。
そんなやつは数学も物理も当然行き詰まる。

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ほぼ全数学を記述可能な基本ツールを数学基礎論・数理論理学という分野で提供しているという事実で、その基本ツールとなる「述語論理や集合論」といったツールの定義にさらに解析学や代数学の定理を用いて論じる必要があるなら、「…解析学→基礎論→解析学…」といった循環論法が生じるが、基礎論の前提には、「形式論理学『のツール』」があればいい。だから、基礎論が数学の一分野であってもその構造上循環論法には一切ならない。
便宜上、基礎論の議論においても最初から集合論や代数学、幾何学の知識を仮定することもあるが、それらも全て、基礎論の内部で構成し直すことが可能だ。
ここに循環論法など一切ない。

>解析されている構造と、解析の解釈に用いている述語論理は同じ構造をしているだけの別物(No.111854)
この立場を認めるのにやぶさかではないし、これを認めた上で
数学基礎論自身が解析の解釈に用いている述語論理を展開可能なことをもって
 1. 数学は論理学の基盤の上に成り立っている(No.111841)
 2. 数学基礎論は数学の一分科(No.111842)
 3. 基礎ツールを提供している基盤となる分科が、全体としてその分科を含む全体に含まれていることは何も矛盾しない。(No.111856)
が全て成立するとする立場を認めることもできるが、
ただし「循環論法」論を屁理屈と片付ける根拠としては上のスレの流れには1点欠けているものがあると思う

数学基礎論が数学基礎論自身自身をも展開可能であることは十分認めるとしても、では
数学基礎論から、数学基礎論を展開不能な(数学基礎論を否定する)モデルが生成されることは本当に有り得ないのか?
もしその可能性が潰せていないのであれば、No.111856の無矛盾の主張は証明された事実ではない
数学基礎論が自身が無矛盾であるという結論を先取りしているならば、「循環論法」論も当たらずしも遠からずであろう

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またいくつか苦言を呈したい

・No.111852、No.111857、No.111859(当方の資質問題)は、論じている対象の真偽とは
 無関係であるから無駄なキーストロークである

・No.111856
>集合論や論理学、圏論由来のツールが解析や代数などの様々な分野で利用されているという
> 事実が理解できないから、「基礎論が数学なら循環論法」なんていういい加減な屁理屈をこねくり回す。
「集合論や論理学、圏論由来のツールが解析や代数などの様々な分野で利用されているという事実」は
大いに認めるところである。
ただしそれらは帰納的に観察される事象にすぎないから、論じている対象の真偽とは無関係である。
No.111856も無駄なキーストローク

基礎論の工学方面での対応物が計算機科学なのでそっちの応用ガン無視して基礎論だけオタクみたいに勉強するのはお勧めしない

ハスケルの御蔭で流行ってる圏論もむしろコホモロジーが有益な道具だったので分野として形成された格好だからな

>数学基礎論が自身が無矛盾であるという結論を先取りしているならば、「循環論法」論も当たらずしも遠からずであろう
数学の基礎を展開するのに用いられている数学基礎論のツールは「数学基礎論そのもの」ではない。
数学基礎論由来の一つのツールにすぎない。
だから循環論法は生じない。

そして、
>数学基礎論から、数学基礎論を展開不能な(数学基礎論を否定する)モデルが生成されることは本当に有り得ないのか?
これについても、浅学。
数学基礎論による数学を展開する理論(ツール)は基礎論内部にも複数あり、それぞれに強さによる階層や、排他的関係すらある。
つまり、ある現場の数学の広範な範囲を充分に展開可能なある2つの理論の前提があり、それが互いに背反しているという状況すら扱っている。
有名なものは選択公理と決定性公理。
それらは、数学自体の矛盾や基礎論の矛盾とは関係なく、異なる数学の展開の仕方があるということの一例になっている。

これは循環論法ですらないし、基礎論自体の矛盾とも関係がない。

>基礎論の工学方面での対応物が計算機科学
解析学が広範な分科にその顔を見せているように、計算機科学も計算複雑性の一部と古典的な計算理論(計算可能性理論)については基礎論の一部でもある。

>そっちの応用ガン無視して基礎論だけオタクみたいに勉強する
それこそくだらん思い込み。

>圏論もむしろコホモロジーが有益な道具だったので分野として形成された格好だからな
それは歴史的起源としては概ねそのとおり。
しかし、圏論を展開する宇宙は基本的に集合論の言語なくしては語れず、圏を集合に変えて基礎論を論じるにしても、論理学のツールが必要。

もうすでに書いているが、数学基礎論で扱う内容は、「記号論理」や「(狭い意味での)集合論」のようなものに限定されない。
論理も古典論理だけを扱うわけでもなく、部分構造論理や量子論理、直観論理といった、現状の数学で用いている論理とは異なるものも扱う。
集合論ももちろんZF(C)だけではなく、そのヴァリアントや、その起源が異なる集合論も扱う。
古典的計算理論はその内容も発展もゲーデルの不完全性定理の影響が大きく、計算理論の基礎部分はやはり今でも数理論理学の範囲でもある。

他にもモデル理論・証明論・逆数学などなど、いくつもの分野に分かれている。

循環論法なんて言っているのは、モデルと解釈の意味、公理とモデルの意味がきちんと理解できていない証拠だ。

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>数学基礎論が自身が無矛盾であるという結論を先取りしているならば、「循環論法」論も当たらずしも遠からずであろう
数学基礎論および、数学の無矛盾性については、「ある意味で」その内部では証明され得ないという事実がある。
しかし、「(ある限定された状況で)無矛盾であるということを証明できない」ということは、「矛盾している」ことを意味しない。
しかし、それが気に入らないのであれば、基礎論だけではなく全数学への信頼がが揺らぐということを知っておくといい。

そして、その矛盾の可能性を「気にしなくてもいい理由」がいくつかあるが、それらも概ね基礎論からわかる事実によって組み立てられている。
そして、そのうちの一つが概ね数学者に支持されているから、例えばZFの無矛盾性が証明不能であっても、数学者はそのことで数学が矛盾しているんじゃないだろうかと心配する必要もあまりないわけだ。

論理的に同型な構造物(公理に対するモデル)を作りそれを解析するという行為が数学ではないのなら、代数学も幾何学も全て数学ではなく、お前さんらがいうように基礎論も数学ではないのであろう。
基礎論の一部である論理学の論理体系解析や集合論の集合論言語の解析というものも、ある論理やある集合と演算の範囲では同じ構造のモデルを持ってきて、それをメタな古典論理によって解析しているに過ぎない。
それが数学ではないのだとすれば、公理によって数学的概念を記述し、その公理を満たす抽象的モデルを構成し、その構成物を論理的に解析するという行為そのものが数学ではなくなってしまう。

>そっちの応用ガン無視して基礎論だけオタクみたいに勉強するのはお勧めしない
じゃ、計算理論について語ってみ?
最近話題なのは、量子アニーリング関連があるな。
あの量子論理は実際のところは一般量子論理よりは制限されている。

例えば一般量子論理について語ってくれ。
ま、他の話題でもいいぞ。

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>数学基礎論から、数学基礎論を展開不能な(数学基礎論を否定する)モデルが生成されることは本当に有り得ないのか?
あまりにもアフォらしい言及なのでダメ押し。
数学において、例えば解析や代数でもいいが、その内部の一貫性を壊す前提を考えることがないのか?
そのような構造物を考えることは時に有効だし、全く新たな構造を見つけ出す契機となることだってある。

数学基礎論だって同様だ、現状の数学とは別の可能性の、あるいは現状の数学とは排他的な数学体系を生み出すような前提だって扱う。
例えば、ZFから正則性公理を否定しても現状の殆どの数学分野にはほとんど影響がないが、そのZFのヴァリアントとヴァニラZFは排他的だ。
この例でも、循環論法なんかとは全く関係がない。

仮に、現状の数学とは矛盾する体系を生み出す別の基礎論的前提を基礎論の内部で構成したとしても、それは、単に「現状の数学の前提とは違う別の数学を構成した」というだけに過ぎないのであって、循環論法とも、基礎論そのものの矛盾とも、基礎論が数学で有るか否かという論とも「全く」関係しない。

ガントチャートのクリティカルパスって計算機分野で使われるモナドと関係あるの?

一番実際の時間制約があるスケジューリングで文字通りクリティカルなパスだから関係ありそうなんだけど