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地震・津波の恐るべき力が夥(おびただ)しい数の命を奪いました。そして、原発事故。『ジュラシック・パーク』の恐竜みたいに、人間が作り出したものが人間の制御を離れて暴走する恐怖は、それまで味わったことのない種類の恐怖でした。 あれだけのことが起きたのに、なかったことにするつもりか、政府はなお原発「維持」に拘泥しています。もはや時代遅れ、安全性どころか経済合理性だって大いに疑問です。事故当事国の日本こそ真っ先に方向転換し、再生可能エネルギーに未来の活路を見いだすべきだったのに、今や他国に相当後れをとっています。 動かない、いや動けないのか。もしや、いつか首相が言った「アンダーコントロール」とは、原発が制御されている、ではなく、原発に制御されている、の謂(いい)だったのでしょうか。 ◆何でもないことの平安 俳人長谷川櫂さんの震災直後の作歌に、忘れがたい一首があります。<ラーメン屋がラーメンを作るといふことの平安を思ふ大津波ののち> |
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あの震災と原発事故で、私たちは、それ以前には、何でもない、当たり前と思っていたことが、実はどれほど大事なものだったのかを、あらためて思い知りました。 「行ってきます」と出て行った子が「ただいま」と帰ってくる。夕餉(ゆうげ)の食卓には家族の顔がそろう。電車は時間通り動き、パン屋にはパンが並び、コンビニにはビールや弁当やお菓子があふれ、夜の街ではネオンがまたたく。故郷の家にずっと暮らすことができて、日本の産品は「安全」の代名詞のように諸外国に扱われる…。 こうした多くの「当たり前」が震災・原発事故で失われました。 ここで「平成時代にあったこと」から「平成時代になかったこと」に話を転ずるなら、まず挙げるべきは、戦争だと思います。 近代以後、明治にも大正にも昭和にもあったが、平成の時代にだけは、それがなかった。 |
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考えてみれば、戦争ほど、人々の営みの「当たり前」を奪い去るものはありません。過去の戦争では、どれほどの「行ってきます」が「ただいま」に帰り着けず、どれほどの「お帰りなさい」が重くのみ込まれたまま沈黙の淵(ふち)へと沈んだか。食べるものがある、住む所や働く所、学ぶ所がある。そうした無数の「当たり前」を戦争は燃やし、壊しました。 昭和がその後半、どうにか守った「戦後」を平成は引き継ぎ、守り抜いた。そのことは無論、素晴らしい。ですが、このごろ、どうにもきなくさいのです。 他国の戦争に加われるようにする憲法解釈の変更に始まり、それに基づく安保法などの法整備、さらには事実上の空母を持つとか、敵基地攻撃可能な巡航ミサイルを持つとか、安倍政権が次々打ち出す策は「専守防衛」を骨抜きにし、「平和主義」をぐらぐらと揺さぶっています。 まるで、「戦後」という平和の鐘が一つ、また一つと溶かされ、まがまがしい「戦前」という剣に鋳直されていくような。 |
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歴史や過去に学ぶのなら、「戦後を維持し、原発から脱却する」のが当然なのであって、「戦後から脱却し、原発を維持する」なんて、そう、あべこべです。 ◆「戦後」を脱却させない どうあっても「戦後」は続けなければなりません。無論、明日から始まる新たな時代も、ずっと。 高浜虚子の名句を借りるなら、そうした私たちの誓い、願いこそが<平成令和貫く棒の如(ごと)きもの>であると信じます。少なくとも人間のやることで、人々のかけがえのない「当たり前」が奪われることがないように。「当たり前」の平安をかみしめながら、平成の背中を見送りたいと思います。 https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2019043002000112.html |
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この大事な日に言うことは 脱原発と戦争反対w マジでマトモな人材いなそうwww 高卒とか中卒も雇い始めたのかな?ww |
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戦後サヨクの唱える教義は我々には伝わっていない 戦後サヨクの時代は終わるしかないのだ |
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ほんとよくこんなクソみたいな駄文を書いて載せるな💢 |
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戦争を起こして終戦した以上、永遠に戦後なのはまさに当たり前だわ。 アベはいい加減土下座して戦争責任を国際社会に詫びるべき。 |
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>>再生可能エネルギーに未来の活路を見いだすべきだったのに その再生可能エネルギーの現状を、東京新聞は取材した事があるのか? >>今や他国に相当後れをとっています。 ドイツの脱原発は失敗しつつある。 あの原発事故から時間もたって、当時東京新聞が言ってた事が 現在から見て妥当だったのか、検証も必要だろう。 |
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なに平成最後の日に狂ってんだか まあ令和初日も狂うんだろうな 気持ち悪い |