ゆり@ふたば保管庫 [戻る]

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江戸時代の百合セックス

https://www.youtube.com/watch?v=E_EfScNQ7AY

https://edo-g.com/blog/2017/01/shunga-s.html/3

次のテーマは「同性愛」。
時代ものAVじゃない
春画 百合もの(レズビアン)(喜多川歌麿 画)
タイトル不明(喜多川歌麿 画)
いわゆる百合ものです。江戸時代の同性愛というと「男色」のイメージが強いですが、レズビアンだって当然いましたから、当然こうした春画もあったわけです。先ほどご紹介したアダルトグッズ「同両首」がさっそく使われています。下の女性が気持ち良さげです。
大奥は淫靡だった?
春画 大奥の女中らがアダルトグッズで楽しむ(『床の置物』菱川師宣 画)
『床の置物』より(菱川師宣 画)
大奥の女中らがアダルトグッズであれやこれやを楽しむ秘密の世界を描いた『床の置物』のワンシーン。張型にひもをつけそれを腰に巻き、女性同士で戯れています。江戸時代にペニスバンドがあったことに驚きを隠せない一方で、アダルトグッズのアイデアはずいぶん昔から出尽くしている、かもしれません。
ちなみに、画像左の女性は「きつく つきやれ」と申しております。よっぽど欲求不満だったんでしょうか。

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http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2015-11-01
なぜ女性同士の性愛は記録に残らなかったのか [性社会史研究(性別越境・同性愛)]鳥橋斎栄里「婦美の清書」(1801)(2).jpg↑ 鳥橋斎栄里「婦美の清書」(1801年)女性同士の性愛を描いた春画を紹介したら、あるレズビアン活動家の方からTwitterで「(江戸時代から)レズビアンポルノがあることに気が遠くなりました。」という感想をいただいた。

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正直、意味がよくわからなかったので、やりとりを重ねると、
「気が遠くなったのはこの時代からレズビアンが性的に消費されているということについてです」というお返事。さらに「シスヘテロ男性がレズビアンのセクシュアリティを消費する構造に問題を感じています」というコメントも。江戸時代の作品について「シスヘテロ男性(ジェンダーを動かさない異性愛の男性)」という言葉が出てくることに、歴史研究者としては強い違和感を覚えたが、それは棚に上げても、はたして江戸時代は「シスヘテロ」的男性ばかりだったのだろうか。男色と女色の境界があいまいで、少年時代に男性から性的な視線で見られる、あるいは性的な対象として扱われることがあり、元服して大人になると娘だけでなく若衆(少年)にも性的視線を向けることが珍しくなかった江戸時代の男たちの心性は、現代の「シスヘテロ男性」とはかなり違うのではないかと思うのだが。それは、まあいい。彼女は研究者ではないし。

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私は、「シスヘテロ男性がレズビアンのセクシュアリティを一方的に消費する」想定ではなく(それもあったと思うが)、奥女中や娼妓のような女性たちが、この図を楽しんで見たかもしれない(春画の需要層からしてかなり可能性あり)という可能性を指摘した。
それに対しては「あくまで可能性であって(そう思えば楽しいですが)、それを裏付ける何かが何もかもない」というお返事だった。私にとって重要だったのは「なんでこうレズビアンの文化は残らないのだろう」という彼女の問いかけだった。この問題は、私もずっと疑問で、とりわけ論文「日本におけるレズビアンの隠蔽とその影響」(←執筆してから2年経つが日の目を見ない)を執筆して以来、考え続けていた。で、今さらながら、ある構図が思い浮かんだ。まず、江戸時代の浮世絵の制作・出版界は、ほぼ完全に男性によって支配されていた。北斎の娘の葛飾応為のような存在は例外中の例外。もし、女性同士の性愛図が当時の「シスヘテ男性」によって消費されるものであったとしたら、男性支配の出版界がその需要に応えないわけがない。女性同士の性愛図をどんどん制作し刊行したと思う。

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しかし、実際には、浮世絵春画のうち女性同士の性愛図は微々たるもので1%にも満たないと思う。
つまり、女性同士の性愛図の需要はあまりなかったのだ。江戸時代には「レズビアン・ポルノビデオは、女性が2人出てくるので2倍おいしい」なんて言う現代の「シスヘテ男性」(の一部)に見られるような性的嗜好はほとんどなかった。女性同士の性愛図のわずかな需要は、やはり(私が想定するように)奥女中や娼妓のような女性だけだ多く集まる世界だったのではないだろうか。さらに、考える。

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前近代の、いや近代になってもかなりの期間(明治末〜大正初まで)、女性だけの世界に男性たちが関心を抱くことは少なかったのではないか。
男性のホモソーシャルな世界に女性が口出しすることがタブーとされたのと同様に、女性たちだけの世界に男性が踏み込んだり、関心を抱くこともタブーだったのだと思う。その点、男性が女性の世界の様々なことに関心を抱く現代社会とはかなり違う。男性の権力によって女性が隔離されるという側面だけでなく、女性たちが自分たちのテリトリーをしっかり守っていたことを、もっと評価すべきなのではないか。そうした社会の形と、男性が出版界を牛耳っていたことを合わせて考えると、女性世界の、とりわけ女性同士の性愛に関する情報が、刊行物の形でほとんど残っていないことの説明がつくと思う。単純な話、男たちは、女たちだけの世界のことには、関心もなく、知識もなかった。だから書かない(書けない)し、刊行物として残らなかった。

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男たちが、女性たちの世界の秘めごとに関心を抱くようになるのは、近代になってからであり、さらに、性的欲望をあらわにして、あることないこと書きたてるようになるのは、昭和戦後期に顕著になる現象だと思う。
なんで、こんな簡単な論理を思いつかなかったのだろう。自分の頭の悪さが嫌になる。でも、誰もこんなこと、書いてないような気がする。ともかく、考えるきっかけをくださった彼女に感謝したい。

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http://onomaryo.net/archives/4231
同性の交合は昔から認められていたのか春画展では、女性同士の交合の絵があった。今になってやっと○○州で同性婚が認められた≠ェ話題になり、同性愛を私は受け入れます≠ニかしこまって言うようになったが、江戸時代に女性同士の交合の絵があったのには、驚いた。男の興味関心で描いたものなのか、女性同士と思いきや、女装した男性と女性のコスプレ的な交合なのかもしれないが、それはそれで興味深いものである。江戸時代の同性愛に対する目の向けられ方はとても気になった。

素晴らしいですわ。

内容も興味深いですけど
画像も面白いですわね

>1519983907037.jpg
そんなもんでどついたら大変なことになりますわ!

https://ci.nii.ac.jp/ncid/BB21025849

おっ、ciniiに載ってますね。

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「百合は日本の伝統にそぐわない」
というクレームでも付いたんでしょうか・・・

あくまで見聞きしたことですけど

その前に計画されていたふともも写真展?が中止になり、ふとももと百合の両方に参加する予定だった1人が百合もボイコット。百合展「全員で参加出来ないなら中止」

という流れらしいですわ

百合展自体はマルイに拒絶されたわけではないという話ですが百合展側の判断もよく分かりませんわね

そのような経緯があったのだとすると簡単に表現の自由をないがしろにする事に対する抗議の意味もあったのかもしれませんね

マルイのようなデパートではなくゲマやアニメイトでやればいいんじゃないんですかね

百合展の件ですが、あのふとももは正直どこが百合なのか未だによく分かりませんわ。女体を収めフェチシズムに訴えるだけの写真集なんて殿方向けではなくて?それで男性の性の捌け口だの性的搾取だのと言われてもある程度は仕方がないのかもしれませんわね。

あと、なんだか知りもしない上から目線の莫迦どもが百合展の他の出展予定だった作品を同様に扱っていてムカつくこの上ないですわ。

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代わりの場所が決まりましたね
よかったよかった

そもそも百合は男向けの萌えジャンルの一つですし

>そもそも百合は男向けの萌えジャンルの一つですし
男向けとは言いますが、某あやねるさんのように女性でも嗜む方は
ある程度いるようですわ

そもそも百合展って百合イラストを展示するだけでしょ
わざわざ見に行くほどのものじゃなさそう

サイン本やグッズ販売もありますわよ

百合イラストTシャツなんてどこで着ればいいの
使い道がない