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15日06:17頃消えます 日本軍機も好きだけど、液冷式エンジンの機体も大好きなんだ。
いつも残念に思うのは三式戦闘機「飛燕」のエンジンのこと。
よりによって工作の難しい(当時の日本には無理!)DB601を
ライセンス国産して、それを搭載しちゃったもんだから、さぁ大変!
 
そこで思うんだけど、当時の日本が入手可能(デッドコピー含む)で、
まともに生産できた液冷式エンジンはあったのだろうか?(´・ω・`)
R・ロイス マーリン系?
アリソン V-1710系?
クリモフ M-105系? 削除された記事が8件あります.見る

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DB601のハ40の前に作っていた九五式戦闘機に乗っていた
ハ9はBMW系列九五式戦闘機は、ソ連製のI-15には優勢でいましたが、I-16相手ではもはや劣勢で太平洋戦争にまともに参加していませんがやはりエンジンの信頼性は低かったようです

上のハ9の事情を見てもP40にのっていたアリソンすら飛燕と同程度の稼働率に下がるんだろうなー

同じドイツでもDB比で製造が容易と言われるユモ211系列の方が多少マシだったかも

最近読んだ本で知ったんだけど本来陸軍とカワサキは自前の設計で液冷を用意する予定だったんだね
高額で雇ったフランス人がまともに仕事をせず見事に金をドブに捨てたようだけど
三景艦と言いフランス人に設計させるとロクな事にならんな

マクラーレンと組んだトヨタみたいなことになるんだな

ユモ211系については、当時川崎のエンジン技術者だった林貞助という人の手記に「『ダイムラーベンツは日本での生産には適せず、クランクケーシング鋳物に多少の難しさはあるが製作権購入はユモに切り替えよ』と意見具申をしたが、軍部側ではやはり新奇構造の方が魅力があったとみえ、既定通りDB601製作権を買ったのは周知の通りである」とあり、DB601よりユモ211を推していた模様

10年以上先を見据えた投資としては間違ってないけど
5年も経たずに戦争が始まったのが不幸

ハ9系列と言えば九八軽爆に搭載されたハ9-II乙だけど、故障が多かった物の
九八軽爆は結構な数作られて長期間使われたし、ハ9-II乙は
五式中戦車のエンジンにも採用された。
わりと成功した液冷エンジンだと思う。

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九五式陸攻も採用がずれ込んだ理由の一つにエンジン不調が挙げられてますな
その後に魚雷艇に転用されたあたり調整後は安定していたのかもしれませんが

>わりと成功した液冷エンジンだと思う。
九五式戦と九八式軽爆に使われたハ9-II系統エンジンは整備部隊から非難轟々の有様だったじゃないか。
あの惨状を知ってたはずなのに、三式戦のエンジンに複雑な新基軸がてんこ盛りのDB601を選んでしまった
陸軍と川崎の理性を疑わざるを得ない。
愛知と川崎の双方でDB601系統のライセンスを購入するくらいなら、片方が研究用に先進的なDB601を、
もう一方が量産用に比較的堅実なJumo211を購入していたなら、三式戦の稼働状態はもう少しは
マシになっていたんじゃないかな?
ちなみに確かJumo211はモーターカノンには対応していなかったんだっけ?
元々三式戦はモーターカノンは搭載しない設計だったから、Jumo211を搭載しても良かったと思う。

>九五式戦と九八式軽爆に使われたハ9-II系統エンジンは整備部隊から非難轟々の有様だったじゃないか。
でもさ。九八軽爆は同時期採用の九七軽爆より多く生産されたし、運用も長かったのよ。

>九八軽爆は同時期採用の九七軽爆より多く生産されたし、運用も長かったのよ。
当時の三菱の工場では九六式艦戦、九六式陸攻、九七式重爆等などの機種の生産が優先されて、
九七式軽爆は競争試作で川崎の九八軽爆に勝利したものの、生産ラインが余裕がないせいで
十分な数量を陸軍に納品できないことが判明した。
そこで生産ラインに余裕のあった川崎の九八軽爆が「繰り上げ当選」で多く生産されることに。
現場から不満を言われながらも、ハ9-II系統エンジンが多数の機体(ほとんどが川崎製だが)
に採用されていたのは、川崎が液冷式エンジンを盲信していたことと、供給量にかなり余裕が
あったからであり、整備性・信頼性については高く評価できる水準ではなかったと思うよ。

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戦中中島飛行機荻窪工場のエンジン設計部におられた、岡元和理というエンジニアさんの手記
「自動車用エンジンの性能と歴史」には、「コピーするときに、そっくりそのまま真似すればよいものを、見本以上の性能のものを作りたいと思って一部分でも変更すると、見本より性能が下がるものだ。馬力だけ上回っていてもトルク特性が悪化したり、部分負荷に不調が出たりする。また信頼性、耐久性も必ず低下する」「これがガソリンエンジンの技術導入の歴史であった(略)見本以上のものを作るには、見本を作った人(会社)以上の技術を持っていなければできない。この意味においては、性能は技術に敏感というべきであろう」…なんて有りますんだそうで

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因みに先の大戦後、岡本さんら元中島飛行機の技術者が中心となって設立した「富士精密」
が、やはり軍用機メーカーだった立川飛行機系の技術者を擁する「たま電気自動車」が合同でガソリン乗用車の開発計画を立ち上げているんですが、エンジンについては仏プジョー社の製品を「お手本」とすることに決められてたんだそうですこの点、エンジン開発を担当した富士精密側の中川良一さんなんかは不満だったそうで、かつて中島飛行機で「誉」エンジンの設計主任だった氏としては「ぼくはエンジニアの意地もあって、新しいことをやりたかった。実際もっとよいものをつくれる自信があったんだ。」…そうなんですが、結局は「ギア一つでも、そのままやれというんだ。それで徹底的にコピーした」…んですとか

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もっとも、実際にはまだ国内の部品製造技術等の制約から、例えばエンジンのカム軸駆動に用
いる8分の3インチの複列ローラー・チェーンが製造できず、代わりにアイドラー・ギヤを用いたギヤ駆動形式に設計変更したそうなんですが、たちまち「カムシャフトのドライブに入れたアイドラー・ギヤだけ、やむをえずこちらのオリジナルにしたんだが、その変えたところだけがこわれるんだ。不思議だね。実験でも理論的にまったく問題はなかったはずなんだよ。プジョーの完成度というのはすごいものだと感心したね(中川氏)」…という事態に陥ってしまったんだそうでその後、ギヤの素材を様々に変えてみる等改良が試みられたものの、結局それに手間取っている間にやがて国内でもルノーやオースチン等との技術提携により、8分の3インチの複列ローラー・チェーンが生産されるようになり、そちらを採用することで呆気なく問題は解決したそうです

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「やっと一人前の自動車エンジンとなった(中川氏)」このエンジン、その後は日本独自の改良
も加えられて十数年にわたり生産が続けられ、富士精密とたま電気自動車が合併した「プリンス自動車工業」の屋台骨を支える製品となったそうなんですが、仮に目の前に実物のお手本があって、そのコピーからスタートするにしても、まず完全な複製を造って製品として多量生産するだけでも様々なハードルがあるわけですし、そもそもお手本となる品の部品一つから「なぜこういう設計なのか」をそれこそ本家と同レベルにまで咀嚼し理解していないと、その後の発展にまではとても繋がって行かない…っていうお話しなんでしょかねえ

ハ40の場合はそもそもコピーもできなかったので…
代表的な例で行くとクランクのローラーベアリングの精度とか

>その変えたところだけがこわれるんだ。
カム駆動は負荷の周期的変動が凄まじくギアだと一部の歯に負荷が集中するんですよね。他のギアと接触しているのは一つの歯の一点だけですから。チェーンならこの負荷を複数の歯に分散できます。理論的に正しいか否かというよりエンジニアにはその違いは想像できたと思います。

あれだけ航空機のエンジンがダメって言われてる時代からその直系とも言える自動車エンジンで世界に肩を並べるレシプロエンジンはだいたい何時頃からなんだろう?
耐久性そのものは80年台前半にはだいたい出来上がってると思うけど

ハ9系は改造でチューンナップされた分信頼性は落ちたからなぁ
堀越二郎は雷電設計時にRRマーリンだったらって妄想したらしいな

日本車が対米輸出で成功するようになるのは1960年代後半
その頃から、日産A/L型やトヨタK/T/M型のような後に名機と呼ばれるエンジンが登場してくるから、大体この頃には欧米メーカー水準に追いついた、と見ていいと思う
6気筒のL/M型以外は産業用で未だに現役だったりする

50年前にすでに多くの産業分野で追いつき追い越した
特に家電、電子機器、自動車だね

>欧米メーカー水準に追いついた
でも80年代「アウトバーンで140km/h以下で巡航してるのはトラックと日本車だけ」って陰口叩かれてたらしい
後半から巻き返したけど

特殊な事例をいちいち持ち出すとキリがない
アメリカは軽自動車すら未だに作れないし(笑)

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「みつびし航空エンジン物語」という本に、三菱が大正6(1917)年ごろ、イスパノ・スイザ社
のフランス法人から航空機用エンジンの技術導入を決めた際の顛末が紹介されているんですが、曰く「イスパノ社が選ばれた主な理由としては、折から進行中であった第一次世界大戦におけるフランスの航空技術が世界的にも高く評価されていたからであった」「すなわち、開戦直後においては、ドイツは各種の優秀機を持っており(略)一時は制空権を完全に掌握するほどであった」「しかし、当時としては馬力当たりの重量が飛躍的に軽量となり、しかも簡潔な構造であったため、艤装や取扱の簡便な水冷式のイスパノ発動機の出現によって、これを装備したスパッド戦闘機などが大いに活躍して、形勢を逆転させることに成功したといわれる」「この時期、前面抵抗が少なくて大馬力が出せる水冷式発動機は高速度を狙う航空機にとっては欠かせないものと思われていた」

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「イスパノ社との間に技術提携の話が決まるや、大正7年1月には、及能技師らの一行がイス
パノ社との提携内容についての技術打合せを行うために、ヨーロッパに向かうことになった」「交渉先のイスパノ社はパリの郊外にあり、到着してやっと宿舎に落ち着いたころ、ドイツ軍の猛攻によってパリが一時陥落寸前になるというきわどい状況に陥っていた(略)こうした中で先方より受領した図面をまとめ、日本郵船の平野丸に船積みして日本へ向けて送付したが、不幸にも途中でドイツ潜水艦に撃沈されたことが判明したため、帰国途中であった小川技師が再度フランスに戻って新たに図面を調達するという場面もあった」「こうした多くの苦労の末に持ち帰られた資料を基にして、三菱が最初に製作に掛かったのは水冷式のイスパノ200馬力発動機であった」

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「200馬力型発動機の製作台数はあまり多くなかったが、次の300馬力型と450馬力型は大正
9年から昭和9年にかけて合わせて1100台以上が製作されており、当時最も広く使用された発動機となった。この二つの発動機の気筒径と行程は、共に140㎜、150㎜であり、後の三菱のみならず日本の代表的空冷式エンジンとなった金星発動機はこの実績を踏まえている」「300馬力型は製作された当時では、国内での最高出力のものであったと共に、馬力当たりの重量も(略)最も軽量の発動機という優れた特徴を持っていた」「450馬力型発動機の製作は大正14年から開始されていたが、この頃になると(略)他社製作機にも三菱のイスパノ発動機が広く使用されるようになってきていた」

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「イスパノ発動機はいわば三菱の看板発動機となっており、『水冷の三菱』とか『イスパノ
の三菱』と呼ぶ声が高く、社業としてんも順調に伸びてきていた。しかし、発動機の高馬力化が進み、搭載機体の運用方式がより複雑になるにつれて(略)トラブルが次第に増加してくるようになった」「昭和7年に勃発した上海事変当時にも、450馬力型を装備していた海軍機が急上昇中に、排気弁を焼損して海上に不時着するなどの事故が相次いで怒った」「450馬力の次のイスパノ650馬力は筒径150㎜、行程170㎜で、この寸法は後の火星発動機に受け継がれている。この型は12気筒発動機であり、気筒内面に窒化を施すなど種々の新技術を加えたもので、初号機は昭和6年に完成している」「この発動機となってさらに重大なトラブルが続き、関係者は日夜その解決に追いまくられることになった」

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「ピストンの焼付き、ロッドが折損してクランクケースを突き破る、排気弁の焼損等の事故が
続出して深刻な問題となり、一時は本発動機を装備していた海軍の89式艦上攻撃機が、全機空母から下ろされてしまうという事態まで発生した」「この頃、長崎造船所から転任してきていた深尾淳二課長は外国文献を調査して、原因は、燃料のオクタン価不足によるデトネーションと推定していたが、担当者らはイスパノから入手していた燃料を使用した場合には異常が起こらないことが分かっていながら、目前の故障対策のみにとらわれて、構造上の変更対策のみを種々打ち続けていたため、一向に改善のメドを得ることができなかった」「また、現場に対する設計からの指示も適切を欠いていたため、遂には気筒の変形に合わせようとして、ピストンを楕円に削ることまで試みることまであった」

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「いずれにしても、本発動機の不評によって三菱の発動機事業は次第に沈滞して行き、この後
空冷式への大転換が行われたので、イスパノ650馬力エンジンが三菱が製造した最後の量産水冷式発動機となった(略)650馬力型発動機の生産量は昭和6年から10年にかけて271台であった」…との事要はまあ、先進国からのコピー生産から始めて、会社の屋台骨を支える主力製品にまで育てたものが、改良に改良を重ねて行き詰った所で三菱の水冷発動機の歴史も終わった…というオハナシみたいなんですが、一方で三菱が自社製「イスパノ」のトラブル続発にいよいよ追いつめられ始めていた昭和7(1932)年ごろというのは、「本家」の仏イスパノ・スイザ社で”12Y”なる新型エンジンの開発が進んでいた時期なんですよね

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”12Y”は当初650馬力級でスタートしたものが、最終的に1000馬力級にまで発展して、おフラ
ンス空軍主力戦闘機のデヴォアティーヌD.520やモラーヌ・ソルニエ M.S.406等に採用されただけでなく、ソ連でライセンス生産されたものが、後の同国の主力液冷エンジンであるクリーモフM-105や、その後継機種であるVK-106やVK-107エンジン開発の礎になっているんだそうで先にイスパノ社に学んだ日本がその発展形に見切りをつけた時期に、ちょうど入れ替わるように新たにイスパノ社に学んだソ連が、後のWW2を戦い抜いた技術の始点を手に入れていた…という事みたいなんですが、仮に三菱が「650馬力型」のトラブル克服に成功して、「イスパノの三菱」路線を続けていくことが出来ていたなら、或はソ連の様にイスパノ技術を基盤に、新たな1000馬力級液冷航空エンジンの系譜を展開していた…なんて歴史もあり得たのかのかもしれないですなあ…w

拾ったB−29の修理跡までも完コピしたソ連の姿勢はやはり正しかったんやな(白眼)

まあ、最新技術のコピーにもそれなりの地力はやっぱり必要なんだろうけど

>一時は本発動機を装備していた海軍の89式艦上攻撃機が、全機
空母から下ろされてしまうという事態まで発生した」
ここで液冷機が艦上での運用難しいぞという知見があったにも関わらず
二式艦偵→彗星と液冷機採用の流れになったんだろうか
速度や高度とかメリットか上回ったからか先述の九八軽爆みたいにメーカーと機材を選り好みできる状況ではなかったから?

彗星がDBを採用したのは、当時の空冷エンジンでは要求スペックを達成できなかったからで、リスクは承知の上での採用だった
開発したのが空技廠、という軍の機関で、計画そのものが研究機、実験機的性格だったこともあり、リスク甘受が許された、という背景もある

晴嵐が水冷採用したのは、その方が発進速い(あらかじめ余熱しとけば暖機運転省略できる)
からだっけ?

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空冷エンジンも寒冷地用に潤滑油の保温装置はあったけど


手間かかる誉やでかくなる火星以外で1400馬力以上出せそうなエンジンだとアツタと金星62?
金星って手に入ったんだろうか
それに護衛ゼロで攻撃できるくらい高速機にするつもりならあれしかないんでは

まあ後知恵なら液冷も繊細なコンパクトハイパワーも不要で金星ゴリ押し大量生産が一番だったろうけど割りきれないのが日本人だからねえ

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「13試艦爆(=彗星)」の試作開始当時、IJN空技廠の発動機部部員だった永野治造兵少佐(当時)
が、「彗星」のエンジン選定にまつわる思い出を語られているんですが、曰く「山名さん(※『彗星』設計主務の山名正夫氏)は『彗星』をやるのにダイムラーベンツにこだわった。私は絶対反対で、『金星』を積めといった」「結局、そうなったが、ダイムラーベンツは技術的に凝りすぎていて、当時の日本の工作技術水準では、量産すればかならず問題を起こすと思ったからだ」「その性能と精巧な技術にエンジニアとしてホレこんでしまったところが、山名さんらしいところでもあったが…」…との事

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ある意味、「彗星」開発当初から既に「金星」塔載案もあったという事になるみたいなんで
すが、一方で「彗星」の生産を担当した愛知時計電機(愛知航空機)の側では、自社で生産するカイグンさん向けの急降下爆撃機にダイムラー・ベンツの液冷エンジンを積みたい!というのは、「彗星」の一つ前の99式艦上爆撃機の時点で既にあった話ではあったんだそうで99式艦上爆撃機の設計者である尾崎紀男さんの手記によると、「艦爆は急降下中に操縦者が爆撃照準をするので、前方および前下方の視界を良くする必要があり、索敵にも、またとくに着艦のときには大きな前方視界がほしい。これには空冷星型発動機よりも、液冷列型発動機が最適であるのは言うまでもない」

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「(※99式艦爆の設計開始の)当時、愛知航空機はドイツの有名なダイムラー・ベンツ液冷発動
機の技術導入をし、かつ日本での製作権をもち、液冷一本で進んでいた会社であった。したがって会社の上層部としては、自社のダイムラー・ベンツ発動機を、試作艦爆機に搭載しようと考えたのは当然のことである」「そこで本機の発動機の選定にあたり、ダイムラー・ベンツ発動機装備の場合と、当時、入手可能な他会社の各種星型空冷発動機装備の場合について、詳細なる性能検討を行なった」「視界の点では、液冷式は問題なく優位であるが、性能の点では不安が出てきた。不安というのは、当時、生産に入ることができるダイムラー・ベンツ発動機では性能的に不利で、これの馬力向上を計画し、試作に入っているものでは、他社の空冷より多少優位という結論が出た」

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「そこで、私の上司である五明得一郎課長に相談した所、その場で
『他社の空冷は確実な性能であり、それにくらべて当社の液冷の性能は試作段階のものである。機体そのものが試作であるのに、これに搭載する発動機も試作に近いものであっては、とても短期間に本機を完成することはむりだ。下手をすると発動機と心中しかねないことになる。会社の重役には自分からよく説明するから、安心して他社の空冷式ですすめよ』と指示されてほっとした」「こうしたいきさつで選んだ発動機は空冷星型の金星44型(のちに金星51型)であり、発動機としてのトラブルはほとんどなく、大いに助かった」…んですとか

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自社製の機体にやはり自社製(ライセンス品ですが)のエンジンを積みたい!という愛知側の目
論見は、99艦爆の後「彗星」で実現するわけですけれど、結局その「彗星」に最後に積むことになったのも、かつて99艦爆の際に安心・確実を元に選んだ「金星」エンジンだったわけでしてやはり幾ら魅力的に見えても、生まれも育ちも全く違う外国生まれのお嬢様とムリをして一緒になろうとするよりは、昔から側にいて支えてくれた、近所の幼馴染系ヒロインの方を選ぶ方が、最終的には正解なんでしょうk(

何だかんだで日本では陸海軍両方というか、愛知でもカワサキでも
設計者がコレが使いたい!ってなるぐらいだからそれなりに魅力的な
ところはあるエンジンだったんだろうな

まあ、逆にソレが罠だったってことなんだろうけど・・・

小説家になろうで技術系のエッセイとか架空戦記書いてる人が
作中でDB601よかマーリンのほうがまだ作りやすいってなこと書いてて驚いたわ
というかDB601が異常なほど複雑で変な作りになってるとか

彗星はエンジンだけで済まずに機体が実験機だけあって
万年筆のペン先型カウルフラップカバーとか
量産任された愛知があまりの部品の多さに苦しめられたしな
よく空冷換装でガマンしたわ

>作中でDB601よかマーリンのほうがまだ作りやすいってなこと書いてて驚いたわ
結構そういう話は出回ってると思う。寸法公差がドイツ製のほうが厳しいんだっけか
その辺は設計思想にもよるだろうけど、ドイツが無駄に凝っていたのでは?
少なくともDB601よりもはマーリンでもクリモフでもマシな結果にはなると思う

意味もなくニードルベアリング使ったりと無駄に凝った作りだからまぁねぇ

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だが待ってほしい
水平対向エンジンを縦にして「なんちゃって水冷エンジン」にする手もあったのでは?(ナイナイ

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ユモ205「来たわよ」


>>意味もなくニードルベアリング使ったりと無駄に凝った作りだからまぁねぇ

エンジンのロマンと言う本を読んでみると。あながち無駄ともいえないと思う。
当時は軸受けのメタルの性能や、高度が上がって気圧が下がると発泡するオイル等の問題もあって転がり軸受は理にかなっていたと言う見方もあるみたい。

それと、凝りすぎとよく言われる流体継ぎ手を介した過給機もインペラーが振動で破損するのを防ぐ効果もあったんじゃないかと思う。

後、立ち上がりはだいたい同じ出力で始まっているマーリンとDB601も、排気量的にはDBが約34リットル、マーリンが約27リットルとDBは余裕が持たされていた。

だから、87オクタンと言うレギュラーガソリンでも大戦中期までは何とかなっていたわけで、アメリカから湯水のように供給される超ハイオクで高性能を稼いでいたマーリンから見たら結果として日本ではDBが分相応だったんじゃないかと思います。

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昭和15(1940)年に日本の陸軍省で作成された「盟邦獨逸の航空発動機工業」というレポートに、
ドイツの液冷式発動機として「ダイムラベンツ600(或いは601)」「ユンカース・ユーモ211型」が挙げられているんですが、そのうち「ユーモ211」については「ユーモ211を一言にして批判すると、英国のロールス・ロイス発動機の構造に大変良く似ていゐて、後者を倒立式にして(略)改良したような型式と云う事も出来る」…なんて述べられていたりしますつまり、仮に当時の日本でユモ211エンジンのライセンス生産が可能であったとしたなら、RRマーリンの和製化だって夢ではなかった、ということにですn(

131912 B
もっとも、ロールスロイス社のエンジンを参考にした液冷エンジンの開発というのは日本でも
既に行われていたことだそうでして、「中島飛行機エンジン史」によりますと「昭和7(※1932)年、海軍は機体とエンジンの試作政策を根本的に見直し、『試製3か年計画』を定めた。この計画に則り、水冷と空冷エンジンの試作を中島、三菱を主体に多数発令している(略)昭和7年、海軍は7試水冷600hpの試作を中島と三菱に命じた」「中島では(略)5年11月12日設計を開始していたNWBを以て応じることになった」「WBはイギリスのロールス・ロイス”ケストレル”V型12気筒を手本にしたものと言われている」…そうです

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もっとも、中島の「WB」は単純に「ケストレル」のコピーという訳でなく、シリンダー容積
を拡大して原型の最大出力630馬力から650馬力にまで増大する計画であったようなんですが、「(※昭和)7年1月下旬から社内運転を開始した(略)運転開始以降、故障の続出に悩まされ不調の発生、運転の中断、原因の探求と対策、試験運転の繰返しであった」「特に主軸受裏金と接合棒の強度不足によって、当初公称馬力600として審査に臨んだが余儀なく550hpに格下げし、一応第1期耐久運転には合格した」「昭和8(※1933)年海軍は8試水冷600hpとして、改めて600hpの試作を両社に命じた。中島ではWB1号機の不良個所をすっかり改造した試作2号機”NWB改”を8年3月20日完成し(略)耐久審査の全コースを終った」

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「しかしその後、分解検査の結果接合棒軸受とクランク軸々受(下部)白色合金のはく脱が甚だ
しく、またピストンに亀裂の発生したものもあり、この審査では不合格となった」「9年に入ってもなお改良と審査を繰り返したが好結果を得られず、10年になり海軍は、完成の見込み立たずとして試作エンジンより除外した。三菱の試作エンジンも審査に合格する見込のないままに終った」「海軍では600hpに次いで、V型700、V型750、W型900、V型900の試作を広工廠、中島、愛知などに発令した。このうち中島が担当したのはV型900hpである」「昭和7年海軍は、7試水冷900hpの試作を中島1社に内示した。これに応えて中島では同年、イギリスのロールス・ロイス”ブザード”を手本としたNWDを試作した」

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「試作が完成され性能測定に入ってみると、馬力の不足は意外に大きかった(略)大小さまざま
の対策を行い、ようやく900hpを出すようになった」「これにより中島は海軍の命に応じ、8試水冷900hpとして審査に入ったが合格の域に達せず、海軍は9年度にさらに1台の試作を命じた」「ここで付言したいことは、陸海軍から試作命令が出たエンジンには試作費が交付されたので、設計者は自分の設計が認められたことを自覚し、自社設計の場合とは別の緊張をもって臨んだものであった。また軍の航空政策に乗ったものであるから、軍と会社の期待を集め関係者の熱意も高揚された」

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「WDは10年度中に900hp/2400rpmで耐久運転を繰り返したが審査には合格しなかった。100
0hpの頂上を目指す9合目の900hpへの到達はこの時期には不可能であった」…との事ロールス・ロイス「ブザード(Buzzard)」は「ケストレル」の発展形で、日本機ですと川西で国産化もされたショート社製「九〇式二号飛行艇」に採用されていたりもするんですが、要は三菱のイスパノ系液冷エンジンが限界に達しつつあった時期でも、IJNとしては未だ液冷エンジンに対して見切りをつけてはおらず、ケストレル〜バザードのロールス・ロイス路線で進んんだ中島を含め、新たな国産液冷航空発動機を求めて様々な計画を進めていた、というお話みたいなんですね

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一方で、それらの新たな国産液冷エンジン計画が結局実現不能になってしまうのが確定する昭
和10(1935)年頃というのは、ちょうどドイツに派遣されていた海軍の技術士官さんたちから、ダイムラー・ベンツ社で今がばよか新型液冷エンジンが開発されてるとよ!という調査報告が寄せられ始める時期でもあるわけでして「国産」の1000馬力級液冷エンジン計画が悉く頓挫する中で、ライセンス生産とはいえ欧米列強の中でも最良クラスのエンジンを手に入れられるチャンスですよっ!と言う提案は、IJN内で液冷航空エンジンに拘り続けていた関係者さんらにとって、ある意味ではタイミングの良いものではあったりしたんでしょかね…?

>ちょうどドイツに派遣されていた海軍の技術士官さんたちから、
>ダイムラー・ベンツ社で今がばよか新型液冷エンジンが開発されてるとよ!
なぜ佐賀出身の士官がっ!?

クランクシャフトとか軸受関連は結局DBエンジンの国産の時も
散々悩まされたよね…
当時の日本には鬼門のジャンルだったのかな

>クランクシャフトとか軸受関連は結局DBエンジンの国産の時も
散々悩まされたよね…
>当時の日本には鬼門のジャンルだったのかな

クランクシャフトとか超複雑な型を一発抜きしないといけないから今でも大変よ
軸受も職人がどんどんいなくなってる

>>当時の日本には鬼門のジャンルだったのかな

日本だけじゃなくて、本家のDB601も、出力向上型のDB601Eへの進化の時にこっ酷い目に合ってたと言う話が合った様に思います。

おかげで、機体(Bf109F)は出来ていたのにエンジンが間に合わず、当初は旧型のDB601A積む羽目になったとか?

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戦中ドイツに滞在していた航空プロペラ技術者の佐貫亦男さんによると、1941〜43年頃にベ
ルリンの日本陸軍駐在武官室で、DBエンジン用のクランクシャフトを出来るだけ多数購入して潜水艦で送ってくれ!という要請が来ている話を聞いて、この期に及んで未だ加工に手擦ってるとは?と耳を疑ったんですとかその後佐貫さんは、陸軍の命でDBエンジンの組立工場及び下請け部品工場も見に行くんですが、どうしてドイツさんは日本で出来ないクランクシャフトの大量生産を易々と成し遂げているのか?と言えば、結局下請け会社の段階からちゃんとした鍛造プレス機や研磨盤といった工作機械や検査機器、検査工の配員といった条件が揃っていて、それを活用した生産ラインが出来ているという、いわば当たり前の事をやっているから、というオチであったんだそうで

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また先の「彗星」に関わる話で回想を引用させていただいた永野治海軍技術中佐は、後に日本
初のジェットエンジンの開発・実用化にも当たられているんですが、「アツタではDBに倣って多列ローラ軸受を用いたが、ローラの精度を保持することがなかなか難しく、ローラの破損とクランクピンのピッティングがしばしば起こって悩んだ」「過給機扇車軸受も回転が20000rpm以上にも達するのでなかなか難しく、初期には球およびコロ軸受が一般に用いられたが故障が多く、高性能星形エンジンではライト社の設計を模してケルメットの平軸受が多く用いられた。一般に球及びコロ軸受の国産品は故障が多く、其の精度保持に関係者の不断の苦心がはらわれた」

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「日本では高速で高推力に耐える深溝型の球軸受が普及していなかったので設計上不便があっ
た。鹵獲アメリカエンジンのプロペラ推力軸受に内輪二つ割りの深溝型が使ってあり、1939年に輸入したユモ207の排気タービン軸受にも外輪二つ割りの深溝型が使ってあって、いずれも小型に収まっているのを見て我々は羨望したものである。此のことはジェットエンジンの設計には重大な問題で、終戦直前のネ20タービンジェット試作に際して惨憺たる苦心を払わねばならぬ結果となった」「軸受の生命を左右する潤滑油は1937年頃からは主としてアメリカ製テキサコの120番を用い、終戦当時迄主として輸入ストックに頼っていた」…なんて記されていたりします

315845 B
因みにスレ内で先に名前の出てます、DBよりユモの採用を主張した川崎航空機の林貞助技師
さん曰く「DB601の特徴であるコンロッド大端部のローラーベアリング(略)のローラーの角の部分を顕微鏡写真に撮って国産のとくらべてみると、ドイツのは自動研磨盤か何かでやったらしく、角は綺麗に丸くなっていたが、日本のは女子工員が手作業で研磨をやっていたので、角が立っていた。しかも、その立ち方が一個ごとに違っていた。これではベアリングに荷重がかかった時、荷重のかかり方が一様でないから、きつく当たった所の金属結晶が破壊されて、故障の原因になることが分かった」…との事なんですが、エンジンの設計自体とは別に、それを構成する部品の製作精度が大きく影響するとしたなら、結局最初にどの形式を選んでも、最後に行き着く先は同じだったりしたんですかしら…

クランクシャフトって金属の塊を叩きまくってあの形にするものではないのですか?
型抜いてつくるもんなん?

書き込みをした人によって削除されました

267105 B
>型抜いてつくるもんなん?
げずります星型エンジンはコンロッドのため比較的楽に作れそうですがハ40のクランクシャフトは・・・

40123 B
>クランクシャフトって金属の塊を叩きまくってあの形にするものではないのですか?
佐貫さんの著書では何冊かでDB工場見学の話は取り上げられているんですが、一部を引用させて頂くと「1943年に入ると、ドイツ空軍省が(略)重要なドイツ航空機工場見学を許可した(略)その工場の中に問題のダイムラー・ベンツエンジンのクランク軸生産部門があった。私はこれを見たら、ドイツの秘密がわかるだろうと、期待に満ちて出かけた」「あのころ、ドイツに駐在中の日本軍人の中には、もう半分ドイツ人になった連中も存在した。日本でクランク軸に困っている話が出ると、なに、ドイツでは鍛造工場で仕上げて、エンジン工場へパラフィン紙で包んで納めるだけだよ、と脅した」「そのあげくに、おまえら技術者どもは、ドイツ人の爪の垢でも飲んで帰るんだな、と罵った。したがって、ドイツ軍が負け始めると、てめえら軍人どもは、ドイツ人のなにを飲むんだ、と反発したくなった。ただし、みなこんな軍人ばかりではない」

112478 B
「さて、森の中に潜むこの工場の鍛造場は見ごたえがあった。4万kg/mの機械ハンマーを使い、
長いブロックの素材を赤めたうえで、上型と下型各1mのストロークでまず30回たたく(略)赤い素材がみるみるうちにクランク軸らしくなってゆくさまを眺めると、こんな機械さえあったら、日本でも作れると思った。ところが、日本はこんな基礎的な鍛造施術を飛ばして進んできた」「それはちょうど、学校の試験で、基礎定理の勉強をせずに応用問題を解こうとする努力に似ていた。そのとき、しょせんにわか勉強となって、すこしひねった問題を出されたら、たちまち音を上げる。駄じゃれになるが、クランク軸みたいに複雑にねじれた品物は日本技術の手に余った」「クランク軸素材は機械ハンマーで、第1回30回の鍛造がすむと、また加熱して第2回30回の鍛造をする。日本の刀鍛冶が昔実行したわざを、巨大機械でやっているだけである。ただ、こんな大型鍛造ハンマーは日本のなきどころであった。買えばよかろうといっても、その外貨が不足していた」

25613 B
「この工場ではクランク軸の素材を作るだけでなしに、機械加工で仕上げて完成品としてからエ
ンジン工場へ納めていた。このやりかたは、当時の日本の事情にくらべて異様に見えた。つまり、日本では鍛造工場と言えば、荒く、熱く、暗く、汚い場所であった。それが、鍛造所がすでに清潔なところへ、さらに目が覚めるほど、細かく、冷たく、明るく、美しい機械工場が同居していた」「それらは粗削り工場、中仕上げ工場、本仕上げ工場に分れ、いずれの工場も、機械、機械、機械の列であった。しかも、それらは全部ドイツ製品で、改めて機械の国ドイツと感嘆した」「粗削り工場といっても、かんじんの部分は精密に仕上げ、ファインボーリング(ダイヤモンド工具による切削)まで行っていた。本仕上げ工場では研磨した後にサンドペーパーと砥石で手仕上げしていた」「手仕上げだけは当時の日本の得意だったが、機械加工の精度が低かったら、その上をいくら手でこすっても完全な製品にはならない」

90814 B
「逆に言えば、工作機械さえ入手出来たら、クランク軸は日本でだって生産できる。できないは
ずがない、と感じたのは、作業しているドイツ人工員たちは、別に秘法らしいものをいっさい使わないで、楽に仕事をしていたからである」「ただ、その工作機械が問題であった。さりげなく運転中の旋盤一台でも、同行の工作機械専門家が、ああ、これは精度の高いので有名な銘柄だと嘆声を上げた。日本の工場だったらたった一台あっても大切に使って、看板になるほどの名であった」…との事因みに余談ですが、既に例示されている方のおられる「エンジンのロマン」によると、川崎航空での当時の調査の報告書等を根拠に、国産DB600系エンジンの主なトラブルとして、クランク軸ピン部外周の表面が運転中剥離すること、が挙げられておりましたり

53856 B
「第一の原因は、外周部の熱処理不足で、鋼の硬さが不足であったことである(略)滲炭焼き入
れと言って軸表面の炭素濃度を高め表面の硬度を特に高くする方法をとるが、この技術が不充分であった」「第二の原因は、ローラー(※ベアリング)の形状が適切でなかったのではないかと思われる(略)この形状の選択はかなり経験的なもので、一朝一夕には求まらない。これが不足していたのであろう」「第三の原因は、クランク軸自体が真円に加工されていなかったのではないかと思われることである(略)このことは現在の自動車でも非常に重要で、この凸凹は1000分の3ミリ以内に抑えないと耐久性が悪くなる。精密に仕上げるためには優秀な工作機械と、加工技術とが必要になるが、それらが不足していたと推定される」

277929 B
「日本においてはm、(※クランク)軸は当初、高周波焼入れも行われたらしい。この場合は明
らかに表面硬度不足で、運転時間も100時間以内で剥離を起こしている」「その後、滲炭に変更したが、ごく表面はベンツ製に近い硬度が出たが1㎜くらい深くなると、たちまち低下している(略)ローラーベアリングの場合には、ローラーにより局部的に大きな荷重がかかるので、局部的変形にも耐えなければならない。このため硬化層は大略1.5㎜以上は必要と推測される」「滲炭部の組織を見ると、ベンツ製はきれいなマルテンサイト組織(焼きが入った場合の組織)であるが、国産のものはマルテンサイトにトルースタイトが析出(焼きが入りきらない場合の組織)している」「焼入れ前の鋼の組織(略)などは重要な因子であるが、当時のドイツのクルップ鋼を使えばいいともいわれたそうであるので、材料そのものも原因の一つであったことには違いない」

220725 B
「なお、当時ニッケルの供給が不足していて、それが使えなかったためともいわれるが、ここ
に引用したデータの場合はニッケルを用いたイ221材(戦時規格)、すなわち最高級のニッケル・クロム・モリブデン鋼によるものである」…との事で、「エンジンのロマン」の著者さんは結局「結論として、DB600系エンジンの技術導入は、当時の日本の技術力として無理であったといえるだろう」…と結んでおられましたりまた、渡辺洋二せンせいの「液冷戦闘機『飛燕』」にも、クランクシャフトの材質に関わるエピソードがあるんですが、曰く

32847 B
「このころ(※昭和18年半ば)川崎の明石工場では、ハ40について難題を抱え込んでいた。原型
のDB601はクランク軸をはじめとするシャフト類や歯車を、ニッケルを混入したクローム・モリブデン鋼(略)で作っており、川崎でもハ40にこれを使用した。しかし、陸軍は入手難のニッケルを、排気タービンなど新開発器材の耐熱部品用に確保したいと考え、ニッケルを抜いて(略)製造するよう、川崎に通達した」「ハ40の量産は、ようやく軌道に乗ったところだ。軍との会議で、エンジン設計課長の平岡技師は『こんなときにニッケルを抜かれては困る。冶金屋が泣きます』と反論したが、軍の以降はくつがえせず(略)決まった」「クロモリ自体が熱処理温度の許容範囲がせまく、高温にさらしておくとヒビを生じやすい(略)ニッケルを加えることでヒビを防ぎ、また加工精度も高まるのだ」

59347 B
「ロールス・ロイスでもニッケル抜きのクロモリを用いたが、表面が固くなる窒化鋼にしてヒ
ビ割れ問題を解決している。だが、冶金技術に劣る日本では、すぐにこのまねはできない。熱処理時に焼き割れができないよう慎重に作業し、マグネットを使ってヒビの有無の探知につとめた。うまくいけばニッケル・クロモリと同等の性能に仕上がったが、不良品も少なくない。生産数が限られているなら、十分な検査の上で送り出せる。しかし、少なくとも機体の数だけは作らねばならず、処理能力を上回るノルマになったため、どうしても一部に不良品が混じる結果を生じた。これが(略)クランクシャフトの折損につながるのである」…なんてあったりします同著では他にも、ハ40の故障頻発について、戦地に出張してきた川崎の技手さんが「鉄質がドイツのようにできないから、故障が出る」旨述べた話も紹介されているんですが、仮に日本が1000馬力級液冷エンジンの範をドイツ以外に求めたとして、オリジナルと同等かそれ以上の部品精度を維持できる「お手本」というのは、当時存在していたんでしょかね…?

>>型抜いてつくるもんなん?
>げずります
プレス鍛造で形つくったあとに削ってるのと違うのか?
なー
なー

鍛造と削りと仕上げ
全工程で精度が要求されるんならそりゃ大変だ罠

でもなんだかんだでそれを数万機分やり遂げた当時のドイツ人が
やっぱり別格だったんじゃね(棒)

>要約出来ないのか
この人には無理だ
支持者もいるから言わない方がいい

ちなみに上の方で描いたフランス人技師ね

趣味に走ってV16エンジン(ハ11)に莫大な予算をつぎ込んだそうな
試作初号機はクランクが回らず2号機はベンチテスト中にすぐクランクが折れて壊れたとの事
V12のクランクシャフトですら日本の冶金技術の手に余るのに何を考えていたんだろうね
なー
なー

>良く思ってない奴もいるだろ?
はっきりとは言えないが居るにはいる
しかし彼に物申せば逆に荒らし粘着扱いになるので発言は控えてdelを押すべきだ

>発言は控えてdelを押すべきだ
全発言にDEL付けてるけど10個貯まらなきゃ消せないぜ?

今じゃドイツも日本製のプレス機を使ってる
https://www.youtube.com/watch?v=KQ5MulcKZVY

占領軍にジェットエンジンの開発が禁止されたせいで日本は立ち遅れたんだとよく言われるけど、ここまでの話を見ていると禁止されてなくてもあまり変わりはなかった気がしますね
ジェットだとレシプロ以上に冶金は肝でしょう

でも世界最大級は日本製
http://www.japan-aeroforge.com/company/com_05.html

>占領軍にジェットエンジンの開発が禁止されたせいで日本は立ち遅れたんだとよく言われるけど、ここまでの話を見ていると禁止されてなくてもあまり変わりはなかった気がしますね

戦後の国産ジェットエンジンって確か1950年代前半には開発が始まってたはずですしね

>IP:2404:7a80.*(ipv6)長いよ、要約出来ないのか
私はスレ主ですが、IP:2404:7a80.*(ipv6)さんのレスには貴重かつ興味深い情報が多分に含まれているので
面白く読ませて頂いていますよ。
私が疑問に思いながらも知らない知識を学べるのは有り難いと思っています。
レスの内容には資料からの抜粋部分が多く含まれることがありますが、これには当時の関係者の肉声が
含まれていますので、個人的には無理に要約する必要はないかなと思います。
今回のスレッドは日本の液冷式エンジンの製造にまつわる情報を集める性格が強いので、多くの知識と
情報がスレッドにもたらされるのは喜ばしいことだと思ってます。

>全発言にDEL付けてるけど10個貯まらなきゃ消せないぜ?
3個でOKじゃなかったっけ

日本軍機にあんまり詳しくない自分にとってはIP:2404:7a80.*(ipv6)みたいな丁寧で面白く読めるレスをしてくれる人は有り難いけど
迷惑だとか邪魔だと思う人なんて居るんだな…
その筋に相当な知見を持つ博識なお方かもしくは3行以上の文章を読めないせっかちさんなのか
なんにせよこういう有用なレスをどんどん排除したらこの板ニュースコピペとレスポンチバトルしか無い場所になっちゃうと思うんだけど…

>全発言にDEL付けてるけど10個貯まらなきゃ消せないぜ?
>3個でOKじゃなかったっけ
DELは一個めでクンリニンサン・削除人に通知がいく
ここでやるかやらないかの脳内裁判ののち決定
個数が増えればそれだけやってもらえる率が高まるが
「n個で即なー」ってプログラムが入ってるわけじゃない

IP:2404:7a80.*(ipv6)のレスは
興味ある人は〇〇のΧΧページ□行から△行目
でいいと思う
雑誌なら古本屋にあるし金無ければ図書館で借りてでも読むし
最悪IP:2404:7a80.*(ipv6)がHP立ち上げて自炊すればいい
最初は長文だが面白いと読んでたが
あまりに長文連投でだんだん鼻につくようになったわ

IP:2404:7a80.*(ipv6)が「自分が良ければ他人に不快感を与えていても気にしない」とか「他人に不快感を与える事で満足感を得られる」というタイプだったら不快に感じている人間が居る事を伝えたところでエスカレートする事はあっても止めはしないだろう。
スレ主はあちら側みたいだからスレ主が対応してくれる望みは薄い。
諦めて他所へ移住するのが一番簡単で確実かも?

>興味ある人は〇〇のΧΧページ□行から△行目
>でいいと思う
>雑誌なら古本屋にあるし金無ければ図書館で借りてでも読むし
>最悪IP:2404:7a80.*(ipv6)がHP立ち上げて自炊すればいい
そんなマイナーな軍事雑誌や書籍探せとか隣に国会図書館か神保町がある人しか無理だわそんなん
さらに自炊しろとかハチャメチャ
長文だろうと興味深いし知らないことも多いから好きだけどな

>なんにせよこういう有用なレスをどんどん排除したらこの板ニュースコピペとレスポンチバトルしか無い場所になっちゃうと思うんだけど
同意

氏のレスに反発する連中出てくるのはいつものことだけどね
なぜ不快に感じるかってのぐらい考える頭あれば…それが無理か

書き込みをした人によって削除されました

板・スレの内容に沿っていてかつ無意味な羅列や怪文書でもない生産的なレスに対して「文章が長い」とか「レス数が多い」とか「鼻につく」なんて傍から見たらただのやっかみか粘着にしか見えないんだよな
最初のレスは早速なーされちゃったみたいだけど…

>そんなマイナーな軍事雑誌や書籍探せとか隣に国会図書館か神保町がある人しか無理だわそんなん
だったらマニア探して仲良くなれば雑誌ぐらい貸してくれるよ
自炊だって引用するぐらいだから自分で書籍持ってるって証明してるし
IP:2001:268.*(ipv6) の言ってることは一考にはなると思うぞ
実行するかどうかは個人の勝手だが

自炊はハチャメチャだけど無断転載はOKなのです

記されて無い物には気づかないし読めないけど、読みたく無い物は無視できる
こういうのウザい消えろっていう人なんかが図書館司書不要とか言っちゃうのかな
自分の知らない事こんなにガイドしてくれる存在なんて感謝しか無いわ

なんか空気が悪いので流れを変えてみる
今手に入り易い資料なら「飛燕修復の記録」の下巻がオススメ

ハ140の詳細は元よりDB601の国産化に至る紆余曲折の新事実
はたまた初公開の社内資料の記載もあるのでガチのマニアでも楽しめると思う

話が出たから過去の話を出すけれど
長文引用に関しては固めてどこかにアップする(ここにも「あぷ」や「あぷ小」がある)とか
自分でHPに乗せるとかいくらでも方法があるが過去に警告しても聞かなかった経緯があります
掲示板のネチケットとしては長文引用・連投は個々のレスを押し流してしまうので避けるべき
なのですが支持者が容認するスレか本人が立てたスレならOKという暗黙の了解があります
ただしご本人がスレを立てた所は見たことがありません

お前もこれ以上その話題引っ張りたいなら自分でスレ立ててそこでやれや

エンジンの話よりそっちが好きならさ

>ただしご本人がスレを立てた所は見たことがありません
IP:2404:7a80.*(ipv6)がスレ立てしたのは表で見たよ
不注意でクソぷららにレスしてまとめてなーされたけど

スレが荒れる原因を作っても自分は擁護して貰え、釣れた獲物だけが叩かれるサマを見るのは愉快だろうなw

私はスレ主ですが、このスレでは連続投稿も長文レスも一向に構いません。
ですので連続投稿も長文レスに対する批判のレスは控えてください。
それから個人批判や悪口などのレスも控えてください。
これ以降そのような内容のレスが書き込まれたならば、スレッド内にある該当する内容の
レスを全て削除することにします。
そういうわけですので、よろしくお願いします。 m(_ _)m

好きなわりにレスしないのなw

問題にならないことをさも問題であるかのように装って個人粘着してるレスのほうがよっぽどスレ違いで見苦しいって事にいい加減気付いて欲しい

>問題にならないことをさも問題であるかのように
主観だけの基準でなにを判断出来るのやら

オープンなスペースでバランスを取ることを放棄して偏ったスタンスをとれば摩擦や軋轢が生まれるのは当たり前。
バランスを取るのが嫌ならクロースドなスペースで同じ方向に傾いた奴だけ集めてやりゃ良いのよ。

スレ主が方向性提示してもそれなの?
どっちが迷惑だよ

スレ主は統制する権限があるのだから削除するなり好きにすればいい
ただその方針によっては炎上するだろうね

彼は以前は出典がなかったり示してくれたのはいいけどトンデモだったり的外れな一言感想も余計だったりしたからだんだん読みとばすようになったなぁ

>スレ主が方向性提示してもそれなの?
公共の場で他人に対する配慮に欠けた「個人的都合を優先した方向性」を示したところで対立を煽るだけだよ?
長文の絨毯爆撃を不快に感じる人間の存在が気に入らないのならNo.492170が言ってるようにSNSとかレンタル掲示板で鍵かけて同じ方向性の人だけ集めればいいだけ。
誰もが自由に閲覧・書き込みできる公共の場で自分の意に沿わない人間は叩き出すなんて公言してるほうが迷惑。

ipv6がif歴史の時にも似たような恣意的統制やってた記憶があるな

やりたきゃ別スレ行くしかない、乗ってやって話を膨らませるだけ損

>No.492220
すまねぇがipv6って誰?
賛成派にも反対派にもいるんだが?

「連続投稿をスレ主が擁護するのがけしからん!」という批判の声が多数(?)出てるようですが、
件のレスの内容はどれもスレの趣旨に沿った真面目なものばかりで、「荒らし」を目的とした
連続投稿とは全く違うものです。
それを投稿数が多いからという理由で批判するのはおかしいと思いませんか?
中には「連続投稿のレスを見るのは不愉快だ!」と思う人もいるでしょう。
また「SNSとかレンタル掲示板で鍵かけて同じ方向性の人だけでやってくれ!」という人もいるでしょう。
しかしオープンなスペースだからこそ、誰にでも「書き込む自由」「読む自由」、そして「読まない自由」が
あるのではないでしょうか?
読みたくないレスがあるなら「読まない」を選択すればいいんじゃないかな? (´・ω・`)b
例えば週刊ヤングマガジンの読者で「【彼岸島】を読むと不快になるから読みたくない。」という人は、
【彼岸島】は読み飛ばして他の作品を愉しめばいいでしょう。
それと同じことだと思いますよ。

紙媒体は跳ばしもできるがここはいやでも目につく電子掲示板
漫画雑誌でも読者投稿で人気計ってつまらないのはカットされる
だいたいWW2の日本関連以外ならヤツも普通にやりとりできるんだからそうすれば良い
長文連投を控えられるよう要約している努力どころか3連投が5連投6連投じゃ注意されないことを逆手にとって増長したとしか
思えないし,アンチも増える
IP:2404:7a80.*(ipv6) は猛省し以後1文字でも少なくする努力をすべき

あるテーマについて持ち合わせている情報量は人様々
情報を多く持ってる人のレスの比重が高くなるのは自然なこと
皆が情報を持ち寄る場で、有益な情報を多くアップして貢献してくれる人にレスを控えさせても、それはスレを貧しくさせるだけだと思います

レス内の他のレスを読み返したりしようとすれば否応なしに絨毯爆撃が目に入り邪魔になる。
レスが付けば一定期間?はスレが上がり、下げられた他のスレを探す際に目に入る機会は多い。
他のスレを含む「軍裏閲覧の邪魔」になる状況というのは「読む読まない」以前の話ですけどね。
公共の場において不快感を感じる人間が発生している状況を容認しろというのが正当な要求であるとするならば、そういった問題を回避するために入場自体を制限できるレンタル掲示板等でやってくれと要求するのもまた正当な要求ですよね?

書き込みをした人によって削除されました
なー
なー

書き込みをした人によって削除されました

BBSのモラル、公知の常識などと主語を大きくしてるだけで根っこは「気に入らねえ」でしかないからなあ
だから「きにいらねえ」じゃない人と理屈会話が成立しない

>「きにいらねえ」じゃない人と理屈会話が成立しない
で?「きにいらねえ」から マナー、ネチケット優先派は消えろ!てかw
どっちが感情的やらw

まあきっかけは
>要約出来ないのか
かと書いてるが「きえろ!」「なーされろ!」じゃないし
賛成、反対双方受忍できるレベルまで減量すればいいんじゃね?
IP:2404:7a80.*(ipv6)は表でスレ主になってニュースをを相変わらず長文連投してるから望み薄だけどさ

>ip:2404:7a80.*(ipv6)
>しれないですなあ…w
>んでしょかね…?
>んだそうで
表でスレ立てしてる人は別人のような気がします

>表でスレ立てしてる人は別人のような気がします
ゴメン
でも大抵以後詳細はhttp・・・
だから3連投だし長文なので邪推したかも?

>ip:240f:51.*(ipv6)
>どっちがなーされてると思ってるんだ
みごとなブーメランだなあ

自業自得だよ

>IP:2404:7a80.*(ipv6) は猛省し以後1文字でも少なくする努力をすべき
お前もクッソ長いんでもっと要約してくれよ

>お前もクッソ長いんでもっと要約してくれよ
でも連投してないぜ

そして誰もいなくなった