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アングロ・サクソン人もまた、ローマ人同様ブリタニア全土の支配を目論んだ。
 491年、ペヴェンジーに上陸したサクソン軍は、その地方一帯のブリトン人を皆殺しにした。次々と攻撃を受けたブリトン人は都市を捨て、アイルランドやブルゴーニュ地方へと落ち延びていった。
 しかしAD5世紀半ばに出現したアルトリウスがブリトン人を統率し、バドニックスの戦いでアングロ・サクソン人を敗った。そのため激しかった侵略は一時的に休止したという。その史実が後世、アーサー王伝説となリ、吟遊詩人らによって語り継がれることになるのだった。
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 アーサー王伝説の中でブリトン人は『白い龍』アングロ・サクソン人は『赤い龍』と称され、両者の戦いは『コーンウォールの猪が赤い龍を踏みつぶすまで』終わらない、と語られている。
 ケルトの族長アルトリウスは、コーンウォール出身だったのかもしれない。
 しかし波状的にアングロ・サクソンの攻撃は続き、それと平行してブリタニアに定住する者も増えた。結果として7世紀の初め頃・・日本では飛鳥時代頃・・・には、ほぼ全域に渡ってアングロ・サクソンの支配が定着してしまった。
 

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http://www.kingdom-rose.net/history47-roma
 イギリスのランカシャー地方のリブチェスター(Ribchester)にローマの砦があり、ここに2世紀から4世紀にかけてサルマタイ人からなるローマの部隊が駐屯していたことが分かっていました(http://www.pendle.net/Attractions/RibchesterRomanFort.htm。9月3日アクセス)。

 まず1996年に、これらサルマタイ人がブリテン島に馬の飼育と騎兵を持ち込み(注2)、芸術・衣服・神話に多大な影響を与えた、と主張する論文が現れます。この論文の中で、ハンガリーで発掘されたサルマタイ人の墓からマジャール(ルーン)語で記された遺物が出てきたことから、サルマタイ人はマジャール語の一種を用いていたと考えられるとの指摘もなされています。

翌年の1997年、今度は米国の学者が、アーサー王伝説成立についての新しい説を提示しました。
 175年にローマのマルクス・アウレリアス帝は5500人からなる部隊をドナウ河沿岸のサルマタイ人を徴用して編成し、その初代部隊長はローマ人のアルトリウス(Lucius Artorius Castus)であり、184年にこの部隊はガリアでの叛乱を鎮圧した(アーサー王伝説にもアーサーのガリアでの戦闘が出てくる)、という記録があるが、この部隊が恐らくリブチェスターに駐屯していたサルマタイ部隊だろうというのです。そして、後にこの部隊の部隊長をサルマタイ人がつとめることになり、その部隊長が代々アルトリウスの名前をとってArthurと称するようになり、その慣習が、ローマがブリテン島から撤退した後も続いたのではないか、というのです。
 

更に、6世紀初頭のBadon Hill の戦いで、ブリテン島原住民(native)が侵攻してきたサクソン人を打ち破ったとされており、これが後にアーサー王伝説の中でアーサーの功績とされるのですが、実際にその頃、アーサー率いるサルマタイ部隊が原住民たるブリトン人と連携し、或いはブリトン人を率いてサクソン人と戦い、勝利したのではないかというのです(注3)。

更にこの学者は、アーサーが岩から引っこ抜いた剣であるエクスカリバー(Excaliber)、円卓(Round Table)、聖杯(Holy Grail)の話は、いずれもサルマタイの神話からの借用だと指摘しました。
その後これらは、いずれもマジャールとも関係の深い話であることも明らかにされつつあります。
 (以上、特に断っていない限り、http://www.acronet.net/~magyar/english/1997-3/GRAIL.htm(9月1日アクセス)による。)

更にこの学者は、アーサーが岩から引っこ抜いた剣であるエクスカリバー(Excaliber)、円卓(Round Table)、聖杯(Holy Grail)の話は、いずれもサルマタイの神話からの借用だと指摘しました。
その後これらは、いずれもマジャールとも関係の深い話であることも明らかにされつつあります。
 (以上、特に断っていない限り、http://www.acronet.net/~magyar/english/1997-3/GRAIL.htm(9月1日アクセス)による。)
 昨2003年には、米国とドイツの女性の学者が、サルマタイの女性戦士の墓を発見し、ヘロドトスの記述を裏付けると同時に、遺骨のDNA鑑定の結果、古代サルマタイ人はイラン系ではなく、現在のカザフ人(蒙古系)と遺伝子的に極めて似通っていることが分かりました。この鑑定結果については、英ケンブリッジ大学のお墨付きも得られています。(http://www.nationmaster.com/encyclopedia/Sarmatians及びhttp://www.thirteen.org/pressroom/release.php?get=1272(9月1日アクセス))

http://blog.ohtan.net/archives/50955371.html

イギリス人は実はアングロサクソンではなくブリトン人だったという最新の研究成果(コラム#379)に接した時、天地がひっくり返るような衝撃を受けると同時に、積年の疑問の一つが氷解しました。
 アーサー王(King Arthur)伝説が、アーサーがケルト人(ブリトン人)であり侵攻してきたサクソン人と戦った、とされているにもかかわらず、なにゆえこの伝説がイギリス人の間で今日に至るまでかくも人気を博してきたかが腑に落ちなかったのですが、http://blog.ohtan.net/archives/50955372.html

氷河時代には現在のブリテン諸島のあたりは、氷河で覆われて人間は南方に待避したため、4,000年間にわたって誰も住んでいなかったが、氷河期が終わりかけた約16,000年前から約7,500年前にかけて、現在のイベリア半島から、バスク(Basque)系の人々が、まだ陸続きであった英仏海峡を通って(まだ諸島に分かれていなかった)ブリテン諸島のあたりへ、三々五々戻ってきた。
 この段階では、彼等は狩猟採集生活を送っていて、(印欧語族に属さない)バスク系の言葉を用いていた。
 次に、約6,000年前から約3,700年前にかけて、(既に約7,500年前に)英仏海峡によって大陸から隔てられたブリテン諸島へ、船で、南フランスから北スペイン経由で、ケルト人が農業を携えてアイルランド島及び大ブリテン島西岸に渡来した。
 渡来したケルト人の数は少なかった(注1)が、農業とケルト系の言葉がこれらの地域に普及した。

 (注1)遺伝子分析を行うと、ケルト系は、北ウェールズの人々の約三分の一、残りの大ブリテン島の人々の10%未満(うち南岸の人々の10%)を占めているが、アイルランド島の人々のわずか4%を占めるに過ぎない。だから、アイルランド島の人々はケルト系とは言えない。
(注2)遺伝子分析を行うと、この時期に渡来したゲルマン系は、大ブリテン島の東部及び南東部の人々の10??19%を占めている。
 (注3)これが英語であるわけだが、どうしてベルガエ人の言葉がイングランド全体に普及したのかは、今後の解明を待ちたい。なお英語は、ゲルマン語の三つの系統中の西ゲルマン語(ドイツ語・オランダ語)から派生したのではなく、ゲルマン語の独立した四番目の系統であると認識すべきだ。いずれにせよ重要なことは、英語は、アングル・サクソン・ジュート人が持ち込んだ言葉ではないことだ。だから、ローマが侵攻した時点では、イングランドの人々は既に英語を用いていたことになる。

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遺伝子分析を行うと、現在のアイルランドの人々の88%、ウェールズの人々の81%、コーンウォールの人々の70%、スコットランドの人々の70%、イングランドの人々の68%がバスク系の人々であることが分かる。つまり、ブリテン諸島全体では、約四分の三の人々がバスク系であり、うちイングランドでは、約三分の二の人々がバスク系だということだ。
 バスク系の人々より後でブリテン諸島に移住ないし侵攻してきたグループは、いずれもそれぞれ5%以下のウェートしか占めていない。 最新の説によれば、4世紀に、アングル・サクソン・ジュート人(=アングロサクソン人。ただし、その大部分はアングル人)は大ブリテン島の総人口が約200万人であったところにわずか約25万人がやってきたにすぎない(注3)。また、1066年のノルマン人の侵攻に至っては、せいぜい約1万人の規模でしかない。http://blog.ohtan.net/archives/50954197.html

ペラギウス(Pelagius。354???418?年)とは、ブリテンまたはアイルランド出身の、ローマ人的教養を身につけたキリスト教徒たるケルト人で、400年以前にローマにやってきます。
 彼は人間の自由意志を信じ、性善説を唱え(つまり原罪を否定し)、ローマ教会が教徒の救済権を独占する考え方に反対しました。また、ローマ教会の権勢・富・階統制は、禁欲的な生活と信徒間の平等を旨としたペラギウス派とは相容れないものがありました。

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スイス/ドイツの神学者のカール・バルト(Karl Barth。1886??1968年)は、英国におけるキリスト教は度し難いまでにペラギウス的(incurably Pelagian)だと指摘しています。
 すなわち、「ケルト人僧の骨太の(rugged)個人主義、そして彼の、一人一人の人間が善悪を自由に選択できるとの信念。かつまた彼の、信仰は精神的であると同時に実際的でなければならないという主張は英国におけるキリスト教徒の顕著な特質であり続けている。英国人の想像力は自然に根ざすものであり、そのことは英国人が秀でているところの田園詩と風景画に接すればよくわかる。まこと、英国人の造園へのこだわりの起源はケルト性にあるのだ。ブリテン諸島への訪問者は、定期的に日曜日に教会に行く人の少なさに衝撃を受ける。しかし英国人にとっては、信仰の最大のあかしは、教会に行くとか行かないとかいった宗教的勤行(religious observance)にではなく、隣人達、そしてペット、家畜や植物に対する日常的なふるまいにこそあるのだ。」(以上、http://www.themystica.com/mystica/articles/p/Pelagius.html及びhttp://www.newadvent.org/cathen/11604a.htm

 イギリスに人間が継続的に住み着いてからというもの、彼らの遺伝子構成はほとんど変わっていない。
 現在のアイルランド人とウェールズ人は、バスク人と遺伝子的に80%が共通しているのに対して、イギリス人は65%が共通している。
 だから、イギリスの住民はケルト系であるとは言えない。
 このことは、英語にケルト系の言葉がないこと、また、ケルト系の地名がないことからも明らかだ。
 ローマが到来した時、イギリス南部は、ガリアのベルギー地方とつながりのあるゲルマン系の言葉をしゃべる部族であるベルガエ人によって占領されていた。
 アングロサクソンに関しては、そのDNAはイギリス人の男系(male lines)の5%にしか発見されておらず、女系においてはほとんど発見されていない。(注13)

 (注13)この学説は、Y染色体とミトコンドリアDNAとベースにしている
http://en.wikipedia.org/wiki/Anglo-Saxon_settlement_of_Britain 前掲

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その後、Y染色体ハプログループ(Y-chromosome haplogroup(注14))のR1bが、イギリス中部・南部、ウェールズ、アイルランド、フランス北西部及びスペイン北部において、80%の男性に存在することが発見され、これにより、「イギリス人=バスク人説」は、更なる裏付けを得た、ということになりそうです。
 (以上、特に断っていない限り、下掲による。)http://en.wikipedia.org/wiki/Anglo-Saxon_settlement_of_Britain 上掲http://en.wikipedia.org/wiki/Haplogroup_R1bhttp://en.wikipedia.org/wiki/File:R1bmap.JPGhttp://blog.ohtan.net/archives/52099516.html

騎士道のルーツはアジアの遊牧民サルマタイにあり、その武具(甲冑)・戦闘方法(騎兵)・規範意識(正義)がサルマタイ諸部族のうちのアラン人(フン族と合同して西ヨーロッパに侵入した後広くゲルマン諸部族に同化した複数のサルマタイ人部族の総称)によってヨーロッパにもたらされた[2]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A8%8E%E5%A3%AB%E9%81%93
後にアランは北カフカスから黒海北岸地方を支配し、その一部はパンノニアを経てフン族に起因する民族移動期にドナウ川流域から北イタリアに侵入し、一部はガリアに入植した。さらにその一部はバルバロイを統治するためローマ人によってブリテン島へ派遣された。また、その他の一部はイベリア半島を通過して北アフリカにまで到達した。アランより前にパンノニアに進出し、ローマ人によってブリテン島の防衛に派遣されたイアジュゲス族もブリテン島にサルマタイ文化の痕跡を残した。[16]https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%82%BF%E3%82%A4

一〇世紀にポーランド人が、サルマタイ文化を真似る程に影響を遺しました。
ポーランド・リトアニア共和国の貴族階級は、
自らの祖先をステップの武人であった東方のサルマタイ人だとする
「サルマタイ人起源説」に基づき、サルマティズムと呼ばれる独自の東方趣味や貴族文化を花開かせています。
私がリトアニアに御縁があった事、深く考えさせられました。
現在、コーカサス山脈に住む少数民族のオセット人は、サルマタイ人の末裔です。https://ameblo.jp/nantoseiken-0122/theme-10101699981.html

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