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ふなパン屋を探すのは大変!? 「大東プルパン地図」登場

11日23:56頃消えます ふなパン、鯉パン、菊パンなど、「プルパン(といた小麦粉を型に流し込んで作る焼き菓子)」は冬を代表するおやつだ。しかし、いざ食べようと思っても、これを売っている屋台を見つけるのは容易ではない。そんな中、インターネットユーザーたちが行動に出た。インターネットユーザーたちはいわゆる「集団的知性の力」を発揮し、全国八道のプルパン店の位置を表示し、情報を共有する「大東プルパン地図」を制作した。
 この地図は2年前の2017年、あるインターネットユーザーが朝鮮王朝後期に金正浩(キム・ジョンホ)が編纂した「大東輿地図」に着目し、全国のふなパン店の位置を表示した「大東ふなパン地図」の拡大版だ。参加型地図システムであるグーグル・オープンマップを活用した。利用者たちが自ら屋台を表示し、情報を更新することができる。ほかの人がアップした内容を修正したり、追加することもでき、屋台の数や情報が引き続きアップデートされている。2月25日現在、ふなパン、鯉パン、菊パン、卵パン、ホットク(韓国式おやき)などを売る店877カ所が表示されている。
http://life.chosunonline.com/site/data/html_dir/2019/03/06/2019030680021.html 削除された記事が1件あります.見る

 地図に表示されたアイコンをクリックすると、プルパン屋台の情報が出てくる。ソウル市瑞草区盤浦洞の高速バスターミナル近くのアイコンを押すと、「(地下鉄)14番出口前の鯉パン、頭からしっぽまであんこがたっぷり詰まっている。いつも変わらずアツアツで甘くてボリュームたっぷり」という説明がついている。大学路の鯉パン店は「恵化駅近くにあんこ・シュークリームミニ鯉パン3個1000ウォン(約100円)、現金も口座振替も可能。シュークリームが甘いけれど、でんぷんが多く含まれているせいかほとんど透明で、個人的にコスパがよくないと思う」と書かれている。このように位置や価格、味、対応など詳しい情報が記載されているが、個人が自発的に書き込んでいるので、位置しか表示していないなど情報が乏しい店もある。

 プルパンの起源は日本のたい焼きだ。東京・麻布十番の浪花家で1909年に初めてつくられ、今年で100年になる。たい焼きは1930年代に韓国に伝わり、ふなパンになった。見た目は似ているが、たい焼きはしっぽが上を向いており、ふなパンに比べ躍動的だ。味はほとんど変わらない。20年ほど前に生まれた鯉パンは、ふなパンよりスリムで中がかすかに透けて見え、カリッとしていて具もあんこのほかクリーム、キムチなどさまざまだ。
 1950−60年代に米国からの援助で小麦粉が大量に入ってくると、一気に広がった。経済的に苦しい庶民たちが昼食代わりに食べるほど価格が手ごろだった。1980年代に入ると次第に姿を消していったが、1997年のアジア通貨危機以降、レトロブームとともに再び登場し始めた。一時は「不況の指標」でもあった。景気が低迷し、失業者が増えると、仕事を失った人たちがプルパン屋を営むようになり、道に屋台があふれたためだ。

 最近では「大東プルパン地図」を作って共有し、「ふな勢圏(ふなパン+駅勢圏)」というジョークが飛び出すほど、屋台を見つけるのは難しい。景気がよくなったためではなく、物価上昇により原材料価格が高騰したためだ。ソウル市中区薬水洞の鯉パン屋台の店主は「小麦粉と砂糖、特に小豆の価格が大幅に上昇し、売ってももうけがない。1000ウォンで4、5個だったのが2、3個に減ったため、人々は高いと言ってあまり買わなくなった」と話している。

……たい焼きだな………

> プルパンの起源は日本のたい焼きだ。
日帝残滓だな
あと数週間もすれば日本の鯛焼の元になる

そんなもの食べてる経済的余裕があるなら
まだ大丈夫そうだな┐(´д`)┌

中身はやっぱウ○コ?

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>中身はやっぱウ○コ?
形までウ○コ

たい焼きそのものは大判焼き今川焼きの亜種

大判焼き?回転焼きやろ?

>大判焼き?回転焼きやろ?
地域名称や販売店での独自名称等々いろいろとあるのその人が呼びたい名称で良いんじゃね?
しかし、ざっくりと形状で分けるなら円形は「今川焼き」小判型は「大判焼き」らしいが、円形でも「大判焼き」の所もあるしほんと自由で良いんじゃねw

で、まあ「回転焼き」の場合「大判焼き」や「今川焼き」を焼く道具を焼きやすく改良した段階で焼き板を回転させる事から「回転焼き」となったらしいので元は「大判焼き」か「今川焼き」なんじゃねw
まあ、その地方地域での呼び名があるんでお好きな名称で…

>具もあんこのほかクリーム、キムチなどさまざまだ。
>キムチなどさまざまだ。
あ〜気持ちが悪くなってきた

>>キムチなどさまざまだ。
>あ〜気持ちが悪くなってきた

日本人の作る高菜のお焼きは絶品だぞ
その次にうまいのは野沢菜のお焼き
本当はそっちが正統なんだけどな・・

キャベツとベーコンが入った鯛焼きもあるよ

>キャベツとベーコンが入った鯛焼きもあるよ
どこで食ったか忘れたが中にたこ焼き二個入ってる鯛焼き食ったことあるな…どこで食ったんだろう?
今思うと作って時間経ったたこ焼きの再利用だったんだろうかw

>朝鮮王朝後期に金正浩(キム・ジョンホ)が編纂した「大東輿地図」に着目し
ここ必要ですかね?

>たい焼きそのものは大判焼き今川焼きの亜種
野球のボールとかいろんな形を作って売れたのがたい焼きなんだよな
理由は食べられる物の形だからという理由で
つまり韓国ではうんこは食べもの

からあげの次はたい焼きのパクリか?

>からあげの次はたい焼きのパクリか?
「鯛焼きは韓国発祥のフナ焼き(鯉焼き)のパクリ」とか言うのを前に見た気がする…

>>たい焼きそのものは大判焼き今川焼きの亜種
>野球のボールとかいろんな形を作って売れたのがたい焼きなんだよな
>理由は食べられる物の形だからという理由で
そんな新しかった?江戸時代の大工のお茶うけで、しっぽを持って食べてもらうから魚の形、鯛なのは縁起物って聞いた

>江戸時代の大工のお茶うけで、

鯛焼きは明治末期始まったものというのが定説。
そのころ「鯛焼き」の文字が記録されて、「尾っぽの餡子」論争が巻き起こった。
江戸時代に鯛焼きを食べたというの文献は読んだことが無い。
そもそも江戸時代の庶民用の食物に高価だった金型を使うというのはコストが合わないので不自然な話だ。
千利休が小麦粉を溶いて焼いたものに味噌を塗る菓子を発明し、それをもとにして金型を使わずに焼いた小麦粉で小豆餡を包んだ「銅鑼焼き」の原型が江戸時代に作られている。「江戸時代の菓子が後に銅鑼焼きなって、さらに明治に金型で焼く鯛焼きになった」という話なら納得できる。

>>>たい焼きそのものは大判焼き今川焼きの亜種
>>野球のボールとかいろんな形を作って売れたのがたい焼きなんだよな
>>理由は食べられる物の形だからという理由
そういえば東京には"人形焼"という七福神を象った焼き菓子があってね、浅草で初めてそれを見たとき"うわ、神様を喰うなんて何て悪趣味な…。"て絶句した記憶が。

>鯛焼きは明治末期始まったものというのが定説。
770509ですが、かるく調べたら明治からって出て来ました
すいません
恐らくは記憶違いでしょう
ご迷惑おかけしました

かなり前なんで記憶がちょっと信用できんが、ルーツをたどると江戸時代に鉄板に鯛を生地で描いて焼いた物に餡を挟んだ物があっらしい、ただこれは職人技でだれにでもできる物ではなく明治末期に現在の焼き型のような物が出来て全国に一気に広がった。
それと同時期に人形焼とか焼き型を使った菓子がいろいろと出てきたとか言うのを見た記憶がある。

こういう記憶を寄ってたかって修正するのがここのいいところ

>ここのいいところ

アホの韓国という強力な反面教師が居る
連中のばあいコレに限らず情報の構築で意見が違えた場合
どんな修羅場になるのかな

>連中のばあいコレに限らず情報の構築で意見が違えた場合
声闘だろ

>江戸時代の大工のお茶うけで、
私も昔テレビでこの説明を聞いた覚えがある
>鯛焼きは明治末期始まったものというのが定説。
でも最近のテレビではこうなってた
ちゃんとした調査が行われたせいなのか昔のテレビがいい加減だったのか

>江戸時代の大工のお茶うけ
落語でそんな場面のある噺がありそうと思った

元祖の店が麻布十番にあるんじゃなかったか

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画像は拾い物だけど、実家にも似たような木製型があった
ばあちゃんが亡くなってからは全く使わなくなったけどたい焼きは小麦粉固めるために熱しないといけないから金型じゃないとダメだけど、お餅や饅頭に餡詰めるような菓子なら、江戸時代にも木型で作れたんじゃないかな

砂糖は防腐になるけど、「塩」の方が効果が高いし、冷蔵庫は無いからなあ。

江戸後期には贅沢品では無くなったけど、基本はぜいたく品、江戸初期には薬屋でも売っていた。
 江戸末期でも、琉球の砂糖は秋田(出羽)の港を介した薩摩の密貿易品、つまりは投機対象として大人気だった。
 砂糖の主な用途は鈴木越後とか、金沢丹後などの高級和菓子店とかじゃない?

 江戸時代の「小豆餡」って言ったら塩瀬饅頭に代表される塩味。 庶民の甘味と言えば甘蔓とかで味付けされたので、蜂蜜とか砂糖はぜいたく品、イモ(里イモ)を甘くにつけたのとか、後期はサツマイモのツボ焼き

 平賀源内でも有名な和三盆は1700年代の末期ですけど、現代で言えば色はザラメみたいなもの。(味は知りません、現在の干菓子とは違うのでしょう)

>金型じゃないとダメだけど、お餅や饅頭に餡詰めるような
>菓子なら、江戸時代にも木型で作れたんじゃないかな

木型で作る落雁は昔からある。でもそれを鯛焼きとは呼ばないだろう。木型で作るのは蒲鉾もある。
https://irorio.jp/omochi/20171016/418768/
富山の人と結婚した友達の結婚式に出たけれども、木型で作った馬鹿でかい鯛の蒲鉾が引き出物で、持って帰るのに苦労した。しかし金型で焼くものではない。

>庶民の甘味と言えば甘蔓とかで味付けされたので、

「削り氷にあまづら入れて、新しき金まりに入れたる。」と枕草子にあるが、天皇(みかど)とその家族、ともまわりの女房などに食べさせるあまづらを作るのに数十人単位の使用人を動かす高級品。江戸時代でも人手のかかる高級品の甘味で、砂糖が出回ってからあまづらつくりの文化が失われた。現代にあまづらを作った様子が下のサイトにある。
http://www.nara-wu.ac.jp/grad-GP-life/bunkashi_hp/amadzura/amadzura_hp.html

麦芽糖なんかも食べられてたっていうね
江戸時代

>江戸時代にも木型で作れたんじゃないかな
地元だとひな祭りの時期に
「おこし」って言って団子の生地(甘かったり甘くなかったり)を木型にはめて
食紅で着色した菓子が出回るよ

>現代にあまづらを作った

今は亡き鉄腕ダッシュでやってた

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>似たような木製型があった
落雁(らくがん)という干菓子が原型最近は見かけなくなったけどね。それから金型が出来てたい焼きへと繋がったと思う。

>1552172408712.png
落雁というより白雪糕っぽい

朝鮮の伝統的なお菓子ってどんなものがあるのかな
日本統治よりも前のもので

真面目な話、日本統治前はお菓子なんて嗜好品は
全くなかったんじゃ無いかなぁ。

昔、粉を練った生地で餡を包み素焼きの型に入れて象りし、色粉を解いた水で色付けしたものを蒸したイガモチというものが存在しました。
このようなものならその原型が江戸時代にあったかのうせいがありますね。

>朝鮮の伝統的なお菓子ってどんなものがあるのかな
>日本統治よりも前のもので
クルタレとか?
中華街なんかで売ってる龍のヒゲって飴菓子だけど中国じゃ「皇帝も食べた駄菓子」なのに対して朝鮮じゃ宮廷菓子という落差が楽しいやつ

>クルタレとか?
クルタレは中華菓子じゃなかったか?

食べられないパン
カトパン、ガルパン、フライパン

>クルタレは中華菓子じゃなかったか?
中国の伝統駄菓子であり
朝鮮の伝統宮廷菓子

>1552172408712.png

鯛のラクガン
俺の故郷はいまだに結婚式の引き出物で普通に出てくるわw

盆菓子としてしか見なくなったな落雁

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