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08日00:07頃消えます IL-16スレ
二次大戦初期の雑魚と思いきやそれなりに性能良かったよという評価もありよく分かりません
詳しい人教えてください 削除された記事が5件あります.見る

1930年代中頃で推力単排気管やってるの普通に凄くない?

(・∀・) ポリカリポリ

ソ連崩壊後に、中古機体が西側に大量放出されたので、博物館や個人コレクターが格安で入手してたので、色々な所で見るようになった。

零戦の初陣の相手がこれだよね。
イ16と呼ばれていたっけか。
レベルの1/72作ったけど、機体が本当に小さくて
小さな翼の上半角もなく、これじゃ格闘戦に
持ち込まれたらひとたまりもないなと思った。

I-16は360度旋回15秒で零戦の14秒と比べてそう劣ったものでないよ
格闘戦に強い機体
重慶で戦った12空の戦闘詳報では零戦は上昇性能で勝ってたのでダイブズームを繰り返して
20mmの大威力で一撃で撃墜できたことが戦果拡大の要因であると報告して
むしろ格闘戦に寄らなかったことで圧勝した
独ソ戦では馬力の向上した28型で戦ったけど格闘戦では水平垂直旋回で優位に戦えたので
ベテランパイロットにはメッサーE型は決して恐ろしい機体ではなかったとか
ただ急降下では抵抗が大きく全力で追いかけてもすぐ逃げられてしまう上
F型相手だと垂直旋回でもやや不利を強いられるので勝てる機体とは云いがたかったそうな

でも操縦安定性は悪かったらしいよ。

http://www.warbirds.jp/ansq/1/A2001179.html

I16の操縦が難しいのは胴体が短いため尾翼の安定モーメントが稼げず、ピッチ・ヨー方向の復元力が少ないこと最大の原因だと思います。また、主翼が薄くて翼面過重が高いため失速特性が急峻で、しかも上反角がほとんど無いのもロール方向の復元性も悪そうに思えます。
寸詰まりはポリカルポフの芸風だと思っています。
彼の作品は処女作I-5から一貫して胴体が短く、これを比較的大面積の尾翼で補って安定させる手法をとっています。これは計量化と運動性を追及したためだといわれ、実際、スペイン内戦で鹵獲したCR32とI-15の比較試験では、「機関砲(フィアットの12.7mm×2〜4に対してポリカルポフは7.7mm×2)の射程で勝る以外、空戦性能ではCR32は鈍重で恐るるに足りない」との評価を得ています。しかし、この設計方針を速度追求・一撃離脱戦法を取るI-16にまで適用したのは不適当であった(急降下からの射撃で斜線が定まらないのでパイロットから不満が出たとも)といわざるをえません。

>でも操縦安定性は悪かったらしいよ
速度重視の機体だからねえ
生産数は2万機
さすがソ連機、数で圧倒

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エンジン前面にはオーバークール防止のシャッターを装備

ノモンハンでは97式はI-15やI-153には有利だったが、I-16
には結構苦戦したとか

何気に世界初の量産引き込み脚戦闘機だったりする

>ソ連崩壊後に、中古機体が西側に大量放出されたので
中古の機体ではなくシベリアで見つけた残骸をレストアしたもの
エンジンはAn−2のものを搭載している
広大な土地だけに撃墜された機体が今でも放置されていて
しかも寒冷地なので腐食なども少ないらしい
フライングヘリテイジのP−40Cもシベリアで発見された機体

>フライングヘリテージ
ハヤブサ見たいなぁ・・・。

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佐貫亦男さんのエッセイで「イー16戦闘機」を取り上げたものがあるんですが、曰く
「イー16というと、われわれはすぐ昭和14年(1939年)、ソ満国境ノモンハン事件で現れたソ連戦闘機を思いだす。日本のパイロットたちはこれをアブと呼んだようで、これはそのずんぐりとした胴体と小さな主翼によるものであろう」「そもそも、この戦闘機ほどいろいろなあだ名をもらったものはあるまい。生れた国ではヤストレボク(若ワシ)ともっともらしく命名されたが、スペイン内戦ではモスカ(ハエ)と下落し、相手からはラータ(ネズミ)と軽蔑され、生国で最後にはイシャク(小ロバ)になり果てた」…との事因みに同機は蒋介石=サンの中国国民党空軍でも運用されて、支那事変で日本機とも交戦しているんですが、中国側パイロットさん達はI-16を「小蒼鷹」戦闘機と称していたそうです

書き込みをした人によって削除されました

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I-16の貰った数々のあだ名の中では最もカッコイイ部類に入ると思うんですがw一方ではI-16は
宿敵96式艦戦より高速で、加速性や急降下性能に優れる機体ではあったものの、着陸時に不安定で、大抵ポンポンと何回も跳ね上がっての着陸になるため、「蹦々跳々(プンプンテイヤオテイヤオ)」なんて言われていたんですとかこれはI-16 の設計上の特徴として、主翼後縁全体にわたって補助翼がついている(オール・スパン・エルロン)構造を採用している一方でフラップはなく、なおかつ単葉で高翼面荷重の機体の為、高速での接地を余儀なくされた為であったんだそうである意味「蹦々跳々」は低翼単葉・引込脚という近代的構造への移行期の存在で、ピーキーな性能とユーモラスな外見を併せ持つ、I-16という機体自体にもピッタリな表現なのかも知れませんですねえ

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>IL-16スレ
イリューシンの機体じゃありません。「I-16」ですよ。(笑)
 
>1930年代中頃で推力単排気管やってるの普通に凄くない?
>何気に世界初の量産引き込み脚戦闘機だったりする
さらにパイロット防弾鋼板を装備したのも本機が世界初だったはず。
こうして考えると意外と先進的な設計の機体だったんですね。
ちなみにフライト・ゲームでソ連機タイプを選択すると、最初に乗せられるのが
本機かI-15というのはお約束。
Bf109Fと空戦させられた日には罰ゲームもいい所ですよ。
まぁLaGG-3やMiG-3でも十分に罰ゲームなんですけど…。
 
>「小蒼鷹」
リトル・ブルー・ホーク… (・∀・)カコイイ!!

友好国に輸出しまくるのも戦後のジェット戦闘機とかと同じだよね
航空産業の育成も出来るし、実戦テストも出来るしでソ連的には良いやり方なんじゃろな

パクられるとか考えないよね。本邦のように。

正確にИ-16
て書けばいいんだけど普通の日本人はアルファビート知らんからねえ

た・・・ターンエヌじゅうろく?

>中古の機体ではなくシベリアで見つけた残骸をレストアしたもの
>エンジンはAn−2のものを搭載している

世の中にあるの全てそうなの?

>世の中にあるの全てそうなの?
世の中全ての機体ではないが
現在出回っているI−16は全てそうだよ
アルパインファイターミュージアムがシベリアから
6機のI−16(I−153なども同時に回収している)
を回収してレストアしたものを自らのコレクション用以外は売りに出した
この博物館はフライングヘリテイジの隼1型の元所有者でもある
Iー16は現存機が多く無ないので戦史などを元に捜索して回収した

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「北欧空戦史」の著者の中山雅洋氏が、フィンランドに取材に行った際、現地で対ソ戦争
の際鹵獲されたI-16を見物されているんですが、「主翼に上がってみると、胴体の表面や固さはピアノの外面のような感じであった。木の合板を蒸して加圧し作ったと伝えられる真円形断面のモノコック構造の胴体は、厚さが3センチくらいしかない。しかしカチカチに固くて相当の衝撃にもビクともしない感じであった。実戦に出てさらに35年の年月を越しても、座席後方の背びれ部分が少しゆがんでいるだけで、胴体だけなら古代の漆器のように数百年の保存にも耐え得るのではないか、という気がした」…そうですw

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「『この引金が、いかんのです』と当日解説してくれた第二次大戦中の整備員ケルコラ氏
は、操縦桿の上部についている引金を指していった。『この機(略)が飛んでいた当時、みなでかわるがわる飛行して模擬空戦や射撃訓練をしてみたものです。すると、引金が固いので、強い力で発射把柄を握らないと弾丸が出ない』『そのため、引金もひくが、操縦桿もわずかに前方へ押してしまうことになり、大事な射撃のその瞬間に少し機首が下がるので命中しにくいのです。I-16の20ミリ機関砲の性能はすごくいいのだが、この欠点で助かった相手方の飛行機は、とても多かったと思いますよ』」「操縦席からの視界はなかなか良く、ズングリと太い機首は頼もし気に見えた。寒冷地でのエンジンの過冷を防ぐワッター・カウリングの内側を機体の下から覗くと、カウリング前面内部の円型シャッターを動かす機構はいかにも単純で、本当に速度と機関砲という実戦性能一本槍の、数で押しまくるための主力戦闘機のように思えた」

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「零戦や『スピットファイア』の実物を見た目から見ると、どう見てもひどく劣るが、そ
れらの5年も前に配備を開始した機体として眺めると、少なくとも数メートル離れたところにおいてある、やはり羽布張りの単葉戦闘機ホーカー『ハリケーン』Mk1には、さして見劣りしない」…とのことなんですが、シンプルで堅牢、よく言えば頑丈で整備性も良く、悪く言えば大雑把な設計ながら、一面時代を先取りする先進性をも併せ持つ…というところは、その後のソ連製航空機というか兵器全般に共通する点でもあるわけで差し詰めI-16は、そうした続々と生産されるソ連脅威のメカニズム群!の魁的存在の一つ…ってことにもなるんでしょかね…w

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>二次大戦初期の雑魚と思いきやそれなりに性能良かったよという評価
第24戦隊長であった檮原秀見少佐が鹵獲したI-16(多分ですが文中でキ43試作機の話が出てきますので10型か昭和15年に満州で鹵獲した24型と思われます、多分前者。)を立川陸軍航空技術研究所で操縦しておりますが、次のように感想を述べています(・w・長文になるので箇条書きとなりますが「脚引き込み操作が人力でチェーンで巻き上げる方式で非常に力が必要だった」「一般飛行性能は九七式戦闘機と大差はない」「降下速度は実戦で体験した通り素晴らしい」「縦舵性は良いが旋回半径が大きい、また無理な急旋回をすると失速の傾向がある」「旋転性は良いがアクロバット的なもので他の何者でも無い」上記のような機体だったそうですが最後に「色々な欠点があるにせよ当時の各国の航空技術のレベルから見て名戦闘機の一つ」と結んでおられますね(・w・

他が殆ど複葉機だった時代に低翼単葉、しかも引き込み足つきだもんね

登場した当初は結構注目の的だったりしたのかしらん

wikiより
動力: シュベツォフ M-63スーパーチャージャー付き空冷星形エンジン 、820 kW (1,100 hp) × 1
最大速度: 525 km/h (高度3000 m)

前方固定式 7.62 mm ShKAS機関銃 2丁(カウリング上部)、前方固定式 20 mm ShVAK機関砲 2門(翼内)、RS-82ロケット弾 6発または500 kg までの爆弾

これだけ見たらゼロ戦ワイルドキャット世代にあまり引けを取らないね

>IP:240f:50.*(ipv6) No.484126

なるほど、I16に関しては一般的に「旋回性能が悪く降下性能は良い」みたいな
抽象的な話が多いのですが脚の引き上げ方法や失速の話は目から鱗でした。

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飛ぶエンジン


>飛ぶエンジン
ゆるキャラみたいだな

Pの頭の大きさから考慮すると
エンジンだけで直径1.5メートルは
有りそうだな・・

I-16はスピンを起こしやすかった(ただし元パイロットによるとスピンからの回復は簡単にできたそうです)

ロールレートがどうだったのか調べたら速度や高度は不明ながら1秒ああたり240度という値が見つかりました

ロール性能が優れていたと言われるFw190や短翼スピットでもこの半分くらいなので、I-16はロール性能が恐ろしく良くキビキビ動く機体だったと思われます、

ちなみにこの元パイロットはI-16の28型からハリケーンに乗り換えた経歴の持ち主で、ハリケーンは最高速度こそI-16より速いものの加速性や水平面 垂直面の機動性が劣り、I-16に乗っていたときは優位に進められたMe109E相手の戦闘でも苦労したそうです

なぜポリカルポフ設計局なのにI-16なんでしょうか
ポリカルポフさんが松本伊代のファンだったの?

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>なぜポリカルポフ設計局なのにI-16なんでしょうか
1939年までの命名基準だと「機体種別 + 数字」になってる…1940年以降だと「設計局 + 数字」数字は機数が戦闘機/練習機、偶数が爆撃機/その他だったきがする

×:機数
○:奇数
すまぬ…

低翼単葉、引き込み脚、20o機関砲、速度と運動性の両立、頑丈な機体。

他国の先を行く要素はきっちり揃ってるし、実際時期的にも早かったからスペイン内戦やノモンハンで主力張ってる。メッサーもスピットも零戦も完成しつつあっても量産に至らない時期にだ。

後に続くソ連戦闘機群の設計方針や思想の下地になったと考えれば、なるほど傑作機だよな。

戦車もそうだが、ソ連はなにげに兵器開発が順当でここぞに間に合ってるんだよなあ。
フランスとかとは大違いな部分だ。

篠原准尉はこれにやられたんか・・・

>I-16はロール性能が恐ろしく良くキビキビ動く機体だったと思われます、
上の方にも書いてありますがロールが速いだけで旋回しようとするとすぐに失速するので旋回性能は劣るんです。鹵獲機を試験された方が「曲技飛行の域を出なかった」と言っているのはそれを指しています。

主翼が角度の付いてないド水平でこれがアカンかったみたいな事をどこかで見たな

>旋回性能は劣るんです。

私が上で挙げた元パイロットの話はあるインタビューの引用です
その中でインタビュアーの「I-16なら電信柱の周りを旋回できる」というのは事実ですか?という質問に対して元パイロットは「水平面での機動のことを言っているならその通り、その点では比類のない機体だった」と答えています

これからすると元パイロット含めロシア国内ではI-16は旋回性能に優れた機体だったと認識されているようです

もしかすると何かコツが必要だったのかもしれませんね

>「縦舵性は良いが旋回半径が大きい、また無理な急旋回をすると失速の傾向がある」
>「旋転性は良いがアクロバット的なもので他の何者でも無い」
ここですね。「無理な急旋回で失速」というのは機体の向きは意図した方に曲がるが機体の進行方向がそっちへは変わらない(つまり曲がらない、車で言うとノーズが逃げるばかりで曲がらないアンダーステア状態)という意味だと思います。そもそも高翼面荷重で旋回性能が良いというのは矛盾していると思います。

ひょっとして回れるが運動エネルギーを大幅に失うということかも知れませんね。スピンターンした車みたいな。さっきのどアンダーとは違って極端なオーバーステア(笑)

>そもそも高翼面荷重で旋回性能が良いというのは矛盾していると思います。
ここが興味深いポイントなんですけど、旋回性能(旋回率)に影響する主要素を挙げると、
1.翼面荷重  2.旋転率(ロール率)  3.余剰出力(出力対重量比)
 〜の3つが大きな影響力を持っているので、翼面荷重だけでは旋回性能は決まりません。
「翼面荷重」が低いと旋回半径を小さくするのに寄与しますが、旋回半径が小さくても
旋回速度が低ければ旋回率は低下します。
また「旋転率」が大きいと、素早く旋回体制に入れるので旋回率が向上します。
一般的に翼幅の大きい機体よりも小さな機体の方が旋転率に優れます。
翼幅の大きな翼は旋転するのに大きな運動エネルギーを必要とするからです。
つまり旋回性能を向上させようと考え、翼面荷重を下げるために翼面積を増やして、
翼幅を大きくしてみたら、むしろ旋転率が低下したせいで旋回率が低下してしまった、
というケースは十分にあり得ます。

さらに急旋回をすると運動エネルギーが急速に失われてしまうので、それを補うために
エンジンの余剰出力が大きいことが望まれます。
いくら翼面荷重が低く、また旋転率の優れた機体でも、エンジンが非力だと旋回によって
失われたエネルギーを十分に補填することができないので、旋回率が悪くなります。
例えばF6Fは零戦と比べて翼面荷重や旋転率で優ってるわけではありませんが、
余剰出力が大きく優っているせいで旋回率では明らかに零戦を凌いでいます。
旋回半径は零戦よりも大きいにもかかわらずです。
あとI-16の翼面荷重なんですけど、Type 24で零戦の五四型とほぼ同じ数値なので、
結構低い方ではないかと思います。
余剰出力も当時としては大きい方ですし、機動性は中々優れていたんじゃないでしょうか。

>主翼が角度の付いてないド水平でこれがアカンかったみたいな事をどこかで見たな
グランプリ出版の飛行機メカニズム図鑑にそう言う記述がある

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1935年に、イタリアのミラノで開かれた航空博覧会では、I-16も出展されていたそうなん
ですが、会場の人気を最も集めていたのは地元イタリアの複葉単座戦闘機CR-32であって、北の国から来た低翼単葉戦闘機に目を向ける人は殆どいなかった、なんて話が有るんだそうでI-16の初飛行は1933年の12月31日、対するCR-32の試作機完成が同年4月末だそうなので、ほぼ「同期」の2機種ではっきり明暗が分かれてしまった、という事みたいなんですがw奇しくも翌1936年にはじまったスペイン戦争で、CR-32はフランコ将軍率いる反乱軍およびそれを支援するイタリア空軍、I-16はスペイン共和国政府軍とそちらを支援するソ連空軍の主力戦闘機となってスペインの空で雌雄を決する形になっているんですよね

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そして三野正洋氏の「スペイン戦争」によると、両者の対決の結果は展覧会の日陰者であ
った、I-16の方に軍配が上がったんだそうでして、「E-16(ママ)戦闘機(略)の性能は、フランコ側のHe51、CR32戦闘機(略)のそれをはるかに超えており、戦局は共和国側に一気に有利となった。こののち約半年間、ソ連空軍はフランコ軍、イタリア軍、ドイツ軍航空部隊を完全に圧倒する」「1936年11月末、マドリード南西上空でイタリア空軍のCR32×8機と同数のE-15、E-16が空中戦を行った。4機のCR32が撃墜されたがソ連航空隊の損害は全くなかった」「イタリア軍の士気は急落し、パイロットの中には、出撃を拒否する者まで出る始末であった」…んですとか

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この手強いソ連製戦闘機に対して、まずスペインのフランコ空軍側では
「のちにこの戦争でトップエースとなるモラト少佐を中心に、対策を練った。その結果、生みだされたのがベテランパイロットだけで編成された”青い小隊”である。それまで3機からなっていた戦闘機小隊を4機にし、単機ないし2機で飛ぶ敵機にのみ戦いを仕かけようと考えた」「相手の数が多く不利な場合は、空戦を行うことなく引き揚げる。敵戦闘機(特にE-16)との交戦を避け、爆撃機、偵察機を重点的に狙って攻撃する」…という対抗策を取ったそうなんですが、同じくCR-32で戦うイタリア空軍では「できればより性能の高い戦闘機を配備したいのだが、これは間に合いそうにない。そこで考えられたのが次の二つの対応策である」

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「まずCR32を大量に派遣し、数で敵を圧倒する。これにより百機のCR32が、50基のスペ
アエンジン、120人の操縦士と共にイタリアを旅立った」「もう一つは、フランコ空軍のように技量のすぐれたパイロットだけを集めた特別部隊を編成し、敵に当る、という策である。まず小隊単位で実践し、効果が挙がれば中隊規模にまで拡張する。これはフ空軍と違って(略)中隊を基本として『黒い中隊』1個、『棍棒のエース中隊』2個の計3個(約40機)からなるもの」…という状況であったそうです個人的には「空戦では個々の性能では敵わなかった」「編隊で対抗せざるを得なかった」「場合に依っては直接対策を避けた」等の評価が付く戦闘機には傑作が多いと思うんですが(偏見)何れにしても、実戦で華々しく実力を証明した、I-16への衝撃の程を物語るエピソードではある気がします…w

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機体性能だけじゃなく、パイロットの技量とかも関係ありそうだけど…
当時の赤軍パイロットとかどれぐらいのレベルだったんじゃろ

実際に操縦桿を握った人の印象でロールと急降下は強いが旋回は癖が強くて失速しやすいということなのであるならば、腕前によっては十分な旋回性能。
縦の軌道も合わせた運動性は良好、っイメージがあるが。
スペインでもノモンハンでも独ソ戦でも、実際に手合わせした人間は結構評価してるもんね。

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ディミタール・ネディアルコフ=サンの「ノモンハン航空戦全史」で、スペイン戦争前後
のI-16とソ連空軍事情が紹介されているんですが、スペイン上空で同機&ソ連空軍パイロットはイタリアやドイツの複葉戦闘機に対して、「猫がネズミをもてあそぶ」ような戦いぶりを示して航空優勢を確保したとした上で、一方では「実戦によってI-16戦闘機の多くの欠点も明らかになった。I-16戦闘機は、高い機動性を確保するために意図的に機体重心を後方に置いたため、パイロットにとって操縦の難しい戦闘機であった。ずんぐりとした機首と太めの胴体の単葉機のため、操縦ミスは致命的結果を招き、相当経験を積んだパイロットでもI-16戦闘機に慣れるのに苦労した。この特性は、高い損耗率の原因となった。スペインで実戦に参加した当初(略)損耗の半分以上は、戦闘以外の理由によるものであった」

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「着陸速度も速かった(略)墜落が頻繁に起きていたことや経験豊富なパイロットでさえ異常
な事故によって命を落としたことから、I-16の複座練習機(略)の生産が命じられ、パイロットたちはこの複座練習機によってI-16戦闘機の『完璧な名人』になることができた。当時の平均的なソ連軍の戦闘機パイロット達の飛行時間は、70時間を超える程度であったが、これは戦争間近の戦闘機パイロットの飛行時間としては著しく不十分であり、最新の戦闘機に実際に必要とされる飛行時間をはるかに下回っていたのである」「I-16戦闘機の『小児性障害』(ソ連空軍は、初期のI-16戦闘機の設計ミスをそう呼んだ)や(略)Bf-109B戦闘機や日本海軍の96式艦上戦闘機のような好敵手が出現したことによって、ソ連空軍のシンボルであったI-16戦闘機は、大々的な改修を余儀なくされた」…そうです

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「より強力な新型のM-62型エンジンに換装したことにより操縦性は改善され、元々主翼に
装備されていた2丁の機関銃に加えて、エンジン上部にも機関銃を塔載した事により、火力も増大した」「しかし、このように生まれ変わったI-16戦闘機であったが、機体の不安定さは依然として改良されておらず、目標の照準は困難を極めた。その結果、特に格闘戦において大量の弾薬を消費することになり、このことは強力な武装の有効性を著しく損なう原因となった」…との事なんですが、使い方次第では高性能を発揮するものの、技量未熟なパイロットさんたちには手に余る面を持つ機体でもあった、ということなんでしょかねえただ考え方によっては、そういう機体で幾度かの実戦を含む運用経験を積むこと自体が、或はソ連空軍戦闘機隊の技量向上に、繋がることになったのかもしれませんですなあ

陸海ともに開戦前にI-16の実機なり残骸なりを検分する機会はあったけど
この時は推力排気管は取り入れて無いんだよね
それが43年頃に一斉にやりだしたのはどこから得た知見なんだろう

I16の防弾板は真似てもよかったのにね

>No.484400
>No.484404
ありがとん
意外に未熟なパイロットが多かったのね…
空中での性能は良いけど、未熟だと高翼面荷重で事故りやすい、とかは「鍾馗」みたいな感じやね

>平均的なソ連軍の戦闘機パイロット達の飛行時間は、70時間を超える程度であったが

太平洋戦争に突入する直前の日本軍パイロットの平均飛行時間は1000時間
大戦末期並の飛行時間だね

>大戦末期並の飛行時間だね
天ぷらってやつか

突入直前だとパイロットの大量養成期にあたって平均は下がっちゃいそう
陸海軍や機種によっても変わってきそうだし

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>推力排気管
艦上偵察機「彩雲」の設計者さんの手記によると「高速度を狙う為に(略)発動機の排気ガスを機体の後方に向けて排出し、推力を得ようという設計が採用された。中島では、DB型実験機を持っていたので、昭和16年春以来二回にわたってこの実験を行っていた。発動機の性能を損なわずに排気の速度を上げる研究である。同年末には海軍で零戦による同様の実験も行われたので、本機(※彩雲)ではこれらを生かして設計を進めるとともに、性能推算値にもジェット効果による増速18ノットを見込んで産出するとという、わが国では最初の性能推算方式が採用された」…との事要は1940年頃には推力式単排気管の効果について試験は既に行われていて、その結果を反映した実機が登場し始めたのが1943年ごろだったという事みたいなんですが、I-16の影響がその裏にあった、というなら実際面白いと思うんですが…どうだったんでしょかねw

39259 B
>未熟なパイロット
機種・規模共に急激に膨大しつつあった当時のソ連空軍にとっては、スペイン内戦への参加自体が機材人員に貴重な実戦経験を積ませる機会でもあった、という事なんだそうで因みにスペイン共和国政府側で参戦した各国の義勇(自称)兵パイロットさん達の中に、I-16を駆って単独・共同合わせて39機撃墜を記録し、とトップエースとなったレフ・リヴォーヴィチ・シェスタコフ=サンというソ連空軍パイロットがおられるんですが、この人も帰国後は貴重な実戦経験者、それも飛びっきりのワザマエ!…ということで戦闘機隊の指揮官への道を歩むこととなり、WW2での独ソ開戦を第69戦闘航空団所属で迎えると、ほどなくその団長に任命され、再び独伊らの枢軸軍戦闘機と、今度は祖国上空で闘う事になったそうなんですな

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第69戦闘航空団の開戦時の装備機は、未だスペイン内戦時と同じI-16 (無論改良型ですが)
であったものの、シェスタコフ=サンは1941年末、部隊がLaGG-3に機種改編前までに、I-16 で単独・共同併せてBf109を4機、PZl-24戦闘機を2機、Ju88を1機撃墜する戦果を挙げており、腕前の鈍っていない所を示しているんですが、同時に航空団全体を指揮する手腕についても非凡なものがあったそうです例えば1943年頃からソ連空軍で広く用いられるようになった低空での制空戦闘戦術に、「本棚」若しくは「エスカレーター」と呼ばれるものが有りまして、要は戦闘機の複数のグループを高度を分けて階段状に配置して、相互支援させる戦術なんですが、これを1941年の段階でいち早く採用して、実戦で戦果を挙げていたのがシェスタコフ=サンの第69戦闘航空団であったんだそうで

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これにより、強敵Bf109がやや高度の高い所を飛んでいる場合には、高度の高い「棚」から
I-16の急降下性能を活かし優位に攻撃をかけることができ(メッサーが上空に上がろうとすれば別の「棚」が妨害するわけですな)、また最低空に追い込まれたBf109に対しては、低空での水平面での運動性はI-16の方が優れていたため、やはり優勢を保つことが出来たそうですまた逆に、パラソル翼で低空での水平面運動性がI-16に勝るPZl-24に対しては、優速と上昇力を活かして上方からの一撃離脱戦法で制圧しており、このI-16で多くの戦果を挙げた集団戦法への信頼もあってか(?)、LaGG-3への機種改編時、同機の低空での運動性がI-16に劣ること等から、転換に反発する隊員たちをなだめるのにシェスタコフ=サンが苦労した、なんて逸話も残っているんですとか

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もっとも、結局航空団はラグ機に乗り換えて、シェスタコフ=サンも愛機をI-16からLaG
G-3、Yak-1、La-5…と乗り継ぎながら東部戦線を転戦し、共に更に戦果を重ねているんですが、1944年3月13日、「Ju87」1機撃墜とを最後に、同日未帰還になっているそうです因みにWIKIでのシェスタコフ=サンの項目では、この日高名な「シュトゥーカ」パイロットのハンス・ウルリッヒ・ルーデル=サンが、彼を追尾していたソ連戦闘機が後席のガーデルマン=サンの射弾、若しくは自分の機の後流により墜落した後、傍受したソ連側の無線通信からその機のパイロットが「ソ連の英雄で有名な戦闘機パイロット」である事を知った…なんてエピソードが紹介されているんですが…なんだ、ルーデル=サンがまたやっちゃったんd(

書き込みをした人によって削除されました

>1943年頃からソ連空軍で広く用いられるようになった低空での制空戦闘戦術に、
>「本棚」若しくは「エスカレーター」と呼ばれるものが有りまして

太平洋戦争末期の米機動部隊の戦闘機隊も
特攻機とその掩護機対策として同様の戦術をとってるのが興味深いですね。
無論、類似の戦術は各国でも用いられていたわけですが

といってもある意味戦闘機とパイロットを大量に用意できる国ならではの戦法だよね

ノモンハンとかでも日本側が頑張って戦力を集中して、味方がこれだけ機数そろって
るなら勝てる!とか勇んで出撃したら、ソ連の方が更にその数倍の機数で出てきたでござる!
とかいう話があった気がする…

相手より数を揃えるのは安直だけど王道だもんな
ソ連はスペイン内戦の経験から航空機パイロットの消耗率は100%を簡単に超えると計算して各地にグライダークラブを設立したりとパイロット育成に尽力している

「必要があるなら準備する」言うのは簡単だけど国の規模になると中々大変な話だ