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西郷の墓地で大久保の法要「待った」 反発受け名称変更
 明治維新の立役者である薩摩藩の大久保利通の没後140年の法要を、西郷隆盛が眠る鹿児島市の墓地で催そうとした有志のグループが反発を受け、法要の名称などを変更していたことがわかった。西郷と幼なじみだが、西南戦争で西郷を敗死させた大久保への風当たりは今も強い。法要は西南戦争の戦没者を政府軍、薩摩軍問わず追悼するものとして、6日に開催される。

 大久保と西郷は同じ鹿児島・加治屋町の出身。徳川幕府を倒し、明治維新を成し遂げた2人だが、新政府の政策をめぐって対立。1877年に薩軍を率いて反乱を起こした西郷を鎮圧した大久保の人気は、西郷に比べるといま一つだ。

 明治維新150周年の今年は、西南戦争の翌年に東京で暗殺された大久保の没後140年にもあたる。

 そこで、西郷らが葬られている同市の南洲墓地に昨年9月、政府軍と薩軍を一緒に弔う慰霊塔を建立した有志の団体「西南之役官軍薩軍恩讐(おんしゅう)を越えての会」が、大久保の命日である今月14日に近い6日に、「大久保利通公没140年法楽」を慰霊塔前で催そうと計画した。

  同会の会長は、NHKの大河ドラマ「西郷どん」で時代考証を担当している鹿児島県立図書館の原口泉館長が務めている。

 しかし、東京・上野の西郷像の清掃や西郷の研究活動などに取り組む市民グループ「敬天愛人フォーラム21」(東京)が、「大久保は西郷を死地に追いやった人物」と反発。南洲墓地での大久保の法要を取りやめるよう求めた。内弘志・代表世話役は「大久保は南洲墓地に葬られているわけでもない。賊軍の汚名を着たまま眠る人々や遺族の思いを考えてほしい」と話す。

 同会事務局を務める鹿児島市の大雄山南泉院の宮下亮善住職は「法要は大久保だけのためでなく、官軍側、薩軍側の分け隔てなく平等に供養したいだけ」とするが、反発を受けて、法要の名称を「西南之役官軍薩軍恩讐を越えての法要」に変更。予定していた原口会長の講演のタイトルも「明治維新と大久保甲東」から「大河ドラマの中の西郷と大久保」に変えた。原口会長は「対立を深めるようなことは好ましくないと判断した」と話した。

 南洲墓地での法要には、西郷の子孫らを含めて110人ほどが出席する予定という。

https://www.asahi.com/articles/ASL4W432XL4WTLTB002.html