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短12糎、短20糎砲スレなんてどうでしょうか?
ちょっとマイナー過ぎるかもしれない兵器ですが
安価で揃えられる対地、対潜兵器として考えれば優秀なものではないでしょうか?
削除された記事が2件あります.見る

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戦車砲にはまるで適さないような気がする…


海岸砲や陸地に設置されたものは全然活躍しなかったみたいですね
グアムだかサイパンの兵士曰く
機銃の方が使えたみたいです

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上陸正面数十q・予想範囲だと数百qにわたるような戦場だと射程の短さと固定配置の弱さがモロに出てしまう
狭くてほぼ上陸海岸の予想も絞られてた硫黄島だと活躍のチャンスだったが狭いだけあって米側艦砲射撃の密度も高くなる

グアムでいくつも見たけど無名だよね

昭和18年採用の割には数作ってる方だけど
本来目的の商船護衛にはどれだけ役立ってるんだろうか

射程距離/命中精度が低い上、簡単には移動もできない
悪いところばかり集めたような兵器じゃないかな?
射程の短い迫撃砲や擲弾筒はその機動性が前提だからねえ

兵員相手なら迫撃砲でいいが装甲車両や舟艇を直射・撃破できる砲も必要
完調でも1機落とすのに数百や数千発撃たなきゃならん高射砲をさっさと平射配置につけられればよかったのだが
摩耗した砲の再利用とかでもなきゃ空向いて敵機を撃つものという教条主義がどうにも頑迷だった

>射程距離/命中精度が低い上、簡単には移動もできない
>悪いところばかり集めたような兵器じゃないかな?

ただ、お値段と重量の割には威力があるから、第一次大戦型の
塹壕戦・総力戦ではそこそこ役に立つよ(それ以外の場面ではお察しだけど。)

>完調でも1機落とすのに数百や数千発撃たなきゃならん高射砲をさっさと平射配置につけられればよかったのだが
平射できる高射砲は限られていたんじゃなかったかしら八八式とか

wiki見ると使用弾種に阻塞弾があるけど
いくら低初速とは言え打ち出せるのか

>>平射できる高射砲は限られていたんじゃ・・・・

FLAK36をパクった99式は?
でもロンメルのアラスの戦闘時の戦術を
知ってたかは不明。

八八式が行き過ぎた軽量化をしてしまっただけで他は問題なく平射出来るよ

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>>完調でも1機落とすのに数百や数千発撃たなきゃならん高射砲をさっさと平射配置につけられればよかったのだが
>>摩耗した砲の再利用とかでもなきゃ空向いて敵機を撃つものという教条主義がどうにも頑迷だったアッツの独立高射砲大隊は、増強予定だった野砲や山砲がそのまま海没・揚陸断念したので、米軍上陸地の東浦を見下ろす舌形台に陣取り、野砲みたいに運用されてました。砲身は摩耗して命中率も下がってましたが、他に代替手段が無いと使わざるを得なかったのかも。一応アッツには米軍戦車(型式不明)も投入されてるんですが、高射砲による撃破戦果があったかは血眼になって調べてもわかりませんでした……。

>FLAK36をパクった99式は?
99式の原型はFLAK36でもFLAK18でもないよ
その前の世代

八八式(特)への改造理由・改造部分とかドイツ88mmとか
あらゆる平射を考慮された砲考えるにまずブラストから砲員守る防盾がいるのかもしれん

平射だとブラストが地面に跳ね返るせいで核の空中爆発のような倍化現象もあるかもしれんし
横方向に逃がすマズルブレーキがあるでもないし

関東軍がソ連のT34に対して高射砲の水平射撃したって
読んだ記憶がある、ただ注退機がイカれたとあったから
75mmだろうと推測。

日本軍が行った高射砲の水平射撃ってちゃんと徹甲弾用意してたの?
徹甲弾用意してて水平射撃射撃で注退機潰れるとか幾ら何でもひどいと思うが

駐退機(ちゅうたいき)

>日本軍が行った高射砲の水平射撃ってちゃんと徹甲弾用意してたの?
色々言われる88式も固定用のマル特なんかは水平射撃可能で徹甲弾もあった

信管廃した実体徹甲弾の四式が制定されてて
佐山本の記述によれば完成未成あわせて6000発が枚方の工場で終戦時みつかってるというあたり
あわてて平射転用の必要性に応じたんだろう 前線の徹甲弾のストックは期待できない
古い方の徹甲弾でも他の弾種に比べてずいぶん年次がとんで“一式”だしノモンハン戦訓のにおい

>あらゆる平射を考慮された砲考えるにまずブラストから砲員守る防盾がいるのかもしれん
実際八八式は当初から15度までの平射が可能とされてたけど
野戦砲床での平射は爆風除けを設置する等の措置がないと危険とされてたとか
>徹甲弾用意してて水平射撃射撃で注退機潰れるとか幾ら何でもひどいと思うが
これに関しては駐退復坐機の構造がデリケートだったのが原因だたらしいけど
対策としてそれまで分解に制限があったのを緩和して
部隊で分解整備やグリースの補充、調整ができるように新たに器具を配備して対応したらしい

わざわざ対空対潜兼用の砲を新設計したんだよな
十年式十二糎高角砲に対潜弾用意するんじゃダメだったのか

>日本軍が行った高射砲の水平射撃ってちゃんと徹甲弾用意してたの?
むしろ最末期の陸軍では、高射砲弾の生産を絞って高射砲用の
榴弾と徹甲弾の生産に切り替えている。
空襲はもうスパッと諦めて、本土決戦に備えているのだ。

>十年式十二糎高角砲に対潜弾用意するんじゃダメだったのか
それよりもっと安く上げたいから
砲身は短ければ短いほど安くたくさん作れる

三八式十二糎榴弾砲と短12糎って
スペック的に近いようにみえるけど
なんか関係あるのかな

元が戦時標準船の自衛用という話が本当ならも低射程低反動で甲板を強化する必要が無くて
射撃指揮装置と連動するでもなく、阻塞弾や対潜弾で航空機や潜水艦を牽制するのが主目的だから
砲としての性能より海防艦や駆逐艦用に増産してた高角砲と食い合わない必要があるんでしょう

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低伸弾道じゃ入射が浅くなりすぎて平頭弾使おうと高確率で跳ねちゃうし潜らんので低初速の曲射でいいんだろう
商船搭載の旧式・低スペック砲も相手のえらい油断と失策があったとはいえ鹿野丸・グラニオンの戦いで戦果上げてはいる潜没した敵潜に被害与えるのは厳しそうだが

対潜専用になってしまうがボフォース対潜ロケット爆雷が後継コンセプトになるのかな?

>対潜専用になってしまうがボフォース対潜ロケット爆雷が後継コンセプトになるのかな?
そんなに志の高いものでは無いと思いまする

気軽に移動できないのが凄く使いにくそう
陸上に据えてたのってグアムサイパンだけなんだろうか

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IJNの造船士官だった福井静夫さん曰く
「昭和19年後期には、わが海軍では前投兵器として八センチ迫撃砲(陸戦用)を海防艦などの艦橋直前に装備し、対潜弾を支給したほか、一五センチ九連装噴進砲(対潜ロケット砲)がほぼ実用化の域に入りつつあり、実艦実験も終わっていたが、同年末から二十年初頭にかけて、戦況の変化により、ついにその実用化を迎えず中絶されてしまった」「このロケット砲(射程は一五〇〇〜三〇〇〇メートル)は、当時さらに改良中で、最小射程は一〇〇〇〜一三〇〇メートルくらいまででだいたい反跳しない見込みであった(略)最大六〇〇〇メートル、最小三〇〇メートルの射程を目標とし、九連装(二五ミリ連装銃架を使用)より二〇連装(二五ミリ三連装銃架を使用)、さらには四〇連装くらいまでにしたい要求もあった」…そうで、当時要求された対潜兵器がどんなものだったか窺える気がしますですなあ

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因みにコレは余談ですけれど、むかーしの「丸」に、1945年2月のフィリピン・マニラ防
衛戦で、高角砲部隊を率いて米軍との地上戦を戦ったIJN指揮官さんの手記が掲載されてまして、少し内容を引用させて頂きますと「ニコルス飛行場(現マニラ空港)の東北隅に、12センチ高角砲4門で編成する長門砲台をきずき、私が隊長となって来襲する敵機との交戦に命をかけていた(略)兵員はわれわれ第117防空隊の生き残りのほか、沈んだ戦艦『武蔵』と巡洋艦『名取』の砲術科の下士官兵をよせあつめたものであった」「とくに『武蔵』の兵員は、日本海軍の精鋭だけあって優秀であり、私の隊の中核となって二番砲を操作して、最後まで勇戦奮闘してくれた」

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「わたしの砲台からは、敵戦車群を射撃するのに格好の距離であった。私は一番砲に射撃
を命じた(略)弾丸は戦車群の前後左右で炸裂するが、なかなか命中しない。しかし、運よく一発が命中した。次の瞬間、戦車は燃えあがった。『やった!」隊員は手をたたいて喜んでいる。『ただ今の射撃、みごとなり』大隊長からのおほめの言葉である」「敵の猛攻撃の間隙をぬっては砲撃をつづけ、(※2月)12日夕方までに、千発以上あった全砲弾を射ちつくしていた」「大隊長より命令がくだされた。『安東小隊長みずから指揮をとり、すでに敵手にあるニコルス飛行場内の旧友軍砲台にゆき、弾を奪いかえすこと(略)』」「私は数十名の兵員とトラック一台をひきつれ、暗夜を利用して(略)百発ほどの砲弾を奪いかえすのに成功した(略)スリルにみちた”弾ドロボー”であった」

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「連日の平射で、砲台の基礎はガタガタになり、伏角2、4度というむりな角度で射ってい
るため、掩体壕は爆風でふっとび、まったくの裸大砲であった」「時限信管を0秒にして射ったため、わずか8百メートルで破裂するので、戦車も歩兵もちかよれない。二番砲は『武蔵』の兵隊が主力となって、よく頑張ってくれた」…んですとか残念ながら手記中には「12センチ高角砲」の形式の表記がなく、敵戦車(M4?)を一撃で遠距離から撃破した威力からすると、スレのお題の短十二糎砲ではなかった気もするんですが、「専門外」の対地砲撃に転用された際の、高角砲部隊の戦いっぷりがよく分る内容ではあるんじゃないでしょか

>空向いて敵機を撃つものという教条主義がどうにも頑迷だった

素人考えだけど日本軍で高射砲の対戦車転用が目立たなかったのは
砲自体の改良問題もあるかもしれんが、ポンと搭載できて
射撃の衝撃に耐えるような手頃の大型装甲車が簡単に用意出来なかったからとかな?

横方向に向けられさえすれば減装薬で直射に近い方法で撃てたと思うのだが、そういうことはできない仕組みだったのかな? 発射反動による砲架への負担も少ないし、曲射のように動く目標への命中率の低さもないだろうしね

ドイツ88が5tの自重で受け止めてるのに対して
八八式七高は2.5tしかないんじゃ多少口径小さいの差し引いても全体的に華奢すぎる
対空だとタコみたいに張り出した脚と地面で垂直方向に反動逃がせるが
平射だと華奢な砲架に対し水平方向の反動がモロにかかるのがきついのでは

九○式野砲を中戦車車台になんとか搭載した一式砲戦車でもキャパオーバーぎみだし
より重量と発射エネルギーがある高射砲の搭載は難しいんじゃ
ナト車みたいに最低限の自走射撃プラットフォームとしてのナリを整えるくらいしか

>八八式七高は2.5tしかないんじゃ多少口径小さいの差し引いても全体的に華奢すぎる
戦車とか他の日本軍重火器と同じく輸送能力の重視の結果なのかなこの華奢さは

>IP:2404:7a80.*(ipv6)

いやまあ相変わらず詳しいのは凄いけど、いつも余談が多すぎるなあ
少しはスレ意図を重視してほしい

この人には支持者がいるのであまりクレームつけない方がいいですよ

話の腰を折るわけでもないのに
噛み付く自治厨の方が嫌われるわな

>この人には支持者がいるのであまりクレームつけない方がいいですよ
だったら別にHP でも持たせてそこに書けよ
レス3つ4つ無駄に長文をコピーしてるし
大体無断引用の違法レスだろ

書き込みをした人によって削除されました

引用元を明示したうえでなら違法じゃないはず
そもそも読むのが面倒なら飛ばせばいいだろ

過去一度も明示していないし
転載しているだけだから話が一方通行なんだよねこの人

書き込みをした人によって削除されました

このスレ内に限っても何らかのエピソードの書き込みに引用元書いている人は誰もいないわけだが
つまりそういう人達全員違法!って主張してるってとってよろしいのかね(棒)

>転載しているだけだから話が一方通行なんだよねこの人
それなりの応答をすれば別な資料を引っ張ってきて話を広げてくれるし、引用だけではなく個人的見解のようなものを書いてくれることも無いわけではない。私のように個人的見解だけなのも迷惑だろう(笑)

高角砲じゃないけど、硫黄島では25ミリ単装機銃が対人(!)対物相手に無双したらしいね
M4相手でも上面あたりだったら抜けそう

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>IP:182.250.*(au-net.ne.jp)


求められて引用文献示してくれたこともあったけど
その時は著者がえぇ?な人で驚いたことが

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>硫黄島では25ミリ単装機銃が対人(!)対物相手に無双
公刊戦史によりますと、米軍上陸数か月前の1944年8月18日、当時硫黄島を訪れていたIJN第三航空艦隊参謀浦部正中佐が栗林兵団長の了解を取り付けた上で、大本営海軍部及び聯合艦隊司令長官宛に「敵上陸部隊(略)を水際迄に必ず撃滅する」…為に必要な兵器資材として、25ミリ機銃70丁、250キロ爆弾噴筒50基、セメント1万2千トン等を送るよう求めているそうなんですが、25ミリ機銃に関して一丁当たりの弾薬は徹甲弾2千発、普通弾500発の割合とするようを要求しておりまして、これからしますと早い段階から25ミリ機銃に関しては敵舟艇、もしくは上陸部隊への地上攻撃運用を主とする構想があったような気もしますですなあ

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因みに日本海軍が硫黄島に設けていた諸砲台の内、幾つかは米軍上陸の前々日から前日に
かけて米海軍艦艇と砲火を交えているんですが、多田実氏の「海軍学徒兵、硫黄島に死す」等によると、先ず2月17日、内火艇で硫黄島東海岸沖にある東岩に横づけて登った米軍に対し25ミリ機銃が発砲、命中弾を与えて撃退したのを皮切りに、午前9時35分には北地区15センチ砲台が約2キロの距離にまで接近してきた米巡洋艦(重巡ペンサコラ)斉射を行い、命中弾を与えて炎上させるも、米戦艦3隻の反撃で午前十時過ぎには北砲台は破壊されてしまったそうですまたほぼ同じ頃、南海岸では米駆逐艦、掃海艇、小型砲艦等が掃海偵察の為接近してきていたのに対し、摺鉢山山麓地下の海軍平射砲台(14センチ砲2門、12センチ砲4門)及び島内の海軍南砲台の「左右45度の回転の出来る、短12センチ砲4門(ベトン陣地内に隠蔽)」が発砲し、駆逐艦一隻、上陸支援砲艦12隻に命中弾を与えたものの、米軍の反撃で「短12センチ」の南砲台は一門を残し破壊され、生存者は8名のみであったんだそうな

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一方、この時IJN砲台に撃たれた側の状況をR・F・ニューカム=サンの「硫黄島」から引
用させて頂くと、「3分間でペンサコラには7発命中し、作戦情報センターが破壊され、カタパルトの上で艦載機に火がついた。砲側に準備されていた弾丸も誘爆した(略)乗組員17名が戦死、120人が負傷した。副長の(略)中佐は、作戦情報センターで直撃を受けて死んだ」「午前十時半、海岸線から2500メートルの沖に、駆逐艦が一列横隊に並んで、上陸用舟艇を改装したLCI砲艇がその間を切り抜けて、海岸から1000メートルまで進んだ」「第一線の砲艇は、まだ何が起こったのか気づかなかった。LCI457号艇の艇長(略)は(略)通信長に『巡洋艦と駆逐艦に砲撃を止めるよう伝えろ』と命令した。味方の弾が砲艇のまわり中で、水煙を上げて落下していると勘違いしたのだ」

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「午前十一時、守備隊は一斉射撃をはじめた。北部や擂鉢山麓のトーチカに隠されていた
重砲が、砲艇に対して火をはいた(略)第450号は二つの40ミリ砲塔に命中弾を受け、数か所で火災が発生し、一弾が選手の錨の鎖を断ち切った。錨は海底にすべり落ちた」「後日、450号は、1853年ペリー提督以来、最初に南方諸島に錨を降ろしたアメリカ軍艦だと威張った。たまたまその船の機関長はペリー提督の子孫にあたるチャールズ・キング准尉であった」「二、三分たつと、第一線に並んでいた全艇が命中弾を受けた(略)LCI474号は沈みかけ、(略)十時五十五分から十一時三分の間に、6インチ砲弾14発が命中した(略)艇はくるりと転覆して、赤いふな底が水から顔を出した。駆逐艦カップスが(略)これを沈めた。また、474号は准尉1人、兵曹長1人、3人の水兵をこの戦いで失った。その他二人が機関室を離れるのを拒み、艇と一緒に沈んでいった」

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「この任務で43人が死亡し、153人が負傷、1人が行方不明になった。12隻の砲艇の内サイ
パンまで自力でたどりついたのは4隻だった。駆逐艦リュウツ(※USS Leutze, DD-481)もまた命中弾を受け、7人が戦死、33人が負傷した。その重傷者の中には、艦長のロビンス中佐もいた」…との事この米軍上陸直前の海軍砲台による攻撃、「本番」前に位置を暴露して米軍の反撃を誘い、肝心の上陸時の攻撃力を減衰したとかで、各種戦記モノでも余り余り良く書かれていない事が多いんですが、単純に砲撃の精度と威力に限って言えば、米側からの記録を見る限りは中々のワザマエだったようですし、その戦果の内幾らかは「短12センチ砲」によるものだった、って事になるんでしょかねえ…?

>15センチ砲台が約2キロの距離にまで接近してきた米巡洋艦(重巡ペンサコラ)斉射を行い、
>命中弾を与えて炎上させるも、米戦艦3隻の反撃で午前十時過ぎには北砲台は破壊されてしまったそうです
お返しが強烈すぎるからそりゃ先に撃った方がいいとも思わなくはない

栗林中将はそのエリート主義のせいで
自分と反りの合わなかった部下と同様に
資源配分や作戦などで対立した海軍部隊は徹底して悪し様に書き残してますからね。

>お返しが強烈すぎるからそりゃ先に撃った方がいいとも思わなくはない

猛烈な上陸準備砲爆撃は事前にされたけど生き残ったようだね
タイミングとしてもっと損害が与えられた機会があったという批判のようね

たった最大でも幅4kmの島、戦艦の射程は20kmはあるんで
どこでも有効射程内
改善の見込めない遅延戦術で
まるでリレーで負けてるアンカーの状況の中
持てる戦力でできうる限りの最大の戦果を求めるお人には
少しの無駄も看過出来ないんでしょう

>1525559674457.jpg
この画像なんか完全に対地用だってわかりますね
しかし海軍の水平砲が時期尚早だったという説につきましては皆さん色々なご意見があるようですな