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マツコ・デラックスの編集者としての才能! ゲイ雑誌『Badi』初期編集者・小倉東が語る
07日07:32頃消えます 1993年の創刊からゲイ文化を牽引してきた雑誌『Badi』は、いかにして時代とかかわってきたのか。3人の重要人物へのインタビューによって、その知られざる歴史の編み目をつくりあげてゆく。今回は、小倉東・後篇をお届けする。

・ マツコ・デラックスの才能

小倉がスーパーバイザー/編集長代行を務めていた1990年代後半の『Badi』の画期的な試みのうち、特にゲイたちの意識を大きく変えたのが、「顔出し」である。芸能人でもポルノスターでもない「一般のゲイ」が、不特定多数が手に取る雑誌に顔を出すというのも、それまでは考えられないことだった。

「僕は、まず編集者やライターが顔を出すべきだと主張しました。顔を出せるゲイが少なかったというのもあるけど、自分たちが顔を出していくことで、『ゲイだって、堂々と生きていっていいんだ』というメッセージを発信できるし、作り手の顔が見えれば、読者との距離も近くなる。編集部の中には『編集者は裏方に徹するべき』『隠れホモの存在を意識した誌面作りをするべき』と反対する人もいましたが、そこに気を遣いすぎていては時代を変えられない、前に進むことができないと思いました」

なお、『Badi』編集部には、編集志望だったわけでもなく、編集経験もない人材がたくさん働いていた。

「僕はよく、編集部員に持ち回りで人数分の昼食を用意させ、ランチミーティングをしていました。さまざまな材料を加工してバランスよく盛り合わせるという点で、料理と雑誌はとてもよく似ているし、そこから編集に必要な感覚を学んでほしいと思ったからです。しかし、誰がどんなものを用意してくるか、観察するのは面白かったですね。『サンドイッチとおにぎり』という、偏った組み合わせの人がいたり、楽をして弁当を買ってくる人がいたり、その人の生い立ちや仕事の仕方が、見事に反映されていたので」

そうした中で、ただ一人、小倉を唸らせた人物がいた。当時『Badi』編集部にいた、マツコ・デラックスである。マツコは前菜、主食、さらにはデザートまで用意しており、小倉は「この子はデキる。編集者向きだ」と思ったという。

https://gqjapan.jp/culture/column/20190329/japanese-gay-magazine-badi-2