… |
【今日は】万宝山事件【何の日】
中国人地主郝永徳が現地朝鮮人会の斡旋により朝鮮人に荒地500天地を10年間(民国20年陰暦3月から民国30年陰暦3月まで)貸与する契約を長春県長の承認を得て締結した[7]。 契約を結んだ朝鮮人が取水口から20里にわたる用水路を作った。 5月25日、中国公安局巡警に水路開墾中の朝鮮人監督が拘禁され、殴打された朝鮮人農民に重傷者が出たとする連絡が駐長春日本領事館に入る[8]。 5月26日、日本領事館から職員と領事館警察が派遣され調査が行われ、中国官憲によって中国人地主が拘禁され朝鮮人を退去させるよう策動していることが発覚[8]。 7月1日、中国人農民約四百人によって水路破壊作業が始められたので、現地派遣日本警察によって朝鮮人に絶対無抵抗とするよう指示がなされた[9]。 |
… |
【今日は】万宝山事件【何の日】
7月2日、長銃20丁拳銃10丁を携行した中国人暴民約五百人(千余人とも)によって水路埋没作業が始められたので、日本騎馬警官3名が急派され、中川警部より警察官増派要請がなされたためさらに10名が派遣された[10][11]。午前8時ごろに衝突が発生し暴民が発砲したため警察官も発砲したが双方に死傷者でることはなく、午前10時には暴民は引き揚げた[11]。その間、現地に到着した中国巡警7名も事態を鎮めようとしたが暴民の暴行を受けた[10]。 中華民国資料 死者0。 7月5日 朝鮮平壌在住中国人が数千人の朝鮮人に襲われ、中国人死者88名、重軽傷者102名。[12] リットン調査団は127人の中国人が殺害されたとしている。[13] 7月12日 朝鮮日報長春支局記者金利三が3人の朝鮮人に連行され暴行を受け、日本人の唆しを受け万宝山事件の虚報を流したとする文面に署名捺印させられる[14]。 7月14日 吉長日報に金利三が署名捺印させられた文面が掲載される[14]。 |
… |
間島特設隊の設置は昭和13(1938)年度でしたな |